第十八話~鬼姫~
秋雨。寺を長々と降る雨が覆う。
本をめくる手を姫様が止めた。
「何でしょう?」
「・・・・・・どうしました?」
ここは姫様達の部屋。
彩花、葉子、朱桜。その他もろもろの妖達が集まっていた。
唐突に姫様が呟いたので、不思議そうな妖達。代表して銀狐葉子が尋ねてみる。
「なにかが近づいているような・・・・・・」
妖達の視線が葉子に集まる。銀狐は首を横にふるふると。
「なにも感じませんよ」
「朱桜ちゃんも?」
こちらも同じようにふるふると。
姫様はちょっと考えている様子。
「でも、確かに・・・・・・ちょっと見てきます」
姫様が腰を上げる。目指すは寺の玄関で。
部屋にいる妖達も姫様に着いていく。
もちろん葉子と朱桜も。
玄関。
人影。
う、う、う、とすすり泣く声。
急いで姫様が戸を開けようと。
それを葉子が手で制した。
「どちらさまでしょうか?」
姫様達を己の後ろに。九つの尻尾がうっすらと姿を現す。
なにかあっても姫様と朱桜は守れるようにと。
「あたし・・・・・・ここを早く開けて・・・・・・」
その声を聞いて姫様急いで戸をあける。
年は二十歳前後であろうか。
姫様より幾分大人びた女性がそこにいた。
長い髪の下に、青白い顔が見える。
その額には、立派な二本の角。
さめざめと泣くその女は、朱桜以外には見知った顔であった。
「鈴鹿御前様!一体どうなさったのです!?」
鈴鹿御前。
酒呑童子と並ぶもう一人の鬼の長。
東北に居を構える彼女は、何度もこの寺を訪れたことがあった。
「寒い・・・・・・とりあえず中に・・・・・・」
「は、はい!」
女は雨に濡れてびしょびしょで。
顔が青いのはそのせいだろう。
唇も紫であった。
「大丈夫ですか!?」
「う、多分」
言動とは裏腹に、彼女今にも死にそうである。
「す、すぐに頭領を!」
「・・・・・・くしゅん」
頭領、姫様、葉子、太郎、黒之助、朱桜。
寺の主な面々が心配そうに女の顔を覗き込む。
大丈夫だからと女は手を振る。姫様の着物を何枚も着て、その上に布団を重ねて、だが。
「しかし急な来訪、いかがなされた」
「急に来たら悪いの?」
「いや、そんなことはないのじゃが・・・」
どうしたものかと頭領しかめっつら。
姫様が代わりに口を開いた。
「こんなにお濡れになって、一体どうなされたのです?妖気もそんなに押さえ込んで・・・・・・しかもお一人ですし」
寺の妖達は誰も彼女の訪れに気付いていなかった。彼女が気配を断ち切っていたから。
「濡れたのはね、うん。抜け出すときに妖気を限界まで隠して。そうしないとあの人気付いちゃうから。で、そのままの状態でここまで飛んできたのね。そしたら・・・・・・」
「そしたら?」
「もうびしょびしょ!雨のこと忘れてたのよ。夢中だったのね」
「あの、抜け出したというのは?」
「ちょっと聞いてよ彩花ちゃん、うちの人が・・・・・・」
「うちの人が・・・・・・?」
「あたし以外の女と・・・・・・」
さめざめとまた泣く。
それを聞いて姫様と朱桜以外の顔が変わった。
ああ、またか。
そんなことを言いたげに。
「なに、その顔は」
「いえいえ、なにも」
「誰か酒とおつまみ!やけ酒よやけ酒よ」
「うへ」
太郎が勘弁と言いたげに。
「なによ」
「いえ、なにも」
「それでね、うちの人ったら・・・・・・」
「はあ」
延々としゃべり続ける鈴鹿御前。聞かされるのは彼女の夫、藤原俊宗の話のみ。
うちの人がどのぐらい凄いかの自慢話。
とめどなく流れる彼女の言葉は、正直、妖達にとっては苦痛であった。
酒も不味くなるというものである。
何度も彼女から聞かされた話なのだ。
「というわけなのよ。凄くない?」
「はあ」
「ところで、その娘だれ?」
黙って聞いている朱桜を指さす。朱桜は眠そうな目を向ける。
「この娘は朱桜ちゃんといって・・・・・・えーと、色々あってここで預かってるんです」
「ふーん。人っぽい・・・・・・でも鬼の匂いもするよ・・・・・・半妖かな」
「そんなところじゃ。で、結局何故ここに来たんじゃ」
もう一度頭領が口を開いた。
「うちの人が女を・・・・・・」
「女をなんじゃ」
「昨日雌猫を拾ってきて飼うっていいだしたのよ!」
「雌猫・・・・・・雌・・・・・・女・・・・・・」
「私という女がありながら・・・・・・う、う」
ぽかーんと。皆様あいた口が塞がらない。
彼女猫に嫉妬して家出したのだ。
「それは妖でござろうか」
恐らく万に一つもないだろうが、一応律儀に聞いてみる黒之助。
「子猫」
「そうですか・・・・・・」
「なに、その顔」
「いえ、なにも」
「あ、朱桜ちゃん、もう遅いし、寝ようか」
「・・・・・・うん」
「ちょっと、すぐ戻ってきなさいよ」
ちらりと、鬼の長たる威厳が見えた。
「はいはい」
「で、どうするよ」
「どうしましょう」
酷い光景。
樽にもたれかかっている鈴鹿御前。中身は空。大きな穴が側面に一つ。
太郎と黒之助は二人仲良く壁にもたれている。
二人とも気を失っていた。酔った鈴鹿御前に「のされた」のである。
「いててて」
葉子が頭を押さえながら起きあがる。彼女も「のされた」のであった。
「うわああ、掃除大変そう」
「それより天井や壁の修理が・・・・・・面倒なことじゃ」
「鈴鹿御前様、どうしましょう」
「どうしましょうって、ここに寝かしておくわけにもいかんし。彩花の部屋に転がしておこうか。まだ布団あるじゃろ」
「それには、およびませぬ」
「お、おう!?」
姫様達の後ろに若い男。腰に大きな刀を差した男の額には見事な角が。
「俊宗殿」
藤原俊宗。人であることを捨てた男がそこにいた。
「いつのまに・・・・・・」
「ついさっきです。いや、ずっと鈴鹿を探していたのですよ」
「そうですか。大獄丸様も?」
「はい、義兄上に早く知らせないと……しかしすみません、本当にご迷惑をおかけして・・・・・・」
頭を下げる。罪滅ぼしにとそこかしこに空いた穴を己の力で塞いでいく。
「とりあえず、今日のところはこれで」
また一礼すると、鈴鹿御前を背負う。
その姿が部屋から消えた。
「あ、掃除・・・・・・」
「すみません、本当に」
また姿を現した。掃除もすませて、
「これで」
また、姿が消えた。
「いってしまいましたね」
「どうせならこの酒も」
「すみませんすみません、本当に!」
また、現れた。
「いや、冗談じゃ。気をつけてお帰り下され」
「はい・・・・・・」
帰り道。
まだ雨が降っていた。
幾分弱め。
二人は小さめの牛鬼に乗って、己らの居城目指していた。
「う、んんん」
「気が付いたか」
「お前さん!?」
「あんまり心配かけないでおくれ。鈴鹿の気配が消えたときはびっくりしたぞ」
「・・・・・・ごめん」
「あの猫、鈴って名前にしたから」
「鈴・・・・・・」
「お前に似て、可愛い子になるといいな」
「うん」
ぎゅっと男に抱きついて。女はそれだけで幸せだった。
本をめくる手を姫様が止めた。
「何でしょう?」
「・・・・・・どうしました?」
ここは姫様達の部屋。
彩花、葉子、朱桜。その他もろもろの妖達が集まっていた。
唐突に姫様が呟いたので、不思議そうな妖達。代表して銀狐葉子が尋ねてみる。
「なにかが近づいているような・・・・・・」
妖達の視線が葉子に集まる。銀狐は首を横にふるふると。
「なにも感じませんよ」
「朱桜ちゃんも?」
こちらも同じようにふるふると。
姫様はちょっと考えている様子。
「でも、確かに・・・・・・ちょっと見てきます」
姫様が腰を上げる。目指すは寺の玄関で。
部屋にいる妖達も姫様に着いていく。
もちろん葉子と朱桜も。
玄関。
人影。
う、う、う、とすすり泣く声。
急いで姫様が戸を開けようと。
それを葉子が手で制した。
「どちらさまでしょうか?」
姫様達を己の後ろに。九つの尻尾がうっすらと姿を現す。
なにかあっても姫様と朱桜は守れるようにと。
「あたし・・・・・・ここを早く開けて・・・・・・」
その声を聞いて姫様急いで戸をあける。
年は二十歳前後であろうか。
姫様より幾分大人びた女性がそこにいた。
長い髪の下に、青白い顔が見える。
その額には、立派な二本の角。
さめざめと泣くその女は、朱桜以外には見知った顔であった。
「鈴鹿御前様!一体どうなさったのです!?」
鈴鹿御前。
酒呑童子と並ぶもう一人の鬼の長。
東北に居を構える彼女は、何度もこの寺を訪れたことがあった。
「寒い・・・・・・とりあえず中に・・・・・・」
「は、はい!」
女は雨に濡れてびしょびしょで。
顔が青いのはそのせいだろう。
唇も紫であった。
「大丈夫ですか!?」
「う、多分」
言動とは裏腹に、彼女今にも死にそうである。
「す、すぐに頭領を!」
「・・・・・・くしゅん」
頭領、姫様、葉子、太郎、黒之助、朱桜。
寺の主な面々が心配そうに女の顔を覗き込む。
大丈夫だからと女は手を振る。姫様の着物を何枚も着て、その上に布団を重ねて、だが。
「しかし急な来訪、いかがなされた」
「急に来たら悪いの?」
「いや、そんなことはないのじゃが・・・」
どうしたものかと頭領しかめっつら。
姫様が代わりに口を開いた。
「こんなにお濡れになって、一体どうなされたのです?妖気もそんなに押さえ込んで・・・・・・しかもお一人ですし」
寺の妖達は誰も彼女の訪れに気付いていなかった。彼女が気配を断ち切っていたから。
「濡れたのはね、うん。抜け出すときに妖気を限界まで隠して。そうしないとあの人気付いちゃうから。で、そのままの状態でここまで飛んできたのね。そしたら・・・・・・」
「そしたら?」
「もうびしょびしょ!雨のこと忘れてたのよ。夢中だったのね」
「あの、抜け出したというのは?」
「ちょっと聞いてよ彩花ちゃん、うちの人が・・・・・・」
「うちの人が・・・・・・?」
「あたし以外の女と・・・・・・」
さめざめとまた泣く。
それを聞いて姫様と朱桜以外の顔が変わった。
ああ、またか。
そんなことを言いたげに。
「なに、その顔は」
「いえいえ、なにも」
「誰か酒とおつまみ!やけ酒よやけ酒よ」
「うへ」
太郎が勘弁と言いたげに。
「なによ」
「いえ、なにも」
「それでね、うちの人ったら・・・・・・」
「はあ」
延々としゃべり続ける鈴鹿御前。聞かされるのは彼女の夫、藤原俊宗の話のみ。
うちの人がどのぐらい凄いかの自慢話。
とめどなく流れる彼女の言葉は、正直、妖達にとっては苦痛であった。
酒も不味くなるというものである。
何度も彼女から聞かされた話なのだ。
「というわけなのよ。凄くない?」
「はあ」
「ところで、その娘だれ?」
黙って聞いている朱桜を指さす。朱桜は眠そうな目を向ける。
「この娘は朱桜ちゃんといって・・・・・・えーと、色々あってここで預かってるんです」
「ふーん。人っぽい・・・・・・でも鬼の匂いもするよ・・・・・・半妖かな」
「そんなところじゃ。で、結局何故ここに来たんじゃ」
もう一度頭領が口を開いた。
「うちの人が女を・・・・・・」
「女をなんじゃ」
「昨日雌猫を拾ってきて飼うっていいだしたのよ!」
「雌猫・・・・・・雌・・・・・・女・・・・・・」
「私という女がありながら・・・・・・う、う」
ぽかーんと。皆様あいた口が塞がらない。
彼女猫に嫉妬して家出したのだ。
「それは妖でござろうか」
恐らく万に一つもないだろうが、一応律儀に聞いてみる黒之助。
「子猫」
「そうですか・・・・・・」
「なに、その顔」
「いえ、なにも」
「あ、朱桜ちゃん、もう遅いし、寝ようか」
「・・・・・・うん」
「ちょっと、すぐ戻ってきなさいよ」
ちらりと、鬼の長たる威厳が見えた。
「はいはい」
「で、どうするよ」
「どうしましょう」
酷い光景。
樽にもたれかかっている鈴鹿御前。中身は空。大きな穴が側面に一つ。
太郎と黒之助は二人仲良く壁にもたれている。
二人とも気を失っていた。酔った鈴鹿御前に「のされた」のである。
「いててて」
葉子が頭を押さえながら起きあがる。彼女も「のされた」のであった。
「うわああ、掃除大変そう」
「それより天井や壁の修理が・・・・・・面倒なことじゃ」
「鈴鹿御前様、どうしましょう」
「どうしましょうって、ここに寝かしておくわけにもいかんし。彩花の部屋に転がしておこうか。まだ布団あるじゃろ」
「それには、およびませぬ」
「お、おう!?」
姫様達の後ろに若い男。腰に大きな刀を差した男の額には見事な角が。
「俊宗殿」
藤原俊宗。人であることを捨てた男がそこにいた。
「いつのまに・・・・・・」
「ついさっきです。いや、ずっと鈴鹿を探していたのですよ」
「そうですか。大獄丸様も?」
「はい、義兄上に早く知らせないと……しかしすみません、本当にご迷惑をおかけして・・・・・・」
頭を下げる。罪滅ぼしにとそこかしこに空いた穴を己の力で塞いでいく。
「とりあえず、今日のところはこれで」
また一礼すると、鈴鹿御前を背負う。
その姿が部屋から消えた。
「あ、掃除・・・・・・」
「すみません、本当に」
また姿を現した。掃除もすませて、
「これで」
また、姿が消えた。
「いってしまいましたね」
「どうせならこの酒も」
「すみませんすみません、本当に!」
また、現れた。
「いや、冗談じゃ。気をつけてお帰り下され」
「はい・・・・・・」
帰り道。
まだ雨が降っていた。
幾分弱め。
二人は小さめの牛鬼に乗って、己らの居城目指していた。
「う、んんん」
「気が付いたか」
「お前さん!?」
「あんまり心配かけないでおくれ。鈴鹿の気配が消えたときはびっくりしたぞ」
「・・・・・・ごめん」
「あの猫、鈴って名前にしたから」
「鈴・・・・・・」
「お前に似て、可愛い子になるといいな」
「うん」
ぎゅっと男に抱きついて。女はそれだけで幸せだった。