あやかし姫~百華燎乱(2)~
「あに様、お久しゅうございます!」
「咲夜、久し振りだな!」
小さな狼を、大きな狼が、左右色の違う目を細め、見つめる。
二頭とも白い息を吐いている。
ふるふると白い尾を振り合っていた。
きゃんきゃんと、額を擦り寄せた。
咲夜。
太郎の、妹である。
故郷を襲った妖猿の群れを殲滅して以来、久しく会っていなかった。
一応、姫様とは手紙のやり取りはしていた。
それを、読んでもらっていた。
そろそろ、太郎も自分で手紙を書こうかと。
「寒いだろう。建物の中に、入ろう?」
太郎が、いった。
「あ、よろしいのでしょうか? 八霊様や彩花様の許可が」
「姫様なら」
台所の灯りが消えている。
廊下を、光が移動していく。
風呂場で止まる。そこの灯りが点いた。
また、光が廊下を移動し始めた。
「気がついてるさ」
ぼそっと、いった。
「……はい? そんなこと……気配は、殺していたのですよ?」
「あるね」
がらがらっと、戸が開いた。
灯りが、顔を出した。
人。
少女。
姫様だった。
小さく、咲夜に向かってお辞儀をした。
「気付かれた……嘘……」
「ま、そんなもんだ。お前も上手く気配は消していたんだけどな」
妖狼が歩き出す。小狼がそれに着いていく。
姫様の前に立つと、
「行ったぞ」
太郎が、そう、いった。
「……うん……」
咲夜が人の姿になった。
姫様と同い年ぐらい。姫様より、活発な印象。
夜分遅く失礼します。そう、挨拶した。
あれ? と思った。
返事がなかったのだ。
姫様の顔は暗い。
咲夜の顔が、曇った。
「あの……お邪魔だったでしょうか……」
突然、連絡もよこさずに訪れたから……
おどおどと、そう、いった。
姫様は、そうじゃないけどと、首を静かに振る。
寂しげに笑うと、古寺に戻っていく。
ゆらゆらと、灯りが遠ざかって。
姫様の姿が、闇に溶けた。
「……あの、あに様?」
「……嬉しいんだけどな……」
太郎も、ぽりぽりと頬をその大きな手で掻くと、姫様に続いた。
取り残された。
咲夜、しょんぼりとなる。
泣きそうになった。
歓迎されていない、そう、思った。
彩花様にも、あに様にすらも。
せっかく、長い距離を走ってきたのに。
凍えた。
身も、心も。来なければよかったと思った。
冷たい。
立ち止まった。
かちかちと、震えた。
お使い、受けるんじゃなかった……
そう、心を、巡らせているときだった。
妖狼が、ふと振り向いた。
咲夜は、少し緊張した。
「早く入ってこい。この寒い中、走ってきたんだろう? 姫様、風呂の準備してくれたから」
そういって、笑った。
優しさが、あった。
咲夜が、顔を輝かせた。
木森原。
そこに、烏天狗が一羽佇んでいた。
目を、瞑っている。羽を、閉じている。
錫杖を、しっかりと持っている。
犬神が残した「腐れ」の痕。
ぽつぽつと、残っている。
黒之助が錫杖を急に動かした。
脇の下から背後の闇を突いた。
金属音。
ぎりぎりと、音がした。
ざっと、離れる。
静かに、錫杖を横に構える。羽を、大きく広げた。
人影。
ぬっと、月光のもと現れる。
男、であった。
手足が異常に長い。
長い髪。すっと垂らされた髪の下から、蒼白い顔が覗き込む。
まあるい、大きな目。片目は、髪で隠れていた。
口元が、三日月をかたどって。
「随分な挨拶だな」
男が、口を開いた。
黒之助は、無言でその錫杖に光を集める。
先端を、男に突きつけた。
「面白い」
男が、笑った。
黒之助が、雷を起こす。
雷球が男に向かっていく。
男は、両腕を交差させた。背中がめきめきと音を立てる。
ぐっと、四本の手が生え伸びた。
蟲の、手。
口から牙が伸びる。何かを吐き出した。
白く、透明で、細い――糸。
大量の、糸。
その糸を、六本の手で男の前面に広げた。
あっという間に、織物が出来る。盾のように男の姿を覆うと、それは雷を包み込んだ。
発光する。
煙が、昇った。
焦げた匂いが辺りを覆った。
織物は四散した。
きらきらと、糸が舞い散った。
「……腕は落ちていないようだな、黒之助」
「貴様もな、黒野丞」
黒之助が、忌々しげにそう、いった。
自分にかかる糸を払い退ける。
異形の男が、ゆっくりと黒之助に近づいていく。
黒之助は、この男をよく知っていた。
古い、知り合いだった。
「一体、何年ぶりだ? なぁ?」
「六十六年。拙者が、鞍馬山を降りて以来だ」
「そんなに、か。月日が経つのは早いもんだ」
「貴様は、無駄口を叩きにきたのか?」
黒之助が、いった。
「つれないねえ……俺とお前の仲じゃないか」
「貴様との仲など……どうして、ここへ来た? 何のようだ?」
「昔みたいに、やろうとね。聞けば、鞍馬山を追い出されたそうじゃねえか」
「……誰のせいで……いや……貴様、幽閉されていたのではなかったのか?」
「ん? そうだっけ?」
「……抜け出してきたな」
黒野丞が、ぎちぎちと気味の悪い音を鳴らした。
黒之助には、笑っているように聞こえた。
「悪いかよ」
「悪いに決まっているだろう」
「おいおい、あんなところで百年もいられるか」
呆れるように、黒野丞はいった。
「よく、何十年もじっとしていもんだと褒めてほしいね」
「貴様は、それだけのことをしたんだ」
「お前と、一緒にな」
「拙者を、利用してな」
「……はっ、話が噛み合わないな」
「貴様と咬み合いたくなどない」
「……つまらん」
また、男は呆れたようにいった。
「それで、結構だ」
男は、まじまじと黒之助を見た。
上から下まで、その大きな目でまじまじと。
それから、不機嫌そうな顔になった。
「……お前、変わったな……あそこの連中と、つるんでか」
黒野丞が、古寺の方を見た。
「……」
ちゃっ、ちゃっと、錫杖が音を立てた。
「図星、か。そういうところは変わっていない。分かりやすいな、お前は。単純極まり」
黒之助が動いた。
男に錫杖を打ち付ける。
それを、男は背中の四本の蟲の手で受け止める。
風が、生じた。男の髪が風に弄ばれる。
二人の周りにだけ、生じていた。
草が、円に、泣いた。
「ない……変わっていないのは嬉しいが、人の話はきちんと最後まで聞け、この、馬鹿が」
煙が起きた。変化の煙。
黒之助は、それを避けるように空に浮かんだ。
男が、その本性を現した。
巨大な蜘蛛が、轟煙の中から姿を見せたのだ。
それは、大きな大きな、蜘蛛であった。
禍々しく毒々しい線が、全身に描かれている。
ぎちぎちと牙をかき鳴らす。
脚の一本一本の太さが、黒之助の身体と同じくらいで。
全身の剛毛。針のように尖っている。
幾つもの青い目。その全てが、烏天狗を映していた。
月光を浴びる、巨怪な化け蜘蛛。
「全く、お仕置きせねば……そうだ、あそこに面白い娘がいるそうだな」
大蜘蛛が、古寺の方向に向き直った。
「……それが?」
姫さんのことだろうと思った。
誰が、この男に教えたのだろうか。
少し、気に掛かった。
「いや、牢を抜けたときに見張りの烏天狗に聞かせてもらったのだが……ちょっと興味がある。喰って、みようかとな」
かっ、と、木森原に稲妻が落ちた。
「咲夜、久し振りだな!」
小さな狼を、大きな狼が、左右色の違う目を細め、見つめる。
二頭とも白い息を吐いている。
ふるふると白い尾を振り合っていた。
きゃんきゃんと、額を擦り寄せた。
咲夜。
太郎の、妹である。
故郷を襲った妖猿の群れを殲滅して以来、久しく会っていなかった。
一応、姫様とは手紙のやり取りはしていた。
それを、読んでもらっていた。
そろそろ、太郎も自分で手紙を書こうかと。
「寒いだろう。建物の中に、入ろう?」
太郎が、いった。
「あ、よろしいのでしょうか? 八霊様や彩花様の許可が」
「姫様なら」
台所の灯りが消えている。
廊下を、光が移動していく。
風呂場で止まる。そこの灯りが点いた。
また、光が廊下を移動し始めた。
「気がついてるさ」
ぼそっと、いった。
「……はい? そんなこと……気配は、殺していたのですよ?」
「あるね」
がらがらっと、戸が開いた。
灯りが、顔を出した。
人。
少女。
姫様だった。
小さく、咲夜に向かってお辞儀をした。
「気付かれた……嘘……」
「ま、そんなもんだ。お前も上手く気配は消していたんだけどな」
妖狼が歩き出す。小狼がそれに着いていく。
姫様の前に立つと、
「行ったぞ」
太郎が、そう、いった。
「……うん……」
咲夜が人の姿になった。
姫様と同い年ぐらい。姫様より、活発な印象。
夜分遅く失礼します。そう、挨拶した。
あれ? と思った。
返事がなかったのだ。
姫様の顔は暗い。
咲夜の顔が、曇った。
「あの……お邪魔だったでしょうか……」
突然、連絡もよこさずに訪れたから……
おどおどと、そう、いった。
姫様は、そうじゃないけどと、首を静かに振る。
寂しげに笑うと、古寺に戻っていく。
ゆらゆらと、灯りが遠ざかって。
姫様の姿が、闇に溶けた。
「……あの、あに様?」
「……嬉しいんだけどな……」
太郎も、ぽりぽりと頬をその大きな手で掻くと、姫様に続いた。
取り残された。
咲夜、しょんぼりとなる。
泣きそうになった。
歓迎されていない、そう、思った。
彩花様にも、あに様にすらも。
せっかく、長い距離を走ってきたのに。
凍えた。
身も、心も。来なければよかったと思った。
冷たい。
立ち止まった。
かちかちと、震えた。
お使い、受けるんじゃなかった……
そう、心を、巡らせているときだった。
妖狼が、ふと振り向いた。
咲夜は、少し緊張した。
「早く入ってこい。この寒い中、走ってきたんだろう? 姫様、風呂の準備してくれたから」
そういって、笑った。
優しさが、あった。
咲夜が、顔を輝かせた。
木森原。
そこに、烏天狗が一羽佇んでいた。
目を、瞑っている。羽を、閉じている。
錫杖を、しっかりと持っている。
犬神が残した「腐れ」の痕。
ぽつぽつと、残っている。
黒之助が錫杖を急に動かした。
脇の下から背後の闇を突いた。
金属音。
ぎりぎりと、音がした。
ざっと、離れる。
静かに、錫杖を横に構える。羽を、大きく広げた。
人影。
ぬっと、月光のもと現れる。
男、であった。
手足が異常に長い。
長い髪。すっと垂らされた髪の下から、蒼白い顔が覗き込む。
まあるい、大きな目。片目は、髪で隠れていた。
口元が、三日月をかたどって。
「随分な挨拶だな」
男が、口を開いた。
黒之助は、無言でその錫杖に光を集める。
先端を、男に突きつけた。
「面白い」
男が、笑った。
黒之助が、雷を起こす。
雷球が男に向かっていく。
男は、両腕を交差させた。背中がめきめきと音を立てる。
ぐっと、四本の手が生え伸びた。
蟲の、手。
口から牙が伸びる。何かを吐き出した。
白く、透明で、細い――糸。
大量の、糸。
その糸を、六本の手で男の前面に広げた。
あっという間に、織物が出来る。盾のように男の姿を覆うと、それは雷を包み込んだ。
発光する。
煙が、昇った。
焦げた匂いが辺りを覆った。
織物は四散した。
きらきらと、糸が舞い散った。
「……腕は落ちていないようだな、黒之助」
「貴様もな、黒野丞」
黒之助が、忌々しげにそう、いった。
自分にかかる糸を払い退ける。
異形の男が、ゆっくりと黒之助に近づいていく。
黒之助は、この男をよく知っていた。
古い、知り合いだった。
「一体、何年ぶりだ? なぁ?」
「六十六年。拙者が、鞍馬山を降りて以来だ」
「そんなに、か。月日が経つのは早いもんだ」
「貴様は、無駄口を叩きにきたのか?」
黒之助が、いった。
「つれないねえ……俺とお前の仲じゃないか」
「貴様との仲など……どうして、ここへ来た? 何のようだ?」
「昔みたいに、やろうとね。聞けば、鞍馬山を追い出されたそうじゃねえか」
「……誰のせいで……いや……貴様、幽閉されていたのではなかったのか?」
「ん? そうだっけ?」
「……抜け出してきたな」
黒野丞が、ぎちぎちと気味の悪い音を鳴らした。
黒之助には、笑っているように聞こえた。
「悪いかよ」
「悪いに決まっているだろう」
「おいおい、あんなところで百年もいられるか」
呆れるように、黒野丞はいった。
「よく、何十年もじっとしていもんだと褒めてほしいね」
「貴様は、それだけのことをしたんだ」
「お前と、一緒にな」
「拙者を、利用してな」
「……はっ、話が噛み合わないな」
「貴様と咬み合いたくなどない」
「……つまらん」
また、男は呆れたようにいった。
「それで、結構だ」
男は、まじまじと黒之助を見た。
上から下まで、その大きな目でまじまじと。
それから、不機嫌そうな顔になった。
「……お前、変わったな……あそこの連中と、つるんでか」
黒野丞が、古寺の方を見た。
「……」
ちゃっ、ちゃっと、錫杖が音を立てた。
「図星、か。そういうところは変わっていない。分かりやすいな、お前は。単純極まり」
黒之助が動いた。
男に錫杖を打ち付ける。
それを、男は背中の四本の蟲の手で受け止める。
風が、生じた。男の髪が風に弄ばれる。
二人の周りにだけ、生じていた。
草が、円に、泣いた。
「ない……変わっていないのは嬉しいが、人の話はきちんと最後まで聞け、この、馬鹿が」
煙が起きた。変化の煙。
黒之助は、それを避けるように空に浮かんだ。
男が、その本性を現した。
巨大な蜘蛛が、轟煙の中から姿を見せたのだ。
それは、大きな大きな、蜘蛛であった。
禍々しく毒々しい線が、全身に描かれている。
ぎちぎちと牙をかき鳴らす。
脚の一本一本の太さが、黒之助の身体と同じくらいで。
全身の剛毛。針のように尖っている。
幾つもの青い目。その全てが、烏天狗を映していた。
月光を浴びる、巨怪な化け蜘蛛。
「全く、お仕置きせねば……そうだ、あそこに面白い娘がいるそうだな」
大蜘蛛が、古寺の方向に向き直った。
「……それが?」
姫さんのことだろうと思った。
誰が、この男に教えたのだろうか。
少し、気に掛かった。
「いや、牢を抜けたときに見張りの烏天狗に聞かせてもらったのだが……ちょっと興味がある。喰って、みようかとな」
かっ、と、木森原に稲妻が落ちた。