小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫番外編~やつあしとびわ(10)~

「ああ、そうだ……」
 女はそう言うと、一つ、黒之丞から離れた。
「一緒だ」
 また、一つ、離れた。
「あの人と、一緒だ。あの人も、私に優しく近づいて、そして、奪っていった。あなたも、そうなんだ。そうに決まってる」
「……」
 黒之丞は押し黙った。
 それに――幻に怯えたのか。そう、思った。
「どうして、私ばかりこんな目に……。私は、何も悪い事はしていないのに。ずっと、静かに暮らしていたのに。どうして!」
「知るか」
 黒之丞が、一つ、近づいた。
 女は、もう、下がらなかった。
「知るわけないだろう。それに、俺は妖だ。優しくない、妖……そうか、妖か……」
 にたりと、笑った。
「妖さま……」
「お前は、俺に食べて欲しいと言った。自分を、食べて欲しいと。つまり、お前は、俺の餌だ」
「妖さまは、人は食べないと」
 女が、言った。少し、落ち着いてきていた。
 女は、杖をずっと持っていた。
「気が変わった。俺は、お前を餌にすることにした。琵琶もそうだ」
「琵琶も、餌」
 妖さま……
 私を、餌だと、言った。
 餌か。
 ぼりぼりと、食べられるんだ。
 それの方がいい。もう、うんざりだ。
 静かに、暮らしたかった。そうやって、暮らしていた。
 でも、本当は、一人は嫌だったのだ。
 あの人は、こんな私を好いてくれた。そう、思った。
 そして――私は、あの人を好いた。
 でも……想いは、この手から、零れ落ちていった。
 残酷に。非道く、残酷に。
 もう、未練はない。そう、未練はない。
 早く、食べて欲しい。
 私を、早く。跡形もなく、消し去って欲しい。
 それが、私にはお似合いだ。
「……琵琶を、取ってこい」
 女は、早足に小屋に戻ると、琵琶を抱え、黒之丞の前に立った。
 無表情に女と琵琶を見やると、黒之丞はくるりと背を向けた。
「行くぞ」
 それは、二度目の言葉。
 一度否定した、言葉。
「?」
「お前は、餌だ。だから、俺に従え」
「……あの?」
「つべこべ言うな。歩け」
 とつとつと、話す。
 命令口調、では、なかった。
「私は、もう、」
 女は、いやだと、首を振った。
「しつこい」
 すたすたと、歩き出す。
 足音が、遠ざかっていく。
 どうして、歩かなければならないの?
 まさか、本当に、私を知り合いに頼むつもりなの?
 食べると、餌だと、言ったのに。
 そうか、知り合いだという妖と一緒に、私をがじがじ食べるのか。
 女は、どうしようか、迷った。
 人は、信じられない。人は……
 妖さまは?
 どうなのだろう。妖さまの考える事は、よく、わからない。
 人も、わからないけれど。
 女が、まだ、迷っているときだった。
 黒之丞が立ち止まり、女の方に向き直った。
 すっと、息を吸った。ぎちぎちと手を、開いたり閉じたり。
 大きな瞳は、女と琵琶を映し出していた。
「お前の弾く琵琶の音」
「……はい」
「いい、音色だった」
「はい」
「食べてやる。食べてやるから、ついてこい」
 それだけ言うと、また、歩き出した。
 褒められる事は、嫌いじゃ、ない。
 特に、琵琶の事は。私の、全てなのだから。
「……置いていかれたら、食べられない」
 そう呟くと、女も歩き出した。
 二人の距離。
 先に歩き出した分、黒之丞のほうが前であった。
 しばらくすると、女の隣に、黒之丞の姿が。
 女の邪魔になりそうな小石を、そっと除けながら、黒之丞はゆっくりと歩いていた。