あやかし姫~百華燎乱(5)~
首の亡くなった烏天狗の身体を投げ捨てる。
背後から迫る天狗達を背中から伸びた「黒い羽」で弾き飛ばす。
錫杖が、ばらばらと散らばった。
風。
渦を巻く。
それは、小さな竜巻になった。
黒野丞が、大きな音を生み出した。
それは、怒りにも嘆きにも似た音だった。
肉が、黒野丞の身体を覆う。胸の宝玉から伸びていた。
めきめきと、音を立てる。
変化、していた。
「強い……憧れ……」
「彩花様?」
「あ。いえ……」
姫様。お風呂上がりでほくほくの咲夜の髪をといていた。
葉子。あくびをしながら、二人の傍に。
姫様の、部屋。
鏡台の前。
「姫様、まだ、クロちゃん帰ってきてないの?」
やはり、気になるのだ。
それでも、葉子は古寺を離れなかった。
「うん……」
「ま、クロちゃんだし大丈夫だよね」
また、あくびをした。
「……」
姫様は答えなかった。黙って咲夜の髪をすいていた。
少し、茶色が混じった黒。
咲夜は、姫様の用意した着物を身につけていた。
「そいで、咲夜ちゃん、だっけ?」
鏡に映る葉子の顔は、興味津々と訴えて。
葉子が咲夜と顔を合わせるのは、これが初めてだった。
「あ、はい。そうです」
「うーん……太郎と、似てないね」
葉子が、いった。
「そうですか? 私、目元とかそっくりだと思います!」
「……」
姫様、咲夜の髪をすく手を止めると、葉子と一度顔を合わす。
それからまじまじと鏡に映る咲夜の目元をみて、うーんと首を傾げた。
「う……ひどい……」
「ご、ごめん!」
「いいですよー」
ぶーっと、咲夜はほっぺたを膨らました。
ごめんごめんと葉子が謝る。
また、姫様が髪をすきはじめた。
姫様が、出来ましたと、そう、いった。
櫛を、鏡台の引き出しに片づける。
咲夜の髪を、くるっと髪飾りで一つにまとめた。
太郎に似てるかも。
そう、葉子は思った。
「私、これから台所に用事ありますんで」
姫様が、いった。
「あいあーい、私もついてくよ」
「それじゃあ、私も」
とことこと、二人ともついていく。
狐火が、ふわりと漂った。
姫様達を、案内するように。
ぐつぐつと、姫様が大鍋を火にかけ温め直す。
中身はお汁粉。
随分少なくなっていた。
「こっちのはいいんですか?」
咲夜が、冷えたお汁粉の入ったお椀を指差した。
「それはいいんです」
大鍋をかき混ぜながら、姫様がいった。
兎の紋様が入ったお椀。
お鍋をかき混ぜながら、それを片手に持った。
とろっと、お汁粉をそこに注いだ。
「はい、咲夜ちゃん」
お椀を、咲夜に差し出す。
葉子が、もの欲しそうに見ていた。
「……葉子さん、今日どれだけ食べたの?」
そう言われると、諦めるしかない。
ふえーんと冷たい床に座ると、金平糖に手を伸ばした。
ぱしんと姫様に叩かれた。
ふえーんと、また鳴いた。
姫様も床に座る。
冷たくない。
銀色尾っぽ。
葉子が、自分の尻尾を姫様に差し出したのだ。
ふわふわしていた。
温かかった。
「そんなことしても、駄目ですからね……」
ちょっと、心が揺らいだ。
でも、と、首を振る。
姫様の分も、ない。
もう、ほとんど残っていなかったのだ。
「ありがとう」
姫様が、いった。
その言葉だけで、銀狐は十分だった。
二人は咲夜と向き合う形になった。
ふーふー息を吹きかけながら、咲夜は上目遣いに葉子を見ると、
「あ、あの、食べます?」
そう、いった。
「いいの?」
目を、輝かせる。
「はい」
「あんがと! いや、太郎に似ず優しい仔だね!」
「あに様、優しいですよ……」
「うん」
姫様が同調した。
「ですよね! あに様は、私の誇りです!」
「お。おお……」
銀狐は少しだけお汁粉を口にした。
すぐに、返す。
彩花様もどうぞ。
小さな妖狼は、そういった。
じゃあ……姫様も少しだけ口にして、咲夜に返した。
「それで、咲夜ちゃんはどうしてここに?」
「ん、あたいも気になってた」
「あ、私ですか。あに様の顔を見たかったのと、あに様に 」
「……ええっと」
葉子が、獣耳を掻いた。
「もう一度、言ってくんない」
聞き直す。
姫様、真剣。ぎゅっと、拳を握っている。
「だからですね、あに様に 」
もう一度、咲夜は『それを』口にした。
そして――恐怖を覚えた。
妖狼の村を襲った妖猿の群れ。
その、比ではなかった。
鳥肌がたっている。
寒い。
……なに?
音が、聞こえない。
喉がからからになっていた。
唾を飲み込む。
すぐに乾いた。
姫様。
咲夜を射るように見つめていた。
虚無、虚空。
黒い、黒い、瞳。蒼い炎。そこに、確かにあった。
自分の姿が、映し出されている。
魂が、肉体から剥ぎ取られる。そんな気が、した。
「姫様!」
「……あ……」
姫様が、葉子をみた。
それから、咲夜を。
震えていた。
葉子も、汗をかいている。
冷たい夜に、冷たい汗を。
「……ごめん! 咲夜ちゃん、ごめん!!! 葉子さんも、ごめん!!!」
必死に、謝る。
二人に、謝る。
「い、いえ……」
笑おうと、思った。
顔が強張っていた。笑えなかった。
「み、水下さい……」
「う、うん!」
すぐに、姫様が持ってくる。
ごくりと、喉を鳴らした。
身体の隅々まで、冷たい水が行き渡る。
姫様。まだ、必死に謝っていた。
「あの、そんなに謝らなくてもいいです! 彩花様はあに様の命の恩人ですし」
姫様が、ほっと胸を撫で下ろした。
咲夜は、兄や、目の前の、恐らくかなり高位の妖であろう女が、彩花のことを姫様と呼んでいる理由がなんとなく分かった気がした。
「……ごめんね……」
そう、いった。こり、っと音がした。
姫様が、爪を噛んだのだ。
珍しい。
銀狐は、そう、思った。
いつ、以来だろうと。
子供の頃の、苛立っているときの姫様の癖だった。
また、こりっと音がした。
本当に珍しい。そう、思った。
翁。
腕を組み、空を眺めていた。
厚い雲。
星々を遮っていた。
「彩花さん達の事が、気になりますか」
若い男が近づき、翁にいった。
額に、見事な角がある。
刀を腰に差していた。
「まあな。最近物騒じゃからな」
古寺の頭領、八霊。
目の前の人物は、鬼姫鈴鹿御前の夫、藤原俊宗である。
鬼。
幾匹も、幾頭もいた。
皆、殺気だっていた。
手に手に己の得意とする業物を持っている。
かみなり様も混じっていた。
篝火が、幾つも幾つも燃え盛っていた。
「全く、最悪じゃな」
そう、対岸を見ながら呟いた。
川。
半分、赤く照らされている。
半分、青く照らされていた。
川を挟んで向こう側。
冷たい炎が、そこにあった。
土地神。
そして――雪妖達。
東北の大妖、鈴鹿御前。
雪妖の主、雪の女王。
二人の率いる勢力が、北の地で、川を挟んで激しく睨みあっていた。
それは、今にもぶつかりそうで。
一度始まれば、それは、凄まじい戦になるだろう。
「なんとしても、止めたいが……」
「土蜘蛛の翁、どうでしょうか?」
「今のところは、上手くあしらっているようじゃな」
土蜘蛛の翁。
彼も、大妖といわれる存在である。
翁率いる土蜘蛛達。
丸い、球のような姿ではない。
土鎧を着た、異形の武者姿。
六本の長い手に、様々な武器を携えている。
雪妖達の一群の側面に陣取っていた。
「それでも、このままではまずい。なんとか、見つけねばな」
白髭を、さする。
めんどい。
そう、いった。
「鬼姫は?」
「落ち着いていますよ」
苦笑した。悲鳴が、聞こえた。
大獄丸の悲鳴。
巨体が、宙を舞っていた。訝しげにその光景を見る。
「……本当に?」
「ええ。兄上相手に暴れているということは、まだまだ大丈夫な証です」
にこにこと言う俊宗に、頭領は複雑な表情を浮かべた。
背後から迫る天狗達を背中から伸びた「黒い羽」で弾き飛ばす。
錫杖が、ばらばらと散らばった。
風。
渦を巻く。
それは、小さな竜巻になった。
黒野丞が、大きな音を生み出した。
それは、怒りにも嘆きにも似た音だった。
肉が、黒野丞の身体を覆う。胸の宝玉から伸びていた。
めきめきと、音を立てる。
変化、していた。
「強い……憧れ……」
「彩花様?」
「あ。いえ……」
姫様。お風呂上がりでほくほくの咲夜の髪をといていた。
葉子。あくびをしながら、二人の傍に。
姫様の、部屋。
鏡台の前。
「姫様、まだ、クロちゃん帰ってきてないの?」
やはり、気になるのだ。
それでも、葉子は古寺を離れなかった。
「うん……」
「ま、クロちゃんだし大丈夫だよね」
また、あくびをした。
「……」
姫様は答えなかった。黙って咲夜の髪をすいていた。
少し、茶色が混じった黒。
咲夜は、姫様の用意した着物を身につけていた。
「そいで、咲夜ちゃん、だっけ?」
鏡に映る葉子の顔は、興味津々と訴えて。
葉子が咲夜と顔を合わせるのは、これが初めてだった。
「あ、はい。そうです」
「うーん……太郎と、似てないね」
葉子が、いった。
「そうですか? 私、目元とかそっくりだと思います!」
「……」
姫様、咲夜の髪をすく手を止めると、葉子と一度顔を合わす。
それからまじまじと鏡に映る咲夜の目元をみて、うーんと首を傾げた。
「う……ひどい……」
「ご、ごめん!」
「いいですよー」
ぶーっと、咲夜はほっぺたを膨らました。
ごめんごめんと葉子が謝る。
また、姫様が髪をすきはじめた。
姫様が、出来ましたと、そう、いった。
櫛を、鏡台の引き出しに片づける。
咲夜の髪を、くるっと髪飾りで一つにまとめた。
太郎に似てるかも。
そう、葉子は思った。
「私、これから台所に用事ありますんで」
姫様が、いった。
「あいあーい、私もついてくよ」
「それじゃあ、私も」
とことこと、二人ともついていく。
狐火が、ふわりと漂った。
姫様達を、案内するように。
ぐつぐつと、姫様が大鍋を火にかけ温め直す。
中身はお汁粉。
随分少なくなっていた。
「こっちのはいいんですか?」
咲夜が、冷えたお汁粉の入ったお椀を指差した。
「それはいいんです」
大鍋をかき混ぜながら、姫様がいった。
兎の紋様が入ったお椀。
お鍋をかき混ぜながら、それを片手に持った。
とろっと、お汁粉をそこに注いだ。
「はい、咲夜ちゃん」
お椀を、咲夜に差し出す。
葉子が、もの欲しそうに見ていた。
「……葉子さん、今日どれだけ食べたの?」
そう言われると、諦めるしかない。
ふえーんと冷たい床に座ると、金平糖に手を伸ばした。
ぱしんと姫様に叩かれた。
ふえーんと、また鳴いた。
姫様も床に座る。
冷たくない。
銀色尾っぽ。
葉子が、自分の尻尾を姫様に差し出したのだ。
ふわふわしていた。
温かかった。
「そんなことしても、駄目ですからね……」
ちょっと、心が揺らいだ。
でも、と、首を振る。
姫様の分も、ない。
もう、ほとんど残っていなかったのだ。
「ありがとう」
姫様が、いった。
その言葉だけで、銀狐は十分だった。
二人は咲夜と向き合う形になった。
ふーふー息を吹きかけながら、咲夜は上目遣いに葉子を見ると、
「あ、あの、食べます?」
そう、いった。
「いいの?」
目を、輝かせる。
「はい」
「あんがと! いや、太郎に似ず優しい仔だね!」
「あに様、優しいですよ……」
「うん」
姫様が同調した。
「ですよね! あに様は、私の誇りです!」
「お。おお……」
銀狐は少しだけお汁粉を口にした。
すぐに、返す。
彩花様もどうぞ。
小さな妖狼は、そういった。
じゃあ……姫様も少しだけ口にして、咲夜に返した。
「それで、咲夜ちゃんはどうしてここに?」
「ん、あたいも気になってた」
「あ、私ですか。あに様の顔を見たかったのと、あに様に 」
「……ええっと」
葉子が、獣耳を掻いた。
「もう一度、言ってくんない」
聞き直す。
姫様、真剣。ぎゅっと、拳を握っている。
「だからですね、あに様に 」
もう一度、咲夜は『それを』口にした。
そして――恐怖を覚えた。
妖狼の村を襲った妖猿の群れ。
その、比ではなかった。
鳥肌がたっている。
寒い。
……なに?
音が、聞こえない。
喉がからからになっていた。
唾を飲み込む。
すぐに乾いた。
姫様。
咲夜を射るように見つめていた。
虚無、虚空。
黒い、黒い、瞳。蒼い炎。そこに、確かにあった。
自分の姿が、映し出されている。
魂が、肉体から剥ぎ取られる。そんな気が、した。
「姫様!」
「……あ……」
姫様が、葉子をみた。
それから、咲夜を。
震えていた。
葉子も、汗をかいている。
冷たい夜に、冷たい汗を。
「……ごめん! 咲夜ちゃん、ごめん!!! 葉子さんも、ごめん!!!」
必死に、謝る。
二人に、謝る。
「い、いえ……」
笑おうと、思った。
顔が強張っていた。笑えなかった。
「み、水下さい……」
「う、うん!」
すぐに、姫様が持ってくる。
ごくりと、喉を鳴らした。
身体の隅々まで、冷たい水が行き渡る。
姫様。まだ、必死に謝っていた。
「あの、そんなに謝らなくてもいいです! 彩花様はあに様の命の恩人ですし」
姫様が、ほっと胸を撫で下ろした。
咲夜は、兄や、目の前の、恐らくかなり高位の妖であろう女が、彩花のことを姫様と呼んでいる理由がなんとなく分かった気がした。
「……ごめんね……」
そう、いった。こり、っと音がした。
姫様が、爪を噛んだのだ。
珍しい。
銀狐は、そう、思った。
いつ、以来だろうと。
子供の頃の、苛立っているときの姫様の癖だった。
また、こりっと音がした。
本当に珍しい。そう、思った。
翁。
腕を組み、空を眺めていた。
厚い雲。
星々を遮っていた。
「彩花さん達の事が、気になりますか」
若い男が近づき、翁にいった。
額に、見事な角がある。
刀を腰に差していた。
「まあな。最近物騒じゃからな」
古寺の頭領、八霊。
目の前の人物は、鬼姫鈴鹿御前の夫、藤原俊宗である。
鬼。
幾匹も、幾頭もいた。
皆、殺気だっていた。
手に手に己の得意とする業物を持っている。
かみなり様も混じっていた。
篝火が、幾つも幾つも燃え盛っていた。
「全く、最悪じゃな」
そう、対岸を見ながら呟いた。
川。
半分、赤く照らされている。
半分、青く照らされていた。
川を挟んで向こう側。
冷たい炎が、そこにあった。
土地神。
そして――雪妖達。
東北の大妖、鈴鹿御前。
雪妖の主、雪の女王。
二人の率いる勢力が、北の地で、川を挟んで激しく睨みあっていた。
それは、今にもぶつかりそうで。
一度始まれば、それは、凄まじい戦になるだろう。
「なんとしても、止めたいが……」
「土蜘蛛の翁、どうでしょうか?」
「今のところは、上手くあしらっているようじゃな」
土蜘蛛の翁。
彼も、大妖といわれる存在である。
翁率いる土蜘蛛達。
丸い、球のような姿ではない。
土鎧を着た、異形の武者姿。
六本の長い手に、様々な武器を携えている。
雪妖達の一群の側面に陣取っていた。
「それでも、このままではまずい。なんとか、見つけねばな」
白髭を、さする。
めんどい。
そう、いった。
「鬼姫は?」
「落ち着いていますよ」
苦笑した。悲鳴が、聞こえた。
大獄丸の悲鳴。
巨体が、宙を舞っていた。訝しげにその光景を見る。
「……本当に?」
「ええ。兄上相手に暴れているということは、まだまだ大丈夫な証です」
にこにこと言う俊宗に、頭領は複雑な表情を浮かべた。