小説置き場2

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あやかし姫番外編~鈴と鈴鹿と俊宗と~

 縁側で足をぶらぶらとさせる女が一人。
 森を見ていた。木々の葉が落ち、寒々しい。
 遠くに映る山々は、うっすらと雪化粧を身につけている。
 獣が、啼いた。
 一つ、二つ。
 女の眼が、炯々と光った。二つの、薄緑色。
 それは、すぐにやんだ。
 女は、そっと、自分の太腿の上に乗っているものに目を落とし、そっと、その額を撫でた。
 それから、喉元をくすぐってやる。
 それは、猫、であった。細い目をさらに細くして。
 触れられると、猫は身体を少し動かした。
 女の横に、穂が掠れた猫じゃらしが一つ。
 女の名前は鈴鹿御前。東北を統べる、鬼の姫。
 猫の名前は鈴。鬼姫の名を、その身に与えられていて。
 以前より、一回り大きくなっている。
 鈴に顔を擦り寄せると、
「あったかいぞ」
 そう、鈴鹿御前は呟いた。
「にしても、遅いなー俊宗。早くこないかなー」
 ごろっと、背中を床につけた。
 鈴がほんのちょっぴり細目を大きくして、やっぱり細いままで。
 鬼姫の長い黒髪が、生きて意思あるかのように、蠢いた。
「早く、きてよ」
 部屋。
 まだ、誰も来る気配はない。
「長いよ。温泉、気持ちいいのは分かるけど……長すぎだぞ!」
 鈴鹿御前とその夫である藤原俊宗、そして、愛猫の鈴。
 今日は二人と一匹で温泉に浸かりに来て。
 険しい険しい山奥の宿。
 鈴鹿御前達以外に客はなかった。
「やっぱり、混浴がよかったなー。そうすれば、ずっと一緒にいれたのに。どうして、こう、俊宗は律儀なんだろ。他に誰もいないのに……」
「まだかな……鈴、寝ちゃったし……」
 遊び疲れたのだ。猫じゃらしはその証拠。
 さっきまで、にゃあにゃあ鳴いていた。
「鈴、無理に温泉にいれてご免ね。でも、寂しかったんだもの」
 嫌がる鈴と無理矢理一緒。
「一人で入るのは……や。気持ち良いけど、や」
 にゃーんと、鬼姫は声をだした。
 ころころと、響く。
 返事は、ない。
 冷気。湯上がりの身体に、滲みる。古い屋根、古い柱。汚れ。
 似ている。
「似てる……」
 すうっと、目を瞑った。
 古き光景が、頭に浮かんだ。
 
 

 女は、返り血で染まった全身を震わせていた。
 己の腕の中の、熱が逃げていく。
 泣いていた。名を、叫ぶ。
 地が、揺れる。慟哭する。
 自分の愛する者を、その手にかけたことを。
 自分が愛した者が、腕の中で死んでいくことを。
 


 薄汚れた小屋。
 そこに薄汚れた女が一人。目が、見えないようだった。
 ずっと、閉じているのだ。
 人形のように、そこにいた。生気がない。かすかに、呼気を漏らす。
 それで、生きているのだとわかった。
 女は、涙を零していた。
 紅い、涙を。



 頬に触れるものがあった。暖かくて、無機質で。
 そっと、横を見る。徳利が二つ、そこにあって。
 鈴鹿御前が起きあがる。目を、ごしごしと擦った。
 着衣を整えると、
「俊宗……」
 と息を吐いた。
「昔のことを、思い出したのか?」
「うん……」
 愛する人が、そこにいた。
 風呂上がり。湯気を漂わせていた。硫黄の匂いが、鼻にくる。
 杯を二つ持っている。小さなお椀も、二つ。
 お椀からは、湯気がでていて。
「遅いぞ……」
 ぺこりと、手に持つ器達を置きながら頭を下げた。
「すまない。酒と、肴の温泉卵にちょっと時間がかかって……」
「鈴、寝ちゃったぞ」
「すまない」
「あたし、泣いちゃったぞ」
「すまない……」
 鬼姫が、笑いながら杯をもった。
「一杯、頂戴」
「うん」
 俊宗が、ほっと一息吐くと、とっくりを持った。
 鈴が、うーんと伸びをした。



「やっぱりいいよね、こういうのも」
 甘い酒の匂いが、ほんのりと漂っている。
 鬼姫の頬が、紅潮している。
 二人、縁側で足をぶらぶらさせて。
 空のお椀が、傍に二つ。
「義兄上には、悪いが……」
「それはいわないやくそくー」
「はいはい」
 俊宗が苦笑した。
 騙されたと知った義兄・大獄丸の怒り狂う姿が、目に浮かんだのだ。
 今頃、鬼達総出で暴れる義兄を押しとどめているだろう。
 そのことを考えると、少し頭が痛い。
 鬼姫が、やんわり俊宗に身体を預けた。
 きゃしゃで、柔らかかった。
「ねぇ、俊宗……」
 甘えるような、くぐもった声。
「どうした?」
 杯を、口に持っていく。
「あたしが嫌なら、いつでもいってね」
「なんだ、それ?」
 杯を、置いた。こん、と、音をたてた。
「あたしは、駄目だから……いつでも、いってね。こんな嫉妬深くて、可愛くなくて、お馬鹿で……」
鈴鹿、変だぞ」
 知ってる。
 私は、おかしいって。狂ってるって。
 でも、でも……止められない。
 もう、二度と、手離したくないから。
 もう、自分が何をいってるのか、分からなかった。
 記憶が、戻ってくる。
 思い出したくないのに。
 自分が、壊した、記憶。
 自分が、壊れた、記憶。
「なあ、鈴鹿
 その声に、我に帰った。
 また、目をごしごしと擦った。
「うん……」
「俺は、お前がいればそれでいい」
「俊宗……」
 俊宗が徳利に手を伸ばし、もうないと鬼姫に笑った。
「好き! 大好きだぞ!」
 ぐっと力を込め、俊宗を抱き寄せた。
「うぁ! 鈴が起きるって……」
「にゃー?」
 鈴鹿御前が鳴き真似を。
 鈴はぴくっと動いて、それっきりで。
「……寝てるー? にゃーご?」
 そっと、指を、鈴にもっていく。
 やっぱり、寝てる。
「大丈夫……みたい」
「布団、そろそろ敷こうか」
 かたかたと、俊胸が器達をその手に持つ。
 立ち上がると、そういった。
「敷いてるよ」
 女も、立ち上がった。猫を抱いて。
「一つだけ……」
「一つだけで、いいんだぞ♪」
 鬼姫が、そう、笑った。



「ええい!!! どかんかぁ!!!」
「と、止めろ! 大獄丸様をお止めしろ!」
「お、お静まりくだされ!」
「どうかどうか!」
「みぎゃあ!」
 荒れ狂う大男。角が、光る。身につけた毛皮が、翻る。
 鬼達にしがみつかれ、弾き飛ばし、おぅおぅと咆吼する。
「明日じゃなかったのか!!! 俺、無茶苦茶楽しみにしてたのに!!!」
「いや、夫婦水入らずでって……ぐぎっ!」
「鈴も一緒って、なんだそれ! しかもやっかいな仕事全部残していって!!!」 
「準備で忙しかったそうで……ごば!」
「鈴と鈴鹿と俊宗の馬鹿ー!!!」



「さ、寒気が……」
「早くー」
「う、うん……」



 ~おしまい~