小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~雪のお宿(8)~

 一通り、火羅に教わったことをやり終えると、身体がぽかと温まってきた。
 ふあぁと、湯煙が昇っていく様を眺める。
 いいところだった。
 まだ、他にも湯はあるという。
 全て、入らなければと心に決める。
「いい湯です」
「だね」
 いつもの姫様なので、ほっと銀狐は安堵した。
 まぁ、確かに、そういえばそうだったんだけどねぇ。
 姫様も女の子だしね。気になるお年頃なんでしょうよ。
 嬉しいけど、ちょっぴり寂しいね。
 こうやって、段々と、あたい達の手を離れていくんだと思うとね。
 そうやって考えることが、多くなっていくことがね。
 何となく、一段落。
 姫様の言葉を合図にさわと会話が始まる。
 白蝉は、姫様と葉子、それに沙羅を除いて初顔合わせであったし、咲夜もまた似たようなもの。
 挨拶から、名前から、次々と話を膨らませていく。
 話の輪の中心になるのは……幼い雪妖の巫女であった。
「雪妖、ですか?」
「うむ、雪妖じゃ! 雪に妖と書いて、雪妖! 儂はその巫女なんじゃぞ!」
「はぁ。巫女さんですか」
「む、お主、儂の凄さがわかっておらんな!」
 白蝉に己の凄さを誇ろうと。
 ほんわりとした白蝉は、にこにこと頷くだけであった。
「雪妖なのに、温泉に浸かっても大丈夫なのですか?」
 咲夜が言った。
 鬼姫が、そういえばそうだねと桐壺に振る。
 振られた桐壺は、首を傾げた。
 鈴が、みゃーんと白月の頭に顎を乗せ、甘えるように喉を鳴らした。
「ぬぬ……そういえば、何だか身体が、」
「え、ちょっと!?」
「は、白月!?」
 白月が――溶けた。
 前のめりになった鈴が、ちゃぽんと音を鳴らした。
 咲夜が、沙羅が、息を呑む。
 桐壺が、白月のいたところに恐る恐る、手を伸ばした。
「は、白月……ど、どうしたの?」
 鈴が、みゃんみゃんと潤んだ瞳を鬼姫に向ける。
「ねぇ、ちょっと……嘘、だよね。そんなの……ないよね」
 桐壺が、顔を水面に浸ける。
 葉子が、え、え、と、周囲を見回した。
「嘘でしょ……」
 もう一度、顔を浸す。
「いない……あの子が、いない」
 鈴が、鬼姫の腕に抱き付いた。
「みゃー! みゃみゃ!」
 鬼姫は、ふーんと、冷ややかであった。
 白蝉は、口を水面の下にし、泡をぷくぷくと吹いていた。 
 姫様は、目を瞑り、気持ちよさそうに壁にもたれ掛かっていた。
「ひ、姫様、白月ちゃんが」
「ああ――そこに、いますよ」
 姫様が指差す方向――ただのお湯だ。
 誰もいない。
 白蝉がこくこくと頷いている。
 鬼姫がすっとそこに泳いでいき、ばしゃん! と、大きな水柱を立てた。
 お湯が、皆に、小雨のように降り注ぐ。
 水柱が消えると、鬼姫が、白月の片足を捕まえ持ち上げていた。
「あーた、たちの悪い冗談はやめなさいよ。鈴や桐壺が心配するでしょうが」
「は、離せ! 離すのじゃ! 血、血が、頭に」
 足首を離す。
 頭から落ちる。
 深さはない。
 ごとんと音がして、浮かび上がった白月が涙目に、
「ばーかばーか!」
 と、鬼姫に言った。
「桐壺、鈴、何度ここに来たと思ってるんだぞ?」
「そういえば……」
「にゃーん」
「姫様わかってた?」
「ええ、まぁ」
「白蝉さんも?」
「泳いでるなぁって」
「違う、泳いだのではないぞ! 身体を溶かしてな、底に潜んでおったのじゃ!」
「しーんーぱーいー、させるな!」
「あはは!」
 桐壺が白月に襲いかかる。
 すっと身体を湯に溶かすと、別の所に現れて。
 いたちごっこがしばし続く。
 それを見ながら、
「す、凄いですねー」
 と、意を決して、沙羅が咲夜に話しかけた。
 甲羅に頭に皿を持つ少女と、獣の耳と尾を持つ少女。
 沙羅は、咲夜なら、話しやすいかなと思ったのだ。
「さすがは、雪妖の巫女様ですね」
「う、うん」
「はぁ、私もまだまだですね。あんなに幼いというのに、あのような力を……もっと精進せねば」
「太郎さんの妹さん、ですよね?」
「はい。北の妖狼の族長が一娘、咲夜と申します」
「族長の娘……え? じゃ、じゃあ、火羅さんと一緒……」
「……一応、そうですね。でも、火羅さんと比べたら、私なんて大したことないし」
「すご……」
 えっと……大妖に、巫女に、かみなり様の女傑に、北の妖狼の姫君に……凄い。
「沙羅さんは河童ですよね」
「う、は、はい」
「じゃあ、すいっと泳げますね。私、あんまし泳げないんですよ」
「そうなの、咲夜ちゃん?」
 姫様が反応した。口元がちょっぴり綻んでいる。
「ええ。犬掻きしか出来ません。って、狼だから、狼掻きですね」
「……」
 くすんと、姫様は葉子の背に隠れた。
 よしよしと、銀狐は、姫様を慰めた。
 

 静かになった。
 誰もいない。
 自分だけだ。最初に出たのは、桐壺と白月。
 暴れ疲れ、うつらうつらし始めた雪妖を、かみなり様は担いで出ていった。
 次が、鬼姫と鈴。
 宗俊に会いたいと言うと、ふらふら言ってしまった。鈴は猫の姿になると、ついていってしまった。
 咲夜が、あに様ーと出ていき、白蝉がいいお湯でしたと出ていき、葉子が付き添い。
 ついに、河童の沙羅が、のぼせたと言ってしまった。
 日が、堕ちる。
 星が、紅の空に、現れ始めた。
 姫様は、顔を浸けると、身を委ねた。
 落ちていく。
 じたばたと手足を動かす。
 水の底。
 ごぼぼぼぼ。
「ぷはぁ!」
 泳ぎの練習、の、つもり。
 もう一度やってみる。
 まず、浮かない。気がついたら、水の底だ。
 目を開けられないので、肌で感じるしかない。
 手足を動かす。
 犬掻き――浮かない。
 息が、続かなくなる。
「ごふっ、ごふっ」
 ぱちりと目が合う。 
 あわわと驚く、朱桜。戸を開け布で身体を隠しながら、そこにいた。
「だ、大丈夫なのですか! お、溺れていたのですよ! びっくりしたのですよ!」
「お、溺れ……お、おぼ、溺れ?」
 泳ぎの練習のつもりだったんだけどな……
「……今から?」
「はいです。叔父上に、一浴びしてきなさいと」
「そう……」
 姫様、とりあえず悠然と構えようと。
 溺れていたという言葉が、酷く引っ掛かるが。
「皆、出ちゃったですね」
「うん。今は、私と朱桜ちゃんだけだね」
 姫様が湯から出る。
 惜しげなく……気兼ねなく、みずみずしく白い裸身を幼子の前に晒した。
「彩花さまも出るですか……そうですね、大分時間経っちゃいましたし」
 しょんぼりとなる。二人でも、ここは広い。
 一人だと、寂しい。
「違う違う。さ、こっちに来て」
「?」
「はい、座る」
「はいです」
「髪の毛と背中、洗ってあげるね」
 きらきらした瞳に、姫様は同じだと思った。 


「やまめさんはお疲れなだけでした」
「気の病、かな」
「しいて言うなら……彩花さま、わかってたですか?」
「さあ、どうだろう」
「意地悪さんなのです……」
「ふふ」
 広ーいお風呂を二人占め。
 朱桜の肌はもう紅潮し始めている。
 姫様は、涼しい顔をしていた。
 紅が去り行き、闇が訪れつつあった。
「大変なのですよ。何度も、念を押されたです。でも、逆に困るですよ。それを表に出すと、やまめさん、悲しそうにするし」
「あれが、茨木童子様の想い人かぁ」
「嫌いじゃないです。好きでもないです。まだ、どっちでもないのです」
「好き、に、ちょっと傾いてる?」
「……そうともいうです。一生懸命な人でした」
 頬を突っつく。
 ふわと、口を開けた。
「叔父上は、大変なのですよ。西の鬼の王の弟だから……そして、私が、西の鬼の王の娘だから、こんな、ややこしいことになってるです」
「嫌そうだね」
「嫌です」
 はっきりと、朱桜は言い切った。
 今度は、姫様がぽかんと口を開ける番だった。
「面倒なのですよ。色々な方と会うのも。それに……会いたい人と、自由に会えないのです。好きなときに彩花さまに会いたいです。黒之助さんや咲夜ちゃんと会いたいです。白月ちゃんや光君と会いたいです。でも、出来ないです。だから、嫌なのです。でも……」
「でも?」
「父上の娘として生まれて、良かったのです。大好きな父上と、大好きな母上の子として生まれなければ、彩花さまとも、皆々様とも、会うことは出来ませんでした」
「うん、うん」
「やまめさんと叔父上が、結婚して……け、結婚ですよー」
「け、結婚ですかー」
 それまで、涼しい表情を浮かべていた姫様が、ついに、朱桜と同じ色を成した。
「け、結婚って、結婚ですか?」
「け、結婚だから、結婚じゃない?」
 うわぁ。
 ということは、やまめさんが叔母上になるですか。
 あれ、伯母上? 叔母上? どっちですか?
 はぁ。私もいつか……はわわ、光君と黒之助さんが……はわわ。
 光君は、私を助けようとしてくれたです。
 黒之助さんは、色々と、親身になってくれたのです。
 光君は、同い年ぐらいでー、黒之助さんは、渋い大人さんでー。
 どっちも、好き……
「そ、それは……いけないことなのですよ」
 わ、私は……あう。
「あう」
 赤みが、引いていく。
 姫様は、自分を落ち着かせるために顔を一洗いすると、はぁと溜息をついた。
「うう、そして、叔父上とやまめさんの間にお子さんが出来たら……私は、いらなくなるですね」
「……どういうことなの?」
 はっと姫様を見やる。
 冷たい視線に、耐えられず、顔を伏せた。
「だって……私、弱いです」
「それは……」
「額に生やすは、小さな角。変化も出来ない、哀れな姫、だそうですよ。普通は、出来るのですよ、もう。白月ちゃんみたいに」
「ひ……光君も、変化は出来ないみたいだけど」
 火羅、と言いそうになり、慌てて、名を、変える。
 幸いにも、朱桜は先に告げようとした名に気づかぬようであった。
「光君も、衣は、作れるようになったです。私は、駄目なのですよ」
「朱桜ちゃんは、思慮深い、立派な鬼さんになると思うけどな」
「……鬼の姿をとれぬ私は、鬼ではありません」
 言葉に詰まる。
 鬼の姿――
 朱桜の鬼の姿を、見たことがなかった。
 いつも、人の、女童の形だ。
「努力は、しているのですが……もしかしたら、私にはないのかもしれませんね」
「それでも……朱桜ちゃんは、朱桜ちゃんだよ」
「そう言ってもらえると、嬉しいのですよ。彩花さまに言ってもらえると、とっても嬉しいのですよ」
「……難しいね」
「難しいのですよ」
 小さな身体に、ひしと重みを感じているのだろう。
 それから、朱桜は、鞍馬山の大天狗や、源頼光と会ったと言った。
 面倒だと言っていたが、その顔は誇らしげであった。



「うは……くらっくらっ、するです」
「のぼせちゃったね」
「え、姫様、今出たの?」
「はい」
 用意されていた浴衣を着ると、葉子が顔を出した。
「長! あたいは、姫様溺れてんじゃないかと心配になって」
「あう、そういえば、彩花さ、むぎゅ」
「何でもないですよー。あははは」
 朱桜の口を押さえる。
 葉子は、額を押さえると、夕食の準備できてるよーと言った。
「夕ご飯だって。どんなのかな?」
「もごもごもご」
「あ、ごめんごめん」
 夕餉の間に入る。
 太郎の隣に咲夜がいた。楽しそうに話をしていた。
 少し姫様は苛っとした。
 白月が、ここじゃと朱桜の手を引いて、座らせる。
 姫様は、葉子の隣に、腰を降ろした。
 茨木童子とやまめは、姿を見せなかった。