小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~猫(10)~

 火羅は、相手の出方を窺がった。
 元々、火羅の戦い方は待ちに徹することを軸にしていた。それは、弱小の妖狼族を率いる者として、知恵を絞り策を講じ耐え忍びながら勢力を拡大させる際に身に着けたものである。
 太郎や葉子とは根本が違う。激しやすく危い人物と、黒之助や朱桜には危惧されているようだが、自身のことをそれなりに冷静だと思っている。出会いが出会いだったので、気性が荒いと思われているだけなのだ。
 確かに、共に生活していくとに、よくあたふたしているし、よく声を荒げているけれど、それは慣れていないからだし朱桜に目の敵にされているからだ。
 彩華には、姑息だと切り捨てられた性質――そう、姑息――自分のことを、怯懦だと理解している。
 怯懦だから、激昂して、自身の身を守ろうとするのだ。
「くだらない玩具はもうお仕舞いなの?」
 頬に生えた、僅かな羽毛。
 長く伸び、曲がった指の爪。
 上肢を覆う白い羽。
 随分と淀んでいるが、神気を感じる。
 鳥――鶏の、神使――神の眷属だろう。
 暗器遣いである。この手合いは、正面きっての戦いになると脆いことが多い。勿論、南の妖狼の頭として、先の大戦で暗躍した金咬のように、正面から戦っても手強い相手だっている。
 少女の手元が光った。
 鎖。
 二筋である。先程も同じ技を見た。
 首と手首に絡まるに任せる。
 その裏――暗器遣いが同じ手を繰り出すわけがない。
 少女にとっての本命であろう、目を狙って吹き出された含み針だけは、炎で焼き落とした。
 こぉっと、赤い息を吐きながら肉薄する。鎖は、火羅を繋ぎ止めたのではない。膂力は火羅の方が上なのだ。逆に、火羅が少女を繋ぎ止めたのだ。
 近づきながら、掌に熱を込める。鎖が、じっと赤く光った。少女の身体が白煙を帯び、痛みに悶えた。鎖は、身体に巻き付けられていたようだ。
 自身の爪が届く間合いに入る前に、火羅は首を傾けた。少女の足元から放たれた苦無が、背後の木に突き刺さる。
 読み切っていた。
 鎖を持つ手と反対の手で構えた小太刀も、読んでいる。真っ向勝負では二流の遣い手だと、火羅は思った。
 小太刀で鎖を斬り飛ばし、地面に潜るように姿を消し、火羅の爪から逃げた。
 逃げた先には、先程針を焼き落とした炎が広がっている。
「さぁ……曲芸は、終わりかしら」
 両腕を広げ、火羅は嗤った。
 暗い笑みである。
 殺気に溢れている。
 朱桜の理性はすぐに失われた。太郎の理性も消し飛んだようだ。火羅の理性も、ぐつぐつと煮え滾る殺意でとっくの昔に喪われていた。
 少しばかり落ち着いて、殺し合うことが出来ただけである。
 慌てる彩花に落ち着いた声をかけられたのは、火羅の理性の残り滓、朱桜が先走ったおかげであった。
「私には……使命がある」
「私達を……彩花さんを嬲り殺しにするという、くだらない使命のことかしら。そんなもの、この私が許すわけないでしょう!」
 やっと、穏やかな生活を送れるようになった。不穏の種は、幾つも抱えているけれど、火羅は望外の営みを手にした筈だった。
 その平穏を乱したのだ。
「いいや……我が主と約束した。此の世を見定め、伝えると。その任を果たすまで、私は生き続ける」
 面。
 黄金色の、鳥の面である。
「力を、授けよ」
 火羅は、腰を落とし、ゆっくりと変化する。
 今までは、半人半妖の姿で相手をする余裕があった。
 鷲の頭部に、人の胴体、光り輝く翼を持つ金糸の禽が、顕現する。
「迷企羅、参る」
 待つ――ことが、出来ない。
 火羅は、相手の実力を見誤った自身の目を呪った。



「こ、の、馬鹿力が!?」
「我が剣術が、通じぬ!?」
「ちょこまかと動いてんじゃねえよ!」
 安底羅と伐折羅は、身体を預け合っていた。そうしなければ立つこともできなかった。太郎が狼の姿を現してからというもの、力の差は歴然だった。
 まともに受ければ、身体が消し飛ぶであろう、妖狼の一撃。
 避けることは至難、凌ぐだけで体力も気力も奪われていく。
 安底羅が体捌きで受け流そうとして、腕の骨を粉々にされた。
 伐折羅も、刀で防ごうとして、其の圧力に抗しきれず膝を砕かれた。
 僅かな時間で、自分達の思惑が浅はかだったと理解した。
「いやぁ、これは、大狒々様も討ち取られるわ。こんな奴がいる場所に手を出すなんて、正気の沙汰じゃない、無理無理」
「今さら命乞いをしたところで、おせぇんだよ。姫様に牙剥いたんだ。皆殺しにしてやる」
「力の差は歴然。なのに、弱きものをいたぶるか。貴殿に、義はないのか」
 義とは何だと、太郎は思った。
「その言葉を、お前達が言うのはおかしくないか? 決めるのは、俺達だ。俺は、殺すと決めた、それだけだ」
 妙に余裕があると、太郎は思った。
 戦う力は殆ど残っていないはずなのに、諦めも絶望もない。しいて言えば、面白がっているというところか。
「あんまり、使いたくないけどねぇ」
「仕方なし。我々の研鑽が少々不足していたということ」
 安底羅が、懐から取り出した小さな扇子を開いた。
 伐折羅が、二つの髑髏がついている輪を、首に着けた。
「何だ、それは?」
 似ていると、太郎は思った。
 鬼ヶ城での大立ち回り、そして、姫様を求めた九州の旅路で、出会ったモノ達と。
「さぁ、これからが、安底羅様の腕の見せ所だよ。せいぜい上手く立ち回りな。その全てを、絡みとってやる」
 四つの狒々の面に、髪の短い女の面。
 八本の狒々の腕に、二本の人の腕。
 五面十臂の金色の猿。
「ぐ、ぐ、ぐ、がぁぁぁあああ!」
 涎を流す、三本の首持つ、大きな黒い狼。
 その尾は蛇で出来ている。
「ちっ、胸糞の悪い姿になりやがって。親父に似て、むかつくんだよ!」
 太郎は、伐折羅の胴体に嚙みつこうとした。
 身体は、太郎よりも大きい。
 逃げる素振りを見せず、黒い狼は受けて立つことを選んだ。
 黒い胴体に嚙みついた瞬間、太郎の胴体に、二本の首が嚙みついていた。
 思わず、突きたてた牙を離す。無防備の顎に伸びたのは、狒々の腕。安底羅の腕が、次々と太郎の関節を極めていく。
そして、その巨体を背中越しに持ち上げると、地面に叩き付けてみせた。先程と同じ業――威力は、別格である。
「ぎゃう!?」
 金銀妖瞳の妖狼が、小さく悲鳴をあげる。叩き付けられ、跳ねあがった身体に、狒々の拳が重なり、そこに、黒い狼の巨体が突進した。
 白い身体がへし折れんばかりに曲がり、そのまま廃屋を薙ぎ倒していく。
 妖怪の姿が解け、半人半妖の姿になる。
 その金銀妖瞳は、虚ろな光を帯びていた。



「お姉さん、何だか凄いものを飼っていますね」
 妖兎の煙管を持つ手が、震える。
「銀毛九尾――何で、こんなところに」
 濡れ女が、狼狽の色を浮かべる。 
「行きなさい、白刃」
「すぅ、はぁあ!」
 姫様の呼びかけに白刃が音なく応える。
 葉子も、周囲に漂わせた狐火の火勢を増やし、蒼白く辺りを照らす。
 濡れ女の生じた霧が、狐火と拮抗する。それを、白刃が打ち破った。霧の壁を突き抜け、摩虎羅に襲い掛かる。形容しがたい姿の式神は、その気配を朧に漂わせながら、暗い牙をたてようとした。
 濡れ女の鱗が逆立ち、針のように白刃に襲い掛かる。
 注意を白刃に向けた一瞬、葉子が濡れ女の傍に寄っていた。
「因達羅母様!」
「摩虎羅!」
 葉子の隻腕を、濡れ女の尾が絡みとった。兎の少女が、ほっと安堵――する間もなく、驚愕で目を見張った。濡れ女の尾の鱗が、音をたてて溶けているのだ。
 葉子の身体が、霞んでいる。火羅を匿った折、来襲した玉藻御前が用いた術――葉子の腕を落とした、毒の霧、であった。
 摩虎羅が、煙管の煙を葉子に吹きかける。意志を持つかのように、煙は葉子に向かったが、辿り着く前に、その姿は掻き消えて――代わりに、白刃が躍りかかった。
「ふぅん……御大層な口の割りには、大したことない奴らだね。強いのは、朱桜ちゃんが引き受けてくれたのさかね」
 姫様の隣に戻ると、葉子は半ば呆れ、半ば安堵しながら言った。
「心配です……強い、妖怪でした
「何、朱桜ちゃんは、ここにいる連中の誰よりも強いんだ、きっと大丈夫さよ」
「摩虎羅……私の可愛い摩虎羅、大丈夫かい?」
 白刃が、兎の少女を庇うように抱えた濡れ女の背中を嚙み千切っていた。
 硬い鱗も、異形の式神にかかっては、身を守る術にならない。
 濡れ女の血を浴びた摩虎羅が、狂乱の声をあげた。
「お前は、私の愛しい子――天が再び授けてくれた、私の愛し子。もう二度と、あんな想いはしない。どんなことをしても、私が守る」
 切な、母の言葉。
 葉子が、姫様を見やった。
「勝手な、ことを」
 姫様が、吐き捨てるように言った。
「その身勝手さ、傲慢さ……とても、わかります」
 姫様は、親しい人を助けようとした。
 どんな手を使っても、どんなことになっても、守ろうとした。もし失っていれば、地の果てまで追いかけ、この世から消し去ろうとしただろう。
「だからといって……許すことは、ありませんが」
 降りかかる火の粉は打ち払うだけだ。
「そう、私が、守る」
 槌が見えた。柄の小さい、槌だ。
 姫様は、厭なものを強く感じた。
 最初から感じていた、厭な気配。
 遠く――鎮守の森からも感じていた、厭な気配。
「白刃、それを!」
 葉子も走り始めていた。姫様の叫びを聞くまでもなく、それが好くないものだと本能で感じていた。
 因達羅が槌を胸にあてる。
 そのあとだった。白刃が、濡れ女の肩から下を嚙み千切ったのは。
 葉子の狐火が、二人を包んだ。
「そう――私はお前を守るのだ」
 竜、であった。角がある。だから、竜なのだろうと姫様は当たりをつけた。その肢のない姿は、蛇に似ている。虚ろな瞳は、何処を向いているのかわからない。えらと思しき穴が、大きく息を噴き出している。
 大きい。その尾の先が、どこにあるかわからない。地を這う音だけが聞こえる。
 見渡せば、襲撃者達は、ほとんどが姿を変えている。対峙した時と同じ姿なのは兎の少女だけだ。
 姿だけではない。
 気配すら、変わってしまっている。
「どういうこと、ですか? どうして……まさか、全員が、神だというのですか!?」
 神の気配を帯びていた。
 襲ってきた者たちは、十二神将の名を冠している。
 薬師如来の十二の大願を守護するために、八万四千の夜叉を率いる偉大な王。
 騙っているのだとばかり思っていた。
「これは……駄目」
 火羅と太郎が、姫様の両隣に叩き付けられた。思わず、太郎に駆け寄った時、全身を包む冷気を感じ、濡れ女を見やった。白刃がその躰に巻き付かれている。逃げること叶わず、一瞬で締め潰される。
 姫様は、身体を押さえた。
 術が破れ、式神である白刃の痛みが、姫様に跳ね返ったのだ。
 臓腑が押し潰される。呼吸ができない。骨が、めきりと音を立てる。
 苦痛は、姫様の言葉と――思考を奪った。
「ん……つっ」
 瞳が揺れ、白目を剥いた。
 口元から、血が混じった涎を垂らす。
 跪き、当て所ない方を見やる。葉子が、倒れそうになる身体を支えた。
「太郎! 火羅! 姫様!」
「へへ……ここが命の張りどころでありませうか。不肖美鏡。主様と、大恩ある皆様のために……葉子様、お逃げ下さい。どうか、宇嘉様をお守り下さい」
 稲荷が、管狐を携える。
 立ち向かえる相手ではないとわかっている。
 それでも、少しは時間が稼がなければと思ったのだ。
「何よ、それ……弱いくせに、しゃしゃりでないでよ」
「宇嘉を守るのが、お前の使命だろうが。傍に、ついてろ」
 太郎と火羅が、頭を持ち上げた。
「太郎様、動けますか?」
「少しは、な」
「彩花さんは、術を破られたことで、少々惑うておられるようですわ。ここは、私が殿を務めます。朱桜さんのところか、黒之助さんのところへ、お逃げ下さい」
「お前を残して、いけるかよ」
「私は新参ですもの。どうか」
「うるせえ、お前を置いて尻尾を巻いて逃げるだと、そんなこと出来るか!? 」
「……そう、ですか。嬉しいお言葉です。葉子さん! どうか、お逃げ下さい!」
「火、羅……」
 葉子が、唸った。満足に身体を動かせるのは、葉子だけだ。威勢は良かったが、美鏡は前に出るだけで気力を使い果たしている。太郎も火羅も傷は深い。
 かといって、四柱もの神――しかも、土地神ではなく、恐らくは生粋の武神――を相手にしては、勝ち目がない。
 葉子達九尾は、大陸渡りの妖怪である。仏教伝来の神々の恐ろしさは、この国の妖怪達よりも知っているつもりだ。
「これが、最善でしょう」
 満身創痍の身を奮い立たせる。足を出す――というよりも、転びかけるのを何とか押さえた。
 両腕は、上がらない。臓腑を傷つけたのか、とめどなく、血が口から溢れる。
 白い乳房も、うっすらと傷痕が残る背中も、血で覆われている。
 その凄惨な覚悟に怯んだのは一瞬、襲撃者達は、火羅に襲い掛かった。
 紅の妖狼が、応えるように姿を見せる。前脚が使えないため、腹這いになりながら、血を吐き吠える。
 そんな火羅を庇う様に、太郎と……姫様が、立ちはだかった。
「姫様」
 どこにそんな力がと太郎は思いながら、姫様の身体を腕に抱えていた。意識は戻っていない。それでも、危機を感じ取り、身を呈してしまったのだろう。
 敵に背を向ける。ひっしと抱き締める。
 死を、感じた。
 明らかな、死だった。