あやかし姫~彼岸の月(1)~
雑多な妖が混在する、小さな山の古いお寺。
あやかし姫と、その育ての親たる妖達が住まう場所。
さて、姫様の周りから、妖達がごっそりといなくなる時が、年に一度ある。
彼岸――
春分、秋分、そのどちらか。
一族が集い集まり、祭事を行う。ただ、宴を催すだけのところも多いのだが。
去年は春であった。
妖達の彼岸は一年ごとに季を移す。毎年二回は遠方の者がしんどいと。
そういうわけで――今年の彼らの彼岸は、秋であった。
「で、どうすんの」
「さあて……」
秋風がそよいでいた。
既に夏は過ぎた。
古寺の居間で妖達が頭をつき合わせている。
一段高くなった場所で、頭領が肘をつき顎を支えていた。
向かい合う形で座る姫様。
珍しく少女は一人であった――否。少女の周りに、人の姿はなかった。
いつもなら、三妖が側にいるのに。葉子も太郎も黒之助も、頭領の隣。
かわりに、古寺の最も古き住人達、古道具が成った付喪神が姫様の周りにいた。
日は高く昇り、白雲を揺らせている。
それでも、肌に感じるのは、暑さよりも涼しさであった。
「彼岸か……なかなか面倒じゃのう」
頭領が、言った。
「やっぱり、俺残るよ。最近物騒だし」
太郎が、姫様を見ながら言った。
彼岸。これまでは、妖狼が古寺に残っていた。
付喪神と同じく、太郎には行く場所がなかったのだ。
先年までは――
一族の危機を救った金銀妖瞳の妖狼のところにも、今年、誘いはやって来た。
母からの手紙。太郎に直接、というわけではない。
姫様への手紙に、息子に頼んでもらえないかといってきたのだ。
「駄目です」
姫様が、ぴしゃりと言った。
「随分と磨夜さんと会っていないんでしょう? 丁度いい機会ですよ」
母の名はだせど、父の名はなし。
ここで言えば、こじれる――そう、姫様は判断して。
「でも、そうしたら」
「姫様には、おいら達いるー」
「俺もいるー」
「わいもいるー」
「心配ないよー?」
付喪神が、跳びはねながら口々に。
古道具の集まりを見ながら、
「心配だぁね」
そう、銀狐が額を抑えた。
「なにー!」
「……がぁ!」
烏天狗が本性を現し、居間に風を巻き起こした。
途端、付喪神達は、乱れる髪を押さえる姫様の後ろに隠れると、「クロさん怖いー」と言い募る。
葉子が、本当に頼りない妖達に、溜息と共に薄く狐火を吐いた。
「えっと……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。羽矢風さんも」
「あやつは、早々と出雲に行ってもうた」
「……黒之丞さん」
「黒之丞は……白蝉殿の方を」
「う、うーん……そうだ、私には白刃が」
姫様の式神。
勇猛で忠実な、白い狼。
「姫様、今、白刃だして」
葉子が、言った。姫様は、ぱちぱちと目を動かした。
「え、今?」
「今さね」
少し、顔を背けた。
それから、さらさらと右手の平に指で字を描いた。
薄く光る、「狼」の文字。
ぽんと煙が起こる。
黒之助が風で煙を運ぶと、白い狼の姿が現れた。
頭領が、葉子が、黒之助が、妖達が、はぁと落胆した。
姫様が、真っ赤に染まる。耳たぶまで、赤く染まる。
「こっちこい」
「きゃう!」
太郎が言うと、「子狼」は嬉しそうに吠え、とことこと妖狼に近づいていった。
「……あれで、何が守れる?」
「え、えーっと……こ、子狸よりは強いですよ?」
「……そのちっこいの、子狸と引き分けたんじゃあないの?」
「うううう……」
姫様は……式神を意のままに操るというところまでいってはいなかった。
自在に喚び出せるようにはなったのだが、形と力が酷く不安定なのだ。
「儂が、のう……うーむ、『あれ』はきつく止められたし」
「……頭領、『あれ』はやっぱりまずいかと」
「そうなるとのぉ。なかなかに難しい」
「やっぱり俺がさぁ」
「駄目!」
きつく言われ、しょぼんと妖狼はうなだれた。
気落ちするなとでもいうように、子白刃が鼻をすり寄せた。
「でもね、姫様」
さすがに、あたい達が皆いなくなるのは――
太郎もクロちゃんも、強いんだ。あたいだって、それなりにやれる。
頭領は言わずもがなだ。
この四人の誰かが傍にいれば、こんなに心配しなくていいんだ。
前までは、太郎がその役目を担ってた。
でも、今年は……本当に、最近は物騒なんだよと、葉子は思った。
あたいが残ると、葉美がなんて言われるかわかんないし。
頭が、痛いよ。
「やっぱり、『あれ』を喚ぶか」
「頭領、それは……」
「むう……」
頭領と黒之助が『あれ』のやり取りをそそと交わし、銀狐が姫様を心配そうに見ているときであった。
姫様が、急に庭の方に目をやったのは。
それに一息遅れて、皆の目が庭に向いた。
「どうしたんだろう……」
そう、姫様は呟いた。
「はい?」
銀狐が困惑気味に。見えるものも肌に感じるものも何もないのだ。
自分も太郎も黒之助も……表情から察するに恐らく頭領も。
姫様の感覚は、妖達を遙かに凌駕しているものが。
一時その力は衰えたが、鬼の娘が来てからは、またその身に戻っていた。
「今日、来るの……そう、今日来るんだ」
「誰が来る?」
頭領が、言った。
「……火羅さん」
姫様は、ぽつりと、真紅の妖狼の名を口にした。
あやかし姫と、その育ての親たる妖達が住まう場所。
さて、姫様の周りから、妖達がごっそりといなくなる時が、年に一度ある。
彼岸――
春分、秋分、そのどちらか。
一族が集い集まり、祭事を行う。ただ、宴を催すだけのところも多いのだが。
去年は春であった。
妖達の彼岸は一年ごとに季を移す。毎年二回は遠方の者がしんどいと。
そういうわけで――今年の彼らの彼岸は、秋であった。
「で、どうすんの」
「さあて……」
秋風がそよいでいた。
既に夏は過ぎた。
古寺の居間で妖達が頭をつき合わせている。
一段高くなった場所で、頭領が肘をつき顎を支えていた。
向かい合う形で座る姫様。
珍しく少女は一人であった――否。少女の周りに、人の姿はなかった。
いつもなら、三妖が側にいるのに。葉子も太郎も黒之助も、頭領の隣。
かわりに、古寺の最も古き住人達、古道具が成った付喪神が姫様の周りにいた。
日は高く昇り、白雲を揺らせている。
それでも、肌に感じるのは、暑さよりも涼しさであった。
「彼岸か……なかなか面倒じゃのう」
頭領が、言った。
「やっぱり、俺残るよ。最近物騒だし」
太郎が、姫様を見ながら言った。
彼岸。これまでは、妖狼が古寺に残っていた。
付喪神と同じく、太郎には行く場所がなかったのだ。
先年までは――
一族の危機を救った金銀妖瞳の妖狼のところにも、今年、誘いはやって来た。
母からの手紙。太郎に直接、というわけではない。
姫様への手紙に、息子に頼んでもらえないかといってきたのだ。
「駄目です」
姫様が、ぴしゃりと言った。
「随分と磨夜さんと会っていないんでしょう? 丁度いい機会ですよ」
母の名はだせど、父の名はなし。
ここで言えば、こじれる――そう、姫様は判断して。
「でも、そうしたら」
「姫様には、おいら達いるー」
「俺もいるー」
「わいもいるー」
「心配ないよー?」
付喪神が、跳びはねながら口々に。
古道具の集まりを見ながら、
「心配だぁね」
そう、銀狐が額を抑えた。
「なにー!」
「……がぁ!」
烏天狗が本性を現し、居間に風を巻き起こした。
途端、付喪神達は、乱れる髪を押さえる姫様の後ろに隠れると、「クロさん怖いー」と言い募る。
葉子が、本当に頼りない妖達に、溜息と共に薄く狐火を吐いた。
「えっと……そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。羽矢風さんも」
「あやつは、早々と出雲に行ってもうた」
「……黒之丞さん」
「黒之丞は……白蝉殿の方を」
「う、うーん……そうだ、私には白刃が」
姫様の式神。
勇猛で忠実な、白い狼。
「姫様、今、白刃だして」
葉子が、言った。姫様は、ぱちぱちと目を動かした。
「え、今?」
「今さね」
少し、顔を背けた。
それから、さらさらと右手の平に指で字を描いた。
薄く光る、「狼」の文字。
ぽんと煙が起こる。
黒之助が風で煙を運ぶと、白い狼の姿が現れた。
頭領が、葉子が、黒之助が、妖達が、はぁと落胆した。
姫様が、真っ赤に染まる。耳たぶまで、赤く染まる。
「こっちこい」
「きゃう!」
太郎が言うと、「子狼」は嬉しそうに吠え、とことこと妖狼に近づいていった。
「……あれで、何が守れる?」
「え、えーっと……こ、子狸よりは強いですよ?」
「……そのちっこいの、子狸と引き分けたんじゃあないの?」
「うううう……」
姫様は……式神を意のままに操るというところまでいってはいなかった。
自在に喚び出せるようにはなったのだが、形と力が酷く不安定なのだ。
「儂が、のう……うーむ、『あれ』はきつく止められたし」
「……頭領、『あれ』はやっぱりまずいかと」
「そうなるとのぉ。なかなかに難しい」
「やっぱり俺がさぁ」
「駄目!」
きつく言われ、しょぼんと妖狼はうなだれた。
気落ちするなとでもいうように、子白刃が鼻をすり寄せた。
「でもね、姫様」
さすがに、あたい達が皆いなくなるのは――
太郎もクロちゃんも、強いんだ。あたいだって、それなりにやれる。
頭領は言わずもがなだ。
この四人の誰かが傍にいれば、こんなに心配しなくていいんだ。
前までは、太郎がその役目を担ってた。
でも、今年は……本当に、最近は物騒なんだよと、葉子は思った。
あたいが残ると、葉美がなんて言われるかわかんないし。
頭が、痛いよ。
「やっぱり、『あれ』を喚ぶか」
「頭領、それは……」
「むう……」
頭領と黒之助が『あれ』のやり取りをそそと交わし、銀狐が姫様を心配そうに見ているときであった。
姫様が、急に庭の方に目をやったのは。
それに一息遅れて、皆の目が庭に向いた。
「どうしたんだろう……」
そう、姫様は呟いた。
「はい?」
銀狐が困惑気味に。見えるものも肌に感じるものも何もないのだ。
自分も太郎も黒之助も……表情から察するに恐らく頭領も。
姫様の感覚は、妖達を遙かに凌駕しているものが。
一時その力は衰えたが、鬼の娘が来てからは、またその身に戻っていた。
「今日、来るの……そう、今日来るんだ」
「誰が来る?」
頭領が、言った。
「……火羅さん」
姫様は、ぽつりと、真紅の妖狼の名を口にした。