小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

愉快な呂布一家~錦(2)~

「全く、あの馬鹿息子め」
 男が呟いた。右眉の上に傷がある。古いものに見えた。
 刀を、横の椅子に立て掛けてある。
 街の広場。
 椅子が大量に並べてある。そこに座っている人は少ない。
 屋台が、それなりに散在している。暇そうにしていた。
 広いテントを背にした舞台。椅子は、そこに向かって並べられていた。
 舞台上には、練習用の武器が、いくつも置いてあった。
 男は、最前列にいた。他に誰もその列には座っていない。
 椅子を、とんとんと飛び越えながら、最前列に向かう影が一つ。
 影はどさっと男の隣に座る。男は、少しむっとした。
 影が、口を開いた。
「よかった、間に合ったようです」
「龐徳」
 男が、話しかけてきた男にそう言った。
「調練は?」
馬岱殿が」
「……さぼったな」
 男が、睨んだ。
 怖い怖い。全く悪びれずに、龐徳は笑った。
「人聞きの悪い。今日は休みたいなぁと言ったら、馬岱殿が『進んで』代わってくれると申し出てくれました」
「そんなことばかりやっているから不良中年などと陰口を叩かれるのだ」
「し、失敬な! まだ、三十代ですぞ!」
「去年も、その前もその前もお前はそう言った」
「……随分と、人が減りましたな」
 龐徳が辺りを見回しながら。
 話を、変えるように、変えたいように。
 買い物疲れの家族連れや、老夫婦、遊び疲れた子供達。
 椅子の数とは、釣り合っていなかった。
「もう、みんな飽きたのだな。しょうがない」
「連日ですか」
「戦に負けてから、ずっとだ」
 やれやれと。 
「やっぱり、ショックだったのですね」
 龐徳の顔に、影が差した。
「負けた事よりも、裏切られた事よりも、成公英が、な……」
 そこで、男は口を閉じた。
「昨日見舞いに行きましたが、酷い有様でした。話を少ししましたが……弟君、泣いていましたよ」
「昨日も、さぼったのか」
「代わりに、馬休殿と馬鉄殿が。これも『進んで』です」
 その部分は無視して、男が言った。
 絞るように、である。
「強くなりたいのだろう。あの男に勝てるぐらいに。だが、こんなところで弱い相手とやっても、意味はあるまい」
「命懸けなら、相手が弱くても強くなれますよ」
 龐徳が言った。
 男は、表情を変えずに、
「そんなことをして可愛い可愛い錦に傷がついたらどうする。どう責任をとる。お前が、死んで責任をとるのか。全く、お前は鬼か悪魔か。死ね、そうなる前に今すぐこの場で腹を切れ、不良中年」
 そう、言った。
馬騰殿のほうが年上なのに……」
 死ね、の部分はどうでもいいらしい。
「儂は永遠の二十代だ」
 何か言おうとして龐徳は口をパクパクさせて、やっぱり辞めた。
 自分も似たような事を言ったばかりなのだ。もう少し謙虚ではあったが。
 それに、ここに来た目的が現れたから。
 裏のテントから舞台上に、一人、姿を見せた。
 長い鳥の羽が、優雅に弧を描いた。
 少しいる観客が、まばらな拍手を。
 馬騰の拍手が、一番大きい。
 馬騰――このあたり一帯を治める、十軍閥頭目の一人である。
 龐徳は、その配下の武将であった。



「なんだ、龐徳も来ていたのか」
 舞台上で、少年が呟いた。幼さと野生が、その顔には同居している。
 身体は大きくない。派手な柄の着物を身につけていた。
 四聖獣――青龍、白虎、玄武、朱雀――が金銀煌びやかに刺繍されている。
 頭の小さな金獅子の飾りに伸びる二本の羽が、ずっとヒラヒラと風に身を任せている。
 それは、少年の背中に着くほどで。
 少年が、武器をとる。
 それは、片手で扱えるぐらいの大きさの棒。
 そう、刀ぐらいの。
 ぶんと、一振りした。
 また、テントから人が出てくる。
 六人。荒っぽい風貌の男達。一人、薄茶のフードで顔を隠している。少年よりも、もっと小柄。
 少年が、一人の男を指差した。
 男が、ちょっと緊張しながら、一歩前に出る。武器を、選ぶ。
 二振り、少年より幾分ながい木製の棒を選んだ。
 向かい合う。構え会う。
 少年が、口元に笑みを浮かべた。
 中腹に座っていた子供達が、一つあくびをつく。
 二つ目のあくびをついたとき、少年は両手に何も持たぬ男の喉元に、得物を突きつけていた。
「失せろ。次、お前だ」
 男達――テントで笑っていた男達――の顔色が変わっていた。
 錦。
 そう、詠われる男。
 涼州のかっての二強の一角。今は、涼州最強の武を誇る、馬騰の長子。

 馬超
 


「相変わらず、お強いですな」
「相手が弱すぎるというのもある。そう、褒めるな」
 顔をデレデレさせながら馬騰が答える間に、また一人男が武器をその手から落とされた。
 また、冷たく「失せろ」と言われている。
「もう、ほとんど倒してしまいましたからなぁ」
「うむ。見ろ、あまりの一方的な立ち会いに、観客が帰ってしまう」
「いえ、あれは買い物の続きに向かうのでしょう」
 腰を上げた四人家族に向かって、龐徳が言った。
 老夫婦は、うつらうつらお昼寝中。
 子供達の小さな集団だけが、目を輝かせて馬超の一人舞台を見ていた。
 前は、もっと人が集まったのだが、今はもう、集まらない。
 連日の一方的な立合に、興醒めしてしまったのだ。
「お、今度は少しマシですな」
 一合、二合と打ち合う。それまでは、最初の一太刀で勝負が決まっていた。
「少しだな」
 その言葉通り、三合目で、武器を弾き飛ばされる。
 それは、馬騰に向かって飛んでいく。
 かっという音がして、それが二つになり、地面に落ちた。
 いつの間にか、馬騰の手には刀が抜かれていた。それを、静かに鞘に収める。
 龐徳が、
「お見事」
 と言った。
 今、武器を弾き飛ばされた男は、あとで軍の受付に来いと言われていた。
「もう、終わりか」
 物足りないように馬超が言う。
 まだ、一人残っているが、あえてそう言い、得物を片付けようとした。
「まだ、私がいるよ」
 そう、言った。
「なんだ。お前も、そうだったのか?」
「じゃなかったら、ここにいないもん!」
 馬超が、苦笑した。声は、あまりにも幼い女の声だった。
「……ここは、遊ぶ所じゃないんだぞ。どっか違うところで遊べ」
「怖いの?」
「なに?」
「……怖いんでしょ? やーい臆病者、やーいやーい、腰抜けー腰抜けー」
 それを聞いて、龐徳が呆れたように、
「子供の、喧嘩ですか」
 と言った。
「子供の挑発だ。馬超がそんなものに乗るとでも」
「武器を取れ、クソガキ」
 乗った。
 最前列の二人……唖然。
「ふふ~ん」
 勝ち誇ったような幼い声。
 努めて冷静に、怒気を殺して、
「武器を選べ」
 そう、馬超が促す。
 とととと、近づくと、むんずと青龍刀を真似たものを選んだ。
「また、凄いものを選んだな」
「いいのいいの。さ、勝負勝負!」
「この……」
 二人が、対峙する。まだ、お互い武器を構えていない。
「それ、見えにくくないか」
「あー、大丈夫大丈夫」
 なんだか、間の抜けたやりとりであった。
「じゃあ」
 馬超が、武器を構える。両手で、それを握っていた。
 少し、殺気を浴びせる。
 脅しをかけて、とっとと切り上げようと思ったのだ。
 こういう子供には、少しぐらいお仕置きをしないと。
 相手は、何も反応を示さなかった。
 おや、と思った。
 顔が見えないので、立ったまま気絶? そう考えた。
 相手が、武器を構える。
 馬超の身体を、一本の雷が走った。
 強い。
 そう、思った。