小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

長江、燃える(7)

 とぼとぼと、馬を歩かせる。
 決して、急いてはいない。
 馬上に六人。
 前に二人、後ろに四人。
「そうか、ガキんちょ。元気にしてたのか」
「ガキんちょじゃないです、趙雲です……」
「そうか、趙雲って名前か、ガキんちょ」
「あの、ですね……」
 趙雲が困った顔をして、陳到を見た。陳到も困った目をしていた。
 確かに幼いけど、そう何度も言われるのは、嫌だった。
「そう、嫌そうな顔をするな、趙雲
 グシグシっと徐庶趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「ま、ガキってのは間違いないからな」
 カハっと、虎髭の大男が笑った。
「……そうですね……」
 陳到の目が、微笑む。
 張飛陳到、二人が自分を子供扱いするのに腹を立てて、ぷくーっと趙雲が頬を膨らませた。
 そういうのが、まだまだ子供なのだと陳到は思った。
 後ろの四人。徐庶陳到趙雲張飛
 前の二人は劉備関羽。時々劉備は後ろを振り返り、くくっと忍び笑いを浮かべていた。
 もう、徐庶劉備一党に溶け込んでいた。元々明るい性格であるし、陳到の師ということもある。
 それに、趙雲とも顔見知りであった。
趙雲は、今も陳到に教えてもらっているのか?」
「あ、はい。陳到お姉さんと、槍を張飛さんに」
「ほお、それは凄いな」
 徐庶が言った。
 張飛が、恥ずかしげに自分の虎髭に触れた。
「末恐ろしいな。張飛殿にまで、武芸を教えて貰うというのは」
「人に教えるのは初めてなんで、手探りだけどな。槍も、俺の得物じゃないし」
 蛇矛。背中にしょったそれを、ぱんぱんと叩いた。
「お師さん……張飛殿は、教えるのが上手です……」
 そうかぁ? と、張飛が言った。
「ふむ。それで、趙雲はどうするんだ。間者か。それとも、将か?」
 趙雲が、親指の爪を噛んだ。考えるときの癖だった。
 陳到がたしなめる。毎度毎度、そう溜息をついた。
「それは、まだ考えてないです……僕、まだ劉備様の従者ですし」
「ただの従者じゃあるまい。今も、ここにいる」
「はあ……」
「そのうち、か。張飛殿、趙雲の武勇というのは、どの程度なんだ」
「一対一なら、その辺りの兵にはまず負けないな」
「そうか。よく頑張っているんだなガキんちょ」
 また、徐庶趙雲の頭を乱暴に撫でた。
「またガキんちょって言った……」



「関さん、関さん、どうしてそう、急いでるんだい? もう少しゆっくりすればいいじゃないか」
「長兄、これは長兄に運が巡ってきたという事なのです。ここで」
「急いでも、何も変わらないさ。それに、このままだと約束の時間より早く着くよ」
「……」
 関羽が黙りこくった。日の光から考えるに、確かに早い。
「なんだい、関さん。どうして、話の輪に入ろうとしないのさ」
「長兄、行きたければどうぞ。私は、前で見張りを務めます」
 関羽が、青龍偃月刀をぶんと振り回した。
 その風に、見事な鬚髯がざっと揺れた。
「そんなこと言われたら、行けないじゃないか」
 劉備が苦笑しながら言った。
「……」
「また、黙るんだね」
「……」
「理由は? 徐庶が、気に喰わない? 張飛が、何か馬鹿なことをした? 陳到が、趙雲が、何かした?」
「……」
 やっぱり、関羽は答えなかった。
「関さーん」
「……」
「おいら、長兄だよね」
「……そうです」
 なにを今更、そう言いたげに関羽が答えた。
「兄貴の言う事に従うのも、重要なんじゃあないかな~」
 悪戯をしかける子供のような言い方だった。
 関羽が、はぁっと溜息を。
「実は……」
「うんうん、張さんが関さんの秘蔵のお酒を盗み飲みした?」
「ソンナコトヒトコトモイッテナイデス」
「あ、ご免」
「どうも、苦手なのです」
「苦手? 徐庶が?」
「いえ、陳到です」
「そいつは……どういうこと?」
 関羽から放たれたのは思いもよらぬ言葉であった。
 劉備が、詳しく言うよう促す。
「その、ですね……苦手なのですよ、その……」
「女の人?」
「はあ……」
 そういえばと、思う。
 関さんがうちの奥さん達と話をしてるところ、見た事ない。
 呂布さんの義妹の張遼に絡まれたとき、いつもすっごく面倒そうな困った困った顔をしていた。
 連れ戻しに来た呂布さんや貂蝉にも、同じ表情を見せてた。
「……関さん、女の人、苦手?」
「そうみたいなのです。慣れて、ないんです……戦場だと、それほど気にならないのですが」
「……前は陳到とも、普通に話してたじゃない」
「前は……気にならなかったのです」
「そっか。陳到、最初に出会ったときと変わってきてるもんね。目が、布の合間から見えるだけだけど、表情が豊かになった気がするよ」
「はい。それは、良い事だと私も思うのですが……その分、どう接してよいのか」
「これは……難しいね」
 やれやれと、劉備が両の手の平を空に見せた。
 しゅんと、関羽が俯く。
 劉備が、そんな関羽の背中を思いっきり叩いた。
「気にしなさんな。慣れだよ、慣れ。それに」
「それに?」
「関さんが、神様みたいに万能じゃないってわかって、おいら嬉しいね」
「……人、ですから」
 ぼそっと、呟いた。



「水鏡先生、劉備殿を、お連れしました」
 劉備達は、古い屋敷に連れられた。
 外から見ると、人が住んでいる気配はなかった。
 しかし、中は以外と綺麗であった。きちんと掃除されている。急遽、といった感じであるが。
 日の光は遮られ、蝋燭の光がその役目を果たしていた。
 母屋には、一人、入り口に背を見せて座っている。
 長い白髪が、老人だと、思わせた。
 徐庶が、ゆっくりと座る。音をたてなかった。
 陳到趙雲も音をたてずに座り、劉備張飛は、乱暴に床の軋む音を立てながら。
 関羽は、出来るだけ静かに。それでも腐りかけの板が音を立てた。
「よしよし」
 ゆっくりと、座る向きを変えた。
 水鏡先生――司馬徽である。
司馬徽さんだね。おいら、劉備それで」
関羽様、張飛様、趙雲様、そして陳到。存じております」
 枯れ木のような指で順番に指差し、司馬徽は皆の名前を言った。
「ここに来たという事は、お請けになられるということでよろしいですね」
「ああ」
 両者の瞳が、油断無く光る。
 張飛が、隙がねぇと呟いた。
「よし、よし」
 司馬徽が、笑った。ぽんぽんと、手を叩いた。 
 二人、室内に入ってくる。徐庶がよおっと挨拶した。
「この人達は?」
 趙雲が言った。
「さあ……」
 陳到が答えた。
 一人は、眠そうな目をした青年であった。
 もう一人は、陳到と同じ覆面をしていた。ゆったりとした布で、身体を覆っている。
 徐庶に、二人とも小さく一礼する。司馬徽の後方に座る。
 青年は欠伸を一つついた。
 覆面をしているほうは、関羽と視線がしばしあい、慌てて俯いていた。
「この二人が、三人のうちの残りの人かい」
 劉備がいった。
「その通りです。この二人が、策を練ってくれました。わしは、実行しているだけです」
「へえ」
臥龍と、鳳雛孔明と、龐統。どうぞ、お見知りおき下さい」
 劉備が、や、っと挨拶した。
 二人とも、返事しなかった。
 劉備が苦笑する。
 そのとき、猛烈な殺気が、室内に渦巻いた。
「挨拶は?」
 張飛、である。蛇矛が、かたかたと音をたてた。
 二人が、慌てて返事をした。
諸葛亮、字は孔明孔明とおよび下さい」
 ぱっちりとした表情で、青年が言った。言ったそばから、またうつらうつらし始めた。
「龐統」
 短い。俯いたまま。
 女――少女の声であった。陳到があるかなしかの反応を示したのを、趙雲は見逃さなかった。
臥龍鳳雛、眠ってる龍に、鳳凰の雛かい」
「よいよい」
 よくないと、龐統が呟いた。
 孔明は、はな提灯を作り始めて。
「見事、だよ」
 劉備が言った。龐統が顔を上げた。
「見事じゃないか。これだけの策を考えられたんだ」
 劉備が笑った。心から、笑っていた。
 司馬徽が、二人を見る。
 孔明が寝ているのを、こつんと起こす。
 龐統が身体を小刻みに震わせているのを見て、
「よいよい」
 と笑った。