小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~百華燎乱(6)~

「なんだありゃあ」
 妖狼が、いった。古寺から黒之助の臭いを辿り、木森原まで走ってきたのだ。
 奇妙な物が、その金銀妖瞳に映った。
 灰色の身体。
 黒い羽。
 顔半分が、人の顔――大きな瞳の男の顔――
 もう半分は、太郎のよく知っている妖の顔――烏天狗――
「……黒之助……」
 首のない烏天狗の屍。
 それを見ても、妖狼の表情に変化はなかった。
 天狗を、見やる。
 弱い。
 そう、思った。
 月――満月。
 燐光。
 薄く、笑った。
 妖狼が、『それ』の前に姿をみせた。
 先ほどと変わって、人の姿であった。
「さて、と」
 天狗達が、太郎を見て何か囁いていた。
 良くある事、だ。
 慣れは、しない。
 黒い怒り。それは、静かに、太郎の奥底に溜まっていく。
 牙を、かちりと鳴らす。
 黒野丞だったものが、妖狼に背を向けた。
 烏天狗の屍に近づく。
 それを持ち上げると、ごつごつとかぶりついた。
「おいおい……なんだあれは」
 太郎は、自分の足下に、そう、いった。
「……化け蜘蛛よ」
 声がした。男の声だった。
 天狗達がぎょっとなる。
 黒野丞が妖狼に向き直った。
 屍。
 喰われていた。
 血は出ていない。
 中身が、なかった。
 地が、盛り上がる。
 土が、噴き上がる。
 枯れ草が、流れる。
 烏天狗が、その姿を現した。
 黒野丞が喰らっていた屍。
 煙を起こすとそれが消え、代わりにひらひらと大量の黒い羽が零れた。
 精巧な身代わり。
 式の一つ、であった。
 黒之助が古寺で覚えた術である。
 糸に包まれた時、式を置いて自分は地中に潜ったのだ。
 そうしたほうがよいと、誰かが黒之助の耳元で囁いたのだ。
「よう」
 太郎が、いった。
 片手を挙げる。
「……どうしてここへきた?」
 黒之助がいった。
「どうしてって……」
 にこにこしつつ、拳を固める。
 次の瞬間、黒之助が殴り飛ばされていた。
 天狗達が固まっている。
 黒野丞も。
 ひらひらと、太郎が左手を振る。
 烏天狗が、ぷっと、血の混じった唾を吐いた。
「……太郎殿?」
 怒気。大きく膨らんだ。
 太郎は平然としていた。
「姫様を悲しませるなと、俺は言ったはずだが?」
「……悲しんでいたか?」
 そして、怒気は大きく萎んだ。
「心配してたぞ」
「……優しいな」
「そんなことは分かってたろうによ。それで、あれは?」
 太郎が、黒野丞を指差した。
 奇っ怪な物は、静止している。
 風も止まっている。恐れを、なしたように。
 灰色の肉が、何かを形作ろうと動いていた。
 天狗達。
 いなくなっていた。
 様子見か。
 妖狼は、そう、思った。
「黒夜叉という男の話を覚えているか?」
茨木童子様に一つ目の大傷を負わせた男、だな」
「うむ。その男と、同じよ」
「……言ってる意味がわからん!」
 目を細め、そう言い放った。
「……お前、あのとき話をちゃんと聞いていなかったのか?」
「聞いた。けど、いちいち、覚えていられるか」
 太郎らしいと、黒之助は笑った。
 右羽。血が零れる。
 羽がごっそりなくなっていた。
「まぁいい。胸の宝玉、あれを滅したい」
「……殺せばいいだろう」
「……それは、出来ない」
「ふぅん。じゃあ、勝手にすればいい」
「ああ……あれは、拙者の……」
 黒野丞の姿。色は違えど、それは烏天狗の姿であった。
 宝玉は、力を与えない。
 代わりに、取り憑いた者の欲を引き出す。
 憧れという、欲を。
 そして、それに成り代わらせようとする。
 黒夜叉が憧れたのは、鬼の王、であった。
 黒野丞が、憧れたのは……求めていた、力の象徴。
「くっ……」
 足がもつれた。傷があるのだ。
 目には、見えない傷が。
 式と心を繋げていた。だから、式は術を使う事が出来た。
 一心二体。
 式が喰われたとき、黒之助も喰われたのだ。
「そんななりでどうするんだ」
「うるさい」
「馬鹿だな、お前」
 太郎が、いった。黒之助の背中を、叩いた。
「俺に頼めよ。友達、だろ」
「……友……」
「頼む、その一言で、いいんだ。クロの言うとおりに、動いてやるさ」
 今宵は、満月だ。
 暴れるには、良い日だ。
「……頼む」
「わかった」
 それで、いいんだ。そう、笑った。
 太郎が、その瞳を輝かせる。
 爪が、鋭く伸びていた。
 腕を振る。空気を裂く。
 半人、半妖。
 金銀妖瞳が、狂喜を帯びる。
「で、どうすりゃいい。殺しちゃ駄目なんだろ」
 大きく息を吐く。
 鼓動。
 血が、熱い。
「しばらく、引きつけてくれ。胸の宝玉に触らないようにな。触れば、太郎殿も乗っ取られるぞ」
 なるほど、乗っ取られたのか。
「わかった」
 首を、こきこきと鳴らす。
 呼気。
 白い。
 顔が、笑っていた。
 目は、笑っていない。
 黒野丞。惚けたようにそこに佇んでいた。
「その間に、拙者が片を付ける」
 黒之助が、印を組んだ。
 太郎が、黒野丞に躍り掛かった。



 気まずい。
 そう、葉子は思った。
 咲夜も、そわそわ。
 姫様、上の空。もう、爪は噛んでいない。
 気まずい。本当に、気まずい。
 う……胃が、きりきりと痛むよ。
「……あ!」
 姫様が、急に立ち上がった。
「ど、どうしました!?」
「明日、朱桜ちゃん来るんだった……お掃除!」
 すっかり忘れてた。
「……あ!」
 小さく叫ぶと、葉子が姿を消した。
 古寺のあちこちで、妖達の悲鳴が上がり始める。
 銀狐が駆け巡っているのだ。
「お掃除……うん、お掃除……」
 姫様が、ぶつぶつ呟きながら歩き出す。
「わ、私もやります!」
 咲夜が、声をかけた。
「咲夜ちゃん、いいよ。お客様だし」
「いえ! 是非やらせて下さい!」
「そう……じゃあ、お願いしますね」
「はい!」



 身体が軽い。
 妖狼の、性、か。
 太郎が苦笑する。自分は、妖狼なのかと。
 未だ、自分は追放された身だ。
 それは、妖狼であって妖狼にあらず。
 すぐに気を引き締める。
 集中しなければ、あの時と同じになる。
 それは、嫌だ。
 光の線が、黒野丞の周りに幾つも幾つも曳かれていた。
 黒野丞は何も出来なかった。
 闇雲に両腕を振り回す。
 だが、当たらない。
 自分の傷が増えるだけだ。
 くぐもった唸り声をあげた。
 全身から、蟲の脚を出す。
 八本ではなかった。
 蜘蛛よりも、それは百足というべきで。
 それでも、掠りもしなかった。
 いや、その脚の半分ほどが、妖狼の爪の餌食となり、ずたずたに切り裂かれていた。
「かっ!!!」
 太郎が吠える。圧倒していた。
「足りない……」
 右羽。羽がさらに少なくなっていた。
 黒之助の前に、もう一人の黒之助が。
 透けていた。
 印を解くと、自分の左羽を無造作に引きちぎる。
 血が、流れた。
 痛みに顔をしかめる。
 羽が、黒之助の周りに散った。
 印を、また組み直す。
 赤い羽。
 もう一人の黒之助に吸い込まれていく。
 透明さが消え、寸分違わぬ姿になった。
 黒之助が印を解き、肩を上下させる。
 もう一人の黒之助も、肩を上下させた。
 繋がった。
「これでいい」
 妖狼をみた。黒之助にも、太郎の姿は捉える事が出来なかった。
 灰色の烏天狗
 黒野丞。
「今、助ける」
 黒之助が、走り出した。
 黒野丞がそれに気付いた。
 気付いても、どうすることも出来なかった。
 妖狼が、身動きを取れなくさせていたのだ。
 その動きは、神速。
 絶えず新たな光が曳かれ、新たな傷が生じた。
 妖狼は、黒之助の姿を捉えていた。
 血がたぎる。
 もっと強い新たな獲物。そう、思った。
 餓えが、止まらない。
 ――少女の姿。
 脳裏に映った。
 正気に、戻った。
 また、光の線を描き出した。
 離れた場所で、天狗達は事の成り行きを見守っていた。
 烏天狗が、灰色の烏天狗の胸から宝玉を抉り出すのを、三羽は見た。