小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~猫(9)~

 鬼姫の技が、大角を生やした男に片手で払われた。
 務めて冷静になろうとしていた姫様の掌に、じんわりと汗を噴き出した。ああなった朱桜の攻撃を、簡単に防げるものではないのだ。
 小妖達に宇嘉達を呼ぶように伝えると、どうしたものかと考える。
 自分が狙われているらしい。
 見えるのは、数人。
 その中には、知っている顔がある。つい先日も訪れた、あの行商人の少女だ。
 何時から謀れていたのだろう。こんなことになるなんて、思いもしなかった。
 火羅の衣も、沙羅の帽子も、人懐っこい行商人から買ったもので、評判は上々だったのだ。
 朱桜の周囲に、複数の黒い弾が浮かび上がっている。
 姫様は、思考が逸れているとわかっていても、考えを纏められなかった。
「まずいわね、朱桜の頭に血が昇り過ぎてる。でも、無理ないわ。どうやら、あの男は別格みたいよ」
 何の妖怪かしらと、火羅は言った。
 赤い息が口元を覆っているが、声色は穏やかなものだ。
「不思議な取り合わせですね」
 火羅も葉子も太郎も、修羅場を何度も潜り抜けている。
 その落ち着きは、堂に入っていた。
 三人の姿を見ていると、姫様の頭の中が澄んでいく。取り乱しても好い結果は生まれない。自分に出来ることは少ないが、やれることはやるべきだった。
 襲撃者から感じ取れる気配は、妖気も神気も混じっている。
 矢をつがえた女の妖怪は神使だろう。羽矢風の命に仕える狛犬と似通った印象を受ける。
 行商人の傍……蛇の下半身を巻きつかせている女は、濡れ女という妖怪ではないだろうか。
 狼の面をした剣士は、火羅や太郎と同じ妖狼だろう。
「あの妖狼の容貌に、見覚えがあるわ。あれは、伐折羅という名のはずよ」
 そう、火羅が言った。
「傭兵や用心棒を生業とする、南の妖狼だわ」
 太郎が知らないと言った。
「じゃあ、その隣にいる女は安底羅かい? 確か、狒々だったか。二人でよく組んでるって話を聞いたことがあるさね」
 狒々に好ましい思いはない。
 太郎の村を襲ったのは、大狒々の率いる群れだった。
「十二人いるのでしょうか」
「十二? 何の根拠があるのかしら?」
「伐折羅に安底羅――十二神将に由来があるのかと」
 葉子と火羅が、ああと頷いた。
「黒之丞とやりあっているのもそいつらの仲間さかね」
「十中八九、そうだと思いますわ。お二人を行かせたのは失敗だったかも」
 二発、三発と術を払われ、業を煮やした朱桜が、やたらめったらに弾を放った。
 火羅が舌打ちして、見えなくなるでしょうにと言った。
「あの、彩花さん、これは?」
「葉子の姐さん、これは一体何の騒ぎです!? 部屋にいるときは何にも感じなかったのに」
 宇嘉達だ。おっとり刀で駆けつけて、向こうで見える爆発に驚嘆した。
「これだけ騒いで感じなかったって、そんなことあるさよ?」
「あるということは、何かをされているのでしょう」
 煙が晴れる。
 男が一人残っていて、誘うように手招きした。他の者達の姿は見えない。
 瞬間、掻き消えた朱桜の姿は、男の目の前にあった。
「だからあの子は、戦い慣れてないって言ったのよ」
 小さな鎖に、鉄の錘がついた武器が、姫様の前に差し出された火羅の腕に絡みついていた。
「遠くに行ったら、彩花さんを守れないじゃない!」
 赤い毛で覆われた腕を振り回すと、神使の少女が力づくに引きずり出される。
 舌打ちすると、すぐに武器を離し姿を消した。
「火羅、葉子、姫様を守るぞ」
「言われなくてもわかってるさよ」
 太郎が、安底羅の拳と伐折羅の太刀を受け止めていた。
 葉子の九尾が、濡れ女の身体に絡みついていた。
 ――古寺の結界が、破られた。
 垣根を踏み越え、土足で居間に入ってきた。
 姫様は即座に術の施行に入った。すぐに復元するとはいえ、この場所を荒らされたくなかった。術の展開に、異物を感じる。ほつれと、それにつけこむような歪みだ。宇嘉達が気づかなかったのも、この歪みのせいだろう。頭領が留守にしていたとはいえ、自分の目を擦り抜けて、ここまでやってのけたのは、怖いものがあった。
「ここを、出ましょう。多分ここは、敵の掌中です」
 それでも、古寺の術は遣える。
 頭領と自身で織りなした術式は、そう容易く毀れはしない。
「それがいいと思うわ」
「小妖達は、散るさね。美鏡、宇嘉、姫様の傍を離れるんじゃないよ」 
 ふっと、視界が歪む。
 場所を無理やりに変える。強制的に転移させる。
 自分に太郎、葉子、火羅、宇嘉に美鏡。
 そして、五人の襲撃者。
 小妖達は置いていく。狙いは自分なのだ。その方が危うくないと思った。
 朱桜は連れて行けない。朱桜も、対峙する男も、自分の手に余る。
「朱桜ちゃん! 古寺を、この場所を、お願い!」
「……っ! わかったのですよぉ」
 声をかけるのが精一杯だった。
 朱桜の嬉しそうな顔が見えた。
「ここなの? 良い場所ではないわね」
「広い場所が、ここしか思いつかなくて」
 転移したのは、姫様と火羅が、妖虎に襲われた場所だった。
 朽ち果てた建物のいくつかは、強い妖気を帯びている。
「いいわ、で、さっきからこそこそ隠れてるけど、何時まで隠れんぼを続けるつもり? 鶏の臭いは覚えたわよ」
 じゃらりと、金属音を響かせて、少女が現れる。
 目つきの鋭い、少女である。
 細躯――両肘から掌まで、白い羽に覆われていた。  
「見事」
「迷企羅さんの隠形を見破るなんて、赤いお姉さんも凄いですね。そして、
ごめんなさい、人のお姉さん、上客だったのに」
「貴方……嘘をついてたの?」
 葉子が、楯になるように、姫様の前に立っていた。
「行商人なのは本当です。ただ、別の職にもついているだけです。前は、月で女官をやってたけど……今は、盗賊も少々。あ、でも、大丈夫。最近だと、都の商店を一つ襲ったぐらいで、真っ当な商売をさせていただいています」
 煙管から紫煙をくねらせる姿はやはり人懐っこい。
 傍らに立つ濡れ女が、不気味である。その瞳には何も見えない。
「商店……羅生門の通りにあった?」
 関わりがあるのか。
 あの夢は、襲撃者の謀の一つなのか。
 火羅と睨み合う迷企羅が、不審げに眉を潜めた。
「あれ、よくご存じですね。やっぱり、お姉さん達はただものじゃないなぁ。そうです、そうなのです。あの時もですが、我々は十二人……と、今は、十一人ですか、揃うのは珍しいのですよ。今回は……同胞の仇討ちにきました」
「同胞?」
「この地で崇め奉られていた水蛟――波夷羅は、我らにとって、かけがえのない同朋。親方様はその死に、怒り、嘆き……復讐を遂げようとしている。この地に巣食う愚か者は、全員殺せと」
 濡れ女が、暗い声を出した。
 水蛟とは、頭領が討ち果たしたという、この地の荒神のことだろうか。
 一番の古株である葉子だって詳しくは知らないという、姫様にとっては遠い遠い過去の話だ。
「おあいにく様、頭領は今いないさよ。肝心の仇がいないなんて、今までの苦労が水の泡さね」
「いいのだ……自身の命よりも、大切な者の命を失う方がずっと苛まれるのだから。そこの人の娘を大切にしているのだろう? 誰でも子供を失うのは辛いものだ」
「因達羅母様……そう、ですね」
 半人半蛇――下半身が、とぐろをまいている。
 女の頬の蒼い鱗が濡光を帯びていた。
「もう一度言います、お姉さん達。どうか、僕達の悲願のために死んでください」
 姫様は、葉子の隣に進み出た。
 自然と足が動いていた。
「なるほど、同朋の仇討と、そう言いましたね。その為に、私達を殺すのだと。お話はわかりました。随分と回りくどい手を使いますね。もしかして、元検非違使という方も御仲間なのでしょうか。いいでしょう、私達を殺したいと」
 一つ頷いた姫様は、
「ふざけるな!」
 そう、怒気を発した。
 妖気でも神気でもない、葉子ですら肌に鳥肌がたつ何かを帯びる。
「殺したいと宣うならば、殺される覚悟が勿論あるのでしょうね」
 形容しがたい存在――狼の面影を滓かに残す白刃を呼び出して姫様は告げる。
「受けて立ちます。その願いの為に、何人死ぬのでしょうか」
 そう語る姫様の形相は、火羅が息を呑むほど双子の姉によく似ていた。
「だそうだよ。子の願いを叶えるのが、親の務めさぁ」
 葉子が、怖気を振り払う。振り払い、その九尾をくねらせる。玉藻御前を彷彿とさせる神々しい白い姿は、三人の凶賊を怯ませるに十分だった。





「金銀妖瞳の太郎、であってるのかい?」
「あってるぞ」
 金銀妖瞳を爛々と輝かせ、対峙するのは二人の男女。
 安底羅と伐折羅である。
「安底羅という、しがない狒々さ。お前が、大狒々の婆様を殺したってのは、本当なのか?」
「……大狒々? ああ、お袋や咲夜を襲った奴らか。殺したぞ」
「群れを出て、随分と経つけどさぁ。一応、あんなのでも長だったわけで、仁義を欠かすと、あたしみたいな商売は成り立たないわけで。だから、あたしの食い扶持のために死んでおくれ?」
「黙れ、殺すぞ」
 そう、太郎が唸ると、それまで黙っていた伐折羅の刀が煌めいた。
 一瞬の抜き技、姫様には刃筋すら見えない。太郎は、軽く首を傾けるだけでかわしたようだ。狒々の女が、太郎の腕をとる。振り払おうとした太郎だが、にっと安底羅が笑った。
 安底羅の腕から、力が抜ける。
 そして、太郎の身体が、地に転がった。
「あれ、姫様?」
 怒気を上げる姫様が、逆さまに見えた。
「ほい」
 首筋に絡みつく腕を払いのけようとするが、太郎の背後に回った安底羅は執拗で、剛力だった。締め付けると、すぐに、太郎の顔は真っ赤になった。
「こいつ!」
 狼の姿になり、無理やり振りほどく。
 安底羅はしたり顔で、
「何だい、大したことないねぇ」
 そう、言った。
「邪魔するなよ、伐折羅。お前がむやみやたらに刀を振り回すと、あたしにもあたるんだから」
「一度、太郎殿とは手合わせ願いたいと考えていた。ここで会えるのは、必然というものなのだろう」
「あたしの獲物だって言ったのに、お前は人の話を聞かないやつだね、本当に!」
「……勝手なこと抜かしてんじゃねえぞ、雑魚が」
「あ? 誰が、雑魚だ。こっちはそれなりに腕っぷしで鳴らしてんだよ」
「これは、高名な太郎殿の言葉とは」
「死ねや」
 太郎の巨体が、二人を薙ぎ払った。