小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~蟲火(1)~

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 静かに本を読んでいる二人。
 すらすらと、読み進める少女。
 雪のような白い肌に、長い長い黒髪が、艶やかに。
 薄い藍色に、壱羽の揚羽が描かれた着物を身につけて。
 ゆっくりと、随分と薄い本をめくっていく若い男。
 無造作な髪、犬のような雰囲気。
 ともすれば、字をなぞっていく視線がとまる。
 その度に、ちらちらと少女を気にしながら、ほふっと溜息をついて、「読み飛ばして」いた。
 男は、残りが少なくなってきているのを確認すると、少し微笑んだ。
 すぐに、きっと唇を閉じる。
 それでも、喜びは隠しようもなくて。
 あと、少し。
 あと、ちょっと。
 風がその部屋を通った。少女が、部屋から見える庭に目をやった。
 風が少女の長い髪を揺らす。
 ふるっと、少女が震える。
 そっと立ち上がると、戸を閉めた。
 少女が、座り直す。
 足の裏を、少し揉んだ。
 男が、ぱちんと本を閉じた。
「……終わった……」
 そういうと、本を放り投げ、ごろっと寝っ転がる。
 もう一度、
「終わった」
 と呟いた。うーんと伸びを一つすると、
「姫様、読み終わった!」
 起きあがり、少女にそう話しかけた。
 赤い銀杏が描かれたしおりを挟み、読んでいた本をぱたんと閉じると、
「はいはい、それで太郎さん、どれだけ読み飛ばしたんですか?」
 そう、いった。
 太郎が、ちえっ、というと、
「えっとだな……」
 本を拾うと、まず、こことこことこことここだろう、っと、姫様に見せた。
「……まあまあ、かな、うん」
「まだまだ、あるんだけど……」
 しょんぼりと、いった。
「わかってますよー」



「こんなところでしょうか?」
 姫様がいった。
「お、おお……」
 額を抑えながら太郎が答えた。
「大丈夫ですか?」
「……あれだ、こういうの、知恵熱って言うんだっけ?」
「そうですね」
 姫様が、その手で太郎の額を扇いでやる。
 ぽん、と白い煙をたてると、太郎は大きな大きな真っ白い狼の姿に。
 それが太郎の本当の姿。
 この姿の方が楽、なのだ。
 余計な力を使わずにすむ。
 全身を大きく震わせると、あむっと、大きく口を開け、そして閉めた。
「……しんどい」
「お疲れ様です」
 ころっと、また横になった。
 姫様は、そんな太郎をじーっと眺めていた。
 その視線に気がつくと、太郎が口を開いた。
「……なに?」
「へ? あ、はい?」
 姫様、急に話しかけられたので、ちょっと慌てる。
「いやさ、なに?」
「なにがですか?」
「なにか、言いたい事あるんじゃないの?」
 そう、妖狼がいった。
 その金銀妖瞳に、姫様の姿が映る。
「……別に……」
「ふーん」
 ぷいっと、視線を外した。
「ちょっと、気になる事があるだけで……」
「気になる事?」
 姫様、言って良いものかどうか、ちょっと迷う。
 妖狼が、じいっと姫様を見る。
 姫様、視線を妖狼に戻す。
「……じゃあ……太郎さん、月心さんのこと、嫌い?」
「はあ?」
「太郎さん、月心さんのところへ行くと、いつも月心さんを睨んでるっていうか……うーん」
 なんだろう……なんて、言えば良いんだろう……
「……まとまら、ないなあ……」
「別に」
 そう、素っ気なくいった。
「そうなの? じゃあ、好き?」
「好きでも、嫌いでも、ねえな。どうでも、いい。子供と遊ぶのは飽きないから、あそこにいくのは嫌いじゃないけど」
「ふうん……」
 しげしげと、妖狼の大きな目を覗き込んだ。
 妖狼が、瞬きする。
「お茶、飲んでくるね」
 姫様が、いった。
「へーい」
 姫様が、部屋を出ていく。
 廊下側の戸を開ける。寺の庭とは反対。
「さてと……」
 器用に前足で戸を開け、庭に出ようと。 
 秋の風が、また部屋に入り込んだ。
 日向ぼっこがしたくなったのだ。
 大きな顔を、部屋からだした。
 そこで妖狼は、鼻をひくひくと動かした。
「……なんの、匂いだ?」
 庭にいるのは、皆見知った妖達。
 はて、と。
 首を、こきこきと鳴らす。
 お昼寝中の妖達の間をすり抜け、庭をうろうろ。
「ちぃ……気になる……蟲?」
 何かが、落ち葉をかさりと踏み締めた。
 匂いが、強くなる。
 背後。
 さっきは、何もなかったのに。ちゃんと、確認したのに。
 虫達の音が、やんだ。
 鼓動が激しくなった。
 犬神、妖猿。
 泣いている姫様の顔。
 妖狼が、振り返ると同時にその匂いの元に飛びかかった。
「太郎さん、駄目ー!!!」
 姫様が、大きな声を出した。
 なに! 
 何事!
 どうした! 
 っと、妖達が跳ね起きる。
 姫様の悲鳴に、葉子や黒之助も駆け寄ってくる。
 妖狼が大顎を開け、鋭い牙を光らせながら、姫様をゆっくり振り返った。
 姫様が裸足で庭に降りる。
「なんてことを……」
 姫様が口を押さえた。 
 そこに、子供がへたっと座り込んでいた。
 男の子。黄色い石のついた首飾りをつけていた。
 がくがくと、震えている。
 姫様がちょっとでも遅かったら、太郎の牙に襲われていたろう。
「太郎さん、なにを!」
「……」
 姫様が、その子を自分の後ろに隠した。
 妖狼が、うなだれる。尾が、しなだれる。
「太郎さん!」
「……いや……そのう……こんなはずじゃあ……」
「なに、なに考えてるの! こんな幼い子供に襲いかかるなんて!」
「う……」
 姫様の、長い髪の先が一瞬宙を向いた。
 姫様の怒気に、妖狼が、一瞬怯えを見せた。
 右手をあげ、姫様が妖狼の頬めがけて勢いよく振り下ろした。
 目をつぶる。
 妖狼も、妖達も。
「駄目ー!」
 男の子の声。
 姫様に正面から抱きついて。
 あれ、っと姫様が。
 確かに、背後にやったのにと。
 その手が、とまった。
 しゃんと、鈴の音が鳴った。
 錫杖が、男の子に突きつけられて。
 葉子の鋭い爪も、男の子の喉元に。
 黒之助と葉子が、その子供を見下ろしながら姫様の両隣に。
 男の子は、ぐすぐすと姫様に顔をつけたまま、泣いていて。
「……と、とりあえず、二人ともおろして下さい……」
 うーんと顔を見合わせると、葉子と黒之助は、男の子から手を、ひいた。
 敵意が、全く感じられないのだ。
「えっと……」
「これは?」
 男の子は、姫様から顔を離した。
 姫様の着物に涙の痕が。
 葉子が、それを見てあちゃ~といった。
 男の子は、姫様の手を掴むと、ごしごし目をこすりながら太郎に近づき、その大きな尻尾を引っ張って、
「なか、よし、なかよし」
 そう、いった。
「えーっと……はぃ?」
 姫様の声。
 紅葉が、一葉、二葉、と、風に乗って落ちていく。
 蟋蟀、鈴虫、松虫……
 秋の虫達が、一斉にその音を奏でだした。