小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(42)~

 一人で抱えきれなくなった。
 いや、そうではない。
 薄々感づいていた。
 自分の知らない誰かが古寺にいることに。
 隠れ潜んでいたその誰かは、気侭に出歩くようになり、火羅を助け、大妖を退け、鬼ヶ城を救った。
「私は知りたくて――知りたくなかった」
 鬼ヶ城でのように、力を吸い上げていく。
 世界を変える莫大な力を取り込み、手のひらに凝縮させる。見て見ぬふりをしてきたあの人の姿を創造する。
 一人では担えない。
 一人ではない。
 知らないふりをしていた。
 知れば、全てが壊れると思った。
 知ってしまえば、全てを失うと思った。
 あの場所は――偶然の産物の私の故郷は、私だけの故郷で、他の誰の故郷でもないと知っていたから。
 彼岸の日、帰る場所がないのは、私だけだ。
 私の居場所は、あそこだけだ。
「太郎さんを助けないなんて、できない。できっこない。もう一度、あの時、あの場所に立てば、太郎さんを救うに決まってる」
「あれで、調和が崩れたのじゃなぁ」
 翁が、そう、言った。
 痩身の、白髪で、薄汚れた翁である。
 乱れた黒髪の下、少女は、惹きつけられるように、柔和な顔を見下ろした。
「頭、領……私が、私で、なく、なる、なくなって、しまうの、です」
 八霊――皆に頭領と呼ばれていた翁が、荒涼とした岩山の先端に腰かけていた。
「あの女は?」
「あの、女?」
 苦しい息の合間に、問い返す。
 自分の意識が自分の意識とは思えない。
 ここまでの記憶が曖昧だった。
 鬼ヶ城にいたはずなのだ。
 太郎は、葉子は、火羅は、朱桜は、どこに行ったのだ。
「……ぬしの、生まれえないはずだった片割れよ」
 あの女だ。
「火羅さんと、どこかへ、行きまし、いやぁ!」
 半身の感覚がなくなっている。二重になり、ぼやける身体の輪郭。
 それだけではなく、意識をもぎ取ろうとしている。この短い間で、二度、意識の空白がある。
「酷い姿になったのぉ」
 眠りたかった。
 何もかも忘れてしまいたかった。
 忘れて、子供の時分に、戻りたかった。
「まだ、どう、すれば」
「なるようになるであろうよ」
 そうだ。
 この人は、肝心な時に、何も、何もしてくれないのだ。
 何も――。
 意識が飛ぶ。
「わしの作った結界は壊れた。彩花自身で、壊してしまった。このわしの力を、このわしの首一つを使って作った結界を……壊せるほど成長したのだなぁ。わしがやれることは、もはや、ないのだ。すまぬ……わしの力の及ばぬ話じゃ」
 向かい合っていた。
 ふわりと、降り立ったのだ。自分は、空に浮かんでいた。そんなこと、クロさんに背負ってもらえなければできなかったのに。
 頭領がしゃべると、意識が戻る。久々に聞く、諭すような心地よい語り口が、ふっと意識を引き戻してくれる。
 近くで見て、傷ついていると思った。
 傷だけではない。こんなに皺が深かったのだろうか。白髪が、くすんでいただろうか。
「私は、何なのですか?」
「さて、難しいの。人であり、妖怪であり、神であり……その、どれでもなかろうよ」
 翁の半身が、ゆっくりと立ち上がった。
 腰かけていた岩山が、押し潰され、崩れていく。
 その姿が、変化、していく。
「そうやって、誤魔化すの! いつも、いつも、誤魔化すの!?」
 見上げ、吠える。
「……人と神の間に生まれし双子の片割れ」
 砂煙の向こうから、しゅぅと、息が吹きかけられる。
 次々に、しゅぅと、音がして、立ち込めた砂煙を吹き消した。
「姉は、形をなすことが出来なかった。形をとった妹は、姉の残滓を宿していた。双子は、不吉。その上、よ。なればこそ……わしに預けられた」
「私の、親、は」
「今もおるさ。出雲で、お前を殺せと言いおったわ。渡したあやつが殺したものと思っていたのであろうよ。勝手よなぁ。あやつは良い女じゃが、娘の育て方を間違った」
「出雲に、私を、殺せ?」
 七本首の、巨大な蛇。
 一本だけ、頭のない首の切り口を、彩花は見やった。
 翁――蛇の首に下半身が繋がる老人は、髭を撫でながら、口元を綻ばせた。
「まぁ、待つがいい。人と神の力、そして姉妹の魂、一つの身体で収めるには少々荷が重かったようでの。ばらばらになりかけていた。死ぬであろうと思った。死なせたくないと思った。上手く調和を保つために、わしは結界を敷いた。生半可な結界では壊れるであろうと踏んで、首を一つ、捧げた。こう、すっぱり切っての」
 首に、とんとんと手を当てた。
「痛かったぞ」
 蛇が、言った。
「あんなに痛かったのは久々ぞ」
「生まれて初めてやもしれぬなぁ」
「あの時は酔いつぶれていたからのぉ」
「わしは、酔いが浅かったからの、案外に痛みは感じたぞ」
「女が来てくれると、酒も飲まずに待っておったからのぉ」
 口々に、蛇が言った。
「甘い、甘い……さぁて、人と神、そこに妖の、わしの力を加えた。姉の残滓は一つに集め、わしの結界の要とした。ふむ、聞いておるか」
「聞いて、います、とも。そして、それから?」
「おぬしの性格が変わった」
「……性格?」
「急に大人びて、そう、それと同時に、身体も弱くなったの。野山を駆け回ることを、しなくなった。溺れたのも、その頃じゃった」
 昔の、自分。
 変わったと、よく、妖達は言う。
「落ち着いたと思ったが……結局、危ういところで踏みとどまっていただけであった。太郎に力を注ぐことで、結界は崩れた。いや、一度高まったがために、わしの力でも、抑えきれなくなった。あとは、そう、知っているであろう。表舞台に出るようになった姉に、わしの首は喰われた」
「父母が、殺せと」
「言った。悪いときに、妖狼の娘が来てからの。どちらかしか、関われぬ……わしは、争った。たかが出雲の神々風情が、このわしに、この国の化身たるこのわしに、指図できると思うわ笑止。おかげで、随分と力を失ったが、撤回はしてもらった」
「私を、守ろうと、して、くれたの、ですか?」
「葉子も黒之助も太郎も、おぬしの傍におる。じゃから、安心しておったが、九尾の狐の力を侮るではなかったわ。いや、見誤った。玉藻御前の意図も、おぬしの強情さも……すまぬ。辛い思いをさせた」
「信頼、していたの、ですね」
「……あやつらは、わしらの家族じゃからなぁ」
「わしら、ですか。私は、私は、頭領の、頭領にとって、私は」
「ふむ、娘か、孫か、さて……なぁに、家族であることは間違いなかろう」
 そうかと、彩花は、頷いた。
 お母さんだけじゃ、なかったのだ。
「教えてほしかった。そうすれば、私は」
「それは、わしの勇気のなさじゃなぁ。おぬしを失うことが、怖かったのじゃよ」
「頭領にも、怖いことがあるのですね」
「あるさ……昔はなかったが。もう、駄目かの」
「頭領、逃げて、下さい。また、いえ、もう、私が私でなくなります」
「ふむ、よいさ。たまには反抗されるのも悪くない」
 八岐大蛇が、そう、言った。
 そうして幼い姫様は、頭領と争いを始めたのだ。
「太郎さん、しっかり抱いて下さいね」
「わかってるって。二度と、離すかよ」
 見上げる。
 大きな顔だ。
「ねぇ、太郎さん。私にも、家族がいたんだよ」
「はぁ? 当たり前じゃねえか、それより」
 ああ――そうだったのか。
「嬉しい、なぁ」
 たかが、国造りの力だ。
 私は――あやかし姫だ。
 形作る。
 形作ってみせる。
 女が、こわい顔をしている。
「愚かな真似を」
 女は、苦笑する。
 姫様は、微笑する。
「でも、その方が良かったでしょう? 太郎さんを渡したくありませんし」
「それは、お前の意識が」
「彩花さん、彩華、さん」
「火羅……もうしばらく、遊べるようじゃ」 
「太郎さん、あの」
 太郎が、姫様を抱え、葉子と朱桜の傍らに行く。
 黒之助が、太郎と拳を打ちつけ合った。
「ご迷惑をおかけしました」
 青色吐息――それでも、謝る。
「そんなの、いいのです、ただ、彩花姉さまが無事なら、こうして、お会いできるなら、私は」
「……まだ、あたしは、母親面出来るさか?」
「私のお母さんは、葉子さんだけです」
「そうさか……なら、もう少し母親の振りを」
「葉子さん……ありがとうございます」
「はん、母親を泣かせるもんじゃないさよ」
 またねと、姫様は呟いた。
 あの子も、またねと言った。
「誰に、お別れしたんだ?」
「……秘密です」
「そうか」
 太郎だけが聞いていた。
 太郎だけには、聞いてほしかったのだろう。
 あの、昔の自分は。