小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

すっごく久々に天地人

久々の天地人ですよーんと

で、長谷堂合戦は誰とやるの? ねぇ、誰と戦うの? ぼかぁ、わかんないなー

葦名対伊達は駄目で、佐渡攻めはいいの? 違いは何なの? この二枚舌は何なの? 一枚岩な上杉……外に敵、内に敵が上杉の伝統なのに 

あとね、これだけは言っておきたい

母の愛情を受けずにって、政宗さんは義姫FAN倶楽部No.2ですよ? 

あ、No.1はシスコン大名です。年の功です

おまけでシスコン大名のお話です



 最上義光は、冷ややかに戦場を見ていた。二万の軍勢に、圧倒するような気はなかった。毘の旗が虚しく風に靡いている。こちらは七千だが、負ける気はしなかった。孤立してはいる。甥の政宗ですら様子見である。きちんと動いてくれればあの小賢しい大将の頸を刎ねられるのにと思う。妹に期待するしかなかった。
 義を掲げるのが腹立たしい。
 先の主である謙信からは、義を感じなかった。戦をしたいがために戦を求めているように見えた。まさしく戦神だった。行動も神のように気紛れだった。面白い戦が出来るなら、それでいいというような動きをしていた。だから突然、信長と手を切った。
 その子供は、遠く及ばない。軍を見ればわかる。
 頬が引きつった。
 豊臣に義がある?
 あの、秀吉に?
 身の丈よりも長い鉄棒が、ざんと風を斬った。
 否、
 否、
 否。
「義? 義? 義は、我にある」
 今でも、悔やむ。何故、娘と一緒に往かなかったのかと。
 娘である駒姫は、十五で死んだ。殺された。秀吉の甥であった秀次に、嫁いだために。妻にと請われたとき、拒めきれなかった。守りきれなかった。手放したくなかった。秀吉に子が生まれたために、後継者として用済みになった秀次は、謀叛の疑いをかけられ殺された。妻子も一緒に殺された。有り得ないことだった。そこに、駒姫が入っていた。嫁いだと言っても、一ヶ月しか経っていない。そもそも、最上屋敷で旅の疲れを癒していて、まだ顔を会わせてもいなかったのに――仮初めの夫のために、細頸を刎ねられた。
 そんなことがあっていいのかと、今も思う。想い続けている。
 骸は帰ってこなかった。無造作に埋められ、畜生塚を上に置かれた。
 聡く、活発で、優しい子だった。非の打ち所のない、非の打ちようがない、天女のような自慢の娘だった。
 母である大崎御前と、妹である義姫、二人の美貌をよく受け継いでいた。優しさも、強さも、二人に似ていた。
 妻も死んだ。駒姫の後を追うように、その処刑から十四日後に、死んだ。謝り続けていた。死ぬまで、謝り続けていた。謝るのは、自分なのに。
 二人を弔うために、菩提寺に城下最大の伽藍を建て、駒姫の居室を移した。あの場所に行くと、今でも、二人の朗らかな笑い声が聞こえてくるようだ。
 恩義はない。怨みはある。身を焦がす憤怒が。
 あの秀吉に尽くすのが義?
 気が狂っている。どこの馬鹿が二度も海を渡って、民を殺した? あんな無謀な戦は、なかった。常人のする戦ではなかった。兵を死なせにいったようなものだ。戦をするにしても、最少の犠牲で済ますべきだった。それが、義光の信条だった。
 その家に尽くすのが義?
 ふんと鼻で嗤う。
 あれは、領土が欲しいだけなのだ。最上領は上杉領を両断していた。
 今頃、家康公が上方で挙兵した石田三成とぶつかっているだろう。三成のことは認めていた。まともな忠臣だ。才能もある。どちらが勝つかは、賽の目次第だろう。それほど両者の力は拮抗するようになっていた。それだけの場を作り上げた。戦略家として、小大名であることを差し引けば、家康に勝っているかもしれない。後は、戦術家としてどちらが上かどうかだ。
「遠いな」
 家康とは親しくしていた。恩義がある。それに、天下人の器だった。
「この、憤怒……」
 報せが届いた。
 追撃に移ると、義光は低い声で言った。
 豊臣は亡びる。その滅びを見るのが、妻と娘に出来る、最大の供養だった。