小説置き場2

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あやかし姫~迷いの森(終)~

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「うっ!」
 両腕をあげた。咄嗟であった。
 不思議と、姫様は怖くはなかった。
 もう一つ腕が重なる。
 そして、さらに、小さな影。
「や!!!」
 音がした。叩く音、叩かれる音。
 大きな音。
 何かが、木にぶつかる音。
 めり込む、音。
 何かが滑り落ちる。
 何かが地面に落ちる。
 姫様が、その腕を降ろした。
 沙羅が、隣にいた。
 姫様を守るように、水かきのついた手が差し伸ばされていた。
 朱桜が、大きく息をついている。
 子狸が、地面に落ちている。
 木に、傷。それはすぐに姿を変え、消えていった。
「助かった……ありがとう……えっと……」
 私じゃないと、河童の子が首を振る。
 沙羅が、よ、よいしょと立ち上がった。姫様も、沙羅に掴まって、ゆっくりと立ち上がった。
 まだ、身体が自由に動かない。
 足が、痺れてる。
「朱桜ちゃんが?」
 はあ、はあっと、息をついていた。その小さな身体を、上下させていた。
「朱桜ちゃん?」
「……彩花さまに……危ない事するなああああああ!!!!!!」
 きーんと、耳鳴りがした。
 甲高い、声。金切り声。鋭く耳をつんざいで。
 子狸が、ぴくりと動いた。
「ばか! ばかばか! ばかばかばかああああああ!!!!!!」
 声が、四方を揺るがして。
 空間が膨張したような。
「もう、いいから」
 姫様が、いった。
 怒りが、治まっていく。
 こういうとき、怒りって見えるんだ。そう、沙羅は思った。
「……ありがとう、朱桜ちゃん……」
「彩花さま……わたしが……あれを……」
 姫様が、子狸に視線を投げる。
 血塗れに、なっていた。
「そ、そうみたいだね」
 姫様が、いった。困惑、していた。
 朱桜が、自分の手をみる。手の平の皮がめくれ、血が滲んでいた。自分の血と、獣の血。
「……変です……急に、身体が動いて……おかしいです……」
 朱桜が、振り返った。
「怖くて、怖くて……彩花さま?」
 姫様が、口を押さえていた。
 沙羅が、口を大きく開けていた。
 朱桜は、自分の手を、見た。
 赤い。
「ち、違うんです!」
 なにが、違うんだろう。
 怖がらないでください。
 こんなの、違うんです。
「朱桜ちゃん! おでこおでこ!」
 姫様が、自分のおでこを指差した。
 沙羅も、自分のおでこを指差した。
「お……えぐぅ……おで、こ……」
 朱桜が、泣きながら自分の額に手をやった。固い物があった。
 なんだろうと、ぺたぺたと触る。
 ぺたぺた、ぺたぺた……?
 ぺたぺた?
 ぺた?
「あれ? これって……?」
「角だよ、角!」
 尖っている。固い。
 これは……角……。鬼の……角。
「本当です……角、です」
 ずっと、触っていた。撫でたり、先をつんとつついたり。
 もう、泣き止んでいた。
 姫様が、疲れた身体を無理矢理動かして、子狸に近づいた。
 その間も、ずっと自分の小さな角を確かめていた。
「……生きてる……ほっ……」
「い、生きてるんだ。しぶといですね」
 沙羅が、いった。
「しぶといって……」
 もう少し、言いようが……
 いや、その通りなんだけど……
 子狸を、よいしょと抱きかかえる。
 そして、朱桜に近寄って。
 つんと、姫様小さな角に指先を。
「あう……」
「……生えちゃったね」
「はいです……」
「凄かったよ、朱桜ちゃん」
「う、うん……」
 沙羅が、相づちをうった。
「彩花さま……怖いですか?」
「……」
「……わたし、もう……」
 怖がられた。
 彩花さまに。
 姫様を助けたという誇らしい気持ちは、また、悲哀に飲み込まれた。
「こわ」
「くないよ」
 姫様が、いった。
「怖くない、怖くない」
「彩花さま……」
 そうだ、わたしが、彩花さまをお救いしたんだ。 
 よし、よし、と姫様。
 にこっと、朱桜。
 姫様、子狸を地面におく。
 腰に付けていた小さな袋から、どこに入っていたのだろう、大量の包帯を取り出した。



「なるほど、ここで、子狸と暮らしているのか」
「はあ……」
 頭領、お茶をずずっとすすっている。
 老婆が一人、相手をしている。
 顔色が、良くない。
「あの……」
「いい、茶じゃ。馳走になった」
「……貴方は、どのような方で、ございましょうか?」 
「さて、どうでもよかろう。しかし、どうしてこんなところに……一体、何故じゃ」
「私も、こう長い間ここに住んでおりますが、このような話は……」
 頭領は、この老婆に、ここはどこかと尋ねた。
 老婆は、驚いていた。このような場所に……いや、そんな。
 そう、狼狽していた。
 しかし、すぐに落ち着きを取り戻す。
 聞かれたとおり、頭領に、この場所の名をいった。
 聞いても、わからなかった。
 砂の上に地図を描いてもらって、ああ、頷いた。
 古寺から……随分と離れた場所であった。
「ここに、隠れ住む、か」
「そうですね」
「子狸は、どこにおる?」
「迷いの森がおかしいと見に行ったきり、戻ってこないのですが……」
「心配、か?」
「身よりのない私の、唯一の家族ですので」
「妖、なのにか」
「妖、であろうとも、家族は、家族です」
「ふむ……」
 何かが、弾けた。きらきらと光を反射させながら、結晶が大量に飛び散り、すぐに消えた。
 ゆらりと、女が現れた。
 老婆が、小さく悲鳴をあげる。
 九尾の銀狐、葉子。泣きはらした目。狐火。上から舐めつけるような視線を周囲に送っていた。
 子狸。
 銀の尾っぽに、巻き付かれていた。
「迷いの森、解けたようじゃな」
「頭領……」
「彩花は……」
「はぐれちゃって! それで! どうしよう!」
 痛みを殺しながら、いった。
 頭領の目つきが、変わる。
 もう、葉子の涙は出ない。枯れた、のだ。
 その時、声が聞こえた。
 頭領の纏っていた空気が、一気に和らいだ。
「葉子さん、頭領」
 穏やかな声。
 聞きたかった声。探していた。
 葉子が、振り向いた。
 子狸を、ぽとんと落とす。老婆が、子狸に駆け寄った。
 葉子が、固まっている。
 会いたかった。
 小さく、
「ごめんなさい……」
 そう、いった。
 いって、ぎゃー!!! っと悲鳴を上げた。
「葉子さん、静かに……」
「血が! 血がそんなに!」
 姫様、真っ赤。朱桜、真っ赤。沙羅、真っ赤。
「ああ、これはこの子の血で」
 沙羅が、背中にしょっていた白い物を降ろす。
 包帯にぐるぐる巻きにされていたそれは、合間に見える、黒い毛で、あの子狸だと教えてくれた。
「……五元……」
 老婆が、いった。
 やけに、冷静な。
 ただの人では、ないのだな。
 頭領は、そう思った。
「ここは……」
 朱桜が、きょろきょろ。潮の香り。
 見覚えがある。
 海。遊んだ。
 先週。
「あー!!! ここ、先週父さまと来ました!」
 姫様、葉子にもみくちゃにされて、――大変。
「……角、生えたんだな」
 頭領が、いった。
「は、はい」 
 黒之助も、妖狼も、姿を見せた。古寺の、全ての妖が、姿を見せた。
 姫様は、妖達にいっぱいしがみつかれている太郎の姿を見て、自分も葉子にしがみつかれながら、笑った。
 ちょっと、傷付いた。お咎め無しなので、まあ、よいかと思った。
 それは黒之助も同じだった。
「ん、朱桜殿、角が……」
「ほんとだ」
「やっぱり、そうです! ここ、先週、来ました!」
「ふーん……」
 姫様が、ちょっと考える仕草を。
 頭領も。
 太郎と黒之助も、姫様に近づく。大事、ないかと。
 老婆は、子狸たちを受け取っていた。
 沙羅が、申し訳なさそうに真っ白な子狸を差し出した。
 老婆は、なにもいわない。
「そうか……そういう」
 朱桜には、角が、なかった。
 先週、そのことを気にし始めた。
 多分、ここでも。
 もう、そのときには、生えようとしていたのだ。
 鬼の、証が。
 子狸の迷いの森。
 それと、反応した。結びついた。
 鬼の王の娘たる、朱桜の、胸の内と。
 日に、日に、誰も気付かないうちに、結びつきが強くなって。
 不安が、募る。古寺に来て、姫様に言い出せなくて。
 そして、そして、――角は、その姿を見せようとして。
 それが、歪めた。姫様達を、迷いの森に――ひきずりこんだ。
 幼い――そう、思ったのは、朱桜の――
「……かもね」
 姫様、その考えを胸にしまい込んだ。
 口にしなくていい。そう、思った。
 頭領が、姫様をみて、小さく頷いた。
 口にしなくていい。
 そう、思った。



「やっぱり、毒きのこだけだったな」
「しょんぼり」
「ま、俺も人に言えないけど。集めたやつ、全部迷いの森に消えちゃったし……」
「「しょんぼり」」
「あ、焦げる」
「おお!?」
 子狸達と、老婆。
 頭領が、老婆の病を治す。
 それで、矛を収めてくれた。
 老婆は、大事な人、なのだ。
 子狸の傷も、五元を除いて大したことはなかった。
 その五元も、姫様が持っていた傷薬で、癒えつつある。
「海です、海!」
「だね……」
「お、泳ぎたい……」
 朱桜が、水をぱしゃぱしゃと。沙羅は物欲しそうに海を眺めて。
 我慢できないと、飛び込んでいった。
「姫様、ごめんね……」
「もう、いいから葉子さん」
 ずっと、銀狐は姫様に謝っていた。
 ずっと、である。
「でも……」
「いいんです、私、嬉しいです。そんなに、思ってもらえて……」
「……ごめんね」
 姫様、葉子。海を、眺める。
 魚の焼ける、音がした。
 秋の味覚……集まった。
 もう、できそうと姫様が沙羅と朱桜に声をかけた。
 海から、波から、二人は離れていた。砂浜に、ぺたんと腰を下ろしていた。
 姫様が、葉子にもたれかかる。
 それを、葉子は受け止めた。



「父さま!」
「朱桜、会いたかったよー!!!!!? あ、れ……」
「父さま、角、生えました!」
「……うおおおお!!!」
 酒呑童子が、吠えた。大地が、揺らぐ。
 小屋の戸が、ちょっと隙間開き、すぐにぴしゃんと閉じられた。
 しょうがない。そう、姫様は思った。
 朱桜に、目をやる。
 酒呑童子が、己の娘の小さな角を、愛おしそうに撫でていた。
 羨ましい。
 その気持ちは、押し殺した。
 太郎が、姫様をみた。何も、いわなかった。
「うむ、きょうは気分がいいからな。ここを吹き飛ばすのは、やめにしよう」
 本当にしそうです。そう、朱桜は思った。
 沙羅ちゃんが、ひいてます。
「帰るか。茨木や皆に、早く見せないとな」
 酒呑童子が、嬉しそうに、心底嬉しそうに、朱桜にいった。
 それが、嬉しかった。
 酒呑童子が己の鬼馬に朱桜を乗せる。
 牛鬼達が、妖達を詰め込んでいく。ぎゅーぎゅーである。
 姫様と沙羅と葉子はゆったり。
 頭領は、鬼馬。
 牛鬼が引く牛車の窓を、そっとあげると、姫様が、
「またね」
 といった。
「はい、またです」
 声が、帰ってくる。
 牛鬼達が、動き出す。八本足を器用に動かし天に昇る。
 紅い紅葉。
 姫様は、手元に一枚だけ残ったそれを、朱桜が巻いてくれた包帯で白い指先で、くるくるっと回した。