あやかし姫~姫と酔い狼~
「はい、あーんして、あーん、あーんしなさいよ!」
「……」
姫様が苦笑を浮かべていて、火羅が尾っぽを立てていた。
肩まで桃色に染めるは重ねた杯の証、つまんだ白身の半身を姫様の口元に突きつける。
それでも微苦笑したまま口を閉じていると、釣り上がった目は垂れ下がり、先っぽまで真っ直ぐだった尾がしなしなと床に伏した。
「あーんしてよぉ」
「あー、姫様、泣かした!」
葉子がけたけた笑いながら、姫様の頭の上に顎を乗せる。
こっちもすっかり出来上がっていた。
月明かりが差し込む古寺の居間は、そんな妖ばかりであった。
「泣かしちゃ駄目さよ。仲良くしないと、お母さん悲しいさよ?」
よよよと葉子が口元を隠す。
白尾がぴしぴしと姫様の頬を打つ。
よいしょと尾をどかすと、こんこん頭の上で機嫌良く鳴いた。
「骨、とったから、骨、とってあげたから。どうしていつも、いっぱい食べないのよ、もっといっぱい食べないと、人なんだから空腹で倒れるわよ!」
火羅が覚束ない箸捌きで焼き魚の骨を取っていたのは知っていた。
太い背骨だってばりばり噛み砕いちゃう人なのに、部屋の隅で何をしているんだろうと気になっていたが、姫様のためとは思いもしなかった。
「じゃ、じゃあ、頂きます」
一応好意の表れなのだろうか。
真っ直ぐすぎて、ちょっと勝手が掴めなかった。
「そうよ、頂きなさい! いっぱい食べてもいいからね? 遠慮しなくていいのよ?」
遠慮はしないし、いっぱい食べたし、でも、そんなことは口にしない。
「あーん」
「はぁ、あーん」
小っ恥ずかしいなぁと思いながら、子燕みたいに口を開ける。
何だか童みたいだなと思う。
火羅さんの方がずっとお姉さんなんだよなぁと思う。
ついつい忘れてしまうのは、自分が老成しているからか、素の妖狼が幼いからか。
ちょっと嬉しくなって、じっと待っていたけれど、口の中は埋まらなかった。
「あれ?」
「あーげない、んぷぷぷ、何やってるのかしら、子供じゃないんだから、あ、子供ね、お子様だもんね、細いし、色々と少ないし」
火羅が、姫様の胸元を、地味めな扇で軽く叩きながら、そう、言った。
葉子が、そうさぁ、姫様はあたいの子供さぁと言った。
それから頭の置き場をなくし、ありゃと隻腕を付いた。
稀に見る俊敏な動きで火羅の懐に飛び込んだが姫様が、がぶんと勢いよく顎を噛み合わせた。
「な、どうし、たの?」
がうがう――半身の半身を丸呑みすると、残る半身も喰らいに行く。
まるで、獣のような動き――そう、獰猛な狼――まぁ、子狼の、じゃれ合い程度だけど。
緩慢に逃れようとする火羅を押し倒し、かぷんと半身をつまんでいた指ごと咥えた。
「……」
そろそろと身体を起こし、そろそろと髪を手櫛で整える。
まだまだ子供だと姫様は思った。
「……何やってるんだか。ん、美味しかったですよ」
ちょっと顎を持ち上げながら、姫様はさっぱりした顔で言った。
口調は自嘲するようでも、表情は晴れ晴れとしたものだった。
「ここで、脱ぐの?」
倒れたままの火羅が、自分の襟元に手を掛けた。
「はぁ!?」
本当に脱ぎ出しそうで、元々きちんとしていない衣は危うくて、姫様は隠すように覆い被さった。
「ふぇ、お、怒らないでよ」
泣き出しそうな顔が目の前にある。
お酒の匂いが息に乗っていた。
「怒ってませんけど」
はだけた襟元を整え、肌の露出を控えめにさせる。
皆、気にしていないようで、少しほっとする。
それから、火羅さんはいいよねと思う。
姫様は、身体の線を出したくない方だった。
「怒ってるじゃない、えっと、あの、は、肌白いわね、すべすべー、すべすべー」
宥めるように、姫様のほっそりとした腕を擦った。
「滑らか、ねぇ。肌、綺麗ねぇ」
姫様が、恥ずかしそうに顎を引いた。
気に入ってしまったようで、火羅は延々と擦り続けた。
普段の火羅なら、こんなこと絶対にしないはずだ。
お酒に強くないのに、葉子さんと杯を重ねるからだ。
姫様はというと、羨ましげに見ているしか出来なかった。
「火羅さんも、肌綺麗だし」
「そんなこと、ないもの。私なんて、汚いもの、穢らわしいもの」
そう、卑下する。火羅は、よく、自分を卑下する。
「火羅さんは綺麗ですよ」
心底、そう思う。
「褒めて、くれた?」
「勿論です。火羅さんを汚いなんて言う人、私が許しません」
「あの鬼の子でも?」
「……注意、します」
「ちょっと! 今、すごく考えたでしょ! 私よりあの子がいいってこと!?」
「そうではなく……」
朱桜が罵る姿が鮮明に思い描けてしまい、つい頭を抱えたくなったとは、口に出来なかった。
「じゃあ、何なのよ!」
「色々です」
「色々かぁ」
納得したらしい。
「いいなぁ、すべすべで」
また掌を滑らす。
ついでに頬摺りもする。
どんどん俯き気味になるのは、褒められる嬉しさより気恥ずかしさが勝ったからだ。
「ねぇ、彩花さん」
そして、頭をぐりぐりと脇腹に押しつけ、抱くように腕を廻した。
表情は見えない。
我に帰ったのかもしれない。
明日も、大変そうだ。
「いっぱい食べないと駄目よ」
嘆息しながら、姫様は火羅の頭を撫でた。
「……可愛い人ですね」
そう言うと姫様は、葉子の方を見やった。
白狐は、寝息を立てていた。
酔い潰れている妖が多い。
喧噪はなく、囁きが幾ばくか残るだけ。
酒樽に上半身を突っ込んでいる黒之助も、きっと眠っているのだろう。
ぴくりともしないが。
あ、足の裏が動いた。
「あー、うん」
太郎も、狼の姿で、樽に引っかかっていた。
大人げない二人の勝負は、引き分けだったのだろうか。
「お開き、かな」
この暑さなら寝具もいらないはずだ。
どうせ蹴飛ばすのが落ちである。
部屋に戻るのも面倒だった。
みんな集まっているというのに、一人でいる部屋は、きっと寂しい。
片付けは明日に回そうか。
柔らかな葉子の尾を自分のお腹に乗せ、ついでに火羅のお腹にも乗せて、
「おやすみなさい」
と、姫様は言った。