山狗(1)
――呂布と、曹操。徐州での戦と同時期――
十部軍。
それは、董卓亡き後の涼州を治める十人の豪族の通称。
今、十部軍の一応の頭目となっているのは、馬騰、韓遂の二人である。
彼らは二人で語らい、かっての都・洛陽に、軍を進める事にした。
漢王室に対する愛憎相反する気持ちが、二人にはあった。
それが、漢王室の残り火が宿る洛陽に向けて、軍を進発させる要因となった。
総勢、八万。
よく、集めたと言うべきだろう。
十部軍に所属する豪族の全てを参戦させることに、成功したのだから。
十部軍を迎え撃つために、旧董卓軍――飛熊軍が、洛陽より動いた。
馬上で鎧も着ず、暗い表情を浮かべる若い女。
銀の球が幾つも連なった飾りを顔の両脇につけている。
どこか陰りのある、美しい女だった。
女がいるのは陣内。
旗には、「韓」の文字。
「どうした、浮かない顔をして」
男が、女に尋ねた。
女が顔を上げる。男の姿を視界に映すと、はっと一礼した。
随分と、年が離れていた。
「韓遂様……」
女が言った。
男が頷き、人払いをすると、話してみよと女に促した。
韓遂。
十部軍の二人の頭目の一人。
同じく頭目の一人である馬騰とは盟友であり、好敵手である。
少人数で、走り屋として全国を廻ったこともあった。
年は、五十を幾ばくか過ぎただろうか。
がっしりとした体つきである。
「その……」
「わしにも、言いにくい事か、成公英。成公何が心配しておったぞ」
弾かれたように、成公英は大きく目を開けた。
「弟が……申し訳御座いません、義父上」
「陣中では、父上はよせ」
照れるように、いった。
「申し訳、ありません」
「それで……悩みの種は、やはり?」
成公英が、さらに沈んだ表情になる。韓遂の目つきが、鋭くなる。
それは、漢王室に逆らい続けた、古き梟雄の目であった。
「はい……本当に、私なのですか? 私は」
「くどい。三日前のあの時、何度も、説明をしたはずだ」
「ですが! 私には閻行様が!」
成公英が、少し語気を荒げた。
それを、まぁまぁと韓遂がなだめた。
「お主が、閻行に心底惚れ抜いておるのはよく、よく、知っておるよ。わしに無断で、結婚するぐらいだからな。あのときは、本当に驚いた。閻行は、力はある。それは認めよう。今、涼州で馬超と戦えるのはあの男だけであろう。戦も、上手い」
「では、なぜ……なぜ、なのですか」
「それでも、わしの小さな勢力を受け継ぐのは、お前じゃ、成公英」
韓遂が、いった。
成公英が、辛そうに、何かを耐えるように、唇を噛んだ。
三日前、屋敷で戦の準備をしているとき、韓遂がやってきた。
閻行がいないときに、である。
伝えられたのは、その言葉。
わしの後は、お前が継げ。
ずっと、そのことで成公英は悩んでいた。
戦の前だというのに、心、ここにあらず、なのだ。
「それでは……閻行様があんまりです。義父上に認められるようにと、ずっと頑張ってこられたのに!」
「……成公英。悪いが、わしはあの男の事を今でも信用しておらぬ」
「そんな……」
「あの男、腹の底ではなにを考えておるか、わからぬ」
「そんなこと、そんなことございませぬ! 閻行様はただただ義父上に認められたい! そのためだけにずっと!」
「成公英、すまぬ。この話は、あとだ」
韓遂が、成公英を静止する。
男が、入りますと声をあげた。
成公英が、閻行様……と呟いた。
韓遂が、入れといった。
男が一人、二人に近づく。
閻行。成公英の夫。馬超麾下の「長矛」と並ぶ、精鋭騎馬隊「黒狗」を率いている。
浅黒い肌をしており、その鎧は漆黒。
端正な顔立ちだが、暗い印象を見る者に与えた。
目が、表情を宿していないなのだ。
「飛熊軍とは、明日にはぶつかると斥候より連絡がございました。やはり、軍の呼吸はあっていないようです」
淡々とした、物言いだった。
「ふむ、主を失ったのは、痛かったようだな」
「それと、馬騰殿より軍議を開きたいと」
「わかった、諸侯に使いを出せ」
「御意」
閻行が、駈け去ろうと。その背に、何か言葉を投げようと、成公英は口を動かした。
「え、閻行様……」
「なんだ」
閻行が、振り返った。
「その……ご武運を」
「……わかった。お前もな」
「はい!」
閻行が、今度こそ駈け去っていく。成公英が、嬉しそうに韓遂を伺う。
韓遂は、渋い顔をしていた。
「やっぱり、やる気でないな」
「うん。同郷でもあるしな」
「……」
三馬、まとまって進む。二人が、会話を交わす。一人が、頷く。
李カク・郭汜・樊稠。飛熊軍率いる、元董卓四天王の三人、である。
「それにだ、俺達が王允の言う事を聞く必要あんのか? 俺達の主は董卓様だけだろう?」
「しょうがない。あの男、帝を後ろ盾にしているし」
「やっぱ、俺達田舎もんは権威っつうもんに弱いよな……はぁ、これなら故郷に戻った方が、よかったかな」
「それのほうが問題だろう。董卓配下として暴れた我らに、戻るところなど、ない」
「……」
「だよなぁ……ちったぁ会話に参加しろよ、樊稠」
「……オレハ、イクサデキレバ、イイ」
「わりぃ、聞いた俺が馬鹿だった」
「ナニィ?」
「喧嘩は、よせ。郭汜、樊稠」
「ちっ……張済の野郎も、いなくなっちまうしよぉ」
「今は、張繍が後を継いだんだったな。あれは、よいな。我らとは、違う」
「本当、俺達どうなるんだろう。華雄さんも、徐栄さんも、あっさりおっ死んじまうし」
ぐすんと、郭汜が涙ぐんだ。
「呂布も、あっちの方で曹操と戦ってるんだろう? 仇討ち、したくても出来ないし」
「ま、なるようになる。どう転んでも、しょうがないさ」
「……うん」
「ダナ」
「お三方!」
兵が、駆け寄る。三人が、一瞬殺気を放った。
兵が、彫像のように動きを止めた。
董卓四天王の名は、伊達ではないのだ。
「……話せ」
「そ、それが……」
「なんだ? もったいぶらずに早く言えよ!」
「ウヌ」
「り、李儒と名乗る男がお三方に是非ともお目通り願いたいと」
三人、その名を聞いて唖然とする。
「うおいっぃ! すぐにお通ししろ!」
「は、早く! 丁重にだ!」
「クレグレモソソウノナイヨウニナ!」
「は!」
十部軍。
それは、董卓亡き後の涼州を治める十人の豪族の通称。
今、十部軍の一応の頭目となっているのは、馬騰、韓遂の二人である。
彼らは二人で語らい、かっての都・洛陽に、軍を進める事にした。
漢王室に対する愛憎相反する気持ちが、二人にはあった。
それが、漢王室の残り火が宿る洛陽に向けて、軍を進発させる要因となった。
総勢、八万。
よく、集めたと言うべきだろう。
十部軍に所属する豪族の全てを参戦させることに、成功したのだから。
十部軍を迎え撃つために、旧董卓軍――飛熊軍が、洛陽より動いた。
馬上で鎧も着ず、暗い表情を浮かべる若い女。
銀の球が幾つも連なった飾りを顔の両脇につけている。
どこか陰りのある、美しい女だった。
女がいるのは陣内。
旗には、「韓」の文字。
「どうした、浮かない顔をして」
男が、女に尋ねた。
女が顔を上げる。男の姿を視界に映すと、はっと一礼した。
随分と、年が離れていた。
「韓遂様……」
女が言った。
男が頷き、人払いをすると、話してみよと女に促した。
韓遂。
十部軍の二人の頭目の一人。
同じく頭目の一人である馬騰とは盟友であり、好敵手である。
少人数で、走り屋として全国を廻ったこともあった。
年は、五十を幾ばくか過ぎただろうか。
がっしりとした体つきである。
「その……」
「わしにも、言いにくい事か、成公英。成公何が心配しておったぞ」
弾かれたように、成公英は大きく目を開けた。
「弟が……申し訳御座いません、義父上」
「陣中では、父上はよせ」
照れるように、いった。
「申し訳、ありません」
「それで……悩みの種は、やはり?」
成公英が、さらに沈んだ表情になる。韓遂の目つきが、鋭くなる。
それは、漢王室に逆らい続けた、古き梟雄の目であった。
「はい……本当に、私なのですか? 私は」
「くどい。三日前のあの時、何度も、説明をしたはずだ」
「ですが! 私には閻行様が!」
成公英が、少し語気を荒げた。
それを、まぁまぁと韓遂がなだめた。
「お主が、閻行に心底惚れ抜いておるのはよく、よく、知っておるよ。わしに無断で、結婚するぐらいだからな。あのときは、本当に驚いた。閻行は、力はある。それは認めよう。今、涼州で馬超と戦えるのはあの男だけであろう。戦も、上手い」
「では、なぜ……なぜ、なのですか」
「それでも、わしの小さな勢力を受け継ぐのは、お前じゃ、成公英」
韓遂が、いった。
成公英が、辛そうに、何かを耐えるように、唇を噛んだ。
三日前、屋敷で戦の準備をしているとき、韓遂がやってきた。
閻行がいないときに、である。
伝えられたのは、その言葉。
わしの後は、お前が継げ。
ずっと、そのことで成公英は悩んでいた。
戦の前だというのに、心、ここにあらず、なのだ。
「それでは……閻行様があんまりです。義父上に認められるようにと、ずっと頑張ってこられたのに!」
「……成公英。悪いが、わしはあの男の事を今でも信用しておらぬ」
「そんな……」
「あの男、腹の底ではなにを考えておるか、わからぬ」
「そんなこと、そんなことございませぬ! 閻行様はただただ義父上に認められたい! そのためだけにずっと!」
「成公英、すまぬ。この話は、あとだ」
韓遂が、成公英を静止する。
男が、入りますと声をあげた。
成公英が、閻行様……と呟いた。
韓遂が、入れといった。
男が一人、二人に近づく。
閻行。成公英の夫。馬超麾下の「長矛」と並ぶ、精鋭騎馬隊「黒狗」を率いている。
浅黒い肌をしており、その鎧は漆黒。
端正な顔立ちだが、暗い印象を見る者に与えた。
目が、表情を宿していないなのだ。
「飛熊軍とは、明日にはぶつかると斥候より連絡がございました。やはり、軍の呼吸はあっていないようです」
淡々とした、物言いだった。
「ふむ、主を失ったのは、痛かったようだな」
「それと、馬騰殿より軍議を開きたいと」
「わかった、諸侯に使いを出せ」
「御意」
閻行が、駈け去ろうと。その背に、何か言葉を投げようと、成公英は口を動かした。
「え、閻行様……」
「なんだ」
閻行が、振り返った。
「その……ご武運を」
「……わかった。お前もな」
「はい!」
閻行が、今度こそ駈け去っていく。成公英が、嬉しそうに韓遂を伺う。
韓遂は、渋い顔をしていた。
「やっぱり、やる気でないな」
「うん。同郷でもあるしな」
「……」
三馬、まとまって進む。二人が、会話を交わす。一人が、頷く。
李カク・郭汜・樊稠。飛熊軍率いる、元董卓四天王の三人、である。
「それにだ、俺達が王允の言う事を聞く必要あんのか? 俺達の主は董卓様だけだろう?」
「しょうがない。あの男、帝を後ろ盾にしているし」
「やっぱ、俺達田舎もんは権威っつうもんに弱いよな……はぁ、これなら故郷に戻った方が、よかったかな」
「それのほうが問題だろう。董卓配下として暴れた我らに、戻るところなど、ない」
「……」
「だよなぁ……ちったぁ会話に参加しろよ、樊稠」
「……オレハ、イクサデキレバ、イイ」
「わりぃ、聞いた俺が馬鹿だった」
「ナニィ?」
「喧嘩は、よせ。郭汜、樊稠」
「ちっ……張済の野郎も、いなくなっちまうしよぉ」
「今は、張繍が後を継いだんだったな。あれは、よいな。我らとは、違う」
「本当、俺達どうなるんだろう。華雄さんも、徐栄さんも、あっさりおっ死んじまうし」
ぐすんと、郭汜が涙ぐんだ。
「呂布も、あっちの方で曹操と戦ってるんだろう? 仇討ち、したくても出来ないし」
「ま、なるようになる。どう転んでも、しょうがないさ」
「……うん」
「ダナ」
「お三方!」
兵が、駆け寄る。三人が、一瞬殺気を放った。
兵が、彫像のように動きを止めた。
董卓四天王の名は、伊達ではないのだ。
「……話せ」
「そ、それが……」
「なんだ? もったいぶらずに早く言えよ!」
「ウヌ」
「り、李儒と名乗る男がお三方に是非ともお目通り願いたいと」
三人、その名を聞いて唖然とする。
「うおいっぃ! すぐにお通ししろ!」
「は、早く! 丁重にだ!」
「クレグレモソソウノナイヨウニナ!」
「は!」