あやかし姫~跡目争い(25)~
燃え落ちていた。
何も感じなかった。
何も感じられなかった。
ここに、今立っているこの場所に、西の妖狼の集落があったとは思えない。
燻る黒煙、熱持つ炭塊、見渡す限りの残骸達。
足下が波立っていた。
揺られながら歩いた。
数百年暮らしてきた場所なのに見覚えがない。
彩華が戯れているのだろうか。
海を渡り、阻む者を喰らう。
そうして、ここまで来てくれた。
わざと道を誤り、私が戸惑うのを嘲笑っているのか。
きっとそうに違いない。
鼻を動かす。
すんと、鼻を動かす。
匂いは、忘れない。
忘れるわけがない。
背中の火傷が、じゅくと痛む。
「ここが……私の、全てだった。私の全てだったのよ」
館があった。
父と母、後々には赤麗と暮らした館。
どこに行ったのだろう。
真紅の妖狼の姫を務めた日々は、嫌な思い出ばかりじゃない。
知恵と力の限りを尽くした日々は、確かに充実していた。
孤絶を破った北の妖狼と結ぼうとして、全てが狂ってしまったけれど、あの充足は本物で、穢れた火傷を忘れていられたのだ。
「ねぇ、彩華……ここは、どこ?」
「お主が言った場所じゃ」
「意地悪しないでよ……お願い。何でも言うこと聞くから、ちゃんと連れてってよ」
「連れてきてやった。違えることなく、争うてまで」
「私を騙そうとしても、駄目。私の目はごまかせないわ。虚々実々、騙し合いには慣れてるもの。私は真紅の妖狼の姫よ。西の妖狼を統べる者よ」
「火羅――」
彩華が、長い息を吐いた。
「妾は、火羅の願い通りにしただけじゃ」
少女。彩花。皆に姫様と呼ばれ、慈しまれていた娘。太郎様の愛しい人、私の大切な友達。
目の前にいた。
淡く、悲しげに、微笑んでいた。
「鼻が、変なの」
「ん?」
「彩花さん、鼻が、変なの」
「あ……どうしたよ?」
「さっきから、おかしいの。匂いが、変。ここね……同じ匂いが、する」
ここが、そうだ。
間違いない。誇り高い妖狼の血が、確かなのだと言っている。
背中の、這うような痛みも、嘲るように告げている。
星が、煌めいた。空は青いのに、星が見えた。
視界に混じった粒子が密になり、ふっと、目の前が白くなった。
彩花の肌の色に似ている。
白くて、お風呂に長々浸かっても全然のぼせない。
葉子や火羅が真っ赤になっても白いまま。
太郎様のことを話題にすると、ほんのりと赤く染まるのだ。
「違う……違う、違う。妾は、彩華じゃ。彩華と呼んでくれたのは、火羅じゃろうが」
彩花が泣いている。
彩花は泣き虫だ。
妖虎に襲われたとき、九尾と対峙したとき、私のために泣いてくれた。
嫌われて、当然なのに。
あんな出会い方をしたのに、意地の悪いことばかり言っていたのに。
「ちゃんと連れてきてやった。火羅の言うとおりにしてやった。衣も揃えた、敵も殺した。なのに、どうして……そんな酷い事を言う」
膝の上、膝枕か。懐かしい。彼岸の時、膝枕をした。やった私の方が恥ずかしかった。
「ここに彩花はいない、ここにいるのは彩華だけじゃ、妾だけを見ればよいのじゃ。火羅まで妾を見なくなったら……妾はどうなってしまうのだろう」
「怖いの?」
「……怖いものなど、あるわけがなかろう。妾は貪る、何もかも」
「そうね、貴方は、そうだわ」
もう少し、膝枕をしてもらおうと思う。
異形を宿す化け物でも涙を流すのだ。
そんなことぐらい、知っていた。
恐る恐る、手を伸ばしてきた。
毀れ物のように触れる冷たい指が気持ちよかった。
背中の痛みが、少し引いた。
「貪ってやる……全て、喰らうぅ……彩花ぁ!」
「怯えてるわよ」
「……うぅん?」
一本足の妖の死骸と虎の死骸を携えた彩花が、地面にふわりと片足をつけた。
その無邪気な笑みは、火羅の好きだった笑みではなかった。
何も感じなかった。
何も感じられなかった。
ここに、今立っているこの場所に、西の妖狼の集落があったとは思えない。
燻る黒煙、熱持つ炭塊、見渡す限りの残骸達。
足下が波立っていた。
揺られながら歩いた。
数百年暮らしてきた場所なのに見覚えがない。
彩華が戯れているのだろうか。
海を渡り、阻む者を喰らう。
そうして、ここまで来てくれた。
わざと道を誤り、私が戸惑うのを嘲笑っているのか。
きっとそうに違いない。
鼻を動かす。
すんと、鼻を動かす。
匂いは、忘れない。
忘れるわけがない。
背中の火傷が、じゅくと痛む。
「ここが……私の、全てだった。私の全てだったのよ」
館があった。
父と母、後々には赤麗と暮らした館。
どこに行ったのだろう。
真紅の妖狼の姫を務めた日々は、嫌な思い出ばかりじゃない。
知恵と力の限りを尽くした日々は、確かに充実していた。
孤絶を破った北の妖狼と結ぼうとして、全てが狂ってしまったけれど、あの充足は本物で、穢れた火傷を忘れていられたのだ。
「ねぇ、彩華……ここは、どこ?」
「お主が言った場所じゃ」
「意地悪しないでよ……お願い。何でも言うこと聞くから、ちゃんと連れてってよ」
「連れてきてやった。違えることなく、争うてまで」
「私を騙そうとしても、駄目。私の目はごまかせないわ。虚々実々、騙し合いには慣れてるもの。私は真紅の妖狼の姫よ。西の妖狼を統べる者よ」
「火羅――」
彩華が、長い息を吐いた。
「妾は、火羅の願い通りにしただけじゃ」
少女。彩花。皆に姫様と呼ばれ、慈しまれていた娘。太郎様の愛しい人、私の大切な友達。
目の前にいた。
淡く、悲しげに、微笑んでいた。
「鼻が、変なの」
「ん?」
「彩花さん、鼻が、変なの」
「あ……どうしたよ?」
「さっきから、おかしいの。匂いが、変。ここね……同じ匂いが、する」
ここが、そうだ。
間違いない。誇り高い妖狼の血が、確かなのだと言っている。
背中の、這うような痛みも、嘲るように告げている。
星が、煌めいた。空は青いのに、星が見えた。
視界に混じった粒子が密になり、ふっと、目の前が白くなった。
彩花の肌の色に似ている。
白くて、お風呂に長々浸かっても全然のぼせない。
葉子や火羅が真っ赤になっても白いまま。
太郎様のことを話題にすると、ほんのりと赤く染まるのだ。
「違う……違う、違う。妾は、彩華じゃ。彩華と呼んでくれたのは、火羅じゃろうが」
彩花が泣いている。
彩花は泣き虫だ。
妖虎に襲われたとき、九尾と対峙したとき、私のために泣いてくれた。
嫌われて、当然なのに。
あんな出会い方をしたのに、意地の悪いことばかり言っていたのに。
「ちゃんと連れてきてやった。火羅の言うとおりにしてやった。衣も揃えた、敵も殺した。なのに、どうして……そんな酷い事を言う」
膝の上、膝枕か。懐かしい。彼岸の時、膝枕をした。やった私の方が恥ずかしかった。
「ここに彩花はいない、ここにいるのは彩華だけじゃ、妾だけを見ればよいのじゃ。火羅まで妾を見なくなったら……妾はどうなってしまうのだろう」
「怖いの?」
「……怖いものなど、あるわけがなかろう。妾は貪る、何もかも」
「そうね、貴方は、そうだわ」
もう少し、膝枕をしてもらおうと思う。
異形を宿す化け物でも涙を流すのだ。
そんなことぐらい、知っていた。
恐る恐る、手を伸ばしてきた。
毀れ物のように触れる冷たい指が気持ちよかった。
背中の痛みが、少し引いた。
「貪ってやる……全て、喰らうぅ……彩花ぁ!」
「怯えてるわよ」
「……うぅん?」
一本足の妖の死骸と虎の死骸を携えた彩花が、地面にふわりと片足をつけた。
その無邪気な笑みは、火羅の好きだった笑みではなかった。