小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

長江、燃える(9)

 荊州――劉表が居城、襄陽城。
 その一室、玉座の間。しんと、静まりかえっていた。
 居並ぶ幕僚は音を立てれず。
 劉備が、ぐるりとひと睨みし、剣についた血を少し落とした。
 劉表配下、蔡瑁
 劉備の足下に倒れている。既に息はない。
「じゃあ、ここにいる人達で他に反対の人はいないね」
 劉備が、いった。
 誰も、何も、返事をしない。
 劉表筆頭文官、カイ越がわずかにうなずいた。
 これでよいと、ほんのり笑みを浮かべていた。
「関さん、これ持って」
 劉備関羽に、剣を渡す。
 そして、玉間の奥に入っていく。
 丸腰であった。
 関羽張飛が、入り口を塞ぐように立った。
 


「誰、ですか?」
 女が言った。静かな口調であった。
 顔は、劉備に向けない。
 床についた老人に向けていた。
「蔡夫人、だね」
「……私が、尋ねたのですよ。質問に、質問を返さないで下さい」
「……」
「……」
 間が、あった。劉備がにこりとした。
劉備です」
「蔡月――蔡夫人、そう呼ばれています。そしてこの方が」
劉表どん、だね」
「ええ」
 老人の額に当てていた布を取る。
 新しい布を器に貯められた水に浸すと、ぎゅっと握り、また、劉表の額に置いた。
「兄の悲鳴が、聞こえたような気がしたのですが?」
「おいらが、斬った」
 一人、異を唱えた。
「そう……」
「驚かないんだね」
「いつかは、そうなると思っていました。兄の愚行を止められず、見ている事しかできなかった。覚悟していたことです」
「ふうん……」
「これから、どうなるのでしょうね」
 蔡月が、言った。淡々とした、会話であった。
劉表どんには、違う場所に移ってもらうよ。そこでゆっくり、養生すればいい。劉琦、劉琮、貴方もそこに。身の安全は、おいらの名の下に保証をします」
「大徳の保証、ですか。それが、よいのかも知れません。劉琮にも、劉琦殿にも、国をまとめて乱世を生き抜く術はないでしょうから」
「ねえ、蔡月さん」
 頭の良い女性だと、劉備は思った。
「私は、劉表様にこの命を頂きました」
「……」
「劉琮は、私の子。劉琦殿は、血はつながっていなくても私の子。劉表様は、私の夫。それが、私の全てです」
「わかりました」
 劉備が、部屋を出る。蔡月はやはり、劉備を見る事はなかった。



「大兄貴、話はすんだか?」
「ああ、まとまったよ。よく出来た人だね」
「蔡夫人がいたから、我々はなんとか、国として形を成す事が出来たのです」
 カイ越が、言った。
 中年と呼ばれる歳に達したであろうに、若々しい気力が漲る男であった。
劉表どんの落ち着く先は、カイ越どんに任せるよ。おいら達は、軍をまとめたら予定通り黄祖どんの応援に向かう。その他もろもろ、あとはよろしく!」
「は!」



「か! やっぱり船の上ってのは落ち着かねぇな!」
 張飛が、言った。蛇矛を脇に、どっしりと座っている。
 劉表軍――現、劉備軍水軍旗艦。
「うわーん! 陳到お姉さん!;-;」
「ああ、もう……!!!」
「趙運は、船酔い、か」
 青ざめてる趙雲を脇に抱えて陳到が走る。
 忙しいなと張飛は思った。
「懐かしいな、あの光景」
「小兄貴、嫌な事を思い出させてくれるな」
「今回は、大丈夫か」
「ふん。俺をいつまでも子供扱いするな」
「わかったわかった」
 関羽の美髭が、大河の風に揺れた。
「もうすぐ、か」
「うむ。かなり近づいている。ぶつかるのも、時間の問題であろう」
関羽殿……」
 陳到が二人の後ろから声をかけた。ぜいぜい、息を荒げている。
 くくっと、張飛が忍び笑いを浮かべた。
「お師さんと、司馬徽様、それに孔明殿の姿が見あたりませんが……」
「ぬぬ……」
 関羽が唸り声をあげた。陳到が、首を傾げる。張飛も、である。
「そういや……小兄貴、知らねえか?」
「ぬぬぬ……」
「ぬ、ばっかり言われてもわかんねえぞ、おい!」
 張飛が、怒鳴った。関羽が、しょんぼりと肩を落とした。
「大きな声をたてないたてない」
 にこやかな声であった。
「大兄貴……」
 劉備黄祖、蘇飛、黄忠甘寧、文聘、そして龐統を従えている。
「水鏡先生は知らない。孔明は自分の家でお休みだって。いい、度胸だよね。おいらを舐めてるのかな? あとで、迎えにいくよ。一回で、いい。出てこないなら、火をつけても、だ」
「あとでってことは、この戦勝つつもりか?」
 張飛の質問に、劉備は頷くだけだった。
徐庶どんは、秘密の任務♪ これで、いいかな?」
「はあ……」
「みんな、揃ったのか」
趙雲が……」
 そう言ったとき、わーんと泣き声が聞こえてきた。
 ただ今船酔いにつきお食事中の人には見せられない事を。
陳到は、いつも通りおいらの護衛だよ。さ、趙雲の背中さすってあげてきな」
「……御意……」
 陳到が、姿を消す。
 文聘と蘇飛が、無駄のない走りをと感心していた。
 黄忠は、関羽張飛に目をやっていた。
 甘寧も、である。
 黄祖は、腕組みして目を閉じていた。
「こうやって、皆で会うってのも、なかなかない機会だしね。一応、挨拶をと思ってね」
 劉備が、張飛関羽の名を出す。
 ほおっと、声を漏らした。
 天下に鳴り響く豪傑、なのだ。
 黄祖達の名を、劉備が出していく。黄忠甘寧。二人の名に、関羽張飛は少し反応を示した。
「一応、戦の段取りを、ね。龐統」
「はい。今回は、水軍を真正面からぶつけます」
「全軍か?」
 黄祖が、言った。
「いえ。劉備殿が率いてきた兵は、質が悪いので……これは、脅しとして後方に待機させます」
「先鋒はどいつだ?」
 甘寧が、少し肩を揺らしながら訊ねた。
「ないです。一気に、ここにいる諸将全て――黄祖殿と劉備殿以外――をぶつけます」
「質問、あるかい?」
 なにも、なかった。劉備が、じゃあ、散会といった。
 文聘、蘇飛が自分の軍に向かう。甘寧も、喜び勇んで。
 劉備、龐統、黄祖もその場を離れた。
 黄忠が、その場に残っていた。
「小兄貴、競争、するか」
「いいな」
 どう、やる?
 そう、尋ねた。黄忠が、いないかのように話をする。
「沈めた船ってのは?」
「面白い。負けた方が一杯おごるのだぞ。なあ、黄忠殿」
 関羽が、言った。張飛が、座ったままそのどんぐり眼を黄忠に。
「いいですじゃ。ただし、わしが勝ったら、甘い物を」
「甘党、ですか」
「いいぜ、たんと喰わせてやる」
 笑い。
 熱が、生じた。
 関羽張飛黄忠
 三人の武が、熱を生じた。


 そして――
「あの、大耳野郎の首をあげろ!」
「いくよ!」
 長江水戦。
 演目は、新生劉備軍対孫策
 戦の幕が、斬って落とされた。