小説置き場2

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あやかし姫~薬狼~

 彩花は、薬の臭いがする。
 片肌を脱いだ葉子を見ながら、火羅はそう思った。
 背中の火傷に薬を塗ってもらおうと、昼の微睡みで閉じそうになる目を擦りつつ戸を開けると、先客がいた。
 眠気は一瞬で吹き飛んだ。
 白狐の黒ずんだ右腕に触れる少女は、唇を噛んでいた。
 葉子は、白い肌をしていた。彩花よりも透けるような肌だ。精気のない肌だ。火羅の肌に近い色だ。
 白髪に白肌、肘から先のない右腕だけが黒かった。
「姫様、火羅が待ちきれないようさよ」
 左手であやすように彩花の頭を撫でる。
 一度袖で目を擦ると、彩花は火羅に目を向けた。
 思わず気圧される自分がいた。
「少し、待って下さいね」
「……ええ」
 彩花が薬を片付けている間、火羅は所在なく部屋の隅っこにいた。
 彩花の手際は、いつもいい。衣を整えた葉子も手伝っていた。出る幕はなさそうだし、不器用さを見せるのも嫌だった。
 本当は、手伝おうと思ったけれど、どうしても言い出せなかった。
 薬室である。薄暗く、引き出しが天井まであった。
 不思議なものがごろごろしている。
 骨や鉱石、枯れ木がたくさんある。
 ここに来ると、たくさんの薬のせいで、鼻が少しおかしくなる。
「あたいも手伝おうか」
 葉子が、言った。何気ない言葉が、家族なのだと感じさせる。
 すり鉢で紫色の実を潰しはじめた彩花は、静かに頭を振った。
「あいよ」
 それ以上何も言わず、白狐はその場を立ち去った。
 彩花の前に座り、居住まいを正す。
 すり棒へ体重をかけるために、前のめりになっていた。
 実の潰れる規則正しい音だけが、しばらく聞こえた。
「そうだ」
 彩花が、部屋に封をした。いつもの儀式を忘れるほど気が動転していたのかと火羅は思った。
「忘れるところでした」
 すり棒を上げると、紫色の糸が引いた。見たことのない薬だった。
 彩花が薬を作っている姿は、何度も見たことがある。
「……ごめんなさい」
「何がですか?」 
 詰るような響きがあると、火羅は感じた。
 悪い方に考えていると自覚していたが、止められなかった。
「葉子さんの傷は」
「傷の具合は、良くも悪くもないですね」
 力なく、彩花が言った。
「変わらない……今は、そうです」
「今は?」
「ええ、今は」
 爪先程のさじですくった粉を、すり鉢に振りかける。
 それから、黄土色の鉱石を一欠片くわえ、またごりごりとすり潰す。
「どうして、謝ったの?」 
「だって、あの傷は……だから、私を、あんな目で」
 それで彩花は察したらしい。
 違うと力強く言ってくれた。
「口惜しいの」
 彩花が、目を伏せた。
 睫毛が、綺麗だった。
「大切な二人を治せない自分が、口惜しいの」
「……私も、入ってる?」
「え、もちろんです」 
 事も無げに、彩花は言った。
 その言葉を聞いた瞬間、火羅は確かに、笑みを浮かべた。
「これ、新しい薬なんです。効き目が良ければいいんだけど」
「すごい臭いね」
「そうですか?」
「鼻がひんまがりそうよ」
「妖狼だからですかね……うぇ」
「い、今、うぇって言った!」
「この組み合わせは試したことなかったから」
「わ、私で試そうと!?」
「大丈夫……だと思います」
 うぇ。
「こ、怖いんだけど」
「火羅さん、私を信じて。これでも薬師ですから」
「うん、いつも信じて……どうして薬を遠ざけるの?」
「え?」
「え?」
「……あ、駄目だな、これ」
「ちょ、ちょっと!?」
「はい、火羅さん、結界を解きますから、すぐに戸を開けて下さいね」
「な、何それ、どういうことよ!」
「は、早く、持ってるのもつらいです」
「ああ、もう!」
 部屋が一瞬、明るくなった。
「解きました!」
「ど、どうにでもなれ!」
「てや」
 彩花が、すり鉢を投げた。
 彩花が、である。
 身体を動かすことが苦手な彩花がだ。
 目を離すとあっぷあっぷ溺れる彩花がだ。
「……う、うーん」
 満足げな彩花を嘲るようにすり鉢は、大きく開いた戸の向こうではなく、戸を開いた火羅の衣に見事当たった。
「あ、あああ!?」
 想像を絶する臭いだった。
 火羅の意識を奪うのに十分だった。
 
 
 
「ごめんなさい!」
「薬には失敗がつきものだし、貴方の運動能力を考えるべきだったわ」
 衣は、駄目になった。臭いが取れなかったのだ。今頃、黒之助が、森に埋めに行っているはずだ。
「本当に、ごめんなさい!」
 火羅は、見事な土下座を披露してくれる彩花に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「いいって。私は、全然気にしてないから」
 だって、ここに置いてもらえるだけで、幸せなんだもの。
「この埋め合わせは、必ず」
「じゃあ、そうね……」
 彩花の耳元に顔を寄せ、
「太郎様と、下の村に行きたいわ。貴方ばかり、狡いもの」
 そう、火羅は言ってやった。
「どうかしら?」
 動揺する彩花の返事を聞く前に、
「う、そ」
 と、火羅は言ってあげた。
 これぐらいは、許してもらえるだろう。
 今も、あの薬の臭いがする。
 彩花が一人で、気を失った火羅の身体を洗ってくれた。その時に、彩花の身体に付いたのだろう。
 火羅の身体は、風呂上がりの良い匂いに包まれている。
「ねぇ、私の衣を一つ、買ってくれない?」
 今使っているのは全て、葉子と彩花のお下がりだ。
「……え、はい、はい」
「じゃあ、さっさと村へ行きましょう! 二人で買い物して、二人で美味しい物食べて、二人で……その辺をぶらぶらしましょうよ」
「ぶらぶら、ですか」
「ええ……いいじゃない、友達でしょう?」
「はい」