小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~琵琶泥棒(1)~

 西に傾いた日が、紅く燃えていた。
 夕刻。
 季節は夏から秋にうつろい、少しずつ少しずつ、涼しさを増していく。
 耳をつんざく蝉の声も、いつのまにか小さくなっていた。
 森の中であった。
 影が、動く。
 男が、二人。
 木々の間を、飛ぶように駆け抜ける。その様は、枝葉が自ら避けているようであった。
 一人は、山伏姿の男。
 一人は、大きな目をした男。
 どちらも、人ではない。
 妖、である。
 黒之助と、黒之丞。二人は、あるものを追っていた。



「助かった。黒之助のおかげで、仕事が早く済んだ」
「ふむ。……慣れているからな」
「二人とも、お疲れー」
 小さな子が、祠の上で跳びはねていた。
 大きな木を背にする、小さな祠。
 見れば、屋根につぎはぎが。
 雨が降った。強い雨であった。夕立――
 短い嵐。そのために、祠の屋根の一部が壊れたのだ。
 手の平に乗りそうな男の子は、石造りの狛犬の頭に飛び移り、
「本当にお疲れー」
 と、はしゃぎ声をあげた。
 羽矢風の命。
 大木に宿る、この辺り一帯の土地神であった。
「この子じゃあ、そういうこと出来ないからさ」
 狛犬が、しゅんと鼻を鳴らすと、自分の手を見つめた。
「他に、用はあるか?」
 大きな目を何度も瞬かせながら、黒之丞が言った。
 歳経た蜘蛛の妖である、黒之丞。
 今は、白蝉という女と、小さな庵で暮らしていた。
 羽矢風の命の住まう祠と庵は、ほど近い。
 自然と、人の滅多に通わぬ祠を管理するようになっていた。
「私からはないよ」
「じゃあ、戻るか。黒之助、家に寄っていけ。手伝ってもらった礼はする」
「うむ……」
 喉の奥に何かが引っかかっている。そんな言い方であった。
「はーい」
「……お前は」
「何?」
 当然だよというように、羽矢風は黒之丞を見やった。
 黒之助、眉をひそめる。
 古い馴染みの性格は、よく知っていた。気は、長い方ではなかった。
「まあ、いいか。赤い方に、白蝉についてもらっているし」
 青犬が、腰を上げる。
 羽矢風は、嬉しそうに石を眺めると、ぺちりと狛犬の頭を叩いた。



「黒之助さん、ありがとね。でも、本当に器用だね」 
 道すがら、黒之丞はよく足を停めた。
 これは、いい、これは、よくないと、ぶつぶつ呟きながら、森の実りを腕に抱えていく。
「それほどでも……」
 食料集めを、黒之助は手伝わなかった。
 食べられるかどうか、わからないから。
 茸狩りで毒もつものをいっぱい持ってくるのは、いつものことで。
「黒之助、何か話でもあるのか?」
 黒之丞が、食料集めを終え、言った。
「……」
 少し、顎をあげる。
「よいか……」
 顎を下げ、羽矢風、それに守り妖の青犬を見ながら、黒之助は言った。
「実は、うちの姫さんが悩み事を抱えてな」
 本当は、このことを、話すためにこちらへ来たのだ。
 それが、思わぬことで時間をとられてしまった。
「彩花さんが?」
「あの、人の娘が?」
 二人は、異なる表情を示した。
 一方は心配そうであり、一方は特にいつもと変わらずに。
 そうだと、烏天狗は頷いた。
「朱桜という、鬼の娘がいる。姫さんと親しい、側で見ていて、妹のような娘だ」
「仲良いよね」
 羽矢風が言った。
 黒之丞は、やはり、何の反応も見せなかった。
 それほど、親しくないのだ。
 二人の住処を用意してもらったとき一言、二言、会話を交わして、それっきりであった。
 こちらから出向くことはなかったし、あちらから出向くこともなかった。
「拙者達の寺に、最近まで妖狼が二人、暮らしていたのは知っているな」
「あの感じ悪そうな人?」
 羽矢風は、少し口を尖らせた。
「西の妖狼の姫か」
「朱桜殿は、火羅のことを嫌っていてな……それが、姫さんに飛び火した」
「ふえ?」
「ああ、喧嘩したのか」
「文のやり取りが……止まった。何度も送ったのに、返事はなしだそうだ」
 遊びにいきます。
 朱桜の文に、姫様は、今、火羅さんが来ていますと返事した。
 火羅さんのご友人が病で、その療養の付き添いにと。
 朱桜ちゃんの顔を見るの、楽しみにしてるねと文をしたためた。
 朱桜は――
 いかない。そう、文を帰してきた。
「ありゃりゃぁ」
「姫さんは、苦しそうだよ。最近辛いことが多いから……心配なんだ」
 蛍の仔――
 妖狼の従者――
 それに、仲が良かった鬼の娘と。
 心労が、募っていく。
 何とかしたかった。
 力に、なりたかった。
「直接会うことだな」
 ぽつりと、歩きながら黒之丞が言った。
「返事、来ないのだろう? じゃあ、会え。会って、話をしてみろ。それで駄目なら……諦めろ」
「黒之丞さん! そんな冷たい言い方!
「お前に、他の考えがあるのか?」
「うっ……」
 詰まる。考えは、なかった。
「やはり、それしかないか」
 直接、か。
 来ないのなら、こちらから出向くしかない。
 西の鬼の本拠地、鬼ヶ城へ。
 姫様、そういえばあの場所へは行ったことないな。
「白蝉」
 黒之丞が、言った。
 小綺麗な庵であった。
 清潔感が、漂っている。小さな柵に囲われていた。
 門と思しきところで寝そべっていた赤い狛犬が、きょとんとした表情を一行に向けた。
「なんだ、赤いの」
「え、あれ?」
「黒之丞さん?」
 戸を開け、目が閉じられた女が歩み出た。
 白蝉も、きょとんとした表情を浮かべていた。
「どうした?」
「あれ……先ほど、帰って、」
「何?」
「拙者達は、今まで羽矢風殿の庵の修理を」
「そうだよ」
「嘘……わ、悪い冗談ですよ」
「……嘘じゃない」
赤犬!」
 羽矢風が、狛犬を怒鳴りつけた。
「さ、先ほど、黒之丞が庵に来て、また出ていって、あれ、あれれ?」
「……俺が?」
「琵琶を……」
 ちろりと、黒之丞の瞳に、炎が宿った。
「黒之丞さんは、琵琶を持っていって……」
 黒之丞の影が、蟲の姿をとり、八肢を蠢かせた。
 慌てて庵に入る。
 荷物を置くと、また、外に出た。
「詳しく、聞かせろ」
 気が動転し、青ざめた顔を揺らめかせる白蝉の手を握り締め、黒之丞は、そう優しく囁いた。
「は、はい」
 白蝉の手を握る人の手とは別に、四本の虫の手が、背中より生え、ゆらりと動いていた。