長江、燃える(7)
とぼとぼと、馬を歩かせる。
決して、急いてはいない。
馬上に六人。
前に二人、後ろに四人。
「そうか、ガキんちょ。元気にしてたのか」
「ガキんちょじゃないです、趙雲です……」
「そうか、趙雲って名前か、ガキんちょ」
「あの、ですね……」
趙雲が困った顔をして、陳到を見た。陳到も困った目をしていた。
確かに幼いけど、そう何度も言われるのは、嫌だった。
「そう、嫌そうな顔をするな、趙雲」
グシグシっと徐庶が趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「ま、ガキってのは間違いないからな」
カハっと、虎髭の大男が笑った。
「……そうですね……」
陳到の目が、微笑む。
張飛、陳到、二人が自分を子供扱いするのに腹を立てて、ぷくーっと趙雲が頬を膨らませた。
そういうのが、まだまだ子供なのだと陳到は思った。
後ろの四人。徐庶、陳到、趙雲、張飛。
前の二人は劉備と関羽。時々劉備は後ろを振り返り、くくっと忍び笑いを浮かべていた。
もう、徐庶は劉備一党に溶け込んでいた。元々明るい性格であるし、陳到の師ということもある。
それに、趙雲とも顔見知りであった。
「趙雲は、今も陳到に教えてもらっているのか?」
「あ、はい。陳到お姉さんと、槍を張飛さんに」
「ほお、それは凄いな」
徐庶が言った。
張飛が、恥ずかしげに自分の虎髭に触れた。
「末恐ろしいな。張飛殿にまで、武芸を教えて貰うというのは」
「人に教えるのは初めてなんで、手探りだけどな。槍も、俺の得物じゃないし」
蛇矛。背中にしょったそれを、ぱんぱんと叩いた。
「お師さん……張飛殿は、教えるのが上手です……」
そうかぁ? と、張飛が言った。
「ふむ。それで、趙雲はどうするんだ。間者か。それとも、将か?」
趙雲が、親指の爪を噛んだ。考えるときの癖だった。
陳到がたしなめる。毎度毎度、そう溜息をついた。
「それは、まだ考えてないです……僕、まだ劉備様の従者ですし」
「ただの従者じゃあるまい。今も、ここにいる」
「はあ……」
「そのうち、か。張飛殿、趙雲の武勇というのは、どの程度なんだ」
「一対一なら、その辺りの兵にはまず負けないな」
「そうか。よく頑張っているんだなガキんちょ」
また、徐庶が趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「またガキんちょって言った……」
「関さん、関さん、どうしてそう、急いでるんだい? もう少しゆっくりすればいいじゃないか」
「長兄、これは長兄に運が巡ってきたという事なのです。ここで」
「急いでも、何も変わらないさ。それに、このままだと約束の時間より早く着くよ」
「……」
関羽が黙りこくった。日の光から考えるに、確かに早い。
「なんだい、関さん。どうして、話の輪に入ろうとしないのさ」
「長兄、行きたければどうぞ。私は、前で見張りを務めます」
関羽が、青龍偃月刀をぶんと振り回した。
その風に、見事な鬚髯がざっと揺れた。
「そんなこと言われたら、行けないじゃないか」
劉備が苦笑しながら言った。
「……」
「また、黙るんだね」
「……」
「理由は? 徐庶が、気に喰わない? 張飛が、何か馬鹿なことをした? 陳到が、趙雲が、何かした?」
「……」
やっぱり、関羽は答えなかった。
「関さーん」
「……」
「おいら、長兄だよね」
「……そうです」
なにを今更、そう言いたげに関羽が答えた。
「兄貴の言う事に従うのも、重要なんじゃあないかな~」
悪戯をしかける子供のような言い方だった。
関羽が、はぁっと溜息を。
「実は……」
「うんうん、張さんが関さんの秘蔵のお酒を盗み飲みした?」
「ソンナコトヒトコトモイッテナイデス」
「あ、ご免」
「どうも、苦手なのです」
「苦手? 徐庶が?」
「いえ、陳到です」
「そいつは……どういうこと?」
関羽から放たれたのは思いもよらぬ言葉であった。
劉備が、詳しく言うよう促す。
「その、ですね……苦手なのですよ、その……」
「女の人?」
「はあ……」
そういえばと、思う。
関さんがうちの奥さん達と話をしてるところ、見た事ない。
呂布さんの義妹の張遼に絡まれたとき、いつもすっごく面倒そうな困った困った顔をしていた。
連れ戻しに来た呂布さんや貂蝉にも、同じ表情を見せてた。
「……関さん、女の人、苦手?」
「そうみたいなのです。慣れて、ないんです……戦場だと、それほど気にならないのですが」
「……前は陳到とも、普通に話してたじゃない」
「前は……気にならなかったのです」
「そっか。陳到、最初に出会ったときと変わってきてるもんね。目が、布の合間から見えるだけだけど、表情が豊かになった気がするよ」
「はい。それは、良い事だと私も思うのですが……その分、どう接してよいのか」
「これは……難しいね」
やれやれと、劉備が両の手の平を空に見せた。
しゅんと、関羽が俯く。
劉備が、そんな関羽の背中を思いっきり叩いた。
「気にしなさんな。慣れだよ、慣れ。それに」
「それに?」
「関さんが、神様みたいに万能じゃないってわかって、おいら嬉しいね」
「……人、ですから」
ぼそっと、呟いた。
「水鏡先生、劉備殿を、お連れしました」
劉備達は、古い屋敷に連れられた。
外から見ると、人が住んでいる気配はなかった。
しかし、中は以外と綺麗であった。きちんと掃除されている。急遽、といった感じであるが。
日の光は遮られ、蝋燭の光がその役目を果たしていた。
母屋には、一人、入り口に背を見せて座っている。
長い白髪が、老人だと、思わせた。
徐庶が、ゆっくりと座る。音をたてなかった。
陳到と趙雲も音をたてずに座り、劉備や張飛は、乱暴に床の軋む音を立てながら。
関羽は、出来るだけ静かに。それでも腐りかけの板が音を立てた。
「よしよし」
ゆっくりと、座る向きを変えた。
水鏡先生――司馬徽である。
「司馬徽さんだね。おいら、劉備それで」
「関羽様、張飛様、趙雲様、そして陳到。存じております」
枯れ木のような指で順番に指差し、司馬徽は皆の名前を言った。
「ここに来たという事は、お請けになられるということでよろしいですね」
「ああ」
両者の瞳が、油断無く光る。
張飛が、隙がねぇと呟いた。
「よし、よし」
司馬徽が、笑った。ぽんぽんと、手を叩いた。
二人、室内に入ってくる。徐庶がよおっと挨拶した。
「この人達は?」
趙雲が言った。
「さあ……」
陳到が答えた。
一人は、眠そうな目をした青年であった。
もう一人は、陳到と同じ覆面をしていた。ゆったりとした布で、身体を覆っている。
徐庶に、二人とも小さく一礼する。司馬徽の後方に座る。
青年は欠伸を一つついた。
覆面をしているほうは、関羽と視線がしばしあい、慌てて俯いていた。
「この二人が、三人のうちの残りの人かい」
劉備がいった。
「その通りです。この二人が、策を練ってくれました。わしは、実行しているだけです」
「へえ」
「臥龍と、鳳雛。孔明と、龐統。どうぞ、お見知りおき下さい」
劉備が、や、っと挨拶した。
二人とも、返事しなかった。
劉備が苦笑する。
そのとき、猛烈な殺気が、室内に渦巻いた。
「挨拶は?」
張飛、である。蛇矛が、かたかたと音をたてた。
二人が、慌てて返事をした。
「諸葛亮、字は孔明。孔明とおよび下さい」
ぱっちりとした表情で、青年が言った。言ったそばから、またうつらうつらし始めた。
「龐統」
短い。俯いたまま。
女――少女の声であった。陳到があるかなしかの反応を示したのを、趙雲は見逃さなかった。
「臥龍と鳳雛、眠ってる龍に、鳳凰の雛かい」
「よいよい」
よくないと、龐統が呟いた。
孔明は、はな提灯を作り始めて。
「見事、だよ」
劉備が言った。龐統が顔を上げた。
「見事じゃないか。これだけの策を考えられたんだ」
劉備が笑った。心から、笑っていた。
司馬徽が、二人を見る。
孔明が寝ているのを、こつんと起こす。
龐統が身体を小刻みに震わせているのを見て、
「よいよい」
と笑った。
決して、急いてはいない。
馬上に六人。
前に二人、後ろに四人。
「そうか、ガキんちょ。元気にしてたのか」
「ガキんちょじゃないです、趙雲です……」
「そうか、趙雲って名前か、ガキんちょ」
「あの、ですね……」
趙雲が困った顔をして、陳到を見た。陳到も困った目をしていた。
確かに幼いけど、そう何度も言われるのは、嫌だった。
「そう、嫌そうな顔をするな、趙雲」
グシグシっと徐庶が趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「ま、ガキってのは間違いないからな」
カハっと、虎髭の大男が笑った。
「……そうですね……」
陳到の目が、微笑む。
張飛、陳到、二人が自分を子供扱いするのに腹を立てて、ぷくーっと趙雲が頬を膨らませた。
そういうのが、まだまだ子供なのだと陳到は思った。
後ろの四人。徐庶、陳到、趙雲、張飛。
前の二人は劉備と関羽。時々劉備は後ろを振り返り、くくっと忍び笑いを浮かべていた。
もう、徐庶は劉備一党に溶け込んでいた。元々明るい性格であるし、陳到の師ということもある。
それに、趙雲とも顔見知りであった。
「趙雲は、今も陳到に教えてもらっているのか?」
「あ、はい。陳到お姉さんと、槍を張飛さんに」
「ほお、それは凄いな」
徐庶が言った。
張飛が、恥ずかしげに自分の虎髭に触れた。
「末恐ろしいな。張飛殿にまで、武芸を教えて貰うというのは」
「人に教えるのは初めてなんで、手探りだけどな。槍も、俺の得物じゃないし」
蛇矛。背中にしょったそれを、ぱんぱんと叩いた。
「お師さん……張飛殿は、教えるのが上手です……」
そうかぁ? と、張飛が言った。
「ふむ。それで、趙雲はどうするんだ。間者か。それとも、将か?」
趙雲が、親指の爪を噛んだ。考えるときの癖だった。
陳到がたしなめる。毎度毎度、そう溜息をついた。
「それは、まだ考えてないです……僕、まだ劉備様の従者ですし」
「ただの従者じゃあるまい。今も、ここにいる」
「はあ……」
「そのうち、か。張飛殿、趙雲の武勇というのは、どの程度なんだ」
「一対一なら、その辺りの兵にはまず負けないな」
「そうか。よく頑張っているんだなガキんちょ」
また、徐庶が趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「またガキんちょって言った……」
「関さん、関さん、どうしてそう、急いでるんだい? もう少しゆっくりすればいいじゃないか」
「長兄、これは長兄に運が巡ってきたという事なのです。ここで」
「急いでも、何も変わらないさ。それに、このままだと約束の時間より早く着くよ」
「……」
関羽が黙りこくった。日の光から考えるに、確かに早い。
「なんだい、関さん。どうして、話の輪に入ろうとしないのさ」
「長兄、行きたければどうぞ。私は、前で見張りを務めます」
関羽が、青龍偃月刀をぶんと振り回した。
その風に、見事な鬚髯がざっと揺れた。
「そんなこと言われたら、行けないじゃないか」
劉備が苦笑しながら言った。
「……」
「また、黙るんだね」
「……」
「理由は? 徐庶が、気に喰わない? 張飛が、何か馬鹿なことをした? 陳到が、趙雲が、何かした?」
「……」
やっぱり、関羽は答えなかった。
「関さーん」
「……」
「おいら、長兄だよね」
「……そうです」
なにを今更、そう言いたげに関羽が答えた。
「兄貴の言う事に従うのも、重要なんじゃあないかな~」
悪戯をしかける子供のような言い方だった。
関羽が、はぁっと溜息を。
「実は……」
「うんうん、張さんが関さんの秘蔵のお酒を盗み飲みした?」
「ソンナコトヒトコトモイッテナイデス」
「あ、ご免」
「どうも、苦手なのです」
「苦手? 徐庶が?」
「いえ、陳到です」
「そいつは……どういうこと?」
関羽から放たれたのは思いもよらぬ言葉であった。
劉備が、詳しく言うよう促す。
「その、ですね……苦手なのですよ、その……」
「女の人?」
「はあ……」
そういえばと、思う。
関さんがうちの奥さん達と話をしてるところ、見た事ない。
呂布さんの義妹の張遼に絡まれたとき、いつもすっごく面倒そうな困った困った顔をしていた。
連れ戻しに来た呂布さんや貂蝉にも、同じ表情を見せてた。
「……関さん、女の人、苦手?」
「そうみたいなのです。慣れて、ないんです……戦場だと、それほど気にならないのですが」
「……前は陳到とも、普通に話してたじゃない」
「前は……気にならなかったのです」
「そっか。陳到、最初に出会ったときと変わってきてるもんね。目が、布の合間から見えるだけだけど、表情が豊かになった気がするよ」
「はい。それは、良い事だと私も思うのですが……その分、どう接してよいのか」
「これは……難しいね」
やれやれと、劉備が両の手の平を空に見せた。
しゅんと、関羽が俯く。
劉備が、そんな関羽の背中を思いっきり叩いた。
「気にしなさんな。慣れだよ、慣れ。それに」
「それに?」
「関さんが、神様みたいに万能じゃないってわかって、おいら嬉しいね」
「……人、ですから」
ぼそっと、呟いた。
「水鏡先生、劉備殿を、お連れしました」
劉備達は、古い屋敷に連れられた。
外から見ると、人が住んでいる気配はなかった。
しかし、中は以外と綺麗であった。きちんと掃除されている。急遽、といった感じであるが。
日の光は遮られ、蝋燭の光がその役目を果たしていた。
母屋には、一人、入り口に背を見せて座っている。
長い白髪が、老人だと、思わせた。
徐庶が、ゆっくりと座る。音をたてなかった。
陳到と趙雲も音をたてずに座り、劉備や張飛は、乱暴に床の軋む音を立てながら。
関羽は、出来るだけ静かに。それでも腐りかけの板が音を立てた。
「よしよし」
ゆっくりと、座る向きを変えた。
水鏡先生――司馬徽である。
「司馬徽さんだね。おいら、劉備それで」
「関羽様、張飛様、趙雲様、そして陳到。存じております」
枯れ木のような指で順番に指差し、司馬徽は皆の名前を言った。
「ここに来たという事は、お請けになられるということでよろしいですね」
「ああ」
両者の瞳が、油断無く光る。
張飛が、隙がねぇと呟いた。
「よし、よし」
司馬徽が、笑った。ぽんぽんと、手を叩いた。
二人、室内に入ってくる。徐庶がよおっと挨拶した。
「この人達は?」
趙雲が言った。
「さあ……」
陳到が答えた。
一人は、眠そうな目をした青年であった。
もう一人は、陳到と同じ覆面をしていた。ゆったりとした布で、身体を覆っている。
徐庶に、二人とも小さく一礼する。司馬徽の後方に座る。
青年は欠伸を一つついた。
覆面をしているほうは、関羽と視線がしばしあい、慌てて俯いていた。
「この二人が、三人のうちの残りの人かい」
劉備がいった。
「その通りです。この二人が、策を練ってくれました。わしは、実行しているだけです」
「へえ」
「臥龍と、鳳雛。孔明と、龐統。どうぞ、お見知りおき下さい」
劉備が、や、っと挨拶した。
二人とも、返事しなかった。
劉備が苦笑する。
そのとき、猛烈な殺気が、室内に渦巻いた。
「挨拶は?」
張飛、である。蛇矛が、かたかたと音をたてた。
二人が、慌てて返事をした。
「諸葛亮、字は孔明。孔明とおよび下さい」
ぱっちりとした表情で、青年が言った。言ったそばから、またうつらうつらし始めた。
「龐統」
短い。俯いたまま。
女――少女の声であった。陳到があるかなしかの反応を示したのを、趙雲は見逃さなかった。
「臥龍と鳳雛、眠ってる龍に、鳳凰の雛かい」
「よいよい」
よくないと、龐統が呟いた。
孔明は、はな提灯を作り始めて。
「見事、だよ」
劉備が言った。龐統が顔を上げた。
「見事じゃないか。これだけの策を考えられたんだ」
劉備が笑った。心から、笑っていた。
司馬徽が、二人を見る。
孔明が寝ているのを、こつんと起こす。
龐統が身体を小刻みに震わせているのを見て、
「よいよい」
と笑った。