小説置き場2

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あやかし姫~百華燎乱(終)~

「ごめんなさい」
 火羅が、冷たい床に額を擦り付けた。
 木の板。木目。
 咲夜が、
「い、いえ」
 そう首を振って、火羅に近づく。
 その様子を背に、用は済んだと姫様が離れていく。
 古寺にいるもう一人の妖狼。
 太郎は、咲夜から離れなかった。姫様に、ついていかなかった。
 火羅は、姫様が離れるのに気が付いた。
 床に垂れた赤髪の後ろで、それを見ていた。
 姫様が、ふと振り返る。視線が重なる。
 姫様は、冷ややかな表情を崩さなかった。
 火羅は、唇の両端を、くいっと釣り上げた。
 姫様の黒髪が、靡いた。
 もう、後ろは見なかった。
 廊下。
 鬼が、二人いた。
 道の真ん中に立っていて。
 歩いてゆく。
 立ち止まる。
「……彩花さま」
「朱桜ちゃん」
「いいんですか? 火羅のこと。これで、いいんですか?」
 呼び捨て、であった。
「俺が、殺ってもいいが」
 酒呑童子が、いった。
 まるで、羽虫を捻り潰すような、軽い言い方。
 朱桜が、少しむっとした。
 自分の父親を見る。
 酒呑童子は、朱桜に、にっと笑いかけた。
 そして、
「俺も朱桜も、彩花ちゃんに任すと決めた。八霊がいない今、それが、良いだろうとな」
「じゃあ、いいですよね。反省してるみたいですし。このまま」
「それで、いいのか?」
 ええ、と、姫様が頷いた。
「だとさ」
「……彩花さま、優しすぎですよ」
「え?」
「あれは、私と咲夜ちゃんを襲ったですよ」
「……その分、酒呑童子さんに殴られたよ」
「それは、そうですけど……いいんですか? 彩花さまは、それで?」
 朱桜は、黒之助と一緒にいた。あのとき、どんな話がなされたのか知らないのだ。
 教えてもらえなかった。
 それでも、火羅が姫様に何か言ったのだと確信していた。
 だから、姫様は古寺から姿を消していたのだと。
「うん。十分でしょう。火羅さん、十分痛い思いしたよ」
「……私は、やっぱり優しすぎだと思います」
「いいじゃない」
「彩花さま……」
「優しい私で、いさせてよ」
 そういって、姫様は朱桜の額に、その手を置いた。



「やはり、社におられましたか」
 雪の、大龍。自らの地。
 巫女が住んでいたお社。
 そこに、いた。
 一つ、人影。
 翁が大龍を見やる。
 頭領、であった。
「寂しい所じゃな」
 身体を一震いさせる。
「寒くも、ある」
「我は、貴殿のいわれたとおりに述べた」
「そうであろうな。でなければ、八つ裂きにされておる」
「我は、八百万の」
「例え八百万の神であっても、お主程度では大妖たる鈴鹿御前には、勝てぬ。阿蘇の火龍で学んでおろう」
「貴殿なら」
「何故、助ける? わざわざ助ける気はない」
「……酷い、お人だ」
「……巫女は、いれば良いのだ。社に留まれとはお主と雪妖との盟約にはなかった」
「確かにそうではあります」
「まあよい。お主は、儂のいうとおりに事を進めた。これで用は済んだ」
「助けられた、のでしょうな」
「お主は聞き分けが良い。阿蘇の火龍とは違う。これからも、そのままでいよ。くれぐれも滅びを招くな」
「御意に、ございます」
「……帰るか」
 古寺で、ゆっくりと休みたい。
 ここは、寒い。
 心が、休まらない。
 面倒事は、嫌いだ。
 それに……古寺の騒がしい妖達と姫様が、恋しくなっていた。



「それじゃあな」
「またです、彩花さま、咲夜ちゃん、葉子さん、クロさん、太郎さん、皆さん」
 一気に紡いだのでぜーはーぜーはー。
 おお、っと鬼の王は、目を丸くした。
 火羅は、出てきていない。
 朱桜も、見送りなどご免だった。
 それは、心の深い部分で火羅の事を嫌っていたから。
「ごめんね、なんだか色々あって。全然、遊べなくて」
「いいのです。次は、彩花さまが鬼ヶ城に来て下さいです。ね、父上」
「うむ、歓迎するぞ」
「そうするね。うん!」
「はいです! あ、クロさん。お大事にですよー」
「はい」
 黒之助が、白く包まれた羽を少し動かした。
 鬼馬が宙に浮かぶ。
 朱桜が、酒呑童子に振り落とされないようにとしがみつく。
 蹄が空を踏む。
 ばいばいと。
 またねと。
 鬼の親娘が、古寺から遠く離れていく。
「帰っちゃった」
 葉子が、いった。
 姫様が、葉子の肩に頭を寄せた。
 葉子、もたれ掛かられて。
 微笑を、浮かべた。
「それじゃあ、私も」
 咲夜が、いった。
 小さな、妖狼が煙と共に姿を見せる。
「そうか……」
 巨大な妖狼が、咲夜に近づく。愛おしそうに額を擦り寄せた。
「もう少し、いてもいいんだ」
「ちょっと、長居し過ぎしちゃったんです。また、怒られちゃいます」
 舌を、ちろりと出した。
「あに様、今度会うときは私一人じゃないです。……だと、いいです」
「……ああ」
「咲夜ちゃん、またね」
「はい。彩花ちゃん。あに様の事、宜しくお願いします」
「……うん」
 咲夜も、闇に消えていく。
 気を付けてねー、っと。
 足音が遠ざかり、音が消えて。
 ばらばらと、妖達が建物の中へ。
 客人は、あと一人。
 姫様は、相変わらず葉子にもたれ掛かっていて。
 眩しいと、月の光に、目を細めた。
「ん?」
 入ろうとした黒之助が、先に行っていた妖に手紙を渡されて。
 『火羅』の二文字。
「探せ」
 そう、静かにいった。
 姫様の、元へ。太郎が鼻を動かした。
「火羅さんから?」
 黒之助に目をやることなく、そう、いった。
 葉子が、その言葉に目を見開いた。
 姫様が冷たかった。今まで、暖かだったのに。
 鼓動を、落ち着かせる。
 姫様を、恐る恐る見る。
 目を、瞑っていた。
 葉子は、姫様の頭をゆるやかに愛しげに撫でた。
「クロさん、読んで」
「御意……帰ります。お世話になりました。また、会いに来ます」
「それだけなのか?」
 太郎が、くぐもった声をだした。
「ああ」
 妖が、黒之助に耳打ちを。
 そうか、もういい。そう、いった。
「姫さん、火羅は」
「さっき、帰っていったね」
「姫様、気付いてたの?」
 葉子が、手の動きを止めた。
「そうだね」
 黒之助が、太郎に視線を落とす。
 太郎が、首を振る。
 黒之助も、首を振る。
 気が付かなかった。
 三人とも。
「……古寺に、入ろう。頭領も帰ってきましたし」
「え」
「……今、帰ったぞ」
 ぼんやりと、人の形をした白い物が現れる。
 頭領、であった。
 また、気が付かなかった。
 姫様だけが、気が付いた。
「……黒之助、その傷、一体どうしたのじゃ?」
 んぬ、っと、頭領が。
「儂のおらぬ間に、太郎と喧嘩でもしたのか?」
「……頭領、拙者が太郎殿に遅れをとることなどありません」
「……クロ、それはどういうことだ」
「そのまま、よ」
「お前」
「はい、おしまい! 二人とも、喧嘩しないでね!」
 姫様が、いった。
 二人、しばらく睨みあうも、姫様の言葉に矛を下ろす。
「彩花、変わりなかったか」
 頭領が、いった。
「そうですね……お話しする事が、山ほどあります」
 姫様は、微笑みながら、そう、いった。



 満月。
 いや、少し欠けがある。
 円を、空が、ちょこっとかじって。
 白々と、闇が明けてゆく。
 朝と夜の、丁度境界。
 古寺の庭。
 妖狼。
 冬の、お月見。
 身を乗り出す。
 月に、手を伸ばす。
 金銀妖瞳。紅い灯火が宿っていた。
 突然、耳をぴくりと立てる。
 後ろを振り向く。
「姫様?」
 姫様が、いた。
 薄い、白い、夜着。その上に、白い着物を羽織っていた。
 澄んだ瞳。
 太郎は、姫様に近づく。姫様は、その場から動かなかった。
「寒いぞ。風邪、引くぞ」
 人の姿になる。
 縁側に、腰を下ろす。
 金銀妖瞳は、そのままであった。
 大きな、白い尾。
「ん」
 姫様に差し出す。
 姫様も、腰を下ろした。太郎の白い尾を、膝掛け代わりに。
「……色々、あったね」
「そうだな」
「まだ、頭領に話し終わらないよ」
 姫様、月を見上げた。
「頭領の話も、聞かないとな」
「そうだね。光君のことも、茨木童子さんのことも……ねえ、太郎さん」
「何だよ」
「私は、人に見える?」
 何の冗談かと、妖狼は笑みを浮かべ姫様を。
 姫様は、真面目な顔であった。
「……見える」
 妖狼は静かに、そう、答えた。
「そっか。そうだよね。ご免ね、変な事聞いて。うん、やっぱり私はここが良い。ここが、一番好き」
 姫様が、太郎に躰を預けた。
「俺も、ここが良い」
「一緒だね」
「ああ」
「みんな、一緒だよね」
「そうだな。頭領も、『お母さん』も、クロも、皆、そうだ」
 ふふっと、姫様が笑った。
 眩しい。
 陽よりも、月よりも。
 そう、妖狼は思った。
 


 また、あやかし姫の平穏で騒がしい一日が繰り返される。
 
 ゆるやかにゆるやかに形を変えながら、大切な日々は、続いていく。

 あやかし姫。

 優しい、妖達。

 古寺の刻は、弛まなく淀みなく流れていく。