あやかし姫~お月見~
秋が深まっていく。
時折、肌寒さを覚えるほどに。
いつもの古寺。
庭で黄金色のすすきが揺れている。
水の跡が、ぽつぽつと。
灯りが、漏れている。
今宵は――十六夜。
まあるいお月様が、輝く星々とともに、空に浮かんでいた。
「まったく、わざわざ昨日雨を降らさなくてもさあ」
銀狐葉子がいった。
人の身に、狐の尾と狐の耳がみえている。
半分妖、半分人の格好で。
「しょうがないのう、こればっかしはなあ」
頭領が答える。
「なんとかなんなかったもんですかねえ」
昨晩のこと。
雨がざあざあと降った。
十五夜お月様の姿を見る事は出来なかった。
今も庭にはその名残が。
「あの親子があらかじめ教えてくれた。それだけで、十分じゃろう」
かみなり様の親子。
光と桐壺。
お月見どうですかと一週間ばかし前に文を送ると、
――今年は、忙しいので――
そう、返事がきた。
十六夜の日は、まだ少し楽なのだとも。
かみなり様が忙しいということは……
「そうですけど……ねえ。あれ、なんだか珍しいよね。私達だけ、ってのも」
姫様にいう。
姫様は、妖達に月見団子を取り分けていた。
「本当に……珍しいですね」
姫様が答えた。
今、古寺にいるのは姫様、頭領、葉子、太郎、黒之助、大小様々な妖達。
今宵は客人は誰もなく。
鬼の娘も、河童の娘も、来ていなくて。
大抵、なにかあるときは、誰かがここを訪ねるものなのだが。
「朱桜ちゃんが無理、というのはわかる気がするけど、沙羅ちゃんも用事があるというのは、ちょっと驚きました」
「あれかな、お花見出来なくて拗ねてるのかな?」
葉子がそう言うと、姫様が顔を曇らせた。
「あんときは、あの河童寝込んでたじゃん」
屋根の上から顔を覗かせ太郎がいった。
黒之助が、同じように顔を覗かせながらそうそうと相槌をうつ。
人の姿。
二人とも、ほんのり頬が紅かった。
「でも……沙羅ちゃんも、行きたかっただろうな」
頭領、と呼びかける。
「もう、無理なのでしょうか?」
お花見、と。
桜を咲かす事は、と。
「無理じゃ。季をねじ曲げる事は、難しい。あの娘には残念じゃがな」
「そう、ですか……」
姫様、落胆。
妖達が、姫様ーと声をかける。
「大体、今日は河童の集まりじゃろう?」
「はい?」
姫様がきょとんしていった。
うん? と頭領がいう。
「違ったか? そう、聞いておったが?」
「私は、なんだか忙しそうにばたばたしてる沙羅ちゃんに、『用事があるから、ごめんね』って」
その言葉に、葉子が苦笑した。
前の日、姫様と二人連れだって沙羅の小川に行ったのだ。
ゆっくりとした河童の様子は、銀狐にはいつもと変わらないように見えた。
「理由ぐらい、言えばよかろうによ」
「……じゃあ、しょうがないか」
頭領は、答えなかった。
夜が、更けていく。段々と、妖達が眠っていく。
そかかしこで、寝息が聞こえて。
気が付けば、お月見をしているのは五人だけに。
筆と短冊をもって、月を見ながら頭を捻っている姫様。
姫様の背中に目を瞑り身体を預けている葉子。
ちびちびと酒を飲む頭領と黒之助。
姫様の足下で人の姿をやめて丸くなっている太郎。
「葉子さん、重いです……」
「ん、ああ、ごめんね」
姫様にもたれるのをやめた。
向き直り、姫様に、
「気持ち良かったから」
そう、いった。一つ、あくびをつく。
「ねえ、どう? できた?」
「……駄目、かなあ」
姫様が、そっと、筆と短冊を置いた。
「ふーん」
「うまく、まとまらなくて……」
「そういや、太郎のお勉強、進んでるの?」
狼が、ぴくりと耳を動かした。
頭領と黒之助が、その盃をもつ手を、止めた。
「うん、ちゃんと進んでるよ」
「へえ」
「太郎さん、真面目に、やってるよ」
「太郎殿が、ねえ」
黒之助がいった。
「信じられんなあ」
「は、いいだろうが別によ。悪いか」
「悪いとはいっておらんだろう」
些細な事で「じゃれ合う」二人。
頭領は、その成り行きを見ているだけ。
ふっと、また手を動かす。
いやはや、と思う。
子供の頃の本を懐かしいといいながら読んでいた彩花に、その話を聞かされたときは、長続きしないと思ったのだが。
なかなか、どうして。
少しは、太郎も大人に……
物思いに耽っていた頭領、ぎゃーぎゃーという騒ぎ声に引き戻されて。
「やろう、ってのか!」
「いいだろう!」
「やめなよ、クロちゃん、太郎!」
「……もう! いいかげんにしなさい!」
なんだかなあ、と思う。
どうしてこう、騒がしいのか。
今日も夕時、二人で騒ぎをやらかしたばかりではないか。
騒ぎを聞きつけてきた妖達が、またかと言いたげに半開きの目でみて、入れ替わり立ち替わり戻っていく。
「お主ら……本当に変わらんなあ」
姫様に叱られている太郎と黒之助に向かって、そう、いった。
「……そっかあ?」
「……そう、ですか?」
「変わらんよ。葉子もなあ」
「私も、ですか?」
姫様が、尋ねた。
「……変わらぬ、な」
頭領の答えに、姫様が、嬉しそうに微笑んだ。
「そろそろ、しまいじゃなあ」
甘い匂いを漂わせながら、頭領がいった。
「そだね、結構、遅いもんね。そろそろ引っ込もうか姫様?」
「うん」
葉子と姫様が立ち上がる。
あ、っと姫様が声を出した。
「どうしたの?」
「こうやって、五人ともしまいまでいるなんて、珍しいなあって」
「そういえば……」
「そうだな」
大抵、寺の小妖達と一緒に酔いつぶれたり、よい潰れたり、酔い潰れたりして、しまいまで起きているのは少数、なのだ。
「わしも、引っ込むとするか」
「拙者も、寝ることにします」
「太郎さんは?」
「俺は、もう少しお月様につき合うわ」
金銀妖瞳が、怪しく光った。
「そう」
じゃあ、また明日とそれぞれの寝床に向かっていく。
「ちょっと、寒いですね」
「うん」
姫様と葉子が、二人の部屋へ。
道々、妖達の布団をかけ直してあげながら。
部屋に入る。
布団を敷くと、ふっと息を吹き、灯りを消した。
まだ、楽しげな会話はしばらく続いていた。
「……変わって……きているなあ……」
そう呟くと、くいっと盃を飲み干す。
頭領がさっとその姿を消した。
「ふん、しっかりやることだな」
「なんの話だ、クロ?」
「わざわざ姫様に教えて貰っているのだ。ありがたいと思え」
「ああ」
「明日、姫様、月心殿のところへ行くと言っていたぞ」
「また、か」
姫様、忙しくなったなあと思う。
あれから、あの若い男――月心のお手伝いも、たまにするようになったのだ。
「お前も、行くんだろう?」
「そうだな。葉子と、一緒に、な。クロは?」
「ここでおるさ」
ふーんというと、太郎は、月を眺めた。
その瞳に、丸い光が映る。
「なあ、クロ」
「なんだ?」
「……いや、やっぱりいいや」
「……気になるな」
「いい、って、言ってるだろう」
月から目を離さずに、いった。
「……なら、いいがな」
ぱたぱたと、音がして、黒之助の姿がなくなった。
太郎一人。
それから、屋根に、そっと音無く飛び乗る。
「……お月様か、変わらないな」
太郎が、そう、いった。
秋風にその白い身体を遊ばせながら、妖狼は、朝日がその姿を見せるまで夜月をその瞳に映していた。
時折、肌寒さを覚えるほどに。
いつもの古寺。
庭で黄金色のすすきが揺れている。
水の跡が、ぽつぽつと。
灯りが、漏れている。
今宵は――十六夜。
まあるいお月様が、輝く星々とともに、空に浮かんでいた。
「まったく、わざわざ昨日雨を降らさなくてもさあ」
銀狐葉子がいった。
人の身に、狐の尾と狐の耳がみえている。
半分妖、半分人の格好で。
「しょうがないのう、こればっかしはなあ」
頭領が答える。
「なんとかなんなかったもんですかねえ」
昨晩のこと。
雨がざあざあと降った。
十五夜お月様の姿を見る事は出来なかった。
今も庭にはその名残が。
「あの親子があらかじめ教えてくれた。それだけで、十分じゃろう」
かみなり様の親子。
光と桐壺。
お月見どうですかと一週間ばかし前に文を送ると、
――今年は、忙しいので――
そう、返事がきた。
十六夜の日は、まだ少し楽なのだとも。
かみなり様が忙しいということは……
「そうですけど……ねえ。あれ、なんだか珍しいよね。私達だけ、ってのも」
姫様にいう。
姫様は、妖達に月見団子を取り分けていた。
「本当に……珍しいですね」
姫様が答えた。
今、古寺にいるのは姫様、頭領、葉子、太郎、黒之助、大小様々な妖達。
今宵は客人は誰もなく。
鬼の娘も、河童の娘も、来ていなくて。
大抵、なにかあるときは、誰かがここを訪ねるものなのだが。
「朱桜ちゃんが無理、というのはわかる気がするけど、沙羅ちゃんも用事があるというのは、ちょっと驚きました」
「あれかな、お花見出来なくて拗ねてるのかな?」
葉子がそう言うと、姫様が顔を曇らせた。
「あんときは、あの河童寝込んでたじゃん」
屋根の上から顔を覗かせ太郎がいった。
黒之助が、同じように顔を覗かせながらそうそうと相槌をうつ。
人の姿。
二人とも、ほんのり頬が紅かった。
「でも……沙羅ちゃんも、行きたかっただろうな」
頭領、と呼びかける。
「もう、無理なのでしょうか?」
お花見、と。
桜を咲かす事は、と。
「無理じゃ。季をねじ曲げる事は、難しい。あの娘には残念じゃがな」
「そう、ですか……」
姫様、落胆。
妖達が、姫様ーと声をかける。
「大体、今日は河童の集まりじゃろう?」
「はい?」
姫様がきょとんしていった。
うん? と頭領がいう。
「違ったか? そう、聞いておったが?」
「私は、なんだか忙しそうにばたばたしてる沙羅ちゃんに、『用事があるから、ごめんね』って」
その言葉に、葉子が苦笑した。
前の日、姫様と二人連れだって沙羅の小川に行ったのだ。
ゆっくりとした河童の様子は、銀狐にはいつもと変わらないように見えた。
「理由ぐらい、言えばよかろうによ」
「……じゃあ、しょうがないか」
頭領は、答えなかった。
夜が、更けていく。段々と、妖達が眠っていく。
そかかしこで、寝息が聞こえて。
気が付けば、お月見をしているのは五人だけに。
筆と短冊をもって、月を見ながら頭を捻っている姫様。
姫様の背中に目を瞑り身体を預けている葉子。
ちびちびと酒を飲む頭領と黒之助。
姫様の足下で人の姿をやめて丸くなっている太郎。
「葉子さん、重いです……」
「ん、ああ、ごめんね」
姫様にもたれるのをやめた。
向き直り、姫様に、
「気持ち良かったから」
そう、いった。一つ、あくびをつく。
「ねえ、どう? できた?」
「……駄目、かなあ」
姫様が、そっと、筆と短冊を置いた。
「ふーん」
「うまく、まとまらなくて……」
「そういや、太郎のお勉強、進んでるの?」
狼が、ぴくりと耳を動かした。
頭領と黒之助が、その盃をもつ手を、止めた。
「うん、ちゃんと進んでるよ」
「へえ」
「太郎さん、真面目に、やってるよ」
「太郎殿が、ねえ」
黒之助がいった。
「信じられんなあ」
「は、いいだろうが別によ。悪いか」
「悪いとはいっておらんだろう」
些細な事で「じゃれ合う」二人。
頭領は、その成り行きを見ているだけ。
ふっと、また手を動かす。
いやはや、と思う。
子供の頃の本を懐かしいといいながら読んでいた彩花に、その話を聞かされたときは、長続きしないと思ったのだが。
なかなか、どうして。
少しは、太郎も大人に……
物思いに耽っていた頭領、ぎゃーぎゃーという騒ぎ声に引き戻されて。
「やろう、ってのか!」
「いいだろう!」
「やめなよ、クロちゃん、太郎!」
「……もう! いいかげんにしなさい!」
なんだかなあ、と思う。
どうしてこう、騒がしいのか。
今日も夕時、二人で騒ぎをやらかしたばかりではないか。
騒ぎを聞きつけてきた妖達が、またかと言いたげに半開きの目でみて、入れ替わり立ち替わり戻っていく。
「お主ら……本当に変わらんなあ」
姫様に叱られている太郎と黒之助に向かって、そう、いった。
「……そっかあ?」
「……そう、ですか?」
「変わらんよ。葉子もなあ」
「私も、ですか?」
姫様が、尋ねた。
「……変わらぬ、な」
頭領の答えに、姫様が、嬉しそうに微笑んだ。
「そろそろ、しまいじゃなあ」
甘い匂いを漂わせながら、頭領がいった。
「そだね、結構、遅いもんね。そろそろ引っ込もうか姫様?」
「うん」
葉子と姫様が立ち上がる。
あ、っと姫様が声を出した。
「どうしたの?」
「こうやって、五人ともしまいまでいるなんて、珍しいなあって」
「そういえば……」
「そうだな」
大抵、寺の小妖達と一緒に酔いつぶれたり、よい潰れたり、酔い潰れたりして、しまいまで起きているのは少数、なのだ。
「わしも、引っ込むとするか」
「拙者も、寝ることにします」
「太郎さんは?」
「俺は、もう少しお月様につき合うわ」
金銀妖瞳が、怪しく光った。
「そう」
じゃあ、また明日とそれぞれの寝床に向かっていく。
「ちょっと、寒いですね」
「うん」
姫様と葉子が、二人の部屋へ。
道々、妖達の布団をかけ直してあげながら。
部屋に入る。
布団を敷くと、ふっと息を吹き、灯りを消した。
まだ、楽しげな会話はしばらく続いていた。
「……変わって……きているなあ……」
そう呟くと、くいっと盃を飲み干す。
頭領がさっとその姿を消した。
「ふん、しっかりやることだな」
「なんの話だ、クロ?」
「わざわざ姫様に教えて貰っているのだ。ありがたいと思え」
「ああ」
「明日、姫様、月心殿のところへ行くと言っていたぞ」
「また、か」
姫様、忙しくなったなあと思う。
あれから、あの若い男――月心のお手伝いも、たまにするようになったのだ。
「お前も、行くんだろう?」
「そうだな。葉子と、一緒に、な。クロは?」
「ここでおるさ」
ふーんというと、太郎は、月を眺めた。
その瞳に、丸い光が映る。
「なあ、クロ」
「なんだ?」
「……いや、やっぱりいいや」
「……気になるな」
「いい、って、言ってるだろう」
月から目を離さずに、いった。
「……なら、いいがな」
ぱたぱたと、音がして、黒之助の姿がなくなった。
太郎一人。
それから、屋根に、そっと音無く飛び乗る。
「……お月様か、変わらないな」
太郎が、そう、いった。
秋風にその白い身体を遊ばせながら、妖狼は、朝日がその姿を見せるまで夜月をその瞳に映していた。