あやかし姫~姫と火羅(11)~
「黒之丞……ありがとな」
金銀妖瞳の妖狼が、油断なく玉藻御前を見据えながら、化け蜘蛛に言った。
「むぅ……しかし、どうしたものだろうな」
玉藻は、九尾を、扇の骨のように広げた。金の尾の一つに、青白い炎が灯った。
九つの尾全てに火が宿ったとき、多分、恐ろしいことになる。そう、感じた。頭ではわかっていても、妨げる手段が、黒之丞には思い浮かばなかった。
「黒之助、何か策は?」
「そういうのは、お前の仕事ではないか」
「ない」
即座に答える。
黒之丞は、半人半妖の姿である。
背中から、四本の蟲の腕が伸びていた。肌が、玉のようにきらりと光っていた。
脱皮したてなのだ。皮を脱ぐことで、玉藻の尾から逃れたのだ。
「太郎殿は?」
黒之助は、一応、太郎に尋ねた。
「喧嘩に、策なんていらねえよ。小難しいことはいらねぇ。ただ、ぶっとばすだけだ。あいつは……姫様を、悲しませやがった。火羅は、友人になった。姫様の本当の友人になった。葉子は……姫様の母親なんだぞ。どれだけ姫様が悲しんだかよ。気丈に振る舞っても……そんなの、わかっちまうんだ」
「……そうだな」
黒之助は姫様に対する太郎との微妙な気持ちの差異を感じ取っていた。今は、考えないようにするべきだと思った。後で、問いただせばいい。
姫様と金銀妖瞳の妖狼。昔から、仲は良かった。
太郎と黒之助の妖気が再び強まるのを、黒之丞は不思議そうに眺めた。
彩花という娘にも、火羅という妖狼にも、それほど思い入れはない。
だから、置き換えてみた。
白蝉が、そのような目に遭わされたら……実際に遭わした者を、自分はどうしたか。
叩き潰した。
黒之丞がまた大蜘蛛の形をとる。玉藻御前と真正面から向かい合う。躯が一回り小さくなっている。
今、五つの尾に火が宿っていた。
金の尾が燃え、あとは四本の銀の尾。
太郎と黒之助も、動き出していた。
しゅぅと、蜘蛛が糸を吐く。吐いた糸を、大妖は払おうともしなかった。
糸は、玉尾の身体に触れることなく、燃え尽きていった。
埒があかぬと蜘蛛の脚が動いたとき、大妖が腕を動かした。
ばらと、大蜘蛛の脚が吹き飛んだ。宙高く舞い、森に落ち、木々を倒した。
右の四肢を失った大蜘蛛が、体液で濡れた躰を崩す。
虫にとどめを刺そうかとゆっくりと動いた玉藻御前の背中に、黒之助が飛び乗った。むんと錫杖を突き立てる。
刺さったと思えた。黒之助は、錫杖に雷を落とそうとし、術の準備に入った。それは一瞬のことで、一筋のひびが柄に入ると、粉々に砕け散った。
甲高い声をあげ、雷を招こうとしていた鴉天狗を、首を曲げ、憐れむように玉藻御前は見やった。憐れみ、そして、蔑んでいた。かぱりと口を開き、火を吐いた。
腕を交差し、羽で全身を守る。容赦なく、火が襲う。
燃え、落ちる。
あと、一人――
そう思ったとき、頬を張られ、顔を背けた。
やっと、ようやっと、金銀妖瞳の妖狼が玉藻に届いた。
女が指差して笑った。膝の上に火羅の頭を乗せ、赤髪を撫でながら。
火羅の衣は、右肩から左の腹部にかけて破れていた。衣服の役目を、ほとんど為していない。そのぼろを纏った肌の腐れが、小さくなっていた。
七本の尾が、火で飾られている。
玉尾は、しばらく、顔を背けたまま固まっていた。
大きな遠吠えをあげた妖狼を、黒之助と黒之丞はしっかりと見ていた。
鴉が嬉しそうに煤けた羽を動かし、蜘蛛がかさかさと残りの四本の脚を動かした。
姿が、変わる。
黒之助が、半人半妖の姿になる。
黒之丞が、半人半妖の姿になる。
太郎もまた、半人半妖の姿になった。
三人は、妖の姿を保てなくなったのだ。人と妖が混じった形になった。巨大な白面の獣が、膨大な妖気を周囲に発したが故に。
かって――茨木童子は、東の鬼と対峙していた雪妖と土地神を、全て昏倒させてみせた。
西の鬼の王の弟である茨木童子は、巨大な妖気を発する術をもって、大妖となった。鵺に敗れ、大妖の座を失っても尚、そのような芸当が出来た。
では、大妖の玉座に座する玉藻御前がそれを行うと――
おぉんと、地面が悲鳴をあげ、一段低くなった。妖気が圧し、地形を変えた。
樹齢数百年の木が、玉藻から逃れるように膨らみながら曲がっていく。
太郎も、黒之助も、黒之丞も、身動きとれず、地面に押しつけられていく。妖気に、押し潰されていく。悲鳴を漏らさないのは、それぞれの矜持の為せる業であろうか。
左手と左足と左脚を失った半人半妖の黒之丞。
全身に火傷を負った半人半妖の黒之助。
身体に傷はないが、最も近くで膨らんだ妖気を受けた半人半妖の太郎。
女と火羅は、球の形をした光に覆われていた。女は、それ以上、なにも出来ないようであった。
妖気が鎮まったとき、三人とも動けなくなっていた。
尾の火は八つ。
最後の一本が、灯とうとしていた。
「終わりに、しましょう」
女が、参ったと言うように諸手を上げると、火羅の身体を抱き寄せた。
「ふむ……どうやら、今の妾では無理であったらしい。すまんのぉ。まだ、そなたを可愛がり足りないんじゃが……」
火羅の傷に、自分の傷を押し当てる。
「許して、くれや」
光――
一陣の光が、玉藻御前の胸に吸い込まれていく。
青白い光であった。
まるで、流れ星のようであった。
静寂、そして、爆発。
玉藻御前の九尾に宿った火が、消える。そればかりか、その巨体が消える。
玉藻は、片膝で地面に手をつき、肩で息をしていた。
半人半妖の姿になっていた。
その玉尾の前に、立ち塞がる妙齢の女の姿。
銀色の九尾を揺らし、銀色の耳を立て。
妖狐の、女。
玉尾が、吠えた。
女の名を、叫んだ。
「葉子ぉぉぉぉぉぉ!!!」
古寺の三妖。姫様を育てた人に変じられる三匹の妖。
妖狼。
鴉天狗。
そして、九尾の銀狐。
「あたいは……姫様の、母親さよ」
吹っ切れたような、銀狐の瞳。
迷いを断ち切った、強い眼差し。
葉子は、気持ちの深いところで、弱気の虫を抱いていた。犬神と争ったときも、それが顔を覗かせ、黒之助と太郎に叱咤された。
それが、今、綺麗になくなっていた。
「お前、お前……この私に、逆らうのか! 一族の長であるこの私に!」
「娘の思いを叶えようとするのは、そんなにいけないことなんでしょうかね、玉藻御前様?」
「どいつもこいつも! 馬鹿ばかりだ!」
「火羅には、指一本触れさせない! あたいが、させない! いくら玉藻御前様でも、姫様を傷つけることは許しちゃいけなかったんだ!」
大妖の力は衰えていた。
二つの大きな術を行使し、無尽蔵とも思えた妖気にも、陰りが見え始めていた。真の姿を解きもした。
それでもと、女は思った。
それほどあの狐は保たないなと。
二人の妖狐が争いを始める。狐火のぶつかりあいから、肉体のぶつかり合いになる。葉子の蹴りを片腕で受け止め、足首を持って投げに転じる。見事に着地してみせたが、玉尾はもう次の攻めに移っていた。首を曲げ、爪を避ける。前髪を何本か、そして、額の皮を切られた。お返しと葉子の伸ばした爪は、玉尾の口にくわえられ、その牙でへし折られた。
拳を固め、葉子の顔を撲つ。口から、血と、折れた牙が吐き出される。
何とか踏み止まり、葉子も拳を固めたが、それは、虚しく空を切った。
頭を低くし葉子の拳を避け、円を描くように躰を水平に廻す。玉藻の踵が、葉子の腹に叩きつけられる。地面に膝をついたが、すぐに葉子は立ち上がった。
「なぁ、どうするよ?」
女の後ろに、少女が立っていた。女と、同じ顔をしていた。
目が赤く光り、瞳が細かった。
口を開くと先が双つに別れた舌が覗いた。
「どうするよ、おい?」
地面に叩きつけると、うつ伏せになった葉子の背を足で押さえ、尾を一本握り締める。青筋を顔に浮かび上がらせながら力を込める。
玉藻御前が、銀色の尾を引きちぎった。
姫様が、気持ちがいいと頭を委ねた銀の尾。光や白月が、布団がわりにくるまれていた銀の尾。
手足が硬直する。
尾を投げ捨て背中から離れ、両腕を広げ葉子の様子を窺う。
叫びを噛み殺しながら、八尾になった妖狐は、それでも玉尾御前に立ち向かっていった。
金銀妖瞳の妖狼が、油断なく玉藻御前を見据えながら、化け蜘蛛に言った。
「むぅ……しかし、どうしたものだろうな」
玉藻は、九尾を、扇の骨のように広げた。金の尾の一つに、青白い炎が灯った。
九つの尾全てに火が宿ったとき、多分、恐ろしいことになる。そう、感じた。頭ではわかっていても、妨げる手段が、黒之丞には思い浮かばなかった。
「黒之助、何か策は?」
「そういうのは、お前の仕事ではないか」
「ない」
即座に答える。
黒之丞は、半人半妖の姿である。
背中から、四本の蟲の腕が伸びていた。肌が、玉のようにきらりと光っていた。
脱皮したてなのだ。皮を脱ぐことで、玉藻の尾から逃れたのだ。
「太郎殿は?」
黒之助は、一応、太郎に尋ねた。
「喧嘩に、策なんていらねえよ。小難しいことはいらねぇ。ただ、ぶっとばすだけだ。あいつは……姫様を、悲しませやがった。火羅は、友人になった。姫様の本当の友人になった。葉子は……姫様の母親なんだぞ。どれだけ姫様が悲しんだかよ。気丈に振る舞っても……そんなの、わかっちまうんだ」
「……そうだな」
黒之助は姫様に対する太郎との微妙な気持ちの差異を感じ取っていた。今は、考えないようにするべきだと思った。後で、問いただせばいい。
姫様と金銀妖瞳の妖狼。昔から、仲は良かった。
太郎と黒之助の妖気が再び強まるのを、黒之丞は不思議そうに眺めた。
彩花という娘にも、火羅という妖狼にも、それほど思い入れはない。
だから、置き換えてみた。
白蝉が、そのような目に遭わされたら……実際に遭わした者を、自分はどうしたか。
叩き潰した。
黒之丞がまた大蜘蛛の形をとる。玉藻御前と真正面から向かい合う。躯が一回り小さくなっている。
今、五つの尾に火が宿っていた。
金の尾が燃え、あとは四本の銀の尾。
太郎と黒之助も、動き出していた。
しゅぅと、蜘蛛が糸を吐く。吐いた糸を、大妖は払おうともしなかった。
糸は、玉尾の身体に触れることなく、燃え尽きていった。
埒があかぬと蜘蛛の脚が動いたとき、大妖が腕を動かした。
ばらと、大蜘蛛の脚が吹き飛んだ。宙高く舞い、森に落ち、木々を倒した。
右の四肢を失った大蜘蛛が、体液で濡れた躰を崩す。
虫にとどめを刺そうかとゆっくりと動いた玉藻御前の背中に、黒之助が飛び乗った。むんと錫杖を突き立てる。
刺さったと思えた。黒之助は、錫杖に雷を落とそうとし、術の準備に入った。それは一瞬のことで、一筋のひびが柄に入ると、粉々に砕け散った。
甲高い声をあげ、雷を招こうとしていた鴉天狗を、首を曲げ、憐れむように玉藻御前は見やった。憐れみ、そして、蔑んでいた。かぱりと口を開き、火を吐いた。
腕を交差し、羽で全身を守る。容赦なく、火が襲う。
燃え、落ちる。
あと、一人――
そう思ったとき、頬を張られ、顔を背けた。
やっと、ようやっと、金銀妖瞳の妖狼が玉藻に届いた。
女が指差して笑った。膝の上に火羅の頭を乗せ、赤髪を撫でながら。
火羅の衣は、右肩から左の腹部にかけて破れていた。衣服の役目を、ほとんど為していない。そのぼろを纏った肌の腐れが、小さくなっていた。
七本の尾が、火で飾られている。
玉尾は、しばらく、顔を背けたまま固まっていた。
大きな遠吠えをあげた妖狼を、黒之助と黒之丞はしっかりと見ていた。
鴉が嬉しそうに煤けた羽を動かし、蜘蛛がかさかさと残りの四本の脚を動かした。
姿が、変わる。
黒之助が、半人半妖の姿になる。
黒之丞が、半人半妖の姿になる。
太郎もまた、半人半妖の姿になった。
三人は、妖の姿を保てなくなったのだ。人と妖が混じった形になった。巨大な白面の獣が、膨大な妖気を周囲に発したが故に。
かって――茨木童子は、東の鬼と対峙していた雪妖と土地神を、全て昏倒させてみせた。
西の鬼の王の弟である茨木童子は、巨大な妖気を発する術をもって、大妖となった。鵺に敗れ、大妖の座を失っても尚、そのような芸当が出来た。
では、大妖の玉座に座する玉藻御前がそれを行うと――
おぉんと、地面が悲鳴をあげ、一段低くなった。妖気が圧し、地形を変えた。
樹齢数百年の木が、玉藻から逃れるように膨らみながら曲がっていく。
太郎も、黒之助も、黒之丞も、身動きとれず、地面に押しつけられていく。妖気に、押し潰されていく。悲鳴を漏らさないのは、それぞれの矜持の為せる業であろうか。
左手と左足と左脚を失った半人半妖の黒之丞。
全身に火傷を負った半人半妖の黒之助。
身体に傷はないが、最も近くで膨らんだ妖気を受けた半人半妖の太郎。
女と火羅は、球の形をした光に覆われていた。女は、それ以上、なにも出来ないようであった。
妖気が鎮まったとき、三人とも動けなくなっていた。
尾の火は八つ。
最後の一本が、灯とうとしていた。
「終わりに、しましょう」
女が、参ったと言うように諸手を上げると、火羅の身体を抱き寄せた。
「ふむ……どうやら、今の妾では無理であったらしい。すまんのぉ。まだ、そなたを可愛がり足りないんじゃが……」
火羅の傷に、自分の傷を押し当てる。
「許して、くれや」
光――
一陣の光が、玉藻御前の胸に吸い込まれていく。
青白い光であった。
まるで、流れ星のようであった。
静寂、そして、爆発。
玉藻御前の九尾に宿った火が、消える。そればかりか、その巨体が消える。
玉藻は、片膝で地面に手をつき、肩で息をしていた。
半人半妖の姿になっていた。
その玉尾の前に、立ち塞がる妙齢の女の姿。
銀色の九尾を揺らし、銀色の耳を立て。
妖狐の、女。
玉尾が、吠えた。
女の名を、叫んだ。
「葉子ぉぉぉぉぉぉ!!!」
古寺の三妖。姫様を育てた人に変じられる三匹の妖。
妖狼。
鴉天狗。
そして、九尾の銀狐。
「あたいは……姫様の、母親さよ」
吹っ切れたような、銀狐の瞳。
迷いを断ち切った、強い眼差し。
葉子は、気持ちの深いところで、弱気の虫を抱いていた。犬神と争ったときも、それが顔を覗かせ、黒之助と太郎に叱咤された。
それが、今、綺麗になくなっていた。
「お前、お前……この私に、逆らうのか! 一族の長であるこの私に!」
「娘の思いを叶えようとするのは、そんなにいけないことなんでしょうかね、玉藻御前様?」
「どいつもこいつも! 馬鹿ばかりだ!」
「火羅には、指一本触れさせない! あたいが、させない! いくら玉藻御前様でも、姫様を傷つけることは許しちゃいけなかったんだ!」
大妖の力は衰えていた。
二つの大きな術を行使し、無尽蔵とも思えた妖気にも、陰りが見え始めていた。真の姿を解きもした。
それでもと、女は思った。
それほどあの狐は保たないなと。
二人の妖狐が争いを始める。狐火のぶつかりあいから、肉体のぶつかり合いになる。葉子の蹴りを片腕で受け止め、足首を持って投げに転じる。見事に着地してみせたが、玉尾はもう次の攻めに移っていた。首を曲げ、爪を避ける。前髪を何本か、そして、額の皮を切られた。お返しと葉子の伸ばした爪は、玉尾の口にくわえられ、その牙でへし折られた。
拳を固め、葉子の顔を撲つ。口から、血と、折れた牙が吐き出される。
何とか踏み止まり、葉子も拳を固めたが、それは、虚しく空を切った。
頭を低くし葉子の拳を避け、円を描くように躰を水平に廻す。玉藻の踵が、葉子の腹に叩きつけられる。地面に膝をついたが、すぐに葉子は立ち上がった。
「なぁ、どうするよ?」
女の後ろに、少女が立っていた。女と、同じ顔をしていた。
目が赤く光り、瞳が細かった。
口を開くと先が双つに別れた舌が覗いた。
「どうするよ、おい?」
地面に叩きつけると、うつ伏せになった葉子の背を足で押さえ、尾を一本握り締める。青筋を顔に浮かび上がらせながら力を込める。
玉藻御前が、銀色の尾を引きちぎった。
姫様が、気持ちがいいと頭を委ねた銀の尾。光や白月が、布団がわりにくるまれていた銀の尾。
手足が硬直する。
尾を投げ捨て背中から離れ、両腕を広げ葉子の様子を窺う。
叫びを噛み殺しながら、八尾になった妖狐は、それでも玉尾御前に立ち向かっていった。