小説置き場2

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あやかし姫~跡目争い(28)~

 鼻歌を小さく奏でながら、姫様は一方に目を向けていた。
 灰混じりの風が冷たく、姫様の黒髪がくすんだ色合いを帯びている。
 虚無を湛えた眼差しの先には、赤く鳴動する山々があった。
 火羅をおんぶし直し、鼻歌を止め、どうしようかなと囁く。
 それから、頬を火羅に寄せた。
「痛みはないですか?」
 火羅は答えなかった。
 白い布の隙間で、赤い左目が動いた。
 引っ張られるように火傷も動き、痛みを堪えるように息を漏らした。
 赤と黒を基調とした艶やかな衣に、流れた白い布が絡まる。
 傷は、隠しきれていない。
 右腕と右足はなく、右目は白く濁っている。
 左腕を力なく絡ませ、姫様に身体を預けていた。
「葉子さんみたい」
「葉子、さん」
 答えを吐き出す。
 火羅の左手に、力が込められた。
 あはと、姫様が笑った。
 久々の声だった。
 人の姿も妖の姿も全くない大きな街で、火傷を治療している間も、火羅は一言も漏らさなかったのだ。
 憎しみを湛えた眼差しだけを、射貫くように投げつけられ、心地良いなぁと姫様は微笑していた。
「うん、葉子さん。葉子さんの気配と、よく似てる。火羅さんは、葉子さんのこと、好き?」
「葉子さんは、優しかったわ」
「あげないよー。火羅さんには。火羅さんは、悪い子だから、本当に悪い子だから」
「悪い子、ね」
「私のこと、好き?」
「……大……嫌い」
「私も、好き。太郎さんの好きとは違うけどねー。朱桜ちゃんの好きに近いかな? 沙羅ちゃんや咲夜ちゃんとも、違うね」
「大嫌いって、言ってるじゃない」
「あの人は、大好きだって、太郎さんと同じだって。よかったね、火羅さん」
「聞きたく、ない」
「二人だけかー。どうしようかな。助けた方がいいのかな? 難しいよね。頭領なら、どうするかな、って、私が頭領、倒しちゃったんだっけ。邪魔するのが悪いよね。頭領、本気だったのかな。ちょっと、怖かったなぁ。いつもの頭領の方が、好きですね。早く古寺に戻りたいな。のんびりと、暮らしたいや。その時は、火羅さん、そういうのは、やっぱり遠慮しますね」
 火羅の瞳が、ゆっくりと輝きを失う。
 姫様は口を尖らせる。
「また、だんまり? つまんないなぁ、もう。じゃあ、遊びに行こうっと。隠れんぼ、鬼ごっこ、鬼さんこちら、手のなる方へ」
 
 
 
 一歩も動けなかった。
 夫も、主も、傍にいない。
 ここまで従ってくれていた者達ともはぐれた。
 隠れて、やり過ごすしかなかった。
「木助、玉藻様……」
 大嫌いな女の顔が浮かび、首を振って頭から消し去った。
 感覚を研ぎ澄ます。
 追っ手の気配はなくなった。
 僥倖に、感謝した。
 それでも、念のため、岩陰に潜み続けた。
 惨めななりだった。
 長年競っていた妖狼を追いおとし、九州の覇権を握ったというのに、泡沫の夢だったようだ。
 海の向こうから、それはやってきた。
 見慣れぬ妖の大群に、まともに迎え撃つことも出来ず、九尾は破れたのである。
 先頭に立って迎え撃とうとした金の一族の頭が、真っ先に殺された。
 葉美の前の代からの古強者が、何も出来なかった。
 銀の一族の頭の行方は、わからない。
 木助は、葉美を先に逃がしたのだ。
 頭としてあるまじき行為だった。
 足手まといにしかならないとわかっていたから、頷くしかなかった。
「大丈夫、なの?」
 腹に手を添えながら、そっと顔を出し、すぐに引っ込めた。
 もう一度、岩陰から顔を出す。
「大丈夫、なの?」
 長い毛の生えた六本の脚と六枚の羽を持つ巨大な狗が、九尾の狐を噛み砕きながら、真似るように言った。
 木助の顔を見たいと、葉美は思った。
 
 
 
「ちびっ子達が会いたいと言ってるから、来てやったぞ」
 鬼の女が、言った。
 二人の男の鬼が、その後ろで頷いた。
 一人は大きな身体に熊の毛皮を纏い、一人は引き締まった身体に近頃はあまり見かけない古い武具を纏っていた。
 三人とも、大きさこそ違えど、同じ剣を穿いている。
「手勢はこれだけですか」
「三人もいれば十分だぞ」
「事の重大さを貴方はわかっていない」
 鬼の一団の前に立つ、細面の青年の物言いは軽く、どうでもいいという意志が透けて見えた。
 事の重大さを楽しむ主に危うさを覚えはらはらと冷や汗を流す白兎を抱き、
「桐壺殿に白月殿、それと、光君ですね」
 と、少し離れて立っていた三人に声を掛けた。
「おお、よく知ってるな、若いの! あと、兎、これ、兎な、な、桐壺、当たったじゃろう?」
「こ、こんにちわ」
「識ることも、仕事の一つですから。来て頂けるとは思っていませんでしたよ、鈴鹿鬼姫
「来たくなかったけど、この子達がどうしてもって言うから」
「いやはや、有り難い限りです。数は多ければ多いほどいいので」
 鞍馬の大天狗がいた。
 源頼光とその一党がいた。
 鬼の王とその居城があった。
「では、お祭りの準備をいたしましょうか」
 涼しげな声に、ふんと鈴鹿御前はそっぽを向き、己の半身である剣の柄を握りしめた。