小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~梅雨の日のこと、いつものお話(1)~

 細く流れる糸、冷たく流れる糸。
 天から降り注いでいく。
 地を、流れていく。
 ――水無月
 雨が、降っていた。
 季節は梅雨。
 春が終わり、夏が始まろうとしていた――

 

 それは、古い時。
 ずっとずっと、昔のこと。
 人と――
 妖と――
 神が――混じりあって、生きていた時代。
 小山に佇む古いお寺。
 そこには、数多の妖と、姫様と呼ばれる一人の少女が住んでいた。
 大切に、大事に、妖に育てられた女の子が住まう場所。
 そこは、あやかし姫が、住まう場所



「……」
 お昼前の古寺の一角。
 そこに、男が一人いた。
 そこに、妖が数々いた。
 男は、歳は二十七、八ぐらいだろうか。
 髪を短く揃え、顎髭が少々。野性的な顔立ちであった。
 山伏姿に身を包み、腕を組んで、男はじっと押し黙っていた。
 その背には――黒い、黒い、大きな羽が伸びていて。
 男は、人に非ず。
 妖――烏天狗
 男の名は、黒之助。 
 人の姿をとる事が出来る、古寺の三妖の一人であった。
「……ない」
 ぴくりと、こめかみが動く。男は、苛立っているようであった。
 その目つきは、鋭い。
 周りの妖――古道具が変じて転じた九十九神達は、男の仕草に戦々慄々。
 音を立てずに、固唾を呑んで見守っていた。
 緊張が高まる。 
 とんとんと、黒之助はまな板を指で叩いた。
「塩……」
 ぽつりと呟くと、幾度も探した台所の棚を、またがさごそがさごそやり始めた。
 


「あったあった」
 そう、鈴のような澄んだ声を鳴らすと、少女は立ち上がった。
 歳の頃は、十六、七か。
 美しい娘だった。
 透き通るような白い肌に長い長い黒髪を揺らしながら、楚々と歩いていく。
「ありました」
 そう嬉しそうに言うと、少女はゆったりと畳に座った。
 古寺の庭が見える部屋。
 今が見頃の紫陽花に、次々と雨が乗っていく。
 梅雨の雨は、庭の緑に、絶え間なく降り注いでいく。
「あったかい」
 庭に背を向けていた女が、そいつはよかったとにんまりと応えた。
 歳は、二十四、五か。
 ふくよかな躯付き。笑うと、八重歯がちらりと見えた。
 女の髪は銀色であった。
 獣の耳を頭に生やし、銀毛尾っぽをくねらせて。
 それは、半人半妖の姿。
 名を――九尾の銀狐、葉子といった。 
 黒之助と同じく、人の姿をとることが出来る、三人の妖の一人である。
「あい。じゃあ、貸して」
 少女に身体を向けると、銀狐が手を差し出す。
 嬉しそうに、にこにこと。
 少女はぽかんと口を開けた。
「は?」
「貸して」
 それ、貸して。
 ゆらりゆらりと、尾がみぎひだり。
 少女は一つ、頭を振ると、額を抑えた。
「……私が探してきたのですよ。この、耳かき」
「うん」
 知ってるよ。
「貸して。ほい、貸して!」
 両手を差し出した。
 声が弾んでいた。
 にまーっと、銀狐は尾を揺らした。
 転がったり浮かんだり天井に張り付いたりしている妖達は、興味津々と二人の成り行きを見守っていた。
「どうして……」
「いいからいいから」
 穏やかな声色。
 子守歌のように、優しく、優しく。
 少女は、誘われるがままに、葉子に自分の手にした耳かきを渡した。
「すぐに、返して下さいね」
 しょうがないな。
 そう、少女は思った。
「返す? 返さないよ?」
「え?」
 葉子は、やんわりと笑みを浮かべたままそう言って。
 古寺の姫様――彩花は、育て親である銀狐の笑顔を、何度も瞬きしながらじっと見つめた。