小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~百華燎乱(4)~

「そうか、お前が『あの』鞍馬山の黒之助か」

「ああ」

「強いな。いや、見事な強さだ」

「……ふん」

「俺は、黒野丞というんだ。しがない、化け蜘蛛よ。お。そういえば、同じ黒だな」

「ん……」

「ナア、オマエ、オレトクマナイカ?」



「なんだ、今の雷は」
 大蜘蛛が、煙を立てながら黒之助に向き直った。
 青い目が赤い光芒を帯び始めている。
 黒之助の稲妻。
 直撃したにも関わらず、ほとんど効いていないようだった。
「黒之助、腕がなまったか?」
 大蜘蛛の大脚が宙に浮く黒烏に伸びた。
 一段高く飛んで、黒之助はそれから逃れようとした。
「逃さんよ!」
 糸を吐いた。
 右羽にそれが絡まる。黒之助の体勢が崩れた。
 引きずられる。
 大脚。
 空気を、裂いた。
 その切っ先を、手に持つ錫杖の中腹で受け止める。
 錫杖が悲鳴をあげた。
 悲鳴をあげ、へし折れた。
 咄嗟に、身体を捻った。
 大脚が右肩を掠める。
 血に染まった黒い羽が、ぱらぱらと落ちた。
「か!」
 大蜘蛛が、裂帛の気合いを入れると機敏にその身体を廻した。
 黒之助を地に叩きつける。
 大地が、音を立て揺れる。
 糸を、切り離す。
 大蜘蛛は、待っているようだった。
 黒之助が立ち上がるのを。
 相変わらず、ちかちかと赤い光が点滅していた。
「なあ、おい。あれから六十年ばかし経ってるんだ。こんなもんじゃないだろう? 早く立てよ。本気、見せてくれよ。お前の力がいるんだ。今度こそ、あの宝玉を手に入れるんだよ!」
 烏天狗
 折れた錫杖を握ったまま、目を瞑っていた。
 黒之助は、動かなかった。



「弱い……」
 傷付いた妖が逃げていく。
 それを、烏天狗が面白げなく見つめている。
 何かが木の上から投げられた。
 手で、受け止める。
 男が、白い糸を伝って木から下りてきた。
「今日も負け無し、か。山葡萄だ。酒の肴よ」
「すまんな、黒野丞」
「気にするな。俺とお前の仲だろうが」
「ふむ」
 焚き火。
 二人の顔を赤く照らしている。
 一方の男は、楽しそうに酒を飲んでいた。
 もう一人は、無表情に葡萄を口に入れていた。
「やっぱり、お前は強いな」
「そうだな……強かろうな」
「どうした? いつもより辛気くさい顔だな」
「今日、大天狗様に呼ばれた」
 黒之助が、山葡萄を一粒、その手の平で転がした。
「ということは……」
 黒野丞は息を呑んだ。
 黒之助の次の言葉を待つ。
「今年も、拙者は天狗にはなれぬそうだ」
 ぐっと、葡萄を握りつぶす。
 やれやれと息を吐くと、黒野丞は木の枝を掴んだ。
 ぱちんと折ると、それを火にくべた。
「腹立たしいことよ。あの山で……いや、全国でも、拙者に勝てる烏天狗はそうはおらん」
「だろうな」
 そういって、黒野丞はまたぱちんと枝を折った。
「天狗でも、勝てる。それなのに、だ。いつまで、待てばいいのだ」
「さあな……知るもんか」
 黒野丞が、ごろりと横になった。
 火が燃える音。葉が擦れる音。
 よく、聞こえた。
「どうしてだ」
「知るかよ……」
 流れ星。
 光って、消えた。
 こうこうと、虫達が泣いている。
 突然、黒野丞が起きあがった。
「お前はいいさ。それだけ強いのだから」
「……急に何を言い出すのだ?」
 酔いが廻ったのかと思った。
「俺を見ろよ。弱い弱い化け蜘蛛だ」
「……おぬしは、十分強くなったと思うぞ」
「足りねえよ。まだまだ、足りねえ。俺は、大妖と呼ばれる奴らに勝る強さが欲しいんだよ」
 鞍馬の大天狗様、酒呑童子様。
 その名は、雲の上。
 雲の上の、存在。
「……難しいな……」
「ここまでこれたんだ。ちっぽけな蜘蛛からよ……」
 黒野丞が歳経た蜘蛛なのだと、黒之助は始めて知った。
 以外な気がした。
 それで、この男は一人なのかと思った。
「今、狙ってるもんがある」
「なんだ?」
 珍しいと思った。言葉に、熱がある。
「宝玉だ。手に入れられれば、力が得られるというな」
 黒野丞が興奮しだしていた。
「……嘘くさい話だ」
「あれは本物だ。間違いない。この目で見たんだ。あの輝き、あれは、俺のためにある」
 酔っている。酒にではなく、酔っている。
「そんなに欲しいのか」
「ああ。ただ、結界が邪魔でな。俺ではそれを越えられないのだ」
 肩を、落とした。
「俺では、か。拙者では?」
「いけるかもしれん。いや、いける。手伝ってくれるのか?」
「……いいだろう、やってやる」
 ちょうどいい、憂さ晴らしになるかもしれない。
 そう、思った。
「それは、鞍馬山にあるんだ」



「おい!」
「……聞こえている」
 黒之助が起きあがった。
 背中にしょいし籠から貝殻を取り出すと、中の黄色の軟膏を肩に塗った。
 大蜘蛛は、それを大人しく眺めていた。
黒野丞。お前まだ、あの宝玉を諦めていないのか?」
「……当たり前だろう」
 折れた錫杖を投げ捨てる。
 代わりに、腰に挿していた短剣を手にした。
「そうか……六十年、ずっと魅入られたままなのだな、お前は」
「お前も知っているだろう? あの素晴らしさ。あれこそ、宝というべき代物よ」
「宝はもう、手にした」
 小さく、笑った。
 それは、古寺にある。
「なんだと?」
「もう、あの宝玉はないのだ。それでも、まだ魅入られたままか?」
 穏やかに、丁寧に、一文字一文字はっきりと、黒之助はいった。
「嘘だ!!!!!!」
 大蜘蛛が、吠えた。
「嘘ではない!!!」
 黒之助も、吠えた。
「お前も、聞かされたはずだ。あの宝玉は、三年前一匹の鬼に盗まれ、その鬼の首を引きちぎった酒呑童子様に壊されたと」
「……聞いたさ」
「ならば!」
「そんな話、信じられるか!」
 糸を吐く。
 黒之助は、糸を避けようともしなかった。
「何度も聞かされた。だが、俺は信じぬ!」
 白い、人の形をしたもの。
 糸を受け続け、黒之助の身体は見えなくなっていた。
「もう、いい。もう、貴様には頼まぬ! 誰か、他の……誰か……」
「当てが、あるのか?」
「ぐ……」
「お前は、変わらなかったのだな」
 火が噴き上がった。
 白い糸が真っ赤に燃える。
 黒之助の全身を覆っていた糸が、焼け落ちる。
 火は、大蜘蛛に燃え移ろうと。
 慌てて、糸を口から切り離そうとした。
 間に合わなかった。
 黒之助。
 短剣が薄く光っている。印を組んでいた。
 火は、黒之助の指先から溢れていた。
「さっきの雷、手を抜いていたのだろうな。姫さんのことなのに。拙者も、甘いな」
 大蜘蛛はその身を灼かれ、けたたましく悶え狂う。
 火は、さらにさらに勢いを増す。
 煉獄の火。
 黒之助が、哀しげな顔になった。
「お前は、昔の拙者なのだ……だから……やはり、甘いな」
 火が、消えた。
 黒之助が、印を解いたのだ。
 ゆっくりと、近づく。
 人の姿になって、ゆっくりと。
 黒い円が出来ている。剥き出しの、灼き焦げた土。
 黒ずんでいた。
 中心に、人がいた。
 黒野丞、であった。
 全身に火傷を負っている。荒い息をしていた。
「命は獲らぬ。そこの天狗共にお前を渡して、しまいだ」
 黒之助が手を伸ばした。担ごうとしたのだ。
 背を、向けた。
 そのとき、黒野丞の大きな瞳が、黒之助の姿を収めた。
 虚ろであった。
 腕が、蟲の腕になった。
 灼けて、嫌な匂いがする。
 異変に気付いて、黒之助が飛びずさった。
「誰だ、お前……」
 黒之助の左羽が、無くなっていた。
 すっぱりと、斬られたのだ。
 黒野丞の鋭い鎌に。
 それは、巨大な蟷螂の鎌であった。
 この佇まい――覚えが、あった。
「あの犬神と、同じ……」 
 黒之助の目が、男の胸元に留まった。
 宝玉。
 埋め込まれている。
 いや、宝玉が、自ら肉の根を張っている。
 あの時の……
 ぎりりと、強く、強く、噛み締めた。
 魅入られたのではない。
 一体となっていたのだ。
 あのとき、黒野丞は手に入れていたのだ。
 自分を捨て石にし、宝玉に手を伸ばしたときに。
 確かに、一瞬触れた。
 すぐに、大天狗様に打ち据えられ、その手は離れたが。
 そのときに、宿られたのだな。
 生きた、宝玉。
 黒夜叉という男も、その身に宝玉を宿していた。
 そのことに、酒呑童子様ですら気がつかなかった。
 見張りの烏天狗に、気がつけるはずが……
 そう思ったときには、黒之助の身体を蜘蛛の脚が貫いていた。
 伸びた脚が、主の元へ獲物を連れ戻っていく。
 黒野丞と触れるか触れまいか。
 そこまで、近づいた。
 大顎が開けられる。
 かちかちと、音を鳴らした。
 他人事のように、黒之助はその光景を見つめていた。
 天狗。
 黒野丞の背後から三匹。血相を変えて、錫杖を振りかぶる。
 自分より、若い。
 一人は、知っている顔だ。
 恐らく、間に合うまい。そう、思った。