あやかし姫~姫と火羅(12)~
「どれだけ、お前に目をかけてきた!
ああ!
思い出せ! 思い出すんだ! 忘れたとは言わせない!
お前に闘い方を教えたのは誰だ! お前の術は、狐火の吐き方も変化の仕方も、誰が教えた!
この私だ!
葉美にも、木助にも、教えはしなかった! お前にだけは、私が自ら教えたんだ!
あの二人を育てるよう言ったのは誰だ!? 私だ! 全て、私だ!
お前のためを思って、やったんだ!
どうしてお前はいつもそうなんだ!
いつもいつも、私の期待を裏切る!
私がお前のためにと選んだのに、一緒にならなかった!
葉美に遠慮するなど! お前は木助に自分を選べと言うべきだったんだ! 何故だ!? お前は、選ばれるべき妖だったんだ!
一族を離れると言ってきたとき、私がどれだけ失望したかわかるか!?
それでも私は送り出してやったんだ!
いつか帰ってくるだろうとずっと待っていてやったのに、いつでも帰れるようにと門戸を開いてやったのに、帰ったら肩身の狭い思いをしないようにと取り計らってやったのに、結局帰ってこなかった!
人の娘にうつつをぬかし、挙げ句の果てがこの様か!」
左腕が、あらぬ方向に曲がっていた。右足が、捻れていた。
銀毛の尾が、幾つも転がっていた。
殴られ続け、顔は腫れ、膨らんでいた。
馬乗りになっていた玉藻が、拳を振り下ろすのを止める。
葉子の右腕が、頬に触れたのだ。
撫でるような仕草だった。倍に膨れ上がったまぶたの下に灯された光は、まだ、消えていなかった。
「あたいは……玉藻御前様には……なれな、い……」
ひゅーと、折れた牙の間から漏れる掠れ息と共に、そんな音が、玉藻の耳に届いた。
力無く腕が垂れる。もう一度、腕を上げようとする。それが、葉子の、せめてもの抵抗だった。
玉藻は、躯を震わせ、耳元まで裂けた口から大量の狐火を発した。
葉子の身体から、狐火が出なくなったのは、いつからだろうか。
物言わず、葉子の右腕を砕く。指がへし折れ、腕の骨も筋もずたずたになった。
尾――六本目だった。
投げ捨てた。
「これが、答えなの……これが、貴方の答えなの……これが、これが、私の、長い年月の……この馬鹿が! 道を誤って誤って誤り続けて!」
誤ったのだろうかと、葉子は思った。
誤っては、いないはずだ。
躰の内側が、毀れ始めている。嫌な音が、聞こえる。
もう、痛みは感じなかった。
ただ、悲鳴が聞こえるだけだ。
七本目の尾が、躰から離れた。その時だけは、はっきりと痛みを感じた。
「……死ぬぞ、あの狐は? よいのか? この妖狼も大事だが、あの妖狐も大事なのだろう?」
「……」
女は、朧気で希薄な、蛇の眼をした少女に話しかけていた。
口元に、心底愉快そうな笑みが浮かんでいる。
少女は、辛そうな佇まいであった。
そこにいるだけで、苦しい。そんな様子であった。
「妾を抑えるために、どれだけ力を使ってきた? あの娘の中に紛れてよぉ。この者の従者の時も、あの妖虎達を嬲って喰らってやったときも、くつ……選択肢は、ある。お前が出てきたということは、その選択をするということだろう?」
「私は……」
少女が、口を開いた。姫様の声だ――が、どこか、潤いが欠けていた。
その声には、恐ろしく老成したものが混じっていた。
「さぁ、どうするのだ? 妾の毒が癒えるよりも先に、あの狐は命を落とすぞ?」
「……う、うう……貴様……」
「さぁ、さぁ、さぁ。見よ、あの妖狐は、玉藻があと一押しするだけで逝ってしまうぞ? そうなれば……くつ、くつ、わかるだろう? 火を見るよりも明らかだろう? 玉藻がここに来て、あの男がいなかった時点で、こうなることは決まっていたのだ。大人しく、妾に喰われろ。喰われて、糧になれ」
「う、うう、ううう……」
「ああ、もう、駄目だな」
――致し方、なし。
「であろうや」
はぁ――
はぁ――
息が、弾む。銀狐の瞳の色が消えていた。玉藻は、八本目の尾を引きちぎりやった。
「……何て事……何て事なのよ。
貴方は気づいていたんでしょう? 頭のいい貴方だもの。私が、どういう思いで、長年貴方を見てきたか。これが、その結末なの? これが、終いなの?
本当に……本当に、期待外れもいいところだわ。
葉子は、そうなのね。小さいままで、終わってしまうんだね。
何、これは。
お前は、私が教えたあのときから、ほとんど変わっていない。いや、力は落ちていると言っていいわ。
私が教えた技で、どうやって勝てるのよ。私が教えたよりも、劣った技で。
私は、火龍をも倒して、もっともっと力は高めていたのよ。技も、磨いてきたのよ。
なのに、唯一の教え子であるお前が、お前が……どうして、どうしてなのよ。
もう、いいわ。もう、いい。
葉子。
死になさい。私の手で、死になさい。
私の期待を裏切ったお前には、それが、一番ふさわしいでしょう」
「だそうだよ。決まったな。
さぁ……妾と、溶け合おうぞ。
なぁに、これも運命というものさ。あの男が、お前をこの娘に潜り込ませたのも、結局は妾の糧となるためだったのだよ」
少女の身体が、溶ける。闇に、溶け込んでゆく。無数の黒く蠢くものに変わっていく。
人の形が消えるその間際まで、少女は心苦しそうな表情を浮かべていた。
ひらひらと、飛んでいる。
女の身体に、吸い込まれていく。
それは、蝶であった。
羽に月を宿す蝶であった。
月光蝶であった。
少女は、無数の月光蝶に変じ、そして、次々と女の身体に飛び込んでいった。
女の身体も変じていた。女の右半身が、揺らいでいた。闇に、変わっていた。
深い、闇だった。深淵の闇だ。そこに、光が飛び込んでいく。
鱗粉が、女の姿を浮かび上がらせる。
女の顔が、急速に癒えていく。火羅に微笑むと、大きな声で哄笑しながら立ち上がった。
もう、あの妖しい、女の顔だ。火羅を誘った、あの女の顔だ。
くるりと舞うように廻ると、葉子に止めを刺そうとしていた大妖と向き合った。
女の右目が、蛇の眼に変わっていた。
真っ赤な色をしていた。
ああ!
思い出せ! 思い出すんだ! 忘れたとは言わせない!
お前に闘い方を教えたのは誰だ! お前の術は、狐火の吐き方も変化の仕方も、誰が教えた!
この私だ!
葉美にも、木助にも、教えはしなかった! お前にだけは、私が自ら教えたんだ!
あの二人を育てるよう言ったのは誰だ!? 私だ! 全て、私だ!
お前のためを思って、やったんだ!
どうしてお前はいつもそうなんだ!
いつもいつも、私の期待を裏切る!
私がお前のためにと選んだのに、一緒にならなかった!
葉美に遠慮するなど! お前は木助に自分を選べと言うべきだったんだ! 何故だ!? お前は、選ばれるべき妖だったんだ!
一族を離れると言ってきたとき、私がどれだけ失望したかわかるか!?
それでも私は送り出してやったんだ!
いつか帰ってくるだろうとずっと待っていてやったのに、いつでも帰れるようにと門戸を開いてやったのに、帰ったら肩身の狭い思いをしないようにと取り計らってやったのに、結局帰ってこなかった!
人の娘にうつつをぬかし、挙げ句の果てがこの様か!」
左腕が、あらぬ方向に曲がっていた。右足が、捻れていた。
銀毛の尾が、幾つも転がっていた。
殴られ続け、顔は腫れ、膨らんでいた。
馬乗りになっていた玉藻が、拳を振り下ろすのを止める。
葉子の右腕が、頬に触れたのだ。
撫でるような仕草だった。倍に膨れ上がったまぶたの下に灯された光は、まだ、消えていなかった。
「あたいは……玉藻御前様には……なれな、い……」
ひゅーと、折れた牙の間から漏れる掠れ息と共に、そんな音が、玉藻の耳に届いた。
力無く腕が垂れる。もう一度、腕を上げようとする。それが、葉子の、せめてもの抵抗だった。
玉藻は、躯を震わせ、耳元まで裂けた口から大量の狐火を発した。
葉子の身体から、狐火が出なくなったのは、いつからだろうか。
物言わず、葉子の右腕を砕く。指がへし折れ、腕の骨も筋もずたずたになった。
尾――六本目だった。
投げ捨てた。
「これが、答えなの……これが、貴方の答えなの……これが、これが、私の、長い年月の……この馬鹿が! 道を誤って誤って誤り続けて!」
誤ったのだろうかと、葉子は思った。
誤っては、いないはずだ。
躰の内側が、毀れ始めている。嫌な音が、聞こえる。
もう、痛みは感じなかった。
ただ、悲鳴が聞こえるだけだ。
七本目の尾が、躰から離れた。その時だけは、はっきりと痛みを感じた。
「……死ぬぞ、あの狐は? よいのか? この妖狼も大事だが、あの妖狐も大事なのだろう?」
「……」
女は、朧気で希薄な、蛇の眼をした少女に話しかけていた。
口元に、心底愉快そうな笑みが浮かんでいる。
少女は、辛そうな佇まいであった。
そこにいるだけで、苦しい。そんな様子であった。
「妾を抑えるために、どれだけ力を使ってきた? あの娘の中に紛れてよぉ。この者の従者の時も、あの妖虎達を嬲って喰らってやったときも、くつ……選択肢は、ある。お前が出てきたということは、その選択をするということだろう?」
「私は……」
少女が、口を開いた。姫様の声だ――が、どこか、潤いが欠けていた。
その声には、恐ろしく老成したものが混じっていた。
「さぁ、どうするのだ? 妾の毒が癒えるよりも先に、あの狐は命を落とすぞ?」
「……う、うう……貴様……」
「さぁ、さぁ、さぁ。見よ、あの妖狐は、玉藻があと一押しするだけで逝ってしまうぞ? そうなれば……くつ、くつ、わかるだろう? 火を見るよりも明らかだろう? 玉藻がここに来て、あの男がいなかった時点で、こうなることは決まっていたのだ。大人しく、妾に喰われろ。喰われて、糧になれ」
「う、うう、ううう……」
「ああ、もう、駄目だな」
――致し方、なし。
「であろうや」
はぁ――
はぁ――
息が、弾む。銀狐の瞳の色が消えていた。玉藻は、八本目の尾を引きちぎりやった。
「……何て事……何て事なのよ。
貴方は気づいていたんでしょう? 頭のいい貴方だもの。私が、どういう思いで、長年貴方を見てきたか。これが、その結末なの? これが、終いなの?
本当に……本当に、期待外れもいいところだわ。
葉子は、そうなのね。小さいままで、終わってしまうんだね。
何、これは。
お前は、私が教えたあのときから、ほとんど変わっていない。いや、力は落ちていると言っていいわ。
私が教えた技で、どうやって勝てるのよ。私が教えたよりも、劣った技で。
私は、火龍をも倒して、もっともっと力は高めていたのよ。技も、磨いてきたのよ。
なのに、唯一の教え子であるお前が、お前が……どうして、どうしてなのよ。
もう、いいわ。もう、いい。
葉子。
死になさい。私の手で、死になさい。
私の期待を裏切ったお前には、それが、一番ふさわしいでしょう」
「だそうだよ。決まったな。
さぁ……妾と、溶け合おうぞ。
なぁに、これも運命というものさ。あの男が、お前をこの娘に潜り込ませたのも、結局は妾の糧となるためだったのだよ」
少女の身体が、溶ける。闇に、溶け込んでゆく。無数の黒く蠢くものに変わっていく。
人の形が消えるその間際まで、少女は心苦しそうな表情を浮かべていた。
ひらひらと、飛んでいる。
女の身体に、吸い込まれていく。
それは、蝶であった。
羽に月を宿す蝶であった。
月光蝶であった。
少女は、無数の月光蝶に変じ、そして、次々と女の身体に飛び込んでいった。
女の身体も変じていた。女の右半身が、揺らいでいた。闇に、変わっていた。
深い、闇だった。深淵の闇だ。そこに、光が飛び込んでいく。
鱗粉が、女の姿を浮かび上がらせる。
女の顔が、急速に癒えていく。火羅に微笑むと、大きな声で哄笑しながら立ち上がった。
もう、あの妖しい、女の顔だ。火羅を誘った、あの女の顔だ。
くるりと舞うように廻ると、葉子に止めを刺そうとしていた大妖と向き合った。
女の右目が、蛇の眼に変わっていた。
真っ赤な色をしていた。