あやかし姫~旅の人(11)~
「じゃあ、どうぞ」
二人と、二匹。
あの狭い小屋。かつかつと、音が響いている。太郎が、床を叩く音。
床に置かれていた器達は、既に片付けられていて。
子供達とは、ばいばいとお別れを。
夕暮れ。
烏が、鳴き始めていた。
「……」
「迷っているのですか?」
「それは、まあ」
口を濁す。一度、湯飲みに手を伸ばした。
それを、飲む。中身は水。
小屋の中は、蒸し暑かった。
「月心さん……」
「それでは、お話します」
太郎が、指の動きを止めた。かつかつという音がなくなった。
姫様は、まっすぐ月心を見ていた。
葉子は、本棚を見ていた。
「私は、都でしがない役人をしていました……」
もう、知っている。
太郎はそう言いたげに首を振った。
「そして、父は……」
「お父さま……」
姫様が、言った。三人の視線が、集まった。
「父は、陰陽師、でした」
「陰陽師……」
隠と陽を往き来する術を知る者。
人の身でありながら、それは、妖に近しい存在。
太郎と葉子は、その名をよく知っていた。争ったこともあるのだ。
姫様も、よく知っていた。
「腕は良かったと、そう聞いております。私には、全くわかりませんが」
「わからない?」
「私には、そういう力はないのです。そのことに気づいた父の落胆は、大きなもの、でしたよ」
それを聞いて、太郎と葉子はほっと安堵のため息をついた。
「私が陰陽師となることが出来ないとわかると、父は前にもまして働きました。私を、役人にするために」
「前にも、まして?」
不思議そうな姫様。
「役人となり出世するには、お金がかかるものなのですよ」
「姫様、大変なんですよー」
葉子が、言う。
「へえ」
姫様、あんまり実感はないようで。
「で、あんたはなんで力の強い妖を探してるんだ?」
太郎が言った。焦れてきたのだ。
「先年、父は亡くなりました」
それを聞いて、姫様が哀しげな顔をした。
「亡くなる間際、父は私に言ったのです。『逃げよ』と」
「逃げよ?」
「あれに、殺される前に逃げよと。父が亡くなった次の日の晩、『あれに』私は襲われました」
「あれってなんだ?」
「……さあ、わかりません」
「月心さんは、都から逃げたのですか?」
「ええ。逃げる前に一度、知り合いの陰陽師の方にどうにかならないかとお願いしたのですが……」
「どう、なった?」
「駄目でした。式を破られ、病になりまして……」
式。
陰陽師の使い魔。
「負けたら、自分に返るもんね」
大変だよ、そういう仕事は。
葉子が、そう言った。嘲るような、響きがあった。
「よく今まで無事だったな」
「相手は、夜、それも一刻の間しか襲ってこないのです。そして、父親から、一応身を守る術を」
「あんた、自分に力はないって」
非難するような声。太郎と葉子の両方であった。
「やり方さえわかれば、出来ないこともないです」
姫様が、言った。
「それなりに、準備が必要ですが」
「父は、色々と私に用意してくれていましたので……」
「じゃあ、なにか? あんたはずっと逃げてきたのか?」
「そうですよ」
こともなげに言う。
「苦労、されたのでしょう……」
「ええ」
「よく、生きてこられたな」
「ひと月、保つのですよ。父から教わった術は。居を定め、その場を守る法をかける。それで、ひと月。ひと月後、また移動し居を定め……」
それを繰り返して……
「あれに、書かれてんのか?」
太郎が、本棚を指さした。
「そうです」
「じゃあ、いつまでもそうしていればいい……わけ、ないよね」
「ええ。路銀も、そろそろ底を」
「なんで、妖なんだ?」
太郎が、きいた。
「以前会った老巫女に、言われたのですよ。力の強い妖なら、もしかしたらと。老巫女は、こちらの方角に求めるものはいる、と。それで、探しているのです」
ですが……
「ここでは、ないようですね」
もう少し、先にいるのでしょうか?
「……いますよ。ここにも」
姫様が、言った。
「いるのですか!?」
大きな声。初めて、月心が大きな声をだした。
「……ええ。力のたいそう強い妖が。頼んで、みましょうか?」
「本当に、ですか?」
「なんとかしてくれると、思います」
太郎と葉子が、ぷいっと横を向いた。
「お願い、します」
「……気が、進まないね」
帰り道。とぼとぼと、歩いていた。夕日が、陰を作る。
「それに、あれってなにさ?」
「……式」
姫様が、言った。
「だろうよ」
太郎が答えた。
「式神、なの?」
葉子、である。
「都は、結界を張ってやがるからな。ほとんどの妖は近づくことすら出来ない。入れるのは、」
「酒呑童子さまや茨木童子さまのような力の強い方々」
「ふん。そんな力の強い方々があんな男一人を追いかけるかよ」
「そうですね。式神なら、都の中で作ればよいのだから……そして、都で生まれた者が」
「出るのは、容易い。入るのは難しいけど、出るのは容易い。そうしないと、都が邪気で溢れる、か」
「多分、そうだと」
「は、喧嘩だ喧嘩。ようは喧嘩。今まで月心が逃げていたものを、俺たちがとっちめればいいんだろう?」
太郎が、言った。くくっと、笑った。
「クロちゃん、喜ぶなあ」
葉子が言った。二人とも、嬉しそうであった。
「頭領は、なんと言うでしょうね?」
『おぬしらの好きなようにせい』
「あ、葉子さん似てます」
「もう、時がねえ。急ごう」
太郎が、その姿を変えた。
姫様がなにか言う前に、葉子も人の姿を解いた。
「乗って、姫様」
葉子が、九尾を揺らめかせる。
今度は黙って、姫様はその背に。
しっかりと、銀毛を掴んだ。
「無茶、しないでね」
そう、姫様は言った。
うん、と葉子は言った。
二人と、二匹。
あの狭い小屋。かつかつと、音が響いている。太郎が、床を叩く音。
床に置かれていた器達は、既に片付けられていて。
子供達とは、ばいばいとお別れを。
夕暮れ。
烏が、鳴き始めていた。
「……」
「迷っているのですか?」
「それは、まあ」
口を濁す。一度、湯飲みに手を伸ばした。
それを、飲む。中身は水。
小屋の中は、蒸し暑かった。
「月心さん……」
「それでは、お話します」
太郎が、指の動きを止めた。かつかつという音がなくなった。
姫様は、まっすぐ月心を見ていた。
葉子は、本棚を見ていた。
「私は、都でしがない役人をしていました……」
もう、知っている。
太郎はそう言いたげに首を振った。
「そして、父は……」
「お父さま……」
姫様が、言った。三人の視線が、集まった。
「父は、陰陽師、でした」
「陰陽師……」
隠と陽を往き来する術を知る者。
人の身でありながら、それは、妖に近しい存在。
太郎と葉子は、その名をよく知っていた。争ったこともあるのだ。
姫様も、よく知っていた。
「腕は良かったと、そう聞いております。私には、全くわかりませんが」
「わからない?」
「私には、そういう力はないのです。そのことに気づいた父の落胆は、大きなもの、でしたよ」
それを聞いて、太郎と葉子はほっと安堵のため息をついた。
「私が陰陽師となることが出来ないとわかると、父は前にもまして働きました。私を、役人にするために」
「前にも、まして?」
不思議そうな姫様。
「役人となり出世するには、お金がかかるものなのですよ」
「姫様、大変なんですよー」
葉子が、言う。
「へえ」
姫様、あんまり実感はないようで。
「で、あんたはなんで力の強い妖を探してるんだ?」
太郎が言った。焦れてきたのだ。
「先年、父は亡くなりました」
それを聞いて、姫様が哀しげな顔をした。
「亡くなる間際、父は私に言ったのです。『逃げよ』と」
「逃げよ?」
「あれに、殺される前に逃げよと。父が亡くなった次の日の晩、『あれに』私は襲われました」
「あれってなんだ?」
「……さあ、わかりません」
「月心さんは、都から逃げたのですか?」
「ええ。逃げる前に一度、知り合いの陰陽師の方にどうにかならないかとお願いしたのですが……」
「どう、なった?」
「駄目でした。式を破られ、病になりまして……」
式。
陰陽師の使い魔。
「負けたら、自分に返るもんね」
大変だよ、そういう仕事は。
葉子が、そう言った。嘲るような、響きがあった。
「よく今まで無事だったな」
「相手は、夜、それも一刻の間しか襲ってこないのです。そして、父親から、一応身を守る術を」
「あんた、自分に力はないって」
非難するような声。太郎と葉子の両方であった。
「やり方さえわかれば、出来ないこともないです」
姫様が、言った。
「それなりに、準備が必要ですが」
「父は、色々と私に用意してくれていましたので……」
「じゃあ、なにか? あんたはずっと逃げてきたのか?」
「そうですよ」
こともなげに言う。
「苦労、されたのでしょう……」
「ええ」
「よく、生きてこられたな」
「ひと月、保つのですよ。父から教わった術は。居を定め、その場を守る法をかける。それで、ひと月。ひと月後、また移動し居を定め……」
それを繰り返して……
「あれに、書かれてんのか?」
太郎が、本棚を指さした。
「そうです」
「じゃあ、いつまでもそうしていればいい……わけ、ないよね」
「ええ。路銀も、そろそろ底を」
「なんで、妖なんだ?」
太郎が、きいた。
「以前会った老巫女に、言われたのですよ。力の強い妖なら、もしかしたらと。老巫女は、こちらの方角に求めるものはいる、と。それで、探しているのです」
ですが……
「ここでは、ないようですね」
もう少し、先にいるのでしょうか?
「……いますよ。ここにも」
姫様が、言った。
「いるのですか!?」
大きな声。初めて、月心が大きな声をだした。
「……ええ。力のたいそう強い妖が。頼んで、みましょうか?」
「本当に、ですか?」
「なんとかしてくれると、思います」
太郎と葉子が、ぷいっと横を向いた。
「お願い、します」
「……気が、進まないね」
帰り道。とぼとぼと、歩いていた。夕日が、陰を作る。
「それに、あれってなにさ?」
「……式」
姫様が、言った。
「だろうよ」
太郎が答えた。
「式神、なの?」
葉子、である。
「都は、結界を張ってやがるからな。ほとんどの妖は近づくことすら出来ない。入れるのは、」
「酒呑童子さまや茨木童子さまのような力の強い方々」
「ふん。そんな力の強い方々があんな男一人を追いかけるかよ」
「そうですね。式神なら、都の中で作ればよいのだから……そして、都で生まれた者が」
「出るのは、容易い。入るのは難しいけど、出るのは容易い。そうしないと、都が邪気で溢れる、か」
「多分、そうだと」
「は、喧嘩だ喧嘩。ようは喧嘩。今まで月心が逃げていたものを、俺たちがとっちめればいいんだろう?」
太郎が、言った。くくっと、笑った。
「クロちゃん、喜ぶなあ」
葉子が言った。二人とも、嬉しそうであった。
「頭領は、なんと言うでしょうね?」
『おぬしらの好きなようにせい』
「あ、葉子さん似てます」
「もう、時がねえ。急ごう」
太郎が、その姿を変えた。
姫様がなにか言う前に、葉子も人の姿を解いた。
「乗って、姫様」
葉子が、九尾を揺らめかせる。
今度は黙って、姫様はその背に。
しっかりと、銀毛を掴んだ。
「無茶、しないでね」
そう、姫様は言った。
うん、と葉子は言った。