小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~旅の人(7)~

「ふーん、そんな奴がねえ」
 草木から滴が、ぽた、ぽたと落ちる。
 雨の痕、である。
 姫様達が、道すがら太郎にあの若い男――月心の話をしている間に、止んでしまった。
 雨が降り、やみ、涼しくなって。
 まだ、雲が陽を隠していて。
 夏の虫達が、その音色をそろそろ奏で始めようか?
 そう草木に隠れて思案して。
 三人並んで、てくてく歩いていた。
 葉子と姫様はお揃いの傘を持って、太郎は子供達へのおみやげと傘を持って。
 姫様が、真ん中。
 銀狐と妖狼がその隣。
「それで、俺の鼻が何の役に立つんだ?」
「あんたの犬並」
「俺は、犬じゃねえ」
 太郎が、ぎっと葉子に食ってかかる。
 太郎さん、と姫様が袖を引っ張る。
「こほん。あんたの良く利く鼻で確かめたい事があるのさ」
「……その月心とかいう男、人間なんだろ?」
 太郎が訊いた。
「はい」
「姫様は、悪い人間じゃない。そう思ったんだろ?」
「はい」
「姫様は、そういってるね」
「じゃあ、悪い人間じゃねえだろうよ」
「まだ、わかんないよ……」
「そうか? 葉子より姫様のほうが信頼出来るからなあ」
「あんたは、臭いを嗅いでくれればいいんだ」
 心配性だねえと、太郎がこもった笑いをして。
 ですよねえと、姫様も笑う。
 笑いながら、妖狼は姫様を見た。
 そして、
「若い人間の男、ねえ……」
 そう、呟いた。
「はい?」
 姫様が、不思議そうな顔をした。
 太郎が、悲しげに見えたのだ。
 なんでもないさと、太郎がゆっくり首を振る。
 太郎の髪がゆっくり揺れた。
 その髪に、歩きながら姫様が手を伸ばした。
 そっと、触れた。
「あんまり、手入れしていませんね」
「ん? ああ」
 そうだなと太郎も自分の髪に指を伸ばす。
 髪を、掴む。
 くるくると、指に巻いた。
 この姿は仮の姿。それでも、手入れを怠れば痛みもする。
 万能のようで、変化の術は万能でない。
「前は、もっと綺麗だったのに……」
「……めんどいし」
「太郎のめんどくさがりや」
 葉子が、言った。
「帰ったら、手入れしましょうか。前みたいに」
「いいね、やっちゃおっか。クロちゃんは、ちゃんとやってるのにねえ~」
「へいへい……あれか?」
「そうです」
 太郎が指差すその先に。
 小屋。
 村はずれの小屋。
 着いた、のだ。
「臭い、ねえ……」
 くんくんひくひくと、鼻を動かす。
 大きく鼻で息をする。
 少し、眉をしかめた。
 葉子が、そんな太郎を見ていた。
 姫様が、そんな太郎を見ていた。
 小屋に近づけば近づくほど、太郎のしかめっ面は深くなった。
 子供の声が漏れ聞こえ、姫様の耳にも届くぐらいに。
 小屋の入り口、戸の前で、立ち止まった。
 そこで太郎は、腕組みをした。
「この臭い覚えがある……なんだ?」
「獣の臭い?」
「ああ……」
 太郎の言葉。
 それを聞く姫様の顔が曇った。
 今のお空のように、日を隠した。
 急に、戸が動いた。
 ひょっこりとでる子供の顔。
 きょろきょろと動く。
 太郎の持つ「荷物」をみて、わーっとその目を輝かせた。
「彩花さん、遅かったね!」
「お琳ちゃん」
「せんせーい! 彩花さんがまた来てくれたよう~!」
「……失礼します」
「お邪魔しまーす」
「……」
「太郎さん」
「……失礼します」
「さ。早く早く!」
 お琳と呼ばれたその子供――十ばかりであろうか――が、姫様の手を引っ張る。
 はいはいと、急かさないでと姫様が。
 履き物を、脱ぐ。
 太郎は、入ってすぐに立ち止まっていた。
 しきりに、首を傾げていた。
 おかしい、と。
「建物の中には、臭いがしねえ」
「やっぱり?」
「ああ。これは一体……あと、器が散らかってるのはなんでだ?」
「あたいらがさっき来たときはなかったけどねえ」

「彩花さん、大丈夫でしたか? 雨に濡れませんでしたか?」
 月心が尋ねた。
 のんびりとした口調。穏やかな言い方。
「良いところに木陰があったので」
 姫様が答えた。
「良かった……行こうと思ったのですが子供達がいますので……」
「急な大雨、怖かった?」
 おみやげに群がる子供達に姫様が。
 子供達は全然と答えた。
 そして、散乱する器達をてんでばらばらに指差した。
「凄いんだよここ! 雨漏り!」
「うん! 私の家よりひどいの!」
「音が、ぴちょんぴちょんってずっとしてたの!」
「あ、そういうことね」
「そういうことか」
 妖狼と銀狐、納得。
 器に水が貯まっているのはそういうことかと。
「……彩花さん、あの方は?」
 月心が訊いた。
「太郎さんです。私の……えっと……そうそう、従兄弟です」
「そうなのですか。太郎さん、月心といいます」
 よろしくと、笑った。
「……太郎だ」
 ぶすっと、していた。
「……あんた、姫様の従兄弟だったっけ?」
「そういう風にしとこうと言ったのはお前だろうが」
「そうだっけ? ……あ、そうだった」
 あたしゃ、親戚だっけね。
「太郎さん、葉子さん、こちらに座ったら?」
「あいあーい」
「うん」
 二人が、姫様の隣に。
 狭い小屋。
 ぎゅうぎゅう。
 太郎は、月心にむけて鋭い視線。
 それを隠そうとも、していなかった。
 お茶を、そういうと狭い部屋の奥の台所に月心が。
 姿が見えなくなってから、太郎が立ち上がる。
 がやがや賑やかにお団子を食べ始めた子供達の狭いせまーい間を通って棚の前へ。
 その棚の本を取り出し、ぱらぱらとめくった。
「太郎さん。勝手に」
「……同じ臭い」
「どういたし、ああ。古い本でしょう? 気になりますか?」
 月心が、お盆を抱えて。
「ああ」
 短く、答えた。
「父のものなのですよ。一応、形見なんです」
「形見……」
「私にはよくわかりませんが、唯一残った物ですので」
 月心が、寂しそうに笑う。
 きゅっと、なった。
 姫様は月心の寂寥の笑みに、なんだか胸がしめつけられて。
 そうだったのですか……
 そう、か細い声をだした。
「ふーん」
 相変わらず太郎の返事は短いものだった。