小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(31)~

 また一匹、狐を頭上高く跳ね上げながら、太郎は満面の喜色を露わにした。
 茜色の御輿を挟んだ反対側で暴れている黒之助もきっと同じ表情だろう。
「いい息抜きだなぁ、おい!」
 この喧嘩は息抜きだ。美鏡という稲荷狐は本当にいい時に来てくれた。
 面倒な事が嫌いなのに、面倒な事が多すぎる。 
 頭の中を空っぽにして、ばったばったと薙ぎ払うのも、昔のようで悪くない。
「こっちはよ、姫様に会いたいんだよ」
 それだけなのだ。
 色々あったけれど、それだけだ。
 ぐだぐだ考えても、どうせまともな案など浮かびようがない。
「わかるか?」
 狐面を咬み砕き、狐火を踏み潰す。
「姫、様?」
 掌の下で、稲荷狐が逃げようと足掻く。
「そうだよ、姫様だよ」
 姫様に、逢いたい。
 姫様も、逢いたいと思っているのだろうか。
「く、食わない、で」
「食うかよ」
 掌を外し、反対の掌でぱんと殴った。悲鳴を上げて見えなくなった。
「食っても不味いだろ」
 くかかかと嗤う。
 数は少なくなった。どいつもこいつも及び腰で、士気があったのは最初だけだった。
 奇声をあげた稲荷狐達が、牙を、爪を、白い身体に突き立てようとした。
 無駄な努力だった。
 太郎が全身に妖気を漲らせると、それだけで周囲に弾け飛んだ。
 金銀妖瞳で睥睨された稲荷狐達は、恐怖に耐えきれなくなった。
「……逃げるなよ」
 物足りないと呟き、地面を蹴ろうとして、太郎は寸前で踏み止まった。
「ちっ」
 舌打ちする。
 御輿の主が出てきていた。美鏡の手を逃れたらしい。葉子と御輿を守っていたなずなに、中に戻るよう促す素振りがないので、黒之助の方も終わったのだろうと太郎は思った。
「やめ、やめて下さい。もう、やめて下さい」
 主は泣いていた。
 女童である。
 髪を長く伸ばしていた。
 狐耳を小刻みに動かしていた
 小さな牙を見せながら、思いっきり泣いている。
 稲荷大神の末姫であった。
 守ってくれるはずの供に襲われた、哀れな幼子である。
「もう、いいのです。これ以上、痛いのは、いいのです」
 俺が悪者みたいだと太郎は思った。
 ちくりと胸が痛んだのは、昔の姫様と同じ言葉を発したからだろうか。喧嘩を泣きながら止めるのが姫様の十八番で、一番辛い事だった。
「お怪我はないのですか?」
 御輿から顔を覗かせた朱桜が、黒之助に言った。
 朱桜は怖いので、御輿の中にいてもらったのである。
 この中では一番強い力を持っているが、自分の力をきちんと操れるとは言い難い。出来れば、戦ってほしくなかった。
「太郎さんも、お怪我はないですか?」
「……ない」 
 よく懐いてるよな、と、太郎は思った。
「あんなにいたのに、たったの四人で」
「黒之助一人で十分だった」
 なずなが言った。
 少しかちんときた。許嫁だか何だか知らないが、この女も黒之助の肩を持ちすぎる。
「だが、太郎殿もお強い。その戦い振りに、驚いている。黒之助を凌ぐやもしれぬ」
「拙者の方が多く倒しているぞ」
「いや、太郎殿の方が少し多い」
「えー、そんなことないのですよ」
「数えた」
 褒められているのだろうか。
 無表情に言われても、いまいちぴんとこない。後ろ脚で頬を搔いた。さっさと行こうぜと葉子に言った。
「ん、ああ」
 葉子はなずなの傍にいただけだった。本当は三人で平らげたのだ。美鏡は葉子を敬っているから、四人と言ったのだろう。
 美鏡の足に、末姫が縋り、わんわんと泣いていた。
「おい、葉子。こんなことで呆けてるんじゃねえよ」
 そっと末姫の頭の上に手を置き、泣くなと太郎は言った。驚いたように末姫は太郎を見上げ、むっと口をへの字にし、やっぱり泣いた。
「良い子だ」
 優しい子なのだろう。
 今は、それでいい。
「憂さ晴らし出来ていいさね」
 よいしょと腰を上げた葉子は、物憂げに白い尾を撫でると、
「頭領の気配を感じたさよ」
 そう、言った。
「頭領の?」
 黒之助と顔を見合わせた。
「視線はまだ、あるかい?」
 周囲を見回す。視線はもう、感じなかった。稲荷狐に混じっても、監視の目は感じ続けていたのだ。
 それなのに、稲荷狐との争いが終わると同時に、神々の関心も消えてしまった。
「出雲にも知り合いはいるだろうし、口利きでもしてくれたのさね?」
 寂しそうに、葉子は言った。
「こんな時なのに、姿を見せないなんてね。長々と暮らしてきたけど……遣り切れないよ。あたいは……うん、ずっとあたいは……」
「美鏡殿、この先は如何なさるおつもりで?」
 黒之助が、言った。稲荷狐に紛れ、出雲の監視を逃れようという策は、上手くいかなかった。しかし、結果として視線から逃れる事が出来た。
 これからは、九州に向けて全力で駈ければいい。今までは、出雲の神々の出方を窺いながら進んできたのだ。
「帰れもしませんしねぇ」
 末の姫の存在をよく思わぬ者達が、九州の現状を調べるという難しい任にかこつけて、末姫を亡き者にしようとしたらしい。
 なるほど、九尾を敗走させた何者かの手にかかり、末姫が非業の死を遂げたとしても、何の不思議もないであろう。
 美鏡は、周囲の悪意を感じ取り、葉子達に助けを求めたのだ。
 稲荷狐達は慮外の助太刀に慌て、九州で討つという計画を前倒しにして夜襲を行い、敗れた。相手の力も推し量れない、数を頼むだけの烏合の衆だった。
 それでも、護衛の任に就いていた稲荷狐が皆、末姫の命を奪おうとした事実に、以前、美鏡が逃げたくなったのもわかるような気がした。
 周囲に味方がいなくなり、太郎も逃げ出した。
 戻った美鏡は、えらい奴なのだと思う。
 美鏡にとっての末姫と、太郎にとっての姫様は、同じなのだろう。
「しばらく一緒にいてもよろしいですかね?」 
「出雲に保護を求めては?」
「一柱も割って入らなかった」
 なずなが言った。稲荷狐は神に仕える妖である。
 末姫は、末席といえ、一柱と数える存在だ。
 見て見ぬ振りをした出雲の神々は、少なくとも、末姫の味方ではない。
「この御輿、乗り物としては悪くない。黒之助も朱桜と私を抱えて飛ぶのは疲れるだろう?」
「やっぱり、お疲れなのですか? わたし、重かったですか? なら、痩せるのです! そうすれば、いっぱい抱えて、もら、え……えええ! いいのです、御輿に乗るのです! 駄目なのです駄目なのです! そう、駄目なのですよ!」
 はぁと、黒之助は言った。朱桜ちゃんは重くないよなと、太郎は思った。
「い、嫌というわけではないのです。決してないのです! でも、クロさんが疲れるのは、嫌なのです!」
「俺に乗ってもいいぞ?」
 太郎の方は、余力も面積もあった。何せ、大きさが違う。小山のような大きな狼なのである。
「……嫌です。ふさふさは好きだけど、嫌なのです」
 否定されて、太郎はしょんぼりとした。葉子がにやにやして、黒之助が勝ち誇ってるように見えたのが癪だった。
「一日さよ。一日で、海を渡る。あとは出たとこ勝負さね」
「……そうだな」
 逢える日はそう遠くないだろう。
 姫様の存在を感じる。誰にも言っていないが、場所も、何となく感じている。
 太郎は、ぼんやりと、古寺での暮らしを考え始めた。
 
 
「ああ、そうか。そういう手もあるのか。これなら……」
 紛い物と断じた亡骸をしげしげと見やり、そう言って彩花は頷くと、胸の上に手を置いた。
「……偽物?
「あれが、偽物だと? この私に妖と神の区別が付かないとでも言うのか!?」
 葉美が叫んだ。
「神ではあるのでしょう。でも、本物ではない。これはまだ、新しいのですよ。混沌は古い神でしょう? そう、あの時の猿と同じです。これは本物の神を模した紛い物ですよ」
「混沌ではない?」
「紛い物でも、力はあります。もしかしたら、混沌から生み出されたのかもしれない。混沌の子供か孫かと言ったところでしょうか。並の妖が束になってかかっても、これには勝てませんよ。さてと……そろそろ、いいかな」
 火羅の前に座り直した彩花は、目を白黒させる妖狼の頬を挟むと、その唇にすっと唇を押し当てた。
 火羅の渇いた唇を、彩花の柔らかな舌がこじ開ける。
 ごくりと、彩花の喉をせり上がった何かが、火羅の喉を落ちていく。
 火羅は瞳をとろりと蕩けさせ、彩花は蠱惑的に目を細める。
 唇を離し、上手くいくでしょうかと微笑むと、火羅の身体が痙攣を始めた。
「何を、したの!?」
 彩花に何かを口移しにされてから、身体が蝕まれていく感覚がせり上がった。
 地面に這いつくばり、手足を波立たせても、彩花はにこりとして笑みを崩さなかった。
 掴みかかろうとして、何かを吐いた。何度も吐いて、吐いて、その上で身をのたうち回らせた。
「私、死ぬ、の?」
 そう言うと、彩花は両膝と両の掌を地面に付け、犬のように覗き込んで、火羅に言った。
「死にませんよ」
「死にたくない、死にたくないよ、やだ、やだ」
 腑が、肉が、骨が、皮膚が、血が、どくりと蠢いていた。
 葉美が、腰を滑らせ、後退っている。
「ええ、死にませんとも」
 いけたかなと、彩花は首を傾げた。
「腕、が……」
 葉美が絶句した。
 肉の塊が、火羅の欠けた四肢から伸びる。
 膨張し、収縮し、それは足になり、手となった。
 火羅が悲鳴をあげる。
 包帯が剥がれ落ち、瞳がぐるりと回転する。
「そう、あの術を応用すれば、こんなことも出来る」
 火羅が、自分の手と足を見て、息を呑んだ。
 白い肌があった。包帯ではない。自分の肌は、こんなに綺麗だったのかと、火羅は思った。
「あ、あああ、私の、手、私の足、傷が、ない、目が、見える」
 白い手が、背中に触れた。
「火傷が……ない」
 それから、胸に触れた。
 豊かな膨らみの下に、赤い疵が残っていた。
「彩花さん」
 喜色を隠しきれない火羅に対し、彩花は腹立たしげな眼差しを向けた。
「これで、火羅さんは、私の物ですよ」
「え?」
 また、悲鳴をあげた。新たに得た身体が痛みを発しているのだと、火羅は吹き飛びそうな意思の中で、懸命に考えた。
 両手を見る。
 右腕で禍々しい紋様がのたうち回り、左腕で甦った火傷から膿が滲んでいた。
「痛い? ごめんね、火羅さん。でも、しょうがないよね。私の玩具なのに、何を思い浮かべたの? これからは、こんなことないようにしようね? わかる、よね?」
「貴方は、どこまで、私を」
 ひびが入った。
 ひびが入り、崩れ落ちた。
 もう、それを繕う力が、火羅にはなかった。
 誇りを失っても、地位を失っても、力を失っても、一族を失っても、身体を失っても、彩華を失っても、赤麗を失っても、太郎を失っても、葉子を失っても、火羅は耐えていた。
 しかし、一人だけの大切な友人を失っていたのだと理解した瞬間――空っぽになった。
 もう、火羅には何もない。
 本当に何もかもなくなってしまった。
「ん――?」
 静かな微笑を浮かべた火羅に、
「ああ……せっかく治したのに、毀れちゃったの?」
 そう、彩花は言った。
 白い火羅は、静かに微笑し続けていた。
 ま、いっかと、彩花は興味なさげに言った。