あやかし姫~主従(13)~
西瓜を食べると皆に声をかけようとして、姫様がはたと止まる。
小首を傾げ、火羅を見やった。
「火羅さん」
「西瓜……ふふ、西瓜……」
独り言。
西瓜、好きなんだと思った。
沙羅ちゃんも、西瓜好き。胡瓜が好きで、瓜も西瓜も好き。遊びに来ては、よく食べていた。
「火羅さんって」
「西瓜ぁ……な、何よ!」
羞恥と怒りの混じった言い方だと思った。さっきと大違いだった。
「そのまま食べるんですか?」
「そのままに決まってるでしょう。塩はかけないわ。西瓜は素が一番よ」
嬉々として、憑かれたように語る。
沙羅と、同じ目をしていた。
「違……」
「違うの?」
「いえ、私もそのまま食べますけど」
「はぁ?」
怪訝そうに、口を尖らせた。
「ど、どうやって食べるんですか?」
「……はむ」
大きく口を開け、ぱくりと閉める。
乱れに並ぶ牙の群れに、姫様は思わず式神を喚びそうになった。
「いや、そうじゃなくて……」
「ま、まさか西瓜くれないの……それは、私は、貴方に……くっ、それでも、み、見損なったわ……」
今度は、姫様が口を開ける番で。
知らない間に、見損なわれてしまった。
「で、でも、赤麗にはあげて。うん、赤麗には」
すがるような目をしながら、火羅は言った。
「……その姿で、食べるんですか?」
「?」
燃える自分の腕を見た。
それから、
「は?」
そう、言った。
「西瓜……皆で食べるんですよ」
「あ、ああ……」
やっと意味がわかった。
西瓜は、七つ。この人数なら……
「この姿だと……ちょっとの量じゃあ、満足できないわねぇ」
着物はまだ乾いていない。
着てきた小袖は、姫様が。となると、衣を作り出せない火羅は、人の姿をとることができない。
裸で、火傷を見せるなど。
「しょうがないわね」
火羅の躯が萎み始めた。
紅い、小さな犬になる。
姫様の腰元で、わんと鳴いた。
「こういうことね」
「そういうことです」
姫様が、西瓜食べましょうと、川に向かって声をかけた。
はぁいと、我先にと妖が上がってくる。
黒之助と太郎が、沙羅の指示のもと西瓜を陸に揚げた。
細かい指示を出す河童の子に、二人は若干閉口気味。
水が、黒と緑の縦縞の上で光っていた。
赤麗が駆け寄り、
「西瓜ですよ」
そう言って、人の姿をとり、火羅の横に腰を下ろした。
少し、火羅は羨ましかった。
顔には、出さない。
知られたくない、秘密だから。
西の妖狼の次期族長が、衣を作り出せないなんて……
姫様と葉子が、西瓜を切り分けていく。
沙羅も切ろうとして……自分の不器用さに、ずんと落ち込んだ。
よく熟れた赤い身が、切り口から甘い甘い匂いを漂わせる。
行儀良く一列に並ぶ妖達。
もらうとすぐに、あいつの大きい、私の小さいと文句を言い、黒之助に睨まれて。
その黒之助も、太郎より小さいと愚痴を言い、姫様に睨まれていた。
「はい」
器用に前足で受け取る火羅を、太郎は不思議そうに見ていた。
「……ま、勝手だもんな」
頭を振ると、しゃりしゃりっとかぶりつく。
「うめぇこれ」
頭領、せっかく貰ってきたのに食べることができなくて残念だなと思った。
「お」
姫様が、一切れ大事そうに残しているのを見つけて、ま、そうだよなと思った。
「よく、冷えてるわ」
「……本当ですね」
赤麗は、浮かない顔をしていた。
ぷっ――
ちゃぽんと、水面が跳ねた。
西瓜の種。
誰かが、飛ばしたのだ。
ちゃぽん、ちゃぽん――
種の飛ばし合い。
あっちでもこっちでも。
姫様が慌てて沙羅の方を見やった。この小川は、沙羅の住処なのだ。
とうの河童の娘は、嬉しそうに西瓜をもぐもぐと噛み締めていて、別段、気にしていないようであった。
「てい」
ならと、姫様も真似をしてやってみた。
あまり、飛ばない。
ちょっと悔しい。
もう一回、もう一回……何度となく繰り返すうちに、次第にこつが掴めてきた。
「えい!」
飛んだ。今日、皆の中で一番飛んだ。
二つの波紋が広がり、徐々に消えていった。
「やった」
小さく、嬉しそうに、手を叩いた。
こつん――
膝の裏に、触れるものがあった。
後ろを振り向き、下を見ると、火羅が、にまりと得意げな笑みを浮かべていた。
赤麗が食べかけの西瓜を片手に拍手していた。
「……」
「私の方が、飛んだわね」
火羅が、言った。
二つ。片方は姫様、片方は火羅。
――火羅が、勝った。
姫様は、無言で西瓜を口に含んだ。目が据わっていた。
気合いを込めて、種を吹く。
この日、一番。そして、また、破られた。
「こりゃあ、盛り上がってるねぇ」
葉子は、少し離れたところで横になって、二人が意地になって争っているのを眺めていた。
「盛り上がってますが……」
「クロちゃん」
首を、少し後ろに向ける。
「あの娘、いちいち、姫さんに突っかかる」
「見てて、面白いね」
「そうですか? 拙者は、あまり感心しません」
苦虫を噛み潰すような物言い。
そういえばと。
黒之助は、あのとき、朱桜と咲夜と一緒にいた。
「いや、いいさね。あんな姫様、あんまし見たことないし」
今は、物静かな娘だった。
二人が張り合うのを見いていると、姫様の子供の頃を思い出す。
幼いの頃の姫様も、今の姫様も、両方とも葉子は好きだった。
「……やはり、感心しませんな」
葉子は、あはと苦笑いを浮かべた。
二人は、悪友というやつなのだ。そう、太郎とクロちゃんのような。
「あ、沙羅さんが泣いてる」
赤麗が、言った。
顔を真っ赤にした二人が、沙羅のほうを見た。
わいのわいのの囃子の手が止まる。
「ひどい……私の住処……」
眼を、擦っていた。
「……ごめんなさい」
気付いていなかっただけなのだと悟り、姫様は後悔の念を浮かべた。
「……」
姫様が、謝る。それから、無言の火羅の尾をふんずけた。
ぴきりと、牙が音をたてた。
「ごめんなさいね」
それでも……文句は言わず、ぎこちなく、沙羅に謝った。
「……はぃ……」
消え入りそうな声であった。
これにて、種飛ばしはお終いで。
ここからは、姫様が沙羅を慰める番。
「わ、わかってます、彩花ちゃんはこの川に恨みがあるんです。さっきも、溺れて、」
「溺れたんじゃないです。水に浸かっていたんです」
とりあえず、否定しておいた。
「だ、だから、憎しみをぶつけて……で、でも、ここは私の家なんです」
「ち、違います!」
「あらあら、あの小娘、慌ててるわね」
他人事のように、火羅が言った。
「面白い」
「火羅様」
「わかってる、私も悪かったわよ」
ぶうっと、口を尖らせた。
「この西瓜、甘いですか」
思わぬ質問に、少々、面食らった。
少しの間の後、
「え、ええ。甘い。味は、悪くないわ」
戸惑いながら、答えた。
「美味しくなかったの?」
「火羅様のお口に合うのなら、美味しいんでしょうね」
甘さと、水々しさが、口いっぱいに広がるんでしょうね。
「……何が言いたいの?」
努めて冷静に、火羅は言った。
「味、わからなくて」
西瓜の皮を、ひらひらとさせた。
皮、だけ。
赤い部分も白い部分も、なくなっていた。
「これだけ食べても、味、わからなくて……」
病は、止められない。
痛みを、押さえているだけ――
その言葉を、火羅は思い出した。
まだ、作ってないのに。
今日、私がするってあの娘に言ったのに。
密かに、準備したのに。
――私の、手料理。
どんな顔をするだろうか?
喜んでくれるだろうか?
最初は、恐れおおいと言うかもしれない。もったいないと手をつけないかもしれない。
でも、
「私の料理が口に合わないっていうの?」
そう言えば、きっと食べてくれる。
赤麗は、一口目で顔を綻ばせるんだ。
美味しい、美味しいって。
私は、それを見て言うの。
「この私を誰だと思っているの?」
誇らしげに、そう、言うんだ。
なのに、
なのに、
なのに。
「味が、わからないの?」
「……はい」
私は……何も、言えなかった。
古寺に帰るとすぐ、赤麗は寝付いた。
それから――あまり、寝床を離れなくなった。
うわごとで、「西瓜、美味しい」と、言うときがあった。
小首を傾げ、火羅を見やった。
「火羅さん」
「西瓜……ふふ、西瓜……」
独り言。
西瓜、好きなんだと思った。
沙羅ちゃんも、西瓜好き。胡瓜が好きで、瓜も西瓜も好き。遊びに来ては、よく食べていた。
「火羅さんって」
「西瓜ぁ……な、何よ!」
羞恥と怒りの混じった言い方だと思った。さっきと大違いだった。
「そのまま食べるんですか?」
「そのままに決まってるでしょう。塩はかけないわ。西瓜は素が一番よ」
嬉々として、憑かれたように語る。
沙羅と、同じ目をしていた。
「違……」
「違うの?」
「いえ、私もそのまま食べますけど」
「はぁ?」
怪訝そうに、口を尖らせた。
「ど、どうやって食べるんですか?」
「……はむ」
大きく口を開け、ぱくりと閉める。
乱れに並ぶ牙の群れに、姫様は思わず式神を喚びそうになった。
「いや、そうじゃなくて……」
「ま、まさか西瓜くれないの……それは、私は、貴方に……くっ、それでも、み、見損なったわ……」
今度は、姫様が口を開ける番で。
知らない間に、見損なわれてしまった。
「で、でも、赤麗にはあげて。うん、赤麗には」
すがるような目をしながら、火羅は言った。
「……その姿で、食べるんですか?」
「?」
燃える自分の腕を見た。
それから、
「は?」
そう、言った。
「西瓜……皆で食べるんですよ」
「あ、ああ……」
やっと意味がわかった。
西瓜は、七つ。この人数なら……
「この姿だと……ちょっとの量じゃあ、満足できないわねぇ」
着物はまだ乾いていない。
着てきた小袖は、姫様が。となると、衣を作り出せない火羅は、人の姿をとることができない。
裸で、火傷を見せるなど。
「しょうがないわね」
火羅の躯が萎み始めた。
紅い、小さな犬になる。
姫様の腰元で、わんと鳴いた。
「こういうことね」
「そういうことです」
姫様が、西瓜食べましょうと、川に向かって声をかけた。
はぁいと、我先にと妖が上がってくる。
黒之助と太郎が、沙羅の指示のもと西瓜を陸に揚げた。
細かい指示を出す河童の子に、二人は若干閉口気味。
水が、黒と緑の縦縞の上で光っていた。
赤麗が駆け寄り、
「西瓜ですよ」
そう言って、人の姿をとり、火羅の横に腰を下ろした。
少し、火羅は羨ましかった。
顔には、出さない。
知られたくない、秘密だから。
西の妖狼の次期族長が、衣を作り出せないなんて……
姫様と葉子が、西瓜を切り分けていく。
沙羅も切ろうとして……自分の不器用さに、ずんと落ち込んだ。
よく熟れた赤い身が、切り口から甘い甘い匂いを漂わせる。
行儀良く一列に並ぶ妖達。
もらうとすぐに、あいつの大きい、私の小さいと文句を言い、黒之助に睨まれて。
その黒之助も、太郎より小さいと愚痴を言い、姫様に睨まれていた。
「はい」
器用に前足で受け取る火羅を、太郎は不思議そうに見ていた。
「……ま、勝手だもんな」
頭を振ると、しゃりしゃりっとかぶりつく。
「うめぇこれ」
頭領、せっかく貰ってきたのに食べることができなくて残念だなと思った。
「お」
姫様が、一切れ大事そうに残しているのを見つけて、ま、そうだよなと思った。
「よく、冷えてるわ」
「……本当ですね」
赤麗は、浮かない顔をしていた。
ぷっ――
ちゃぽんと、水面が跳ねた。
西瓜の種。
誰かが、飛ばしたのだ。
ちゃぽん、ちゃぽん――
種の飛ばし合い。
あっちでもこっちでも。
姫様が慌てて沙羅の方を見やった。この小川は、沙羅の住処なのだ。
とうの河童の娘は、嬉しそうに西瓜をもぐもぐと噛み締めていて、別段、気にしていないようであった。
「てい」
ならと、姫様も真似をしてやってみた。
あまり、飛ばない。
ちょっと悔しい。
もう一回、もう一回……何度となく繰り返すうちに、次第にこつが掴めてきた。
「えい!」
飛んだ。今日、皆の中で一番飛んだ。
二つの波紋が広がり、徐々に消えていった。
「やった」
小さく、嬉しそうに、手を叩いた。
こつん――
膝の裏に、触れるものがあった。
後ろを振り向き、下を見ると、火羅が、にまりと得意げな笑みを浮かべていた。
赤麗が食べかけの西瓜を片手に拍手していた。
「……」
「私の方が、飛んだわね」
火羅が、言った。
二つ。片方は姫様、片方は火羅。
――火羅が、勝った。
姫様は、無言で西瓜を口に含んだ。目が据わっていた。
気合いを込めて、種を吹く。
この日、一番。そして、また、破られた。
「こりゃあ、盛り上がってるねぇ」
葉子は、少し離れたところで横になって、二人が意地になって争っているのを眺めていた。
「盛り上がってますが……」
「クロちゃん」
首を、少し後ろに向ける。
「あの娘、いちいち、姫さんに突っかかる」
「見てて、面白いね」
「そうですか? 拙者は、あまり感心しません」
苦虫を噛み潰すような物言い。
そういえばと。
黒之助は、あのとき、朱桜と咲夜と一緒にいた。
「いや、いいさね。あんな姫様、あんまし見たことないし」
今は、物静かな娘だった。
二人が張り合うのを見いていると、姫様の子供の頃を思い出す。
幼いの頃の姫様も、今の姫様も、両方とも葉子は好きだった。
「……やはり、感心しませんな」
葉子は、あはと苦笑いを浮かべた。
二人は、悪友というやつなのだ。そう、太郎とクロちゃんのような。
「あ、沙羅さんが泣いてる」
赤麗が、言った。
顔を真っ赤にした二人が、沙羅のほうを見た。
わいのわいのの囃子の手が止まる。
「ひどい……私の住処……」
眼を、擦っていた。
「……ごめんなさい」
気付いていなかっただけなのだと悟り、姫様は後悔の念を浮かべた。
「……」
姫様が、謝る。それから、無言の火羅の尾をふんずけた。
ぴきりと、牙が音をたてた。
「ごめんなさいね」
それでも……文句は言わず、ぎこちなく、沙羅に謝った。
「……はぃ……」
消え入りそうな声であった。
これにて、種飛ばしはお終いで。
ここからは、姫様が沙羅を慰める番。
「わ、わかってます、彩花ちゃんはこの川に恨みがあるんです。さっきも、溺れて、」
「溺れたんじゃないです。水に浸かっていたんです」
とりあえず、否定しておいた。
「だ、だから、憎しみをぶつけて……で、でも、ここは私の家なんです」
「ち、違います!」
「あらあら、あの小娘、慌ててるわね」
他人事のように、火羅が言った。
「面白い」
「火羅様」
「わかってる、私も悪かったわよ」
ぶうっと、口を尖らせた。
「この西瓜、甘いですか」
思わぬ質問に、少々、面食らった。
少しの間の後、
「え、ええ。甘い。味は、悪くないわ」
戸惑いながら、答えた。
「美味しくなかったの?」
「火羅様のお口に合うのなら、美味しいんでしょうね」
甘さと、水々しさが、口いっぱいに広がるんでしょうね。
「……何が言いたいの?」
努めて冷静に、火羅は言った。
「味、わからなくて」
西瓜の皮を、ひらひらとさせた。
皮、だけ。
赤い部分も白い部分も、なくなっていた。
「これだけ食べても、味、わからなくて……」
病は、止められない。
痛みを、押さえているだけ――
その言葉を、火羅は思い出した。
まだ、作ってないのに。
今日、私がするってあの娘に言ったのに。
密かに、準備したのに。
――私の、手料理。
どんな顔をするだろうか?
喜んでくれるだろうか?
最初は、恐れおおいと言うかもしれない。もったいないと手をつけないかもしれない。
でも、
「私の料理が口に合わないっていうの?」
そう言えば、きっと食べてくれる。
赤麗は、一口目で顔を綻ばせるんだ。
美味しい、美味しいって。
私は、それを見て言うの。
「この私を誰だと思っているの?」
誇らしげに、そう、言うんだ。
なのに、
なのに、
なのに。
「味が、わからないの?」
「……はい」
私は……何も、言えなかった。
古寺に帰るとすぐ、赤麗は寝付いた。
それから――あまり、寝床を離れなくなった。
うわごとで、「西瓜、美味しい」と、言うときがあった。