小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~猫(4)~

「火羅は、偉い人だったですよね?」
 突然、朱桜が尋ねてきたのは、朝餉の片づけをしている時だった。姫様が稲荷の童の許から帰ってこなかったので、渋々二人で洗い物をすることになったのだ。
 手を動かしなさいよと軽口で返そうとして、思いつめたような表情はそれを許さず、火羅はしばしその問い掛けを吟味した。偉い人――単刀直入で、何やら深い意味がありそうである。かっては西の妖狼の姫君で、九州の妖怪達を纏め上げていた。地位が高かったのは間違いないだろう。
「以前は、九州の妖達の顔役をしていたわ」
「大変だったですか?」
「大変、だったわね。毎日毎日、あっちで戦、あっちで謀、九尾に対抗しようと中堅どころの妖怪達で同盟を作ったけれど、疑心暗偽でまとまりがつかない、そもそも身内からして信頼できない。私は、強い方だったとは思うけれど、絶対的ではなかったもの。なかなか難しかったわ」
「そんな大変な役をどうしてやったのですか?」
「随分と突っ込んでくるわね。あんたは、私のことなんて興味ないと思ってたのに」
「父様が言っていたのです。何時か、東西の鬼が一緒になればいいと、その時は私が頂になればいいと。彩花姉様の話を聞いて、思い出したのです」
「彩花さんの夢の話で? 脈絡がさっぱりないわよ」
鈴鹿御前さんは、鈴ちゃんを飼っているのです。可愛らしい化け猫さんなのです。鬼の傍にずっといるから、幼くして妖怪になったです」
「ふぅん、化け猫ねぇ。そういや、そんなのがいたような気がするわ」
「私には、父様の言うことがよくわからないのです。でも、もし、東西の鬼を束ねることになったら、鈴ちゃんや光君や白月ちゃんと、あんまり遊べなくなるのかなって。それは、とっても嫌なことなのです。火羅は、人の上に立つことが、嫌じゃなかったですか? 火羅は大嫌いだけど、火羅の話が一番参考になると思うのです」
 言われてみれば、朱桜の考える場所に、規模が違うとはいえ、立っていたことがあるのは自分だけだろう。もし助言できるなら、やってあげてもいい。この娘は、どこか毀れていてとても危ういが、周囲が上手く導ければ名君になれる可能性がある。勿論、暴君になる可能性の方が高いが。この地に預けるという判断を下した酒呑童子は聡いと思えた。
「私は、そうね、私以外に一族を上手く纏められる者はいなかったからかな。物心ついた時から、一族の長であった父親の醜悪な姿を見ていて――貴方は、阿蘇の火龍という龍神を知っているかしら?」
阿蘇の火龍、ですか? 白月ちゃんがいた社の龍神さんの同胞さん、だったでしょうか?」
 自信がないですと、朱桜は言った。
「死んで随分とたつものね。九頭龍の末裔たる阿蘇の火龍は――私を求めた。私は嫌だったけど、父親はそれで一族の安寧が守れるならと言って、私を差し出した。おかげで私はおぞましい目にあった。今でも夢に見る」
 洗い物の手を止め、両の掌を重ねる。夢に見た日は、誰かに縋る。以前は儚くなった従者だった。
 今は彩花と彩華に縋る。
「力があれば、あんな思いをしなくてすむ。父は保身に励むだけだもの、やれるのは私だけだった。だから、西の妖狼を率いて――結局失敗してここにいるわ。全身全霊で打ち込んで、辛いこともたくさんあったけど、嫌じゃなかった。もうね、やらなきゃいけないことが多すぎて、余裕がなかったのよ。余裕が出来た時はこの様よ」
「私でも同じことができるでしょうか?」
「あんたは、腹立たしいけど私なんかよりずっと強い。身辺を見渡せば、あの酒呑童子が父親で、彩花さんが義理の姉。上に立つための条件だってずっといいわ。それでも、上手く出来るかどうかは、あなた次第と言うしかないわね」
「褒めているのですか?」
「……上に立つということは、大変よ。嫌なら嫌と言ってしまえばいい。あなたの姉はね、多分、あなたの選択を無理やりにでも通してくれるわ。気をつけないといけないわよ。それが万妖の為にならない選択でも、あの子は道理を引き摺り下ろしてしまう。とても頼もしく、とても怖い人を、あなたは姉にもっているの。言っておくけどね、彩華さんよりも彩花さんの方がずっと恐ろしいわよ」
 むすっと、朱桜が口を尖らせる。
「そんな恐ろしい彩花姉様の傍から、さっさと離れればいいじゃないですか」
 魅入られたものの、奇妙な連帯感。そんなことを口にしようとして、今、この場所にいない人のことを考えやめにしておく。さわらぬ神に祟りなし、口は災いの種という。
「馬鹿ねぇ、恐ろしいけど頼もしいし、なにより……うん、親友だもの、離れるのは辛いわ。今の私の寄る辺なのよ。離れてしまったら、生きていけるかしら」



「人を襲うのは、感心しない」
「そうはいっても、向こうから襲われたでな。降りかかる火の粉は払わねばならぬ、そして妾は躊躇せぬ」
 紅い月を背に、欠伸を一つ。
 廃屋に屹立する少女は、つまらなそうに、真新しい亡骸を一瞥した。
 束の間の寝床には、無謀な行いと引き換えに命を落とした愚か者達が、喰うに値せずと放置されている。
「……頼光からの言伝だ」
 女も、それ以上言い募ることなかった。
 流れた血に関心はなさそうで、無機質に依頼だを果たそうとしている。
 廃屋に居を構え気侭に振る舞う少女を、都は見逃していた。討ち取ってしまえという声もあるが、少数に過ぎない。鵺のように取り込めれば良し、取り込めなくても実害がなければ静観というのが大方の方針である。
 その背後にいる人物の厄介さも合わせて、手を出しにくい案件なのだ。
「都から流れた妖怪が、寺の近辺にいる。是非ともよしなにとのことだ」
「随分と有り難い言葉じゃなぁ。そんな輩をどうにかするのが、お前達検非違使の仕事ではないのか?」
「地方の雑事に関わっている暇はないのだ。伝えたぞ、あやかし姫」
「待てよ、綱姫。茨木童子の腕を奪ったその腕前――妾に見せてはもらえぬか?」
 対峙するのは、百鬼夜行をその身に宿した異形の姫君達。
 嘲笑を浮かべた彩華が凄まじい殺気をぶつけたが、白拍子姿の綱姫は面のような表情を眉一つ動かさなかった。
「妖狼の姫が寂しがっているそうだ」
「む」
「寂しさのあまり、手近の者と懇ろに……などと、頼光が言っていたが、それはどういう意味なのだろう」
「きぃ、さぁ、まぁ」
「私はよくわからないが……寂しがっているのだから、会いに行けばいいのではないか? 頼光や子供達は、それだけで元気になるというぞ」
 そう言うと、綱姫は一つ礼をした。
「ほぉ、盗人にも気配りを忘れぬか」
「この店は、私の知っている店だった。妖怪に襲われて、皆、死んでしまったが。未だ穢れの残る場所ではあるが、あまり汚さないでほしい」
「……承知した」 
 彩華の影が闇夜に広がり、ずずっと亡骸を呑みこんでいく。全ての亡骸を呑み干した時には、綱姫の姿はなくなっていた。
「妾のものであると、しっかり教えてやらねばなぁ」