小説置き場2

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錦、対、戦姫(1)

 馬。
 騎馬軍。
 二万の軍。
 中央の戦なら、そう、多いということはないだろう。
 だが、その二万の兵が、今の錦馬超の全て、であった。
 涼州に現れた漆黒の戦姫、呂布
 その勢いは、とどまるところを知らなかった。
 最初は十数人だった。それも、赤子を入れて。
 その人数で、水平郡の中央に破棄されていた城に入った。
 それが、次の日には百を越え、千を越え。
 気がつけば、涼州を飲み込んでいた。
 そんなものかと、思う。
 十部軍は、脆弱だった。
 かっても、董卓に膝を屈したことがある。
 馬超は、昔、董卓に会ったことがあった。
 父達が、平伏していた。
 徐栄華雄といった涼州でも名高い将軍もその場にいたが、馬超は興味を持たなかった。
 強い。
 強いが、それは手の届かない強さではない。
 今戦えば五分と五分か。その程度だ。
 興味を持ったのは、董卓の孫娘という人間と会ったときだった。
 容貌も名前も、覚えていない。
 ただ、その言葉だけは覚えている。
涼州の、武の華」
「錦、ですね」
 当時も、派手な格好はしていた。
 その方が、戦場で目立つからだ。
 娘の言葉は、それを、指していたのかもしれない。
 馬超は、気に入った。
 そのときから――己の腕をさらに磨くようになった。
 強いと、自分で思うだけでは、駄目なのだ。
 人に、認められる強さ。
 それが、ほしかった。
 そして、手に入れた。
 手に入れたはずだった。そして、その手の中から、こぼれ落ちた
 まだ、今なら取り戻せる。
 そう、馬超は信じていた。
「武の華、錦、ですか」
 我に、返った。
 龐徳が、横につけていた。いつの間に、と思った。
 想いが、漏れたのだろうか。
 恥ずかしいとは、不思議と思わなかった
 頭を振る。鷹の羽が、揺れる。
 日が、昇っていた。
「休憩!」
 腹の底から、声を出した。



「龐徳、馬玩は?」
「ここにおります」
 馬玩が答える。
 馬玩は自分の幼馴染であった。
 軍を継いで、まだ日が浅い。同じ馬性だが、一族ではなかった。
 龐徳。
 馬玩。
 今、馬超の軍の将軍と言えるのはこの二人だけ。
 それでも、馬超にとっては以外だった。
 あれだけ自分を慕っていた弟達も、自分についてはこなかったのだ。
 当然だろうとも、思う。
 もし、従妹がいれば、自分についてきてくれただろうか。
呂布の動きは?」
「三万ほどの兵が、こちらに向かっています。呂布、本人が出てきたそうです」
 馬玩の口調は淡々としたものだが、目が、泳いでいた。
 無理もないと思う。
 呂布自らが動くとは、思っていなかったのだろう。
「やはり、ぶつかるのか?」
 龐徳は、年が上だった。口調は荒い。
 だが、それを不快と思ったことはなかった。
「ぶつかる」
 龐徳は、溜息を吐いた。
 馬玩の目が、さらに泳いだ。
「俺は、言ったはずだ。武の誇りを取り戻すと。呂布がなんなのだ。たかが、小娘一人ではないか」
「最強の、小娘だな」
「違う。俺は、呂布の上を行く。龐徳、お前は怖いのか?」
「怖い……ちょっと、違うな。俺は、高順という男を知っている」
 確か、呂布の筆頭武将のはずだ。
「あれは、簡単に人に仕える男じゃなかった。それを従えている。そのことに、感嘆しているだけだ」
「それで?」
「別に……俺は、御曹司の言に従うだけだな」
「そうか。馬玩、お前はどうなのだ? 別に、帰ってもいいんだぞ」
「……私も、錦に従うだけです」
 その言葉が、馬超をくすぐった。
「……よし。陣立てはこのまま。龐徳、馬玩が五千。俺が、一万。呂布を、ここで迎え撃つ。いいな」
 二人が、頷いた。
 自分の軍に戻るように言う。
 馬超は、一人になった。
 また、黒いものが、馬超を包み込む。抵抗することなく、黒いものの中に堕ちていった。



馬超……ふーん……」
 総勢、二万。
 騎馬兵が中心で、それはこちらと同じだった。
 絶えず、貂蝉姉様の手の者が知らせにくる。
 馬超は、動きを止めた。戦の場所を決めたのだろう。
 地図で見た限り、悪い場所ではなさそうだった。
 呂布が、赤兎の首筋を撫でる。
 軍がさらに、歩を早めた。
 このままいけば、明日には、ぶつかる。
 張楊の顔が、時折脳裏をよぎり、その度に、少女はその笑っている顔を払いのけた。
 今は、馬超にだけ集中しておきたかったのだ。
 呂布は、張楊の笑っている顔をほとんど見たことがなかった。
 いつも、眉間に皺を寄せていた。
 いつも、怒っていた。
 でも、思い出すのは、張楊の笑っている顔だった。
「乱世、だもんね」
 そう、呟いた。
 死は、身近にある。
 魏続も、
 宋憲も、
 侯成も、死んだ。
 それは、自分の手で殺したも同じだった。
 だから、曹操を恨む気持ちはあまりなかった。
 陳珪と陳登が既に死んでいるのも、大きかった。
 張楊は、違う。
 閻行が、憎かった。
 董卓の残党だからとも思った。それなら、自分のせいだ。
 董卓は、自分の手で殺したから。
 でも、違うようだった。閻行の独断だという。
 むしろ、董卓配下の将軍は反対したそうだ。
 義姉直々の手紙には、そう書かれていた。
 高順や義妹は、今頃調練に明け暮れているだろう。
 張繍さん達も。
 雛さん、元気にしてるかな?
 魏延、どうしてるかな?
「とにかく、馬超だよね……」
 三万。
 少し多すぎたかもと呂布は思い始めていた。



「もうすぐ、呂布がくる」
 黄砂が薄く漂い、視界を遮る。
 それでも、馬超配下は、そこに確かに「錦」の姿を見ていた。
「怖い者は、どのぐらいいる?」
 黄砂が、少なくなっていく。
 晴れ。西涼には珍しかった。
 兵は、ただ俯いていた。
「そうか、皆、怖いか」
 兵が、弾かれたように顔を上げた。
 幼い、兵。前列で唯一人顔を上げなかったので、少し印象に残った。
「俺も怖い。口では偉そうなことを言っているがな。
 だが、俺は戦いたかった。
 武の、華。
 見事に、咲いたはずだ。違うか?
 それは、漆黒の戦姫に負けるとも劣らぬ見事さのはずだ。
 このまま、汚されたままでいいのか?
 父上は、戦わずして降ろうとした。俺には、それが耐えられなかった。
 降るなら、戦ってからだ。
 それが、涼州の誇りであろう」
 長く喋る。あまり、したことがなかった。
 酔っているのだろう。
 どこか遠くから、馬超は自分を見つめていた。
「……最強は、我らが、もらう。
 その先には、卑劣な裏切り者の首もある。
 勝て。
 勝って、その強さを誇れ。
 涼州の武の華、ここにありと、その手で示せ!」
 吼えた。
 黒々としたものが、馬超を覆っている。
 そう、龐徳には思えた。
 狂。
 まさかとは、思う。だが、あれは、そうではないのか?
 兵が、狂乱の渦に飲み込まれていく。
 見抜け、なんだ。
 自嘲するしか、なかった。
 若は、気づいていまい。
 もう、刀は鞘から抜かれた。
 止められぬ。
「ならば、戦い抜くだけよ」
 龐徳は気づいていなかった。
 既に自分も、呑み込まれていることに。
 前列でずっと俯いていた兵が、やっと顔を上げた。
 天水の麒麟児が、錦を見上げる。
 その視線は、氷のように冷ややかであった。



涼州の武の華だって」
 呂布軍。進軍を一旦止めていた。
 呂布が、呟く。
 その呟きは、兵の胸にすっと入っていく。
「綺麗だろうね」
 くすっと、嗤う。
 ころころと、嗤う。
「じゃあ、私達が、摘んであげようか」
 


 馬超、対、呂布
 その幕が、落ちた。