あやかし姫~琵琶泥棒(4)~
背に白蝉を乗せた赤犬が草を掻き分け、古寺に走る。
青犬が、ぴったりとそれに貼り付いて。
風を切る音は、かなりのもので。
石の冷たさが、肌に滲みる。
ふっと、身体が傾いた。坂道に入ったのだと、白蝉は思った。
それから、歩みはゆったりしたものになった。
「もう、いいですよ」
「いいのー」
頭の上から、声が聞こえて。
戸惑う狛犬にかわって、羽矢風の命が尋ねた。
「はい」
「では」
地に足をつける。青犬に、そっと杖を渡される。
ぺちぺちと、頭を触り、土地神がいるのを確認すると、白蝉は歩き出した。
しょんぼりとしている赤犬。
青犬も、しょんぼりとしていた。
「でも、よかったね」
「……何がです?」
何がだろう。私は、琵琶を、盗まれたのに。
「白蝉さん、命を獲られなくて」
「……はい?」
「相手がその気なら……食べられちゃうよ」
「あ……」
そういえば、そうだ。失念していた。
そこまで、頭が回らなかった。
「主……そのような相手なら、私も分かりますよ」
赤犬が否定する。
少し、憤慨の色を、白蝉はその声に感じた。
「変化、上手かったんじゃないの?」
「えっと、何て言うか……邪意がなかったっていうか……そんなような……」
「何だよ。歯切れが悪いぞ」
「だって……よく、分からなかったし……」
べこりと、音がした。石と石がぶつかり合う音。
痛い痛いと、狛犬が鳴く。
叩いて、叩かれて。どちらも、同じ固さ。
「ごめんね、白蝉さん。本当、駄目な子達で」
「え、俺も?」
「面目ないっすよぉ……」
「ああ、そうか」
「ふや?」
「私、何て事を……」
「し、白蝉さん?」
「そうですよね、私、分からなかったんですよね」
立ち止まって、そして、震えて。
古寺は、もうすぐ。もう、見えている。
だが……
白蝉は、そこから動けなくなった。
「私は、黒之丞さんが分からなかった。本物かどうか、分からなかった。分からないばかりか、琵琶を、盗られてしまった」
大口を開ける。
それから、ぴよりと、羽矢風が腰に差したる小さな木刀を抜いて、赤犬に指示した。
長年仕える、守りの妖。
その小さな仕草で主の意を汲み、静かに走り出した。
「どうしよう……これじゃあ、合わす顔がないよ。琵琶……琵琶……。どうしよう……。これじゃあ、一緒にいる資格なんて」
震えが、止まらなくなった。
もし、これで、黒之丞さんに何かあって、琵琶を失ったら……
「またなの……また?」
小さな侍と狛犬が、顔を見合わせた。
羽矢風が、真剣な眼差しで白蝉に話しかける。
だが――閉じた耳には、その声は届かなかった。
後悔の、念。慚愧の、念。
ぐるぐると、渦を巻く。
蜘蛛の糸のように、まとわり絡み。
ふりほどけない。いや、ふりほどこうと、していない。
自ら囚われ、ついに白蝉は、その場にうずくまってしまった。
「何、何なのさそんなに尻尾引っ張って! あたいは今ね」
「いいから!」
「この!」
赤犬が、くわえた銀毛を離し、はっはと満足げに舌を出した。
葉子は、淡い燐光を口から撒き散らしながら、獣の本性を半ば露わに。
狐火を起こし、争おうとし。
指先に、炎を集める。こるると、狛犬が喉を振るわせた。
そして、彼女は、ぴたりと動きを止めた。
「……って、白蝉さん?」
「……葉子さん?」
「ど、どしたの?」
「葉子さん! 葉子さん!」
よろよろと、歩む。
そんな白蝉の身体を支える。
細い腕が、くるりと葉子の身体に絡みついた。
ぎゅっと抱き締められ、あっぷと息を吐き、火を慌てて消す。
「どうしよう……私!」
力が、さらに込められる。
「ぐえぇぇぇ」
断末魔の悲鳴が、銀狐の口から漏れた。
「琵琶を、返せ」
「ちくしょう……こんなの、ありかよ。何でこんなに強い妖が」
美鏡は、口惜しげに地面を蹴り付けた。
石ころがこんこんと転がり、針のような剛毛に覆われた虫の脚にぶつかった。
「もう一度言う。琵琶を、返せ」
身動ぎせず、黒之丞は言った。
「待ってよ。返す、返すから……あたいを食べるの、やめてくれよ」
媚び。
「ふん……いいだろう」
元々、食う気はないのだがと、黒之助は思った。
金狐。
尾が、一筋。ただの、化け狐。
捕らえて、葉子殿に渡せばよいか。
「ほら、琵琶。ここに、置くから、」
大人しく琵琶を置く。
容易いことだと、黒之助は思った。
「これで、終わりだな」
「なんてね」
ちろりと舌を出し、金狐が言った。
「何!?」
突然、光が溢れた。
哄笑が起こる。
「ばっかだねぇえ!!!」
嘲笑う、美鏡。
してやられたと、黒之助は思った。
青犬が、ぴったりとそれに貼り付いて。
風を切る音は、かなりのもので。
石の冷たさが、肌に滲みる。
ふっと、身体が傾いた。坂道に入ったのだと、白蝉は思った。
それから、歩みはゆったりしたものになった。
「もう、いいですよ」
「いいのー」
頭の上から、声が聞こえて。
戸惑う狛犬にかわって、羽矢風の命が尋ねた。
「はい」
「では」
地に足をつける。青犬に、そっと杖を渡される。
ぺちぺちと、頭を触り、土地神がいるのを確認すると、白蝉は歩き出した。
しょんぼりとしている赤犬。
青犬も、しょんぼりとしていた。
「でも、よかったね」
「……何がです?」
何がだろう。私は、琵琶を、盗まれたのに。
「白蝉さん、命を獲られなくて」
「……はい?」
「相手がその気なら……食べられちゃうよ」
「あ……」
そういえば、そうだ。失念していた。
そこまで、頭が回らなかった。
「主……そのような相手なら、私も分かりますよ」
赤犬が否定する。
少し、憤慨の色を、白蝉はその声に感じた。
「変化、上手かったんじゃないの?」
「えっと、何て言うか……邪意がなかったっていうか……そんなような……」
「何だよ。歯切れが悪いぞ」
「だって……よく、分からなかったし……」
べこりと、音がした。石と石がぶつかり合う音。
痛い痛いと、狛犬が鳴く。
叩いて、叩かれて。どちらも、同じ固さ。
「ごめんね、白蝉さん。本当、駄目な子達で」
「え、俺も?」
「面目ないっすよぉ……」
「ああ、そうか」
「ふや?」
「私、何て事を……」
「し、白蝉さん?」
「そうですよね、私、分からなかったんですよね」
立ち止まって、そして、震えて。
古寺は、もうすぐ。もう、見えている。
だが……
白蝉は、そこから動けなくなった。
「私は、黒之丞さんが分からなかった。本物かどうか、分からなかった。分からないばかりか、琵琶を、盗られてしまった」
大口を開ける。
それから、ぴよりと、羽矢風が腰に差したる小さな木刀を抜いて、赤犬に指示した。
長年仕える、守りの妖。
その小さな仕草で主の意を汲み、静かに走り出した。
「どうしよう……これじゃあ、合わす顔がないよ。琵琶……琵琶……。どうしよう……。これじゃあ、一緒にいる資格なんて」
震えが、止まらなくなった。
もし、これで、黒之丞さんに何かあって、琵琶を失ったら……
「またなの……また?」
小さな侍と狛犬が、顔を見合わせた。
羽矢風が、真剣な眼差しで白蝉に話しかける。
だが――閉じた耳には、その声は届かなかった。
後悔の、念。慚愧の、念。
ぐるぐると、渦を巻く。
蜘蛛の糸のように、まとわり絡み。
ふりほどけない。いや、ふりほどこうと、していない。
自ら囚われ、ついに白蝉は、その場にうずくまってしまった。
「何、何なのさそんなに尻尾引っ張って! あたいは今ね」
「いいから!」
「この!」
赤犬が、くわえた銀毛を離し、はっはと満足げに舌を出した。
葉子は、淡い燐光を口から撒き散らしながら、獣の本性を半ば露わに。
狐火を起こし、争おうとし。
指先に、炎を集める。こるると、狛犬が喉を振るわせた。
そして、彼女は、ぴたりと動きを止めた。
「……って、白蝉さん?」
「……葉子さん?」
「ど、どしたの?」
「葉子さん! 葉子さん!」
よろよろと、歩む。
そんな白蝉の身体を支える。
細い腕が、くるりと葉子の身体に絡みついた。
ぎゅっと抱き締められ、あっぷと息を吐き、火を慌てて消す。
「どうしよう……私!」
力が、さらに込められる。
「ぐえぇぇぇ」
断末魔の悲鳴が、銀狐の口から漏れた。
「琵琶を、返せ」
「ちくしょう……こんなの、ありかよ。何でこんなに強い妖が」
美鏡は、口惜しげに地面を蹴り付けた。
石ころがこんこんと転がり、針のような剛毛に覆われた虫の脚にぶつかった。
「もう一度言う。琵琶を、返せ」
身動ぎせず、黒之丞は言った。
「待ってよ。返す、返すから……あたいを食べるの、やめてくれよ」
媚び。
「ふん……いいだろう」
元々、食う気はないのだがと、黒之助は思った。
金狐。
尾が、一筋。ただの、化け狐。
捕らえて、葉子殿に渡せばよいか。
「ほら、琵琶。ここに、置くから、」
大人しく琵琶を置く。
容易いことだと、黒之助は思った。
「これで、終わりだな」
「なんてね」
ちろりと舌を出し、金狐が言った。
「何!?」
突然、光が溢れた。
哄笑が起こる。
「ばっかだねぇえ!!!」
嘲笑う、美鏡。
してやられたと、黒之助は思った。