あやかし姫~百華燎乱(6)~
「なんだありゃあ」
妖狼が、いった。古寺から黒之助の臭いを辿り、木森原まで走ってきたのだ。
奇妙な物が、その金銀妖瞳に映った。
灰色の身体。
黒い羽。
顔半分が、人の顔――大きな瞳の男の顔――
もう半分は、太郎のよく知っている妖の顔――烏天狗――
「……黒之助……」
首のない烏天狗の屍。
それを見ても、妖狼の表情に変化はなかった。
天狗を、見やる。
弱い。
そう、思った。
月――満月。
燐光。
薄く、笑った。
妖狼が、『それ』の前に姿をみせた。
先ほどと変わって、人の姿であった。
「さて、と」
天狗達が、太郎を見て何か囁いていた。
良くある事、だ。
慣れは、しない。
黒い怒り。それは、静かに、太郎の奥底に溜まっていく。
牙を、かちりと鳴らす。
黒野丞だったものが、妖狼に背を向けた。
烏天狗の屍に近づく。
それを持ち上げると、ごつごつとかぶりついた。
「おいおい……なんだあれは」
太郎は、自分の足下に、そう、いった。
「……化け蜘蛛よ」
声がした。男の声だった。
天狗達がぎょっとなる。
黒野丞が妖狼に向き直った。
屍。
喰われていた。
血は出ていない。
中身が、なかった。
地が、盛り上がる。
土が、噴き上がる。
枯れ草が、流れる。
烏天狗が、その姿を現した。
黒野丞が喰らっていた屍。
煙を起こすとそれが消え、代わりにひらひらと大量の黒い羽が零れた。
精巧な身代わり。
式の一つ、であった。
黒之助が古寺で覚えた術である。
糸に包まれた時、式を置いて自分は地中に潜ったのだ。
そうしたほうがよいと、誰かが黒之助の耳元で囁いたのだ。
「よう」
太郎が、いった。
片手を挙げる。
「……どうしてここへきた?」
黒之助がいった。
「どうしてって……」
にこにこしつつ、拳を固める。
次の瞬間、黒之助が殴り飛ばされていた。
天狗達が固まっている。
黒野丞も。
ひらひらと、太郎が左手を振る。
烏天狗が、ぷっと、血の混じった唾を吐いた。
「……太郎殿?」
怒気。大きく膨らんだ。
太郎は平然としていた。
「姫様を悲しませるなと、俺は言ったはずだが?」
「……悲しんでいたか?」
そして、怒気は大きく萎んだ。
「心配してたぞ」
「……優しいな」
「そんなことは分かってたろうによ。それで、あれは?」
太郎が、黒野丞を指差した。
奇っ怪な物は、静止している。
風も止まっている。恐れを、なしたように。
灰色の肉が、何かを形作ろうと動いていた。
天狗達。
いなくなっていた。
様子見か。
妖狼は、そう、思った。
「黒夜叉という男の話を覚えているか?」
「茨木童子様に一つ目の大傷を負わせた男、だな」
「うむ。その男と、同じよ」
「……言ってる意味がわからん!」
目を細め、そう言い放った。
「……お前、あのとき話をちゃんと聞いていなかったのか?」
「聞いた。けど、いちいち、覚えていられるか」
太郎らしいと、黒之助は笑った。
右羽。血が零れる。
羽がごっそりなくなっていた。
「まぁいい。胸の宝玉、あれを滅したい」
「……殺せばいいだろう」
「……それは、出来ない」
「ふぅん。じゃあ、勝手にすればいい」
「ああ……あれは、拙者の……」
黒野丞の姿。色は違えど、それは烏天狗の姿であった。
宝玉は、力を与えない。
代わりに、取り憑いた者の欲を引き出す。
憧れという、欲を。
そして、それに成り代わらせようとする。
黒夜叉が憧れたのは、鬼の王、であった。
黒野丞が、憧れたのは……求めていた、力の象徴。
「くっ……」
足がもつれた。傷があるのだ。
目には、見えない傷が。
式と心を繋げていた。だから、式は術を使う事が出来た。
一心二体。
式が喰われたとき、黒之助も喰われたのだ。
「そんななりでどうするんだ」
「うるさい」
「馬鹿だな、お前」
太郎が、いった。黒之助の背中を、叩いた。
「俺に頼めよ。友達、だろ」
「……友……」
「頼む、その一言で、いいんだ。クロの言うとおりに、動いてやるさ」
今宵は、満月だ。
暴れるには、良い日だ。
「……頼む」
「わかった」
それで、いいんだ。そう、笑った。
太郎が、その瞳を輝かせる。
爪が、鋭く伸びていた。
腕を振る。空気を裂く。
半人、半妖。
金銀妖瞳が、狂喜を帯びる。
「で、どうすりゃいい。殺しちゃ駄目なんだろ」
大きく息を吐く。
鼓動。
血が、熱い。
「しばらく、引きつけてくれ。胸の宝玉に触らないようにな。触れば、太郎殿も乗っ取られるぞ」
なるほど、乗っ取られたのか。
「わかった」
首を、こきこきと鳴らす。
呼気。
白い。
顔が、笑っていた。
目は、笑っていない。
黒野丞。惚けたようにそこに佇んでいた。
「その間に、拙者が片を付ける」
黒之助が、印を組んだ。
太郎が、黒野丞に躍り掛かった。
気まずい。
そう、葉子は思った。
咲夜も、そわそわ。
姫様、上の空。もう、爪は噛んでいない。
気まずい。本当に、気まずい。
う……胃が、きりきりと痛むよ。
「……あ!」
姫様が、急に立ち上がった。
「ど、どうしました!?」
「明日、朱桜ちゃん来るんだった……お掃除!」
すっかり忘れてた。
「……あ!」
小さく叫ぶと、葉子が姿を消した。
古寺のあちこちで、妖達の悲鳴が上がり始める。
銀狐が駆け巡っているのだ。
「お掃除……うん、お掃除……」
姫様が、ぶつぶつ呟きながら歩き出す。
「わ、私もやります!」
咲夜が、声をかけた。
「咲夜ちゃん、いいよ。お客様だし」
「いえ! 是非やらせて下さい!」
「そう……じゃあ、お願いしますね」
「はい!」
身体が軽い。
妖狼の、性、か。
太郎が苦笑する。自分は、妖狼なのかと。
未だ、自分は追放された身だ。
それは、妖狼であって妖狼にあらず。
すぐに気を引き締める。
集中しなければ、あの時と同じになる。
それは、嫌だ。
光の線が、黒野丞の周りに幾つも幾つも曳かれていた。
黒野丞は何も出来なかった。
闇雲に両腕を振り回す。
だが、当たらない。
自分の傷が増えるだけだ。
くぐもった唸り声をあげた。
全身から、蟲の脚を出す。
八本ではなかった。
蜘蛛よりも、それは百足というべきで。
それでも、掠りもしなかった。
いや、その脚の半分ほどが、妖狼の爪の餌食となり、ずたずたに切り裂かれていた。
「かっ!!!」
太郎が吠える。圧倒していた。
「足りない……」
右羽。羽がさらに少なくなっていた。
黒之助の前に、もう一人の黒之助が。
透けていた。
印を解くと、自分の左羽を無造作に引きちぎる。
血が、流れた。
痛みに顔をしかめる。
羽が、黒之助の周りに散った。
印を、また組み直す。
赤い羽。
もう一人の黒之助に吸い込まれていく。
透明さが消え、寸分違わぬ姿になった。
黒之助が印を解き、肩を上下させる。
もう一人の黒之助も、肩を上下させた。
繋がった。
「これでいい」
妖狼をみた。黒之助にも、太郎の姿は捉える事が出来なかった。
灰色の烏天狗。
黒野丞。
「今、助ける」
黒之助が、走り出した。
黒野丞がそれに気付いた。
気付いても、どうすることも出来なかった。
妖狼が、身動きを取れなくさせていたのだ。
その動きは、神速。
絶えず新たな光が曳かれ、新たな傷が生じた。
妖狼は、黒之助の姿を捉えていた。
血がたぎる。
もっと強い新たな獲物。そう、思った。
餓えが、止まらない。
――少女の姿。
脳裏に映った。
正気に、戻った。
また、光の線を描き出した。
離れた場所で、天狗達は事の成り行きを見守っていた。
烏天狗が、灰色の烏天狗の胸から宝玉を抉り出すのを、三羽は見た。
妖狼が、いった。古寺から黒之助の臭いを辿り、木森原まで走ってきたのだ。
奇妙な物が、その金銀妖瞳に映った。
灰色の身体。
黒い羽。
顔半分が、人の顔――大きな瞳の男の顔――
もう半分は、太郎のよく知っている妖の顔――烏天狗――
「……黒之助……」
首のない烏天狗の屍。
それを見ても、妖狼の表情に変化はなかった。
天狗を、見やる。
弱い。
そう、思った。
月――満月。
燐光。
薄く、笑った。
妖狼が、『それ』の前に姿をみせた。
先ほどと変わって、人の姿であった。
「さて、と」
天狗達が、太郎を見て何か囁いていた。
良くある事、だ。
慣れは、しない。
黒い怒り。それは、静かに、太郎の奥底に溜まっていく。
牙を、かちりと鳴らす。
黒野丞だったものが、妖狼に背を向けた。
烏天狗の屍に近づく。
それを持ち上げると、ごつごつとかぶりついた。
「おいおい……なんだあれは」
太郎は、自分の足下に、そう、いった。
「……化け蜘蛛よ」
声がした。男の声だった。
天狗達がぎょっとなる。
黒野丞が妖狼に向き直った。
屍。
喰われていた。
血は出ていない。
中身が、なかった。
地が、盛り上がる。
土が、噴き上がる。
枯れ草が、流れる。
烏天狗が、その姿を現した。
黒野丞が喰らっていた屍。
煙を起こすとそれが消え、代わりにひらひらと大量の黒い羽が零れた。
精巧な身代わり。
式の一つ、であった。
黒之助が古寺で覚えた術である。
糸に包まれた時、式を置いて自分は地中に潜ったのだ。
そうしたほうがよいと、誰かが黒之助の耳元で囁いたのだ。
「よう」
太郎が、いった。
片手を挙げる。
「……どうしてここへきた?」
黒之助がいった。
「どうしてって……」
にこにこしつつ、拳を固める。
次の瞬間、黒之助が殴り飛ばされていた。
天狗達が固まっている。
黒野丞も。
ひらひらと、太郎が左手を振る。
烏天狗が、ぷっと、血の混じった唾を吐いた。
「……太郎殿?」
怒気。大きく膨らんだ。
太郎は平然としていた。
「姫様を悲しませるなと、俺は言ったはずだが?」
「……悲しんでいたか?」
そして、怒気は大きく萎んだ。
「心配してたぞ」
「……優しいな」
「そんなことは分かってたろうによ。それで、あれは?」
太郎が、黒野丞を指差した。
奇っ怪な物は、静止している。
風も止まっている。恐れを、なしたように。
灰色の肉が、何かを形作ろうと動いていた。
天狗達。
いなくなっていた。
様子見か。
妖狼は、そう、思った。
「黒夜叉という男の話を覚えているか?」
「茨木童子様に一つ目の大傷を負わせた男、だな」
「うむ。その男と、同じよ」
「……言ってる意味がわからん!」
目を細め、そう言い放った。
「……お前、あのとき話をちゃんと聞いていなかったのか?」
「聞いた。けど、いちいち、覚えていられるか」
太郎らしいと、黒之助は笑った。
右羽。血が零れる。
羽がごっそりなくなっていた。
「まぁいい。胸の宝玉、あれを滅したい」
「……殺せばいいだろう」
「……それは、出来ない」
「ふぅん。じゃあ、勝手にすればいい」
「ああ……あれは、拙者の……」
黒野丞の姿。色は違えど、それは烏天狗の姿であった。
宝玉は、力を与えない。
代わりに、取り憑いた者の欲を引き出す。
憧れという、欲を。
そして、それに成り代わらせようとする。
黒夜叉が憧れたのは、鬼の王、であった。
黒野丞が、憧れたのは……求めていた、力の象徴。
「くっ……」
足がもつれた。傷があるのだ。
目には、見えない傷が。
式と心を繋げていた。だから、式は術を使う事が出来た。
一心二体。
式が喰われたとき、黒之助も喰われたのだ。
「そんななりでどうするんだ」
「うるさい」
「馬鹿だな、お前」
太郎が、いった。黒之助の背中を、叩いた。
「俺に頼めよ。友達、だろ」
「……友……」
「頼む、その一言で、いいんだ。クロの言うとおりに、動いてやるさ」
今宵は、満月だ。
暴れるには、良い日だ。
「……頼む」
「わかった」
それで、いいんだ。そう、笑った。
太郎が、その瞳を輝かせる。
爪が、鋭く伸びていた。
腕を振る。空気を裂く。
半人、半妖。
金銀妖瞳が、狂喜を帯びる。
「で、どうすりゃいい。殺しちゃ駄目なんだろ」
大きく息を吐く。
鼓動。
血が、熱い。
「しばらく、引きつけてくれ。胸の宝玉に触らないようにな。触れば、太郎殿も乗っ取られるぞ」
なるほど、乗っ取られたのか。
「わかった」
首を、こきこきと鳴らす。
呼気。
白い。
顔が、笑っていた。
目は、笑っていない。
黒野丞。惚けたようにそこに佇んでいた。
「その間に、拙者が片を付ける」
黒之助が、印を組んだ。
太郎が、黒野丞に躍り掛かった。
気まずい。
そう、葉子は思った。
咲夜も、そわそわ。
姫様、上の空。もう、爪は噛んでいない。
気まずい。本当に、気まずい。
う……胃が、きりきりと痛むよ。
「……あ!」
姫様が、急に立ち上がった。
「ど、どうしました!?」
「明日、朱桜ちゃん来るんだった……お掃除!」
すっかり忘れてた。
「……あ!」
小さく叫ぶと、葉子が姿を消した。
古寺のあちこちで、妖達の悲鳴が上がり始める。
銀狐が駆け巡っているのだ。
「お掃除……うん、お掃除……」
姫様が、ぶつぶつ呟きながら歩き出す。
「わ、私もやります!」
咲夜が、声をかけた。
「咲夜ちゃん、いいよ。お客様だし」
「いえ! 是非やらせて下さい!」
「そう……じゃあ、お願いしますね」
「はい!」
身体が軽い。
妖狼の、性、か。
太郎が苦笑する。自分は、妖狼なのかと。
未だ、自分は追放された身だ。
それは、妖狼であって妖狼にあらず。
すぐに気を引き締める。
集中しなければ、あの時と同じになる。
それは、嫌だ。
光の線が、黒野丞の周りに幾つも幾つも曳かれていた。
黒野丞は何も出来なかった。
闇雲に両腕を振り回す。
だが、当たらない。
自分の傷が増えるだけだ。
くぐもった唸り声をあげた。
全身から、蟲の脚を出す。
八本ではなかった。
蜘蛛よりも、それは百足というべきで。
それでも、掠りもしなかった。
いや、その脚の半分ほどが、妖狼の爪の餌食となり、ずたずたに切り裂かれていた。
「かっ!!!」
太郎が吠える。圧倒していた。
「足りない……」
右羽。羽がさらに少なくなっていた。
黒之助の前に、もう一人の黒之助が。
透けていた。
印を解くと、自分の左羽を無造作に引きちぎる。
血が、流れた。
痛みに顔をしかめる。
羽が、黒之助の周りに散った。
印を、また組み直す。
赤い羽。
もう一人の黒之助に吸い込まれていく。
透明さが消え、寸分違わぬ姿になった。
黒之助が印を解き、肩を上下させる。
もう一人の黒之助も、肩を上下させた。
繋がった。
「これでいい」
妖狼をみた。黒之助にも、太郎の姿は捉える事が出来なかった。
灰色の烏天狗。
黒野丞。
「今、助ける」
黒之助が、走り出した。
黒野丞がそれに気付いた。
気付いても、どうすることも出来なかった。
妖狼が、身動きを取れなくさせていたのだ。
その動きは、神速。
絶えず新たな光が曳かれ、新たな傷が生じた。
妖狼は、黒之助の姿を捉えていた。
血がたぎる。
もっと強い新たな獲物。そう、思った。
餓えが、止まらない。
――少女の姿。
脳裏に映った。
正気に、戻った。
また、光の線を描き出した。
離れた場所で、天狗達は事の成り行きを見守っていた。
烏天狗が、灰色の烏天狗の胸から宝玉を抉り出すのを、三羽は見た。