小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~そのお出かけの日(8)~

 朱桜は結界を眼前に、開けて下さいと言った。
 一行が地に降り立ち、門の前に立ったというのに、誰も出てこなかった。
 常ならば、きちんと出迎えてくれるのに。
 古寺に張られた結界は、誰かが内側から招き入れなければ、外部の者を拒み続ける。
 それは、古寺で暮らした経験のある、鬼の姫とて例外ではない。
「開けて下さいです……」
 もう一度、言う。
 か細くあった。下唇が、ちょこんと突き出される。
 朱桜様、という星熊の声も、耳に入らない。
 開けて――
 開け――
「開けろ」
 不意に、童女の声が低くなる。朱桜の目が、大きく開かれた。
 結界が揺れる。
 朱桜の髪も、ざわと揺れていた。
 首を少し傾け、戻し、無言で門をくぐる。
 古寺を覆う結界に、人が通れるほどの穴が空いていた。
 虎熊が、ほぉと感嘆する。
 星熊は、険しい表情を浮かべていた。



「何?」
「何なの?」
 古寺が揺れた。葉子の手が額から離れる。
 火羅は、手の動きを、目で追った。
「ちょっと見てきてな」
 異変。黒之助の結界で覆われたこの場所に、何かが起こったのだ。
「あいよー」
「あーい」
「あいさー」
 葉子の言いつけに応え、小妖達が飛んだり跳ねたりして部屋を出ていく。
 火羅は、離した隻腕を膝の上にやり、思案げに目を閉じると、
「クロちゃんをよんだ方がいいさか? どうなのさか? ……一応、よんでおこうか」
 そう言ってから、懐から折り鶴を取り出し、ふぅっと息をかけた。
 ふわと、折り鶴は庭に飛んでいき、ぱぁっと消え去った。
「感じとれなかったよ」
「私もです」
 お互いに苦笑する。わかっていたことだが、苦笑するしかなかった。
 人と変わらない。
 その程度の力しか、残っていない。
「葉子さーん」
 見に行かせた小妖達が、急いで帰ってくる。
「どうだった?」
 火羅が、身構えた。
 葉子は、余裕があった。黒之助が苦心して張った結界なのだ。
 そう簡単に壊れるものではない。
「朱桜ちゃんが来てるー」
「るー」
「るるー、玄関にいるよー」
「……はぁ?」
「朱桜……鬼の王の娘」
「えっとね、知らない鬼さんと一緒ー」
「朱桜ちゃんが、ねぇ。そうか、朱桜ちゃんが。急な来訪たぁ、珍しいさよ」
 過保護な保護者に囲まれている鬼の娘は、簡単に出歩くことが出来ない。
 必ず、保護者がついてくる。大妖か、その弟か。知らない鬼とは誰なのだろうか。
 とにかく、朱桜だ。お出迎えしないと。
 そう、葉子は思った。
 火羅――火羅は。
「私は、部屋に居た方が」
 嫌っていた。
 火羅は、そのことを知っている。
 葉子も、知っている。
 姫様の悩みの種であることも。
「いや、会った方がいいさよ」
「でも」
「あんたは、ここで暮らすんだ。それなら、朱桜ちゃんと話をしないとね」
「……そうですね」 



「葉子さん……」
 全身の毛が白く染まり、隻腕を腰にやる葉子を見て、嬉しげな小妖達に囲まれていた朱桜は、はっと息を呑んだ。
「そっか、この姿で会うのは初めてさね」
 そう言いながら、朱桜の後ろに立つ二人の鬼を見やる。
 似通った顔をしていた。
 覚えがある。
 四つ子の四天王――力は、大きい。酒呑童子の側近中の側近だ。
 それなら、任せられる、のか?
 先程古寺が揺れたのは、この二人の仕業なのだろうと思った。
「痛かったですか? 痛かったですよね?」
 姫様の文で識るのと、実際に見るのでは、違うのだろう。
 朱桜が苦しそうに、火羅の垂れた片袖を掴む。他人の痛みを、自分の痛みに出来る子だった。
 葉子は、心穏やかにさせようと、きゅっと笑みを浮かべた。
「覚えてないさよ。気がついたら、こうなってたからね」
 なるたけ、優しい声色でと。
「尾が、尾が、一尾になったと」
 白尾をくねらし、朱桜の頭に乗せた。
「あれは、痛かった。でも、もう何ともないんだ。心配しなくても大丈夫さ」
「葉子さんの尾、光君と白月ちゃんが大好きな尾……葉子さん、葉子さん」
 隻腕に、暖かみを感じた。
 傷が癒えるときと、似た感覚だ。
 鬼に癒す力はないはず。
 しかし、確かに感じた。
「私は……」
 朱桜が袖を離しても、ほんのりとした暖かみは傷痕に残っていた。
「出迎え出来なくて、すまないさよ」
 いえと、首を横に振った。
「姫様もクロちゃんも太郎も留守にしていてね。あたいも、火羅も、気配を読めなくて」
「彩花様も、クロさんも、お留守?」
 明らかに、不機嫌な顔付きになった。
 すぐに変える。形だけ元に戻す。
 思ったことを表に出しっぱなしにする白月と違い、朱桜は、自分の心を隠す子だった。
「ああ、二人とも出かけててね。よかったよ、誰かが気づいてくれたようで」
「……誰も気づいていませんよ」
「あれ?」
「結界に穴を開けて入ってきました」
「結界に? お二人が」
「いえ、私が」
 笑ってみせる。
 その笑みの下に、黒いものが見え隠れする。脈打っている。そう、葉子は感じた。
 笑顔が笑顔に見えなかった。
「私が来たのに、彩花様もクロさんもいないんですね」
 念を押すようにもう一度尋ねてきた。
 小妖達が、朱桜から距離を置いている。
「クロちゃんは呼んだから、じきに、ね」
 結界を、この子が? 本当に? 
 信じられなかった。白月ならいざ知らず、だ。
 葉子の知っている朱桜は、角はあれど、鬼らしくない鬼だった。
「いないんですね、二人とも」
「あ、ああ、今は」
 妙な迫力がある。重みというのだろうか。
 声が、腹に沈みこんでくるような。
 姫様に似ていた。そんなところまで似なくていいのにと思った。
「でも、火羅は、いるんですね」
 朱桜は、初めて火羅に目を向けた。
 はっきりとした、蔑みの眼差し。
 そこまで嫌っているのかと思うと、悲しくなった。
「あの、」
 火羅が、口を開いた。
「葉子さん、立ちっぱなしは疲れるですよ。居間へ行って座るです」
 無視。
 あからさまだった。
「……わかった」
 火羅が肩を落としている。
 辛い。
 また自分が板挟みになるのか。
 姫様がいてくれればと、葉子は思った。