小説置き場2

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あやかし姫~迷いの森(4)~

 ぽんと、煙が起こった。
 闇が動きを止めた。
 朱桜と沙羅が目をまあるくする。
 姫様が、よし、といった。
 闇が、怯む、後ずさりする。
 煙が、晴れる。
 姫様のかざした手の平。そこにはもう、なにも書かれていなかった。
「わん」
「……」
「……」
「……」
 一瞬、一時、時間が止まった。
 姫様の顔が引きつって。
 恐る恐る、闇が姫様達に近づき始める。
 また、それは「わん」といった。
「……子犬?」
「さ、彩花ちゃん?」
「あ……れ……?」
 にっこりと笑いながら、姫様は尻尾をふりふりする子犬を見た。
 つぶらな瞳。
 丸みを帯びた体つき。
 はっはと舌をだしている。
 きちんと、お座りしていた。
「……おか……しいな……」
 あれれ?
 姫様の背を、じんわり冷や汗。
 闇が、二つにわかれた。
 子犬は、きょろきょろとその影を見た。顔を向けられる度に、影は一旦停止して。
 朱桜が、
「彩花さま、に、逃げますか!?」
 そう、いった。
「こんなはずじゃあ……もっと、大きいのに……やっぱり、急だったから……」
「あ、あの、これは?」
「い、一応私の式神。頭領に最近物騒だから護身用に、ってもらったんですけど……」
 姫様の、式神
 頭領がくれた式神。金銀妖瞳の妖狼の毛から作られたそれは、狼、のはずである。
 今、姫様が呼び出したのは、どうみても子犬で。
 急過ぎた。もっと前から、準備しておくべきだった。
 姫様が、悔やんだ。まさか、狸本人が私達の前に出てくるなんて……
 姫様には、闇の中で動き回る二匹の狸が「見えていた」。それが、子供であることも。
 じりじりと後退する。朱桜も沙羅も、じりじり後退。
 子犬は、尻尾をふりながら姫様達に近づいて。
 闇が、少しづつ広がって。
 姫様達がいた場所を飲み込んだ。
「拙いのは、私もだったか……」
「……」
「……」
「し、失敗……逃げるよ、朱桜ちゃん! 沙羅ちゃん!」
 だっと後ろを向く。朱桜と沙羅の手を引っ張る。
 姫様、式神――子犬、もとい子狼に目で合図を送りながら姫様達逃げ出した。
 方角は、もう、わからない。妖気の線が、消えてしまったから。
 とにかく、離れなければならなかった。
 ぽん、ぽんと闇から二つ、獣が出る。
 その一方に、さっきまで可愛らしい振る舞いを見せていた子狼が襲いかかった。
 小さくても、不完全でも、姫様の式神
 妖狼太郎の毛から生まれたそれは、十分に獣の素質を受け継いで。
 ぎゃう! っと声がした。
「あんちゃん!」
「先に行け!」
 きゅうん! と声がした。二頭の獣が丸くなって転げ回る。
 傍目から見ると、遊んでいるようにしか見えない。
「あ、あんちゃん!」
「行けったら行け!」
「で、でも!」
 妖狸がまごまごしているうちに、姫様達の姿は遠ざかって。
 小さい方の一頭が、
「……いってくる!」
 そういうと、姫様達を追いかけ始めた。
 影が、二頭から離れる。
 二頭も、離れる。
 子犬。
 そして、もう一頭の獣――子狸。
 ぶつかりあった。おでこから。
 そして――両方とも、横になり、子犬の姿がすーっと消えた。
 


「彩花さま、はやく!」
「さ、彩花ちゃん! はやく!」
 姫様が遅れていた。姫様、運動は苦手なのだ。
 沙羅と朱桜は、息も切らさず駈けている。
 二人とも、妖。
「そ……そんな……はぁ……こといった……はぁ……て……」
 追いつけない。追いつかれる。
 後ろを、振り返る。
 子狸が、小さい体に懸命にむち打っている。
 姫様と、良い勝負である。
 遅い。
「はぁ……嘘……白刃……消えた?……」
 自分の式神の気配が、なくなった。それに気をとられた。
 足下の木が、その太さを変えた事に気がつかなかった。
 子狸が、しめたと笑った。
「あう!」
 姫様――こけた。
 妖狸――子狸が、姫様と二人の間に割って入った。
「……」
 もう、立てない。心臓が、破けそう。
 子狸も、息を整えようとしている。沙羅が、息を呑んだ。
「さ、彩花ちゃん!」
「ここは、おいら達の森だ!」
 声が木霊する。幾つも幾つも、木霊する。
 それは、誘うような女の声になり、しわがれた老人の声になり、嘲るような声になり。様々な音になって、辺り一帯、踊り狂った。
 沙羅が、耳を押さえる。
 朱桜は、無言であった。
「……おいら達の、って……どういう……」
 そこで、息が詰まった。姫様、咳き込む、涙ぐむ。
 胸が、痛い。血の流れが、痛い。
「問答! 無用! あんちゃんの仇だ!!!」
 子狸が、姫様に襲いかかった。
 ごほごほと、また姫様は咳き込んだ。
 身体の自由が、きかなかった。



「ちっ……なんだ、こいつ……」
 黒之助が、いった。背中にしょいたる籠に、なにか黒いものが覆い被さっている。
 ばさばさと、羽ばたく。
 追っていた妖気の線が、地面に向かう。
 黒之助は、それに従い、地に足をつけた。
 歩き出す。烏天狗の姿のまま。
 首を曲げ、背中をみる。
 籠に乗った、子狸を。
「妙なことを、口走り追って……」
 前を見た。
 一面、白。
 なにか、柔らかいものとぶつかった。
「おぉ!?」
「んぐ!?」
 黒烏が、たっと体勢を整える。
 ぶつかられたほうは、色々な妖を散らかしながら、体制を崩して。
 烏天狗が、その白いものの正体を見て、呆れたように溜息を。
「……なにやってるんだ、太郎殿」
 妖狼、太郎であった。妖をしがみつかせ、子狸を、口にくわえ。
 古寺の妖の数は、さっきよりも増えていて。
「……ひゅるふぇいやい」
「口のものを外せ」
「ん」
 かっと、子狸を吐いた。
 きゅーっと音がした。妖達が、つんつんとつつく。その度に、子狸は反応して。
 生きている。
 気を失っているだけだった。
「お主も、捕まえたか」
「クロも?」
「うん」
 籠の上の子狸の首根っこを持ち、妖狼に見せる。
 妖達が、おーっと声をだした。
 黒之助は、太郎がくわえていた子狸の横に、己の子狸を並べてやった。
「知り合いか?」
「いや。そっちは?」
「全く、知らねえ」
「急に襲いかかってきて……さすがに、これじゃあな。その際、妙な事を口走ってたんだが」
「お、あててやろうか」
「いいだろう……同時に言うぞ」
「よしきた」
「「ここは、おいら達の森だ」」
 二人の声が、重なった。
「おかしいよな。この辺りに妖狸がいるなんて、聞いた事もないし」
「うむ……まだ、いると思うか?」
「俺達が、まだ迷いの中ってことは、まだいるんだろ」
 妖狼が、いった。そろそろ、話を切り上げたい、そういう風な、言い方だった。
「そうか、同じ意見か……どうした、そんなにそわそわして」
「……姫様を、探してるんだ」
「……大丈夫だろう。姫様達には、葉子殿がついてるし」
 それに、こんな子狸だぞ?
「そうなんだけど……親狸がいるかもしんねえし……」
「ないだろう。この迷いの森なら」
 幼い。
 それが黒烏の感想で。前に迷ったときとは、感じが全く違う。
「……でもよう……」
「心配するな。今頃、もう抜け出ているだろう」
「葉子さん、姫様と一緒じゃないですよ」
「……」
「……」
「「なに?」」
 また、二人の声が重なった。 
 その言葉を発したのは、古寺の付喪神が一妖。
 古い包丁が転じて変じて意識を持った妖、である。
 名を、鬼包丁、という。良くきれる。調理番の一人である。
「どういうことだ?」
「手短にいえ」
 二人の迫力に圧される。妖達が、怯んで逃げる。離れすぎれば、道に迷う。
 迷いの森のぎりぎりの線まで妖達は逃げ出した。
「お、俺が鎌鼬の三兄弟と喧嘩になって、それを葉子さんがとめに来たんです」
「……へぇ」
「それで?」
「俺らが、喧嘩をやめて、すぐにここに迷い込んだんっすよ。多分、葉子さんが姫様達のところへ戻る前だと思うんすよ」
「……はやく言えよくそったれ!!!」
 妖狼が吠えた。炎のような、怒気を込めて。
「あほうが……」
 氷の粒子が、その呟きには込められていた。
「姫様を追っていたんだな」
「ああ。姫様の匂いを追ってた」 
「いくぞ。お前の鼻が頼りだ」
「わかった」
 二人が、動き始める。慌て慌ててばらばらっと妖達が妖狼の大きな身体にしがみつく。
 子狸を口にくわえ、子狸を脇に抱え、二匹と大量の妖は、絶えず変わる森に溶け込んでいった。