小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~旅の人(5)~

 小さな滴。
 一滴。
 姫様、じーっと見る。
 ぽつんと、また一つ跡が残る。
 空を見上げる。
 黒雲が見える。
 それから、姫様は空を心配そうに見る葉子の顔を見た。
「葉子さん……雨、やっぱり降るかも」
「えー! 今日は傘持ってきてないよ!」
「うん。どこかで、雨宿りしないと……」
「……あそこだ!」
 姫様と葉子が並んで走る。
 木が、大木が一本、繁々とその葉を揺らしていた。
 そこに二人は向かっていた。
 雨宿りに、よさそうに見えた。
 すぐに姫様が息を切らし始める。
 姫様、身体を動かすのは苦手なのだ。
 頑張って、と葉子が。
 雨が、二人の後を追うかのように、ぽつぽつぽつぽつ、強くなっていく。
 二人が木の下に辿り着いたとき、辺り一面雨で見えなくなっていた。
「よかった、雨宿りできて」
 はあはあ息を整えると姫様が。
「姫様、少し濡れてる」
 そう言うと、葉子が小さな狐火を出した。
 青白く漂う火の玉が、葉子の手のひらにちょこんと載った。
「駄目……だ……よ……」
「この雨なら、ちょっとぐらいばれやしないですよ。さ、姫様じっとしてて。これで乾かすから」
「……まあ、いいか」
 狐火が、葉子の手を離れ姫様の周りをふよふよと。
 そのあいだに、葉子が木に何か字を書いた。
 よしよしと笑う。
 黒雲は、まだまだ終わりはなさそう。
 ふっと、狐の火がかき消えた。
「おしまい、っと。濡れないようにちょっとここに細工したけど、それもいいよね?」
「……ええ。葉子さん、ありがとう」
「礼を言われる事じゃないさね」
 ざあざあ降る雨は、木の下には少しも入ってこなかった。
 それも、妖の業の一つ。
「本当は、このままあたいが走ってもいいんだけどねえ」
 葉子が、駄目~と?
 姫様が、
「それはだーめ。大人しくここで雨が止むの待とう?」
「へーい」
 
「まだ?」
「さあ……」
 雨は、なかなかやむ気配をみせなかった。
 長く降り続く。
 虫の鳴き声が、消えていた。
「全く、この雨はかみなり様の仕業かね? にしちゃあ長すぎだよ。あとで光に文句言っとこ」
 葉子が、ぶーぶー文句を言う。
 人の姿の下から、妖の姿が滲み始めていた。
 銀色狐耳に、銀色尾っぽ。
 姫様は、誰もいないのだからと、葉子に注意をしなかった。
「……これだけ雨が長いと、お寺の誰かが傘を持って迎えに来てくれるかもしれませんね」
「そだね……そだ、姫様当てっこしよ?」
「当てっこ?」
「うん。来るとしたらだれが来るか」
「そうですねぇ……太郎さんかな」
「あたいはクロちゃん。当たったら、おあげ頂戴」
 にんまりと、笑う。
「私が当たったら、子供達のお菓子の代金、葉子さんがぜーんぶだしてね」
 姫様も、にんまりと笑う。
「何それ! それじゃあ釣り合わないじゃないか!」
「葉子さんが当たったら、おあげ十枚!」
「む! ……それなら、いっか……ぜーったい、クロちゃんだもんね」
「太郎さんだと思いますよー」
「姫様、頭領って言わないんだね」
「頭領が、来ると思います?」
 姫様が微笑んだ。
「めんどいから、お主ら行ってこい」
 葉子が頭領の声色を真似て。
 似てる似てると姫様が。
「……誰か、くるね」
「……お菓子、お菓子」
「おあげ、おあげ」
 
「遠見の術、便利だなあ……いたいた」
 ばさばさと、“羽ばたく”音。
 姫様が、
「えーっ」
 と、がっかりした声をだした。
 葉子が、
「やりーっ!」
 と、嬉しげな声をあげた。
「え、あの……」
「いやー、良かったよクロちゃん」
 二人に傘を持ってきたのは、山伏姿の男。
 葉子と同じ古寺の住人、烏天狗の黒之助、力ある三妖の一匹で。
 空を飛んで、やって来た。
 傘を、二つ持って。
 傘を、使ってはいない。二つの傘は、少しも濡れていない。
 それでいて、本人は雨に濡れていない。
 それも、妖である証。
「クロさん……ありがとう」
 あんまり嬉しくなさそうに姫様が。
 黒之助の顔が曇る。
「姫さん……せ、拙者がなにか……」
「あー、えっとね。実はね」
 かくかくしかじかこういうことで。
 葉子が賭のことを言うと、烏天狗もなるほどと。
「そんなことをねえ……」
「姫様、おあげ♪」
「おあげ十枚、わかってますよ。……わかってます、うん。あ、クロさん。あんまり村近くで飛ばないで下さいね」
 姫様が、飛んでやって来た黒之助に注意を。
 今更ながら、黒之助はその真っ黒な翼を綺麗に消した。
「あい、すみませぬ」
「クロさん。傘を持ってきてくれてありがとう」
 姫様は今度はにっこりとしながら。
「ちょっと、遅かったけど」
「へ?」
「あ?」
 日の光が、雲の切れ目から差し始めていた。
 帯のように、白い光。
 雨も、随分と弱まっていて。
「もう、やんじゃいます」
「そっか。夕立、だもんね」
 ぽんぽんと、傘を叩く。
 姫様と葉子の傘は、同じ物。
 お揃いの蒼い傘。
「遅すぎたのか……めんぼくない」
 黒之助が、しょぼーんとなる。
 また羽を広げ、飛んで帰ろうと。
 姫様が、そんな黒之助に声をかけた。
「クロさん、太郎さんに村に下りてくるよう伝えてくれませんか? 茶屋で待ってますと」
「よろしいですが」
 はて? と顎髭に手をやり黒之助が首を傾げる。
「なに、ちょっと太郎に頼みたい事があってね」
「葉子殿が? ……何か、あったのですか?」
「大したことじゃないんです! うん! 大したことじゃないですから!」
「……承りました。茶屋、ですね」
「はい。それと、腰痛のお札と、お薬も。急な頼まれ事です」
「御意」
 黒之助が、翼を羽ばたかせまだ少し雨の残る空を飛ぶ。
 姫様が、見つからないようにね~っと手をふる。
「じゃあ、私達も行こうか。まだ雨降ってるけど、せっかく傘持ってきてくれたし」
「はい」
 二人、蒼い傘を開く。
 大木を離れるとき、葉子がふっと字を書いたところに息を吹きかけた。
 それから、傘をくるくる回した。
「お豆腐屋さんに♪」
「……はい」 
 う、う、と姫様が嘆く。
 お財布、と嘆く。
 葉子があははと笑う。
 それから、
「二度、外した」
 と呟いた。
「なんですか?」
「なんにもないよ~。おあげ、楽しみ~」
「いいですけど、耳と尻尾、引っ込めて下さいね」
「はいは~い」