小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~百華燎乱(17)~

「なあなあ」
 土鬼は、ずっと茨木童子に話しかけていた。
 横になっている茨木。
 ずっと、だんまり決め込んで。
 煩わしくなったのであろう。
 ついに、薄目を開けた。
「うるさい、おお!?」
 そして、跳ね起きた。
 土鬼の顔が自分の顔の真ん前にあったのだ。
 捕われた鬼達が、疲れた目を二人に投げかけた。
 土鬼が笑いながら上体を起こした。
「なんだよ……そんなに驚く事じゃねぇだろうが」
「う……うむ」
 ぐっすり眠っていた。
「しかし、よくこんなくそ寒いところで寝れるな」
「……寒いか?」
 氷の牢。
 土鬼は、自分の耳を疑った。
「当たり前だろうが!」
「そうか」
 そういえば、そうだな。
 茨木には、わからなかった。
 無意識のうちに、寒さを遮っていたのだ。
「……変わってるな、あんた」
「変わってる?」
「頭良いみたいだし、高貴な鬼って感じがする。顔、いいし」
「この姿など……見せかけにすぎん」
 茨木童子が、そう、呟いた。
「そりゃあ、見せかけっていえば見せかけだけど……えっと……」
「どうした、土鬼」
「名前、聞いてなかった……」  
「うん……茨丸だ」
「……それは、本名か?」
 おかしな名を使ったのだろうかと茨木童子は思った。
「ああ。どうした?」
「いや、自分の名を考えてるようにみえたから」
 鋭い、と思った。
 偽名など、腐るほどある。
 茨丸は、やまめに使った名だった。
「気のせいだろう」
「そっか」
 いや、悪い。
 そう、いった。
 もう少し話をしてみるか。茨木は、そんな気分になった。
 短くはあったが、眠りもした。
 疲れも、取れた。
 口を開こうとした。
 そのとき、であった。
 牢が、姿を変えた。
 それまで、ぼんやりと自分達の姿を映していた氷鏡。
 それが、突然外の光景を現したのだ。
 鬼達が、中心に集う。
 土鬼もである。なにが始まるのかと、怯えた表情を見せている。
 茨木は、眉一つ動かさなかった。
 黙って、外の様子を窺う。
 土地神。
 雪妖。
 ――そして、雪女。
「あれは」
 知っている顔だった。
 自分を捕らえた雪女だった。
「茨丸は……おお、いるではないか。その美しい顔は、なかなか忘れられぬの。鬼であるのが残念じゃ」
 雪女が、そう、いった。
「俺に何の用だ? もう、この争いはしまいか?」
 雪女が、口を押さえ笑った。
 雪妖も。
 土地神も。
 一瞬瞳に希望の光を灯した鬼達。
 すぐに、力を無くした。
「いや、そうではない」
「では、なんの用だ」
「この山姥が、お前に会いたいといっているのでな」
 山姥?
 ……山姥?
「山姥だと?」
 思わず、聞き返した。
 雪女が笑い、雪妖と土地神が笑う。
 雪女が後ろを向き、『何か』を、受け取った。
 前を、向き直す。
 金色の瞳が、力無く茨木童子の顔を映した。
 銀の瞳。
 顔を、いや半身を覆う氷で、見る事が出来なかった。
「……お前……」
 白髪の、あの宿の若い女
 金銀、妖瞳。
 やまめ、であった。
 息が、細い。
 細かく、震えていた。
 やまめが、目を閉じる。
 安堵の表情を浮かべた。
「健気ではあるなぁ。わざわざ、お前を助けに来たそうじゃ。この、金銀妖瞳は」
 弱いくせに、よくやる。
 お前の、女か?
 下卑た、笑い。
 聞いているのであろうか。聞いていないのであろうか。
 多分、聞こえていなかったのだろう。
 無言で、茨木童子が、牢に手をつけた。
 力を、込める。
 壊そう、と。
「無駄じゃ。そんなことをすれば、お前の躰は凍るぞ」
「やめとけ! そいつの言う事は本当だって! もう、試したんだ!」
 やまめが、目を開き、「やめて」といった。 
 口の動き。
 半分凍って、声も出なくて。
 それでも、確かに、届いた。
「土鬼」
「茨丸! 早くその手を離せ! お前もあの女みたいになっちまうぞ!」
「土鬼、いや、お前達。結界を組め」
「は?」
 きょとんと、した。
「いいから、早く組め。お前達の、出来うる限りの」
「な、なにいって」
「いいから、組め!」
 茨木が、声を荒げた。
 言われたとおりに、結界を張る。
 逆らえばどうなるか分からないと、本能で感じたのだ。
 それぞれの鬼が結界を張り合い、不格好な代物が出来た。
「それで、いい」
 さらに、力を込める。
 腕が、凍り始めた。
「馬鹿が。私は忠告したぞ。自殺するのなら止めはせぬが……」
 壊せるのでは、ないだろうか。
 ふと、そんな考えが雪女の頭をよぎった。
 そんなこと、起こるはずがないのだ。
 自分に、言い聞かせる。
 次の瞬間、信じられない光景を見た。
 牢が、
 壊れた。
 茨木童子
 その腕にまとわりつく氷を振り払う。
「嘘だ……それは」
「土鬼、まだ、結界は解くなよ」
 そういうと、雪女に手を伸ばす。
 殺気が、ありありと込められていた。
 やまめを放り投げると、茨木がその身を受け取る間に、雪女は後ろに退いた。
「……馬鹿だな、お前」
 茨木童子が、両腕に抱えたやまめに向かって、いった。
「わざわざ、助けに来る事はなかったのに……昨日、会ったばかりだろうが。どうして、こんなことを」
「……」
 やまめが、凍っていない方の腕を、伸ばす。
 凍っていない方の顔が、一瞬歪み、また、笑顔に変わった。
 茨木童子の頬を、やまめの腕が撫でた。
 茨木童子が、その手を、握り締めた。
 雪妖達は、何も出来なかった。
 氷の牢獄が一介の鬼に壊された、など、聞いた事がなかった。
 状況を受け入れるだけで、いっぱいいっぱいだった。
「お前は、馬鹿だ……」
 やまめの躰。
 冷たかった。
 呪を、唱える。
 温かい光が、やまめを包み込んだ。
 やまめの半身を覆う氷。少しづつ、殖えていた。
「すまない、俺は、お前を治せない。本当に、すまない。だが」
 茨木童子の名にかけて、お前は救ってみせる。
 そう、いった。
 そこにいた全ての者が、自分の耳を疑った。
 茨木童子は、西の鬼の王の弟の名。
 紛う事なき、大妖の一人、だ。
「ざ、戯れ言を」
 雪女が、狼狽えた。
 茨木童子が、吠えた。
 その顔が、身体が、変化し始めた。
 人の殻を、脱ぎ始めた。
 また、吠えた。
 薄青幕の、妖気。
 噴出する。
 身に纏っていた上衣が、姿を消した。
 どんどん、大きくなる。
 色を、変える。赤銅の、肌。
 左胸と、腹。
 そこに、大きな傷があった。
 腐って、いた。
 雪妖達が、苦しみ始める。
 土地神達が、苦しみ始める。
 妖気は、どこまでも広がっていく。
 ――鬼が、姿を見せた。
 鬼、が。
 土鬼達も、脂汗を流す。
 結界を張っていても、茨木童子の妖気は、凄まじいものがあった。
 それを、もろに受けた雪妖達は……
 昏倒していく。
 鬼に、跪く。
 巨大な、鬼。
 東の鬼一の巨体を誇る大獄丸を軽く凌いでいた。
 冷たい美貌の欠片は、もはや一片もない。
 いや……長い髪は、一緒だった。
 やまめを、淡い光が包んでいる。
 目を見開き、鬼を、見ていた。
 もう一吠え、した。
 雪が、消えていく。
 蒸発していく。
 妖気。
 雪のなれの果てと共に、天に昇っていく。
 日の光が、差した。天に昇り、妖気が雲を破ったのだ。
 鬼の姿――また、小さくなっていく。
 人の姿に、戻ろうとしていた。
 少し、よろめいた。
 荒い息。
 ずるっと、二つの傷口から、腐肉が落ちた。
 やまめを覆う光が、その肉を、溶かした。
「……お、終わったのか?」
 結界が、解けた。
 限界だったのだ。
 茨木童子……また、人の姿に戻っていた。
 上衣は、ない。
 そこまで、気が回らなかった。
「ほ、本物!?」
「……鈴鹿御前の許へいくぞ。今なら、邪魔する者もいないはずだ」
 立っているのは、自分達だけだった。
 先ほどの雪女も、突っ伏していた。
「こ、殺したのか!?」
「死んでは、いないはずだ。それだけで殺すほどの妖気は、もう、俺には……」
 そこで土鬼との会話を打ち切ると、やまめ、やまめ、と、呼びかけた。
 だらんと垂れる凍った右腕。
 凍った右半身。
 白髪も、半分凍っていて。
 鬼は、壊す。
 ――癒しは、しない。
 なにも手だてを講じる事が出来ない自分が、忌々しかった。
「やまめ!」
 口が、かすかに、かすかに動いた。
 よかった、と。
 それをみて、茨木童子が、歩き出した。
 土鬼達も、恐る恐る付き従う。
 全ての雪妖が倒れている。
 全ての土地神が倒れていた。
 雪は消え、地肌が現れ、冬を越そうとしていた草達が、日の光を浴びていた。
「これが……大妖の力……」
 土鬼が、そう、呟いた。



 妖の、身体。
 こんなに、近くにある。
 半分、暖かさを感じた。
 半分、温もりを感じる事が出来た。
 生まれて、初めてだ。
 初めて、尽くしだ。
 嬉しい。
 そう、思った。
 このまま死んでもいい。そう、思った。
 夢にまで、みたのだ。
 想ってはいても、誰も、いなかった。無理だろうと思っていた。
 鬼の顔を、見上げる。
 馬鹿なことをしたのだろう。
 これだけ強いのだ。自分が行く必要は、なかった。
 怒っているのだろうか。
 余計なことを、と。
 きっと、そうだ。
 それでも、いい。
 湯の温かさとは違う、暖かさ。
 これを、感じているだけでいい。
 顔のすぐ横に、傷があった。
 痛々しい。
 人肌。
 初めてだった。
 冷たさは、感じなくなっていて。
 ただ、暖もりだけがあって。
 妖が、自分の瞳を見ながら、何か言った。
 なにも、聞こえなかった。
 手を、握られていた。
 私の瞳を、今、この鬼が見てくれている。
 やまめは、そう、思っただけだった。