あやかし姫~百華燎乱(16)~
「……私は……私は……」
「八霊殿」
「ぬ?」
「すみませぬが、力を貸して頂けませんか」
土蜘蛛の翁を、頭領が意外そうな顔で見た。
愛想を尽かしたのではなかったのかと。
「この娘は、まだ若輩者ゆえ……」
それは、よくわかった。
「翁……」
「先ほど、土蜘蛛を引き払わせるというたではないか」
頭領が、いった。
「確かに言いました。それは、実行します」
「そんな……」
雪妖の女王。
鬼姫と同じく、今の様子は、子供だった。
ぺたんと腰を落とすと、虚ろな視線を翁に投げかけた。
「おぬし、雪妖の長であろうが。もっとしっかりせぬか」
頭領がたしなめるように。
女王は、何も答えない。
ただ、不安げに翁を見上げていた。
「……翁」
「申し訳御座いません……その……まだ、代替わりして日が浅いのです。幼き身には、少々、荷が重いのです」
「その結果が、これか?」
「わ、私だって、必死なんだ!」
女王が、突然声を張り上げた。
頭領が、女王を見下ろす。
蛇のような、視線であった。
女王が息を呑む。
畏れを、抱いたのだ。
心の奥底で、静かに畏れを。
氷が、音をたてた。
水の流れ。
氷を少しずつ削っていく。
「それで?」
「……こんなこと、したくなかった……でも、巫女が姿を消して……鬼と一緒に消えたと知った民を、押さえきれなくて」
「雪妖が、本気で鬼に抗することが出来ると思っているのか?」
また、氷が音をたてた。
女王が、その視線を水面に落とす。
まだ、頭領が何者なのか、女王は知らない。
――ただ、自分より上位の存在だと思った。
「そう考えている者が多い……先代は、手緩かったとも……」
「おぬしは、どう考えている?」
「私は……先代を尊敬している」
真っ直ぐに、頭領を見据えた。
「なるほど……」
先代の雪妖の女王が、悪路王の乱のすぐ後、混沌としていた北の情勢が安定するように尽力した。
鬼。
土蜘蛛。
雪妖。
もし彼女がいなければ、鈴鹿御前は気ままに古寺に遊びに行く事など出来なかったろう。
「おぬしは、どうしたいのだ?」
「私は……民を、守りたいだけだ」
「ならば、最初から」
「しょうがなかった! 元々、その気配はあったのだ。本当は、巫女のこともきっかけにすぎない……あのまま、私が押さえきれなければ……雪妖は、分裂した。私の、力のなさだ。それでも……私は、女王なのだ」
「……翁は、どうする?」
「他の土蜘蛛は帰します。しかし、儂は、このまま残りましょう。鈴鹿御前には悪いですが、乗りかかった船です」
大妖が、まだ、自分を見捨てずにいてくれる。
恐ろしい過ちを犯した自分を。
心強かった。
「……そうか。では、儂もこちらに残るか」
「八霊殿」
「まあ、顔を突っ込んだ手前なぁ。儂は傍観者ゆえ、ありといえばありじゃろう。ぬし、一段落したら、鈴鹿御前に謝るのだぞ」
「わかりました……そなた」
「ぬ?」
「何者じゃ?」
女王が、そう、いった。
頭領が含み笑いを。
そういえば、言ってなかったと。
「そうじゃな……古寺の頭領、じゃよ」
頭領が、そう、いった。
古寺という国があるのかと、女王は思った。
「頭領、ですか……」
「……おい」
景色が、一変した。
立ちこめる、薄青幕の妖気。
雪妖のいた場所を、覆い尽くした。
翁が、丸い躰で女王の躰に覆い被さった。
咆吼。
狂おしい、空気を裂く、咆吼。
鬼。
大きな、鬼。
大獄丸より、さらに大きな、鬼。
妖気の霧の中に、いた。
何かを、右手に抱えている。
白髪の、女。
女王が、土蜘蛛のふわふわの毛に涙を流した。
それは、恐怖から生まれた涙だった。
火羅が、にっこりと笑った。
白無垢姿。
よく、似合うだろうと思った。
葉子さんやクロさんがお祝いしている。
咲夜ちゃんや磨夜さんが、涙を流している。
道三さんが……そっと、太郎さんの耳元で、おめでとうといった。
太郎さんが、あるかなしかの微笑を浮かべた。
そこに……
自分の姿は、なかった。
「もう、いいよ……」
それは、湧いてくる。
勝手に、勝手に。
想いが、溢れて、止まらなくて。
手に薬を塗った姫様。
少し、ひりひりした。
でも、それよりも、胸が痛かった。
「もう、いいって……」
会話。
廊下に、聞こえた。
火羅の、言葉。
姫様がそれを聞いた。
立ち止まる。
姫様が、冷笑を浮かべた。
そして……
姫様の姿が、古寺から消えた。
「八霊殿」
「ぬ?」
「すみませぬが、力を貸して頂けませんか」
土蜘蛛の翁を、頭領が意外そうな顔で見た。
愛想を尽かしたのではなかったのかと。
「この娘は、まだ若輩者ゆえ……」
それは、よくわかった。
「翁……」
「先ほど、土蜘蛛を引き払わせるというたではないか」
頭領が、いった。
「確かに言いました。それは、実行します」
「そんな……」
雪妖の女王。
鬼姫と同じく、今の様子は、子供だった。
ぺたんと腰を落とすと、虚ろな視線を翁に投げかけた。
「おぬし、雪妖の長であろうが。もっとしっかりせぬか」
頭領がたしなめるように。
女王は、何も答えない。
ただ、不安げに翁を見上げていた。
「……翁」
「申し訳御座いません……その……まだ、代替わりして日が浅いのです。幼き身には、少々、荷が重いのです」
「その結果が、これか?」
「わ、私だって、必死なんだ!」
女王が、突然声を張り上げた。
頭領が、女王を見下ろす。
蛇のような、視線であった。
女王が息を呑む。
畏れを、抱いたのだ。
心の奥底で、静かに畏れを。
氷が、音をたてた。
水の流れ。
氷を少しずつ削っていく。
「それで?」
「……こんなこと、したくなかった……でも、巫女が姿を消して……鬼と一緒に消えたと知った民を、押さえきれなくて」
「雪妖が、本気で鬼に抗することが出来ると思っているのか?」
また、氷が音をたてた。
女王が、その視線を水面に落とす。
まだ、頭領が何者なのか、女王は知らない。
――ただ、自分より上位の存在だと思った。
「そう考えている者が多い……先代は、手緩かったとも……」
「おぬしは、どう考えている?」
「私は……先代を尊敬している」
真っ直ぐに、頭領を見据えた。
「なるほど……」
先代の雪妖の女王が、悪路王の乱のすぐ後、混沌としていた北の情勢が安定するように尽力した。
鬼。
土蜘蛛。
雪妖。
もし彼女がいなければ、鈴鹿御前は気ままに古寺に遊びに行く事など出来なかったろう。
「おぬしは、どうしたいのだ?」
「私は……民を、守りたいだけだ」
「ならば、最初から」
「しょうがなかった! 元々、その気配はあったのだ。本当は、巫女のこともきっかけにすぎない……あのまま、私が押さえきれなければ……雪妖は、分裂した。私の、力のなさだ。それでも……私は、女王なのだ」
「……翁は、どうする?」
「他の土蜘蛛は帰します。しかし、儂は、このまま残りましょう。鈴鹿御前には悪いですが、乗りかかった船です」
大妖が、まだ、自分を見捨てずにいてくれる。
恐ろしい過ちを犯した自分を。
心強かった。
「……そうか。では、儂もこちらに残るか」
「八霊殿」
「まあ、顔を突っ込んだ手前なぁ。儂は傍観者ゆえ、ありといえばありじゃろう。ぬし、一段落したら、鈴鹿御前に謝るのだぞ」
「わかりました……そなた」
「ぬ?」
「何者じゃ?」
女王が、そう、いった。
頭領が含み笑いを。
そういえば、言ってなかったと。
「そうじゃな……古寺の頭領、じゃよ」
頭領が、そう、いった。
古寺という国があるのかと、女王は思った。
「頭領、ですか……」
「……おい」
景色が、一変した。
立ちこめる、薄青幕の妖気。
雪妖のいた場所を、覆い尽くした。
翁が、丸い躰で女王の躰に覆い被さった。
咆吼。
狂おしい、空気を裂く、咆吼。
鬼。
大きな、鬼。
大獄丸より、さらに大きな、鬼。
妖気の霧の中に、いた。
何かを、右手に抱えている。
白髪の、女。
女王が、土蜘蛛のふわふわの毛に涙を流した。
それは、恐怖から生まれた涙だった。
火羅が、にっこりと笑った。
白無垢姿。
よく、似合うだろうと思った。
葉子さんやクロさんがお祝いしている。
咲夜ちゃんや磨夜さんが、涙を流している。
道三さんが……そっと、太郎さんの耳元で、おめでとうといった。
太郎さんが、あるかなしかの微笑を浮かべた。
そこに……
自分の姿は、なかった。
「もう、いいよ……」
それは、湧いてくる。
勝手に、勝手に。
想いが、溢れて、止まらなくて。
手に薬を塗った姫様。
少し、ひりひりした。
でも、それよりも、胸が痛かった。
「もう、いいって……」
会話。
廊下に、聞こえた。
火羅の、言葉。
姫様がそれを聞いた。
立ち止まる。
姫様が、冷笑を浮かべた。
そして……
姫様の姿が、古寺から消えた。