小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~お金を得ようとする話~

「……なかなか買ってくれないわね」
 獣の尾で飾った傘の下、膝を曲げた艶やかな少女が、はふっと暇そうにため息をついた。
 七星天道をしっしと払い、緑黄金を戯れに弾く。
 わざわざこの日の為に黒く染めた髪を、火羅はくしゃりと掻き乱した。
 道の端に藁敷を引き、書画を並べたのは朝のこと。日除けの傘も借りていて、長期戦の構えである。
 梅雨の合間の晴天に、彩花が村に行くというので、描き溜めていた書画を抱え一緒に下りたのだ。
 目的は一つ、自作の書画を売るためである。
 彩花の札はよく売れる。
 だったら自分だって――そう気合を入れてみたが、売れない。
 さっぱり売れない。
 笑ってしまうほど、売れなかった。
「都の流行だって取り入れてみたのに」
 草団子を口に放り込んだ。二つ買っていて、一つは残してある。
 二人分買ってしまったから、このままだと赤字である。
「あの子の薬とお札は売れてるじゃないの! どうして私の書画は駄目なのよ!」
 今のところ、売れたのは短冊一つだけだ。
 子供達を連れて通りかかった月心が、万葉集の一首を手に取り、懐かしいと買ってくれたのである。
 詠み手を知っているあたり、さすが先生と呼ばれるだけのことはある。買ってくれて、牙が出そうになるほど嬉しかった。多分、尾は振っていたと思う。狼狽える沙羅を見て我に帰らなければ、人ではないとばれていただろう。
 そう、何故か一緒にいた沙羅は、湿ってしまうと手に取りもしなかった。全く、いつも話を聞いてくれるというのに、ひどい河童である。今度、昏々と絵の素晴らしさを語ってやろう。
 子供達は、興味津々と見てくれた。
 男の子は獣の絵に興味を持って、女の子は花の絵に興味を持って、お金を持ってないから興味を示してくれただけで。
 一応、村の大人達も覗いてはくれる。
 絵を並べているのが珍しいのか、火羅がこうして腰を下ろしているのが珍しいのか知らないが、寄ってはくれるのである。
 彩花のお札のような効能はないと告げると、去っていくけれど。風流よりも、日々の暮らしに役立つかどうかが大事らしい。
「あー、もう、難しいわね」
 
 
 
「火羅さんは、いったいどうしたのでしょうか?」
 古くなったお札を束ねながら、姫様は黒之助に話しかけた。
 今日のお供は烏天狗、太郎は留守番、葉子は人目を避けていた。
「火羅殿でござるか?」
 一軒一軒、新しい札と古くなった札を交換し、頼まれていた薬を渡していく。
 時には、その場で札を書くこともある。
 日々の話をしながらなので、回るのに時間がかかる。姫様は、その時間が好きだった。
「最近、お仕事を――お金がほしいとよく言いますよね」
「確かに」
 黒之助の背負った笈に、古いお札の束を入れる。古いお札は、小妖達の良いおやつになった。古くなると、札の効能は薄れる。そのわずかに残った力が、癖になるのだそうだ。
「私達の暮らしに不満があるのでしょうか」 
 市女笠をかぶり、記帳をめくる。村で笠を被っているのは姫様だけだった。
 肌の弱い姫様にとって、日除けは必需品。
 傘を火羅に貸したので笠を使っている。
 慣れていないからか、よく足元が疎かになり、黒之助に支えてもらった。
「西で名を馳せていた時は、優雅な生活を送っていたでござろうからなぁ。物足りなさを感じているのやも知れません」
 顎鬚を撫でる黒之助。
 姫様は、火羅と初めて会った時の、豪華な乗り物と衣装を思い浮かべる。
 たくさんの従者――赤麗のような――が仕えていた暮らしと比べれば、今の生活は質素なもの、言い換えれば貧相だろう。
「それに……外で、誰かと会っているようですし。言ってくれれば、蓄えはあるのに。私、けちだと思われているのかな」
「姫さんは惜しむ人ではないというのに」
「皆さんは使いすぎです……あれ?」
 
 
 
「ひいふうみいよう……あんなに頑張ったのに、これだけなの」
 緋色の巾着の中身は、両手で数えるほどしかなかった。
 朱桜に借りたお金を踏み倒せば良かったと思うほどの少なさだ。
「えっと、葉子さんの肩を揉んだ代金がこれで」
 葉子の肩を一生懸命揉んで、お駄賃だとくれた分。
 これは、上手くいった仕事である。
 腰を揉んでいた彩花の見よう見まねだったが、筋が良いと言ってくれた。  
「太郎様は……駄目だったなぁ」
 太郎が狩りに行くというので、手伝いますと付いていった。
 何の役にも立てなかった――どころか、くしゃみをして獲物を逃がしてしまった。
 干し肉を一緒に食べて、美味しくて幸せだったけど、その日の成果は無しだった。
 お金をもらおうとは思えなかったし、後々大変だった。
「黒之助さんのお手伝いは、いい稼ぎになったわね」
 頼まれたのは一冊の書写で、さっとやってのけた。
 もっとしたかったが、それ以上、仕事はないという。
 そもそも修行の一環だったそうで、頭領と彩花が苦笑いしていた。
「家事は苦手だし、炊事は苦手、掃除は苦手、洗濯は苦手、私って、本当に、役立たずよね」
 自分の不器用さが惨めになる。これで偉そうにふんぞり返っていたのだから、嗤ういかない。
 とにかく、だ。
 火羅には欲しい物があり、そのためのお金が必要だった。
 はたと思い至ったのが……居候である火羅には、収入がないということだ。
 古寺の経済状況はと観察していると、非常に大雑把だった。
 全体の財布の紐を握っているのは彩花である。
 小妖達はさておいて、太郎様や黒之や葉子はどうしているのかと伺うと、彩花に欲しい分だけ貰っている姿をしばしば目にした。
 あの三人には、予算をたてるという概念があんまりないらしい。
 多分、同じように、お金が欲しいと言えばくれるとは思う。
 火羅の衣を揃えたときも、気前よく出してくれた。
 しばしば催す宴も、馬鹿にならないはずだ。
「あの子は優しいから、大丈夫だとは思うけど、それじゃあ意味ないもの」
 火羅は、古寺の暮らしが、好きだ。
 心地よいと思っている。
 ずっと続けばいいと思っている。
 彩花が気にする必要はないと思っている。
「何やってるですか?」
「あー、はい、絵と短冊を売ってるの。都の流行の品々よ、どうぞ手に取って見て行くといいわ、って、あんた、朱桜」
 ちんまりとした鬼の姫が、不思議そうに見つめていた。
 まるで、地面から湧き出したように、火羅の目の前にいた。
 肩で削いだ髪、白い小さな手、鮮やかな赤い衣、身体に纏わりつく黒い影。
 明日来るとは聞いていた。
 一日、早めたのか。
 虚ろな瞳から、火羅は目を逸らした。
「見てわかんないの? 書画を売ってるのよ」
 古寺ならいざ知らず、村で本性を表すことはないだろうと自分を落ち着かせる。
「ああ……彩花姉さまに追い出されて、物乞いに身をやつしたのかと思ったです」
 子供らしくない不気味な笑みを浮かべると、朱桜は手に取って眺め始めた。
「ちょっと、これ、売り物なのよ」
 声を潜める。付き人はいないようだ。今の朱桜に、付き人など意味がないと、あの親馬鹿も悟ったのだろう。
「それぐらい、わかるです。これは、源氏物語を題材にしたですか」
「あら、わかるの? 都で流行ってるらしいじゃない」
 おやと、身を乗り出す。この食いつき方は、月心以来だった。
「読んだです。光源氏、きもいと思ったです」
「……あ、そ、そう」
 身も蓋もない言い方だと火羅は思った。
「売れてるのですか?」
「売れるかなと思ったけど……散々よ。買ってくれたのは、月心さんだけね」
 草団子を差し出すと、毒ですかと言われた。
 むっとしながら茶屋で買ったのよと言うと、美味しいですと食べていた。
 いっぱいに詰めて、頬が膨らんで、可愛らしかった。
「火羅の絵は、変だから売れないですよ。才能が感じられないのです。彩花姉さまを見習うのです。書は、まぁまぁなのです。こなれてるのです。でも、彩花姉さまの字のほうがいいのです。撰んだ歌も古いのです。もっと新しい、せめて後撰和歌集から……あ」
 朱桜が一点を見つめた。
「絵を描くのは好きだけど、描き始めたのは最近だし、まだまだ売り物には程遠いかしら。でも、彩花さんの絵は、どうなの。あの子の絵、怖いじゃない? 何だか平面的というか、対象の面影がないというか、私と同じものが見えているのか不安になるというか、見てると夜一人で眠れなくなるというか」
「これ、いくらですか?」
「すごく熱心に描いてくれてたのに……あの子は、あんな風に私のこと認識してるのかな。そりゃ、私は妖怪だし、正体見せれば狼よ。でも、驚いたわー。綺麗な笑顔で、あんな絵を見せられて、どうすればいいかわからなかったもの。部屋に飾ってるけど、妖気は感じないけど、時々怖い」
「だーかーら。たわ言はいいのですよ。彩花姉さまの絵は拝んでいればいいのですよ。精一杯ありがたがるのです。これ、この絵はいくらですか?」
「あー、それ? ちょっと待ちなさい。いくらだったかしら」
「才能の微塵も感じられない、厠の落書き未満なのです。でも、この彩花姉さまは……好き、です」
「彩花さんの絵なら、もっとあるわよ」
 彩花の絵は描く機会が多く、あれだけ村で人気があるなら売れるかなといっぱい持ってきていた。
「出すです」
「ちょ、ちょっと」
 がしっと頭を挟まれた。
 瞳の奥に火が点いて怖い。餡が口の端についている。
「早く出すです。早く出すですよ? あるだけ出すです全部出すです!」
「待ちなさいよ! でも、貴方、私の絵は才能がないって」
「……下手ですが、売れないのは可哀想なので、買ってあげます。これも、貸しなのです。火羅は、貸しを作るばかりで、さっぱり返さない悪い子なのです」
「じゃあ、いいわよ。貴方の施しなんて……受けないわ」
「……売ってくださいお願いします」
 朱桜が頭を下げた。
 火羅の目が点になった。
「い、いいけど」
 はにかむような笑みを浮かべた朱桜に、ああ、彩花の妹なのだと火羅は思った。
「部屋いっぱいに、飾るです。いえ、専用の部屋を作るです。父上様に早速お願いするですよー」
「お買い上げ、ありがとうございまーす。何だか、いけないことをしてしまったのではないかしら。でも、目標額を越えたし、いざ!」
「欲しいものがあったのですか?」
「貴方、今日は古寺に泊まるの?」
「勿論なのです! 彩花姉さまを驚かせるのですよ。ちゃんと着替えも持ってきたのです」
「貴方の分も、必要ね」
 
 
 
「彩花姉さまー!」
「やっぱり、あの気配は朱桜ちゃんだったんだ」
「あの、あの、お泊りに来たのです。急だけど、駄目ですか?」
「歓迎します、朱桜ちゃん。火羅さんと一緒だったの? 火羅さんと!? うん、うん、その、売れました?」
 姫様は、ほっと安堵の息をついたように見えた。 
「さーっぱり。でも、ちびっ子のおかげで助かったわ」
「はい?」
 ちびっ子と、姫様は首を傾げた。
「あー、可哀想だったので、何枚か買ってあげたのです」
 お財布がからっぽなのですと、緋色の巾着を姫様に見せた。
「ええ。お蔭で、目当てのものが手に入ったわ」
 姫様は、市女笠を外した。
「火羅さん、お金なら」
「いつも、ありがとう」
 はいと、火羅は、肉の塊を彩花に見せた。
「迷惑ばかりかけてるのに、優しくしてくれて、ありがとう。これ、何の肉かわかる? 牛のお肉なの、珍しいでしょ? 昔、私の屋敷に顔を出していた妖に、売ってもらったの。このお肉、すごいのよ。そんじょそこらの牛じゃないわ。食べるために育てているのよ。育て方にも秘密があるらしくてね、酒滓を餌に混ぜてるって話だけど、焼くとじゅわっと油が出て、口の中でとろけて……もうね、早く食べましょうよ」
「火羅は、食い意地が張っていて意地汚いのです」
「わざわざ貴方の分も買ってあげたのに!」
「この肉を買うために、色々と動いていたのでござるか?」
 黒之助が、苦笑しつつ問いかけた。
「もちろん、私が食べたかったのが一番の理由ですわ」
 火羅が、恥ずかしそうに言った。
「皆で、一緒に食べましょうか」  
  
 
 
 その夜、売れ残った――火羅が、朱桜に見せなかった絵を渡すと、彩花は嬉しそうに礼を言った。
 妖狼に背中を預ける少女の姿が描かれていた。