あやかし姫~百華燎乱(21)~
茨木童子。
やまめを抱え、歩いていく。
その後ろには土鬼達が。
倒れ伏したる雪妖、土地神。
雪は消え、地面が剥き出しになり、白の下で春を待っていた緑に光を浴びせる。
向かうは真っ白な対岸。
仲間の鬼達が、慌てふためいているのが見えた。
足取りは、緩やか。
皆、茨木童子に合わせていた。
土鬼は、自分達を捕らえていた者達とはいえ、少し哀れになった。
時折、茨木はやまめに声をかけた。
茨木童子の声だけで、やまめの声は聞こえなかった。
その声が、少しずつ弱くなっている。
そう、土鬼は思った。
「あの……茨木童子さま?」
「どうした」
意を決して、話しかけた。
茨木は、歩きながら返事をした。
振り向かずに、歩きながら。
「その方……あの、我々がお運びいたししましょうか」
なあっ? っと他の鬼達に呼びかける。
皆、頷く。助けてもらったのだ。
西だろうと東だろうと、もう、関係なかった。
「……いい」
はっきりと、拒絶する。
「そうですか……」
茨木が、咳き込んだ。
もう、上衣は身に着けている。
土鬼が教えたのだ。
茨木童子は、傷を隠すように、言われて直ぐ上衣を身に着けた。
あの二つの傷。随分と深い物だと、土鬼は思った。
「やまめ……すぐに、よくなる。鬼姫ならば、きっと、良い薬を持っているはずだ。すぐに、医術に詳しい者も呼んでくれよう」
もう、いいんです。
そう、唇が動いた。やまめの躰を侵している氷。
拡がっていた。
もう、いいんです。
もう、十分です。
そう、唇が動いた。
「駄目だ……」
首を、横に振る。
ぐっと、やまめの左手に力を込めた。
歩いている時間が勿体ない。
対岸。すぐそこなのだ。
飛んでいきたい。
しかし、これ以上やまめの躰に負担は掛けられなかった。
「俺が、許さぬ」
そう、いった。
「茨木!」
三人。
いきなり、現れた。
土鬼達が、身構える間もなく、ふっと姿を現して。
一人は、若い蒼白な女であった。
一人は、老人であった。
一人は、全身真っ白の丸い毛の玉。
雪妖の女王。
頭領。
土蜘蛛の翁。
頭領が、茨木に駆け寄る。
茨木の表情が、和らいだ。
「八霊……助かった……本当に、助かった……」
「お主が、どうして」
「そんなことは、どうでもいい! やまめを……やまめを救ってくれ! 頼む!」
頭領は、茨木に抱えられている女を見やった。
半身が、凍っている。
やまめ……知らない、名だ。
茨木童子の、こんな必死な姿を見るのは、初めてだった。
「わかった。とにかく、一度地に降ろせ」
「う、うむ」
言われたとおりにした。
左手は、離さなかった。触れていなければ、やまめは、死ぬ。
そう、思った。
「私の……民を……」
雪妖の女王が、廻りをぼんやりと見た。
死屍累々たる、自らの民。生きてはいる。息吹は、ある。
だが……立っている者は誰もいない。
怒りが、湧き起こる。
「女王」
土蜘蛛の翁がいった。
「なんてことを! 貴様が!」
女王が、叫んだ。
牙が、伸びた。
羅刹と化した。
襲いかかる。
極寒。
茨木童子は、やまめだけを見ていた。
「茨木童子さま!」
土鬼が、悲鳴をあげた。
しゃっ!
っと、頭領が息を吐いた。
頭領の影より這い出し幾多の蛇が、雪妖の女王の四肢を絡め取った。
「なに!」
「少し、黙っていよ」
そう、頭領がいった。
「どうして……貴方は、私の」
もう、頭領は女王を見なかった。
「面倒な術を」
「助かるのか!? 助かるよな? おい、八霊」
「さて、な」
そういうと、やまめの左胸、
心の臓がある場所、
そこに、手の平をつけた。
土蜘蛛の翁がやまめを覗き込む。
これはというと、顔を背けた。
やまめの元々白かった肌は、土色に染まっていた。
氷に覆われているのは、半身どころではない。
もう助かるまいと、土蜘蛛の翁は思った。
雪妖の女王は、まだ暴れている。
そこにいくと、土蜘蛛の翁は静かにせよといった。
いきなり、目の前に巨大な山がそびえ立つ。
そんな感覚に女王は襲われた。
女王が、しゅんと大人しくなった。
「よかったな、儂がいて」
そう言うと、静かに呪を唱えた。
もぞもぞと、頭領の手が変化し始めた。
黒くなる。
夜の、闇。
斬り取られた、闇。頭領の腕が、それに転じた。
よくみると、その闇は小さな紐のような闇が幾つも重なり合ったもので。
それは、一つ一つが別々の動きをしていた。
小さな、黒蛇。
はっきりと、蛇の姿をとった。
どれだけの蛇が集まっているのか、土鬼にはわからなかった。
それだけ、たくさんいた。
「いけ」
「ん!」
その蛇達が、一斉にやまめの躰に沈み込んだ。
頭領の蛇と、やまめの躰が一体化した。
やまめが、躰を仰け反らせた。
痛みが、全身を駆け巡ったのだ。
息をするのも、難しくなる。
気持ち悪さも、あった。這い回っている。
死んだ方がましだと思った。
茨木童子は、頭領を見やった。
頭領は目を瞑り、呪を唱え続けていた。
信じるしか、なかった。
ただ、冷たい手を握り続ける。
やまめも、暖かい手を、握り返す。
どれだけ、そうしていただろうか。
不意に、呼吸が楽になった。嘘のように、痛みが引いていく。それと同時に、冷たさも。
「あ……」
右目。開く事が出来た。今まで、凍っていたのだ。
右手。動かす事が出来た。
左手を握る鬼の手に、そっと重ねた。
「八霊」
「かっ!」
呪を唱えるのをやめ、頭領がやまめの躰から蛇達を引き抜いた。
やまめが、ぐっと目を閉じる。
また、痛み。一瞬であった。
恐る恐る、目を開ける。
目の前に小さな龍がいた。氷造りの龍。蛇に囚われていた。
ぱき、っとひびが入る。
龍は、蛇の群れに全身を砕かれた。
「これで、よかろうよ」
そう、いった。
「氷龍の刑……誰が、そんなことを……」
女王が、いった。
「お前の、民の誰かであろう」
「そ、それは、そうですが……」
蛇が、引いていく。女王が、降り立った。
やまめは、自分を覗き込む茨木童子の顔を見た。
他にも、人がいる。
他の、鬼も。
鬼は、自分の瞳を見て、息を呑んだようであった。
そして、何かを囁きあっている。
おおよそ、想像はついた。
金銀妖瞳を、隠そうとした。
「まて」
茨木童子が、いった。
「目を、閉じるな」
「でも……」
「もう少し、見ていたい」
茨木童子が、そう、いった。
やまめが、はい、といった。
土鬼達は、もう、何も言わなかった。
「八霊殿、お見事です」
女王が、いった。
「もう、怒ってはいないのか」
「いえ……その……怒りは、あります。まだ」
「茨木童子殿」
土蜘蛛の翁が、いった。
「雪妖達を、貴公が?」
「そうだ。妖気を、ぶつけた。二・三日で、皆元気になるだろう」
「茨木童子……やはり、貴方が」
「雪妖の女王……やまめが、このような目に遭わされた。それで、力を使った」
「そのことについては、謝ります。生きながら、凍てつかせる術を使うなどと……ですが、私は貴方を許しません。許したくない。私の民だぞ! 私の大事な民だぞ! それを!」
手は、出さない。
出せば、負ける。力が、違いすぎる。
それは、わかる。
それでも……
「そうだな……民は、大事だ……」
「ぬ?」
茨木童子の躰が、少し揺れた。
ずっと握っていたやまめの手を、離した。
「それは……わかる……」
そういうと、茨木童子は、横に倒れた。
やまめのすぐ近くに、鬼の顔があった。
やまめの歯が、かちかちと鳴る。
それは、寒さのために鳴ったのではなかった。
やまめを抱え、歩いていく。
その後ろには土鬼達が。
倒れ伏したる雪妖、土地神。
雪は消え、地面が剥き出しになり、白の下で春を待っていた緑に光を浴びせる。
向かうは真っ白な対岸。
仲間の鬼達が、慌てふためいているのが見えた。
足取りは、緩やか。
皆、茨木童子に合わせていた。
土鬼は、自分達を捕らえていた者達とはいえ、少し哀れになった。
時折、茨木はやまめに声をかけた。
茨木童子の声だけで、やまめの声は聞こえなかった。
その声が、少しずつ弱くなっている。
そう、土鬼は思った。
「あの……茨木童子さま?」
「どうした」
意を決して、話しかけた。
茨木は、歩きながら返事をした。
振り向かずに、歩きながら。
「その方……あの、我々がお運びいたししましょうか」
なあっ? っと他の鬼達に呼びかける。
皆、頷く。助けてもらったのだ。
西だろうと東だろうと、もう、関係なかった。
「……いい」
はっきりと、拒絶する。
「そうですか……」
茨木が、咳き込んだ。
もう、上衣は身に着けている。
土鬼が教えたのだ。
茨木童子は、傷を隠すように、言われて直ぐ上衣を身に着けた。
あの二つの傷。随分と深い物だと、土鬼は思った。
「やまめ……すぐに、よくなる。鬼姫ならば、きっと、良い薬を持っているはずだ。すぐに、医術に詳しい者も呼んでくれよう」
もう、いいんです。
そう、唇が動いた。やまめの躰を侵している氷。
拡がっていた。
もう、いいんです。
もう、十分です。
そう、唇が動いた。
「駄目だ……」
首を、横に振る。
ぐっと、やまめの左手に力を込めた。
歩いている時間が勿体ない。
対岸。すぐそこなのだ。
飛んでいきたい。
しかし、これ以上やまめの躰に負担は掛けられなかった。
「俺が、許さぬ」
そう、いった。
「茨木!」
三人。
いきなり、現れた。
土鬼達が、身構える間もなく、ふっと姿を現して。
一人は、若い蒼白な女であった。
一人は、老人であった。
一人は、全身真っ白の丸い毛の玉。
雪妖の女王。
頭領。
土蜘蛛の翁。
頭領が、茨木に駆け寄る。
茨木の表情が、和らいだ。
「八霊……助かった……本当に、助かった……」
「お主が、どうして」
「そんなことは、どうでもいい! やまめを……やまめを救ってくれ! 頼む!」
頭領は、茨木に抱えられている女を見やった。
半身が、凍っている。
やまめ……知らない、名だ。
茨木童子の、こんな必死な姿を見るのは、初めてだった。
「わかった。とにかく、一度地に降ろせ」
「う、うむ」
言われたとおりにした。
左手は、離さなかった。触れていなければ、やまめは、死ぬ。
そう、思った。
「私の……民を……」
雪妖の女王が、廻りをぼんやりと見た。
死屍累々たる、自らの民。生きてはいる。息吹は、ある。
だが……立っている者は誰もいない。
怒りが、湧き起こる。
「女王」
土蜘蛛の翁がいった。
「なんてことを! 貴様が!」
女王が、叫んだ。
牙が、伸びた。
羅刹と化した。
襲いかかる。
極寒。
茨木童子は、やまめだけを見ていた。
「茨木童子さま!」
土鬼が、悲鳴をあげた。
しゃっ!
っと、頭領が息を吐いた。
頭領の影より這い出し幾多の蛇が、雪妖の女王の四肢を絡め取った。
「なに!」
「少し、黙っていよ」
そう、頭領がいった。
「どうして……貴方は、私の」
もう、頭領は女王を見なかった。
「面倒な術を」
「助かるのか!? 助かるよな? おい、八霊」
「さて、な」
そういうと、やまめの左胸、
心の臓がある場所、
そこに、手の平をつけた。
土蜘蛛の翁がやまめを覗き込む。
これはというと、顔を背けた。
やまめの元々白かった肌は、土色に染まっていた。
氷に覆われているのは、半身どころではない。
もう助かるまいと、土蜘蛛の翁は思った。
雪妖の女王は、まだ暴れている。
そこにいくと、土蜘蛛の翁は静かにせよといった。
いきなり、目の前に巨大な山がそびえ立つ。
そんな感覚に女王は襲われた。
女王が、しゅんと大人しくなった。
「よかったな、儂がいて」
そう言うと、静かに呪を唱えた。
もぞもぞと、頭領の手が変化し始めた。
黒くなる。
夜の、闇。
斬り取られた、闇。頭領の腕が、それに転じた。
よくみると、その闇は小さな紐のような闇が幾つも重なり合ったもので。
それは、一つ一つが別々の動きをしていた。
小さな、黒蛇。
はっきりと、蛇の姿をとった。
どれだけの蛇が集まっているのか、土鬼にはわからなかった。
それだけ、たくさんいた。
「いけ」
「ん!」
その蛇達が、一斉にやまめの躰に沈み込んだ。
頭領の蛇と、やまめの躰が一体化した。
やまめが、躰を仰け反らせた。
痛みが、全身を駆け巡ったのだ。
息をするのも、難しくなる。
気持ち悪さも、あった。這い回っている。
死んだ方がましだと思った。
茨木童子は、頭領を見やった。
頭領は目を瞑り、呪を唱え続けていた。
信じるしか、なかった。
ただ、冷たい手を握り続ける。
やまめも、暖かい手を、握り返す。
どれだけ、そうしていただろうか。
不意に、呼吸が楽になった。嘘のように、痛みが引いていく。それと同時に、冷たさも。
「あ……」
右目。開く事が出来た。今まで、凍っていたのだ。
右手。動かす事が出来た。
左手を握る鬼の手に、そっと重ねた。
「八霊」
「かっ!」
呪を唱えるのをやめ、頭領がやまめの躰から蛇達を引き抜いた。
やまめが、ぐっと目を閉じる。
また、痛み。一瞬であった。
恐る恐る、目を開ける。
目の前に小さな龍がいた。氷造りの龍。蛇に囚われていた。
ぱき、っとひびが入る。
龍は、蛇の群れに全身を砕かれた。
「これで、よかろうよ」
そう、いった。
「氷龍の刑……誰が、そんなことを……」
女王が、いった。
「お前の、民の誰かであろう」
「そ、それは、そうですが……」
蛇が、引いていく。女王が、降り立った。
やまめは、自分を覗き込む茨木童子の顔を見た。
他にも、人がいる。
他の、鬼も。
鬼は、自分の瞳を見て、息を呑んだようであった。
そして、何かを囁きあっている。
おおよそ、想像はついた。
金銀妖瞳を、隠そうとした。
「まて」
茨木童子が、いった。
「目を、閉じるな」
「でも……」
「もう少し、見ていたい」
茨木童子が、そう、いった。
やまめが、はい、といった。
土鬼達は、もう、何も言わなかった。
「八霊殿、お見事です」
女王が、いった。
「もう、怒ってはいないのか」
「いえ……その……怒りは、あります。まだ」
「茨木童子殿」
土蜘蛛の翁が、いった。
「雪妖達を、貴公が?」
「そうだ。妖気を、ぶつけた。二・三日で、皆元気になるだろう」
「茨木童子……やはり、貴方が」
「雪妖の女王……やまめが、このような目に遭わされた。それで、力を使った」
「そのことについては、謝ります。生きながら、凍てつかせる術を使うなどと……ですが、私は貴方を許しません。許したくない。私の民だぞ! 私の大事な民だぞ! それを!」
手は、出さない。
出せば、負ける。力が、違いすぎる。
それは、わかる。
それでも……
「そうだな……民は、大事だ……」
「ぬ?」
茨木童子の躰が、少し揺れた。
ずっと握っていたやまめの手を、離した。
「それは……わかる……」
そういうと、茨木童子は、横に倒れた。
やまめのすぐ近くに、鬼の顔があった。
やまめの歯が、かちかちと鳴る。
それは、寒さのために鳴ったのではなかった。