小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(21)~

 茨木童子
 やまめを抱え、歩いていく。
 その後ろには土鬼達が。
 倒れ伏したる雪妖、土地神。
 雪は消え、地面が剥き出しになり、白の下で春を待っていた緑に光を浴びせる。
 向かうは真っ白な対岸。
 仲間の鬼達が、慌てふためいているのが見えた。
 足取りは、緩やか。
 皆、茨木童子に合わせていた。
 土鬼は、自分達を捕らえていた者達とはいえ、少し哀れになった。
 時折、茨木はやまめに声をかけた。
 茨木童子の声だけで、やまめの声は聞こえなかった。
 その声が、少しずつ弱くなっている。
 そう、土鬼は思った。
「あの……茨木童子さま?」
「どうした」
 意を決して、話しかけた。
 茨木は、歩きながら返事をした。
 振り向かずに、歩きながら。
「その方……あの、我々がお運びいたししましょうか」
 なあっ? っと他の鬼達に呼びかける。
 皆、頷く。助けてもらったのだ。
 西だろうと東だろうと、もう、関係なかった。
「……いい」
 はっきりと、拒絶する。
「そうですか……」
 茨木が、咳き込んだ。
 もう、上衣は身に着けている。
 土鬼が教えたのだ。
 茨木童子は、傷を隠すように、言われて直ぐ上衣を身に着けた。
 あの二つの傷。随分と深い物だと、土鬼は思った。
「やまめ……すぐに、よくなる。鬼姫ならば、きっと、良い薬を持っているはずだ。すぐに、医術に詳しい者も呼んでくれよう」
 もう、いいんです。
 そう、唇が動いた。やまめの躰を侵している氷。
 拡がっていた。
 もう、いいんです。
 もう、十分です。
 そう、唇が動いた。
「駄目だ……」
 首を、横に振る。
 ぐっと、やまめの左手に力を込めた。
 歩いている時間が勿体ない。
 対岸。すぐそこなのだ。
 飛んでいきたい。
 しかし、これ以上やまめの躰に負担は掛けられなかった。
「俺が、許さぬ」
 そう、いった。
「茨木!」
 三人。
 いきなり、現れた。
 土鬼達が、身構える間もなく、ふっと姿を現して。
 一人は、若い蒼白な女であった。
 一人は、老人であった。
 一人は、全身真っ白の丸い毛の玉。
 雪妖の女王。
 頭領。
 土蜘蛛の翁。 
 頭領が、茨木に駆け寄る。
 茨木の表情が、和らいだ。
「八霊……助かった……本当に、助かった……」
「お主が、どうして」
「そんなことは、どうでもいい! やまめを……やまめを救ってくれ! 頼む!」
 頭領は、茨木に抱えられている女を見やった。
 半身が、凍っている。
 やまめ……知らない、名だ。
 茨木童子の、こんな必死な姿を見るのは、初めてだった。
「わかった。とにかく、一度地に降ろせ」
「う、うむ」
 言われたとおりにした。
 左手は、離さなかった。触れていなければ、やまめは、死ぬ。
 そう、思った。
「私の……民を……」
 雪妖の女王が、廻りをぼんやりと見た。
 死屍累々たる、自らの民。生きてはいる。息吹は、ある。
 だが……立っている者は誰もいない。
 怒りが、湧き起こる。
「女王」
 土蜘蛛の翁がいった。
「なんてことを! 貴様が!」
 女王が、叫んだ。
 牙が、伸びた。
 羅刹と化した。
 襲いかかる。
 極寒。
 茨木童子は、やまめだけを見ていた。
茨木童子さま!」
 土鬼が、悲鳴をあげた。
 しゃっ! 
 っと、頭領が息を吐いた。
 頭領の影より這い出し幾多の蛇が、雪妖の女王の四肢を絡め取った。
「なに!」
「少し、黙っていよ」
 そう、頭領がいった。
「どうして……貴方は、私の」
 もう、頭領は女王を見なかった。
「面倒な術を」
「助かるのか!? 助かるよな? おい、八霊」
「さて、な」
 そういうと、やまめの左胸、
 心の臓がある場所、
 そこに、手の平をつけた。
 土蜘蛛の翁がやまめを覗き込む。
 これはというと、顔を背けた。
 やまめの元々白かった肌は、土色に染まっていた。
 氷に覆われているのは、半身どころではない。
 もう助かるまいと、土蜘蛛の翁は思った。
 雪妖の女王は、まだ暴れている。
 そこにいくと、土蜘蛛の翁は静かにせよといった。
 いきなり、目の前に巨大な山がそびえ立つ。
 そんな感覚に女王は襲われた。
 女王が、しゅんと大人しくなった。
「よかったな、儂がいて」
 そう言うと、静かに呪を唱えた。
 もぞもぞと、頭領の手が変化し始めた。
 黒くなる。
 夜の、闇。
 斬り取られた、闇。頭領の腕が、それに転じた。
 よくみると、その闇は小さな紐のような闇が幾つも重なり合ったもので。
 それは、一つ一つが別々の動きをしていた。
 小さな、黒蛇。
 はっきりと、蛇の姿をとった。
 どれだけの蛇が集まっているのか、土鬼にはわからなかった。
 それだけ、たくさんいた。
「いけ」
「ん!」
 その蛇達が、一斉にやまめの躰に沈み込んだ。
 頭領の蛇と、やまめの躰が一体化した。
 やまめが、躰を仰け反らせた。
 痛みが、全身を駆け巡ったのだ。
 息をするのも、難しくなる。
 気持ち悪さも、あった。這い回っている。
 死んだ方がましだと思った。
 茨木童子は、頭領を見やった。
 頭領は目を瞑り、呪を唱え続けていた。
 信じるしか、なかった。
 ただ、冷たい手を握り続ける。
 やまめも、暖かい手を、握り返す。
 どれだけ、そうしていただろうか。
 不意に、呼吸が楽になった。嘘のように、痛みが引いていく。それと同時に、冷たさも。
「あ……」
 右目。開く事が出来た。今まで、凍っていたのだ。
 右手。動かす事が出来た。
 左手を握る鬼の手に、そっと重ねた。
「八霊」
「かっ!」
 呪を唱えるのをやめ、頭領がやまめの躰から蛇達を引き抜いた。
 やまめが、ぐっと目を閉じる。
 また、痛み。一瞬であった。
 恐る恐る、目を開ける。
 目の前に小さな龍がいた。氷造りの龍。蛇に囚われていた。
 ぱき、っとひびが入る。
 龍は、蛇の群れに全身を砕かれた。
「これで、よかろうよ」
 そう、いった。
「氷龍の刑……誰が、そんなことを……」
 女王が、いった。
「お前の、民の誰かであろう」
「そ、それは、そうですが……」
 蛇が、引いていく。女王が、降り立った。
 やまめは、自分を覗き込む茨木童子の顔を見た。
 他にも、人がいる。
 他の、鬼も。
 鬼は、自分の瞳を見て、息を呑んだようであった。
 そして、何かを囁きあっている。
 おおよそ、想像はついた。
 金銀妖瞳を、隠そうとした。
「まて」
 茨木童子が、いった。
「目を、閉じるな」
「でも……」
「もう少し、見ていたい」
 茨木童子が、そう、いった。
 やまめが、はい、といった。
 土鬼達は、もう、何も言わなかった。
「八霊殿、お見事です」
 女王が、いった。
「もう、怒ってはいないのか」
「いえ……その……怒りは、あります。まだ」
茨木童子殿」
 土蜘蛛の翁が、いった。
「雪妖達を、貴公が?」
「そうだ。妖気を、ぶつけた。二・三日で、皆元気になるだろう」
茨木童子……やはり、貴方が」
「雪妖の女王……やまめが、このような目に遭わされた。それで、力を使った」
「そのことについては、謝ります。生きながら、凍てつかせる術を使うなどと……ですが、私は貴方を許しません。許したくない。私の民だぞ! 私の大事な民だぞ! それを!」 
 手は、出さない。
 出せば、負ける。力が、違いすぎる。
 それは、わかる。
 それでも……
「そうだな……民は、大事だ……」
「ぬ?」
 茨木童子の躰が、少し揺れた。
 ずっと握っていたやまめの手を、離した。
「それは……わかる……」
 そういうと、茨木童子は、横に倒れた。
 やまめのすぐ近くに、鬼の顔があった。
 やまめの歯が、かちかちと鳴る。
 それは、寒さのために鳴ったのではなかった。