小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~琵琶泥棒(4)~

 背に白蝉を乗せた赤犬が草を掻き分け、古寺に走る。
 青犬が、ぴったりとそれに貼り付いて。
 風を切る音は、かなりのもので。
 石の冷たさが、肌に滲みる。
 ふっと、身体が傾いた。坂道に入ったのだと、白蝉は思った。
 それから、歩みはゆったりしたものになった。
「もう、いいですよ」
「いいのー」
 頭の上から、声が聞こえて。
 戸惑う狛犬にかわって、羽矢風の命が尋ねた。
「はい」
「では」
 地に足をつける。青犬に、そっと杖を渡される。
 ぺちぺちと、頭を触り、土地神がいるのを確認すると、白蝉は歩き出した。
 しょんぼりとしている赤犬
 青犬も、しょんぼりとしていた。
「でも、よかったね」
「……何がです?」
 何がだろう。私は、琵琶を、盗まれたのに。
「白蝉さん、命を獲られなくて」
「……はい?」
「相手がその気なら……食べられちゃうよ」
「あ……」
 そういえば、そうだ。失念していた。
 そこまで、頭が回らなかった。
「主……そのような相手なら、私も分かりますよ」
 赤犬が否定する。
 少し、憤慨の色を、白蝉はその声に感じた。
「変化、上手かったんじゃないの?」
「えっと、何て言うか……邪意がなかったっていうか……そんなような……」
「何だよ。歯切れが悪いぞ」
「だって……よく、分からなかったし……」
 べこりと、音がした。石と石がぶつかり合う音。
 痛い痛いと、狛犬が鳴く。
 叩いて、叩かれて。どちらも、同じ固さ。
「ごめんね、白蝉さん。本当、駄目な子達で」
「え、俺も?」
「面目ないっすよぉ……」
「ああ、そうか」
「ふや?」
「私、何て事を……」
「し、白蝉さん?」
「そうですよね、私、分からなかったんですよね」
 立ち止まって、そして、震えて。
 古寺は、もうすぐ。もう、見えている。
 だが……
 白蝉は、そこから動けなくなった。
「私は、黒之丞さんが分からなかった。本物かどうか、分からなかった。分からないばかりか、琵琶を、盗られてしまった」
 大口を開ける。
 それから、ぴよりと、羽矢風が腰に差したる小さな木刀を抜いて、赤犬に指示した。
 長年仕える、守りの妖。
 その小さな仕草で主の意を汲み、静かに走り出した。
「どうしよう……これじゃあ、合わす顔がないよ。琵琶……琵琶……。どうしよう……。これじゃあ、一緒にいる資格なんて」
 震えが、止まらなくなった。
 もし、これで、黒之丞さんに何かあって、琵琶を失ったら……
「またなの……また?」
 小さな侍と狛犬が、顔を見合わせた。
 羽矢風が、真剣な眼差しで白蝉に話しかける。
 だが――閉じた耳には、その声は届かなかった。
 後悔の、念。慚愧の、念。
 ぐるぐると、渦を巻く。
 蜘蛛の糸のように、まとわり絡み。
 ふりほどけない。いや、ふりほどこうと、していない。
 自ら囚われ、ついに白蝉は、その場にうずくまってしまった。
「何、何なのさそんなに尻尾引っ張って! あたいは今ね」
「いいから!」
「この!」 
 赤犬が、くわえた銀毛を離し、はっはと満足げに舌を出した。
 葉子は、淡い燐光を口から撒き散らしながら、獣の本性を半ば露わに。
 狐火を起こし、争おうとし。
 指先に、炎を集める。こるると、狛犬が喉を振るわせた。
 そして、彼女は、ぴたりと動きを止めた。
「……って、白蝉さん?」
「……葉子さん?」
「ど、どしたの?」
「葉子さん! 葉子さん!」
 よろよろと、歩む。
 そんな白蝉の身体を支える。
 細い腕が、くるりと葉子の身体に絡みついた。
 ぎゅっと抱き締められ、あっぷと息を吐き、火を慌てて消す。
「どうしよう……私!」
 力が、さらに込められる。
「ぐえぇぇぇ」
 断末魔の悲鳴が、銀狐の口から漏れた。



「琵琶を、返せ」
「ちくしょう……こんなの、ありかよ。何でこんなに強い妖が」
 美鏡は、口惜しげに地面を蹴り付けた。
 石ころがこんこんと転がり、針のような剛毛に覆われた虫の脚にぶつかった。
「もう一度言う。琵琶を、返せ」
 身動ぎせず、黒之丞は言った。
「待ってよ。返す、返すから……あたいを食べるの、やめてくれよ」
 媚び。
「ふん……いいだろう」
 元々、食う気はないのだがと、黒之助は思った。
 金狐。
 尾が、一筋。ただの、化け狐。
 捕らえて、葉子殿に渡せばよいか。
「ほら、琵琶。ここに、置くから、」
 大人しく琵琶を置く。
 容易いことだと、黒之助は思った。
「これで、終わりだな」
「なんてね」
 ちろりと舌を出し、金狐が言った。
「何!?」
 突然、光が溢れた。
 哄笑が起こる。
「ばっかだねぇえ!!!」
 嘲笑う、美鏡。
 してやられたと、黒之助は思った。