紀霊伝ノ6~白装束~
「というわけで、袁紹様が、お二方に次の会議にお出になるようにと」
「……」
「……」
黙って、顔を見合わす男と女。
袁術。
紀霊。
袁紹の命を伝えた顔良は、少々汗を掻いていた。
それがまた、紀霊の不安を誘う。
袁術は、落ち着いたものだった。
覚悟、していたのだろう。
「あの、私は」
楽就。紀霊の副官を務めた若者。
今は、袁術の従者兼護衛兼看護係。
ようは、使いっ走りである。
「うーん、楽就殿は、呼ばれてないですね」
「はぁ……」
「何、別にお二方に害を為すわけではありませんし! どうか、肩の力を抜いて! ほら、三尖刀なんて持たないで!」
三尖刀。
もう、直っていた。
「すまない……だが、もし袁術様に災いを及ぼすならば……例え、袁紹様」
顔良の顔色が、変わった。
「それ以上は、言いなさんな。いくら俺でも、看過出来ませんぜ」
「紀霊」
「それは、わかっています。わかって」
「紀霊殿!」
顔良が、声を荒げた。
それを、紀霊は真正面から受け止めた。
圧力。
迫力。
昔と、同じだと思った。
顔良も文醜も、袁紹のためなら命だって捨てられる。
自分とは、違う。
「とにかく、伝えました。よろしくお願いします」
「命令、なのか?」
「……袁紹様は、絶対に、だと」
「わかった。そう兄上に伝えてくれ」
「はい」
顔良が退出していく。
扉が閉められる。紀霊が、椅子に力無く座った。
「そう、気を落とすな。何も悪い方に考えることはなかろう」
「……袁術様」
「少し、ひやっとしたぞ。相手は、顔良だ。あれはあらっぽいからな。ここで一戦交えるのかと思った」
「……その覚悟はあります。例え、文醜殿でも」
「お前は、兄上を信じられないのか?」
「……でも」
「なんだ?」
「顔良の様子が、明らかにおかしかった。あれは、何か隠し事をしています」
「そうだな」
「……落ち着いているのですね」
「楽観的、なのかな」
「私は、悲観的過ぎるのでしょうか……」
「どうで、あろう」
「……心配なのです。いつも、いつも。消えないのです。私は、弱い人間です。いつも、怯えている」
「そうか、紀霊でも、か」
袁術が、薄く笑った。
そんな笑みを見せないで、ください。
私は、恐がり、なのです。
「なるようにしか、ならぬ」
どこか、袁術は達観していた。
「……もっと、強ければ……」
「お前は、十分強い」
「袁術様……」
あー。
二人の世界に入っちゃったよと楽就は思った。
「やっほ、袁術!」
袁紹が玉座で手を振っていた。
絢爛とした大広間に居並ぶ袁紹配下。
武で仕える者も、文で仕える者も、皆集まっているようであった。
袁術は宮廷にあがるときに着ていた着物を。
紀霊は戦装束をしていた。それを見て、何人かが眉をひそめる。
それを無視して、紀霊は袁術に付き従った。
護衛の兵が、武器を手放すよう言う。
それを、無言で拒絶した。
広間が、騒がしくなる。
無礼だ。そんなことはわかっていた。それでも、やめるつもりはなかった。
袁術も止める気はなさそうであった。
袁紹が、手のひらでしっしと合図を送る。
「よい」
と。
大広間に入る。
顔良と文醜は、むっつりと黙り込んでいた。
田豊は、いつもと変わらないように見えた。
「紀霊」
袁紹が、言った。
「随分と物々しいね」
くすりと笑みを交えて。
もう、腹は据わった。それでも、鎧の中は、意に反している。
「はい。私は、袁術様の矛であり、盾でありますから」
「なるほど……って、そんなこと今更言わなくてもわかってるよ。僕と紀霊とも、つき合いは長いんだから。……全然、気付かなかったけど」
「袁術様にも、気付かせませんでした」
「お見事」
この声は、田豊殿。
「だよね。本当に、お見事。でも、どうして?」
「あ。はい?」
「兄上?」
「どうして、女の子だって言わなかったの? ずっと、不思議に思ってたんだ」
「……それは……その」
「知りたいな」
この目。私を、見透かすような……
私は、時折思うのだ。
袁紹様は、怖い人だと。
「……裏切りたくなかったのです」
広間は、しんと静まりかえっていた。
男装の武者の声が、朗々と響いた。
「私は、袁術様と男として出会いました。袁術様は、私のことを男として見ていた。そんな袁術様に、女だと打ち明けて……裏切って、傷つけて、捨てられるのが」
もう、離れたくなかった。
「……よく、わかんないや。袁術は、女の子だって知って、どう思った?」
「……好き、だと」
どうして、こんな衆目の場で、こんな恥ずかしくて……ちょっと嬉しいことをと紀霊は思った。
「……うん」
立ち上がる。
つかつかと近づいていく。
剣を、腰に。
ただ、一人で。
「袁術のこと、よろしくね。結婚、してくんないかな」
「……はい?」
「あ、式の用意はこっちでしたから」
いや、グッ! じゃなくて。
顔良殿も文醜殿も田豊殿も、グッ! じゃなくて。
「いや、胸の支えは……まーったく落ちてないんだけどさ。もう、いいや。甄洛」
「はいはーい、お父上♪」
えーっと、あのひらひらしてるのは……
花嫁衣装(うえでぃんぐどれす!?)
うわー、熱のせいでくらくらしてきた。
「あの、兄上……」
「大丈夫! ばっちしだから!」
「……なにが?」
「え、だって二人はそういう関係でしょ?」
……いや、ひゅーひゅーじゃないから、淳于瓊殿。
あとでしばくよ高覧殿。
ちょ、軍師さん達、何飾り付け始めてるんですか!
「……はぁ」
み、認めないでください!
いや、認めてほしいですけど……
「うーん、サイズはぴったりだと思いますわ、紀霊姉様。この私の目に、狂いはございません!」
「さすが人間メジャー!」
「いやですぅ、審配様! この上から」
……。
え、甄洛さん、なに、正確に。
え、皆聞いちゃった?
……なにこれ? どういう罰?
みんな手、止まってるし顔赤いし。
「……そうだったのか」
「……え、袁術様ー!(;-;)」
袁術様は、ふーんっと。
袁術様……平然としていますね。
「あれ、あれれ?」
甄洛様、不思議そうにひらひらさせてます。
本当に、甄洛様は素直で良い娘です。
……素直で……
「……甄洛、やりすぎ」
袁紹様が、言いました。
「ふ、ふぇぇ?」
もう、お嫁に行けません。
し、死にたい。
どうせ、私は!
ピー(以下略)
「……えっと、今なにか聞こえたっけ?」
「さ、さあ?」
「最近、耳が遠くてのぅ」
「だよね。聞こえたやつは、死刑」
「はーい」
スンスン……
クスン。
甄洛様にすら負けてますよーっだ!
まだ、甄洛様は十四歳なのに!
なのに……
「紀霊……」
「はい!?」
しまっ!
袁術様を睨み付けてしまいました。
でも、そんな睨みはどこ吹く風。
袁術様は真剣な表情で私を見てきます。
「……結婚、してくれるのか?」
「……」
「そんなこと、一度も言ったことなかった。当たり前のように、紀霊がそばにいたから。はっ、しまらないな。恨みます、兄上」
「私も、恨みます。一生、恨みます」
「……」
「……一生、袁術様の傍で、恨みます」
「あれー、恨むなら甄洛」
「袁術様、私の花嫁衣装、しっかりと見ておいて下さいね」
「……結婚、してくれるのか?」
同じ、言葉。
心地酔い、言葉。
「どこまでもお供する、そう、誓ったはずです」
そう言うと、紀霊は満面の笑みを浮かべた。
「……」
「……」
黙って、顔を見合わす男と女。
袁術。
紀霊。
袁紹の命を伝えた顔良は、少々汗を掻いていた。
それがまた、紀霊の不安を誘う。
袁術は、落ち着いたものだった。
覚悟、していたのだろう。
「あの、私は」
楽就。紀霊の副官を務めた若者。
今は、袁術の従者兼護衛兼看護係。
ようは、使いっ走りである。
「うーん、楽就殿は、呼ばれてないですね」
「はぁ……」
「何、別にお二方に害を為すわけではありませんし! どうか、肩の力を抜いて! ほら、三尖刀なんて持たないで!」
三尖刀。
もう、直っていた。
「すまない……だが、もし袁術様に災いを及ぼすならば……例え、袁紹様」
顔良の顔色が、変わった。
「それ以上は、言いなさんな。いくら俺でも、看過出来ませんぜ」
「紀霊」
「それは、わかっています。わかって」
「紀霊殿!」
顔良が、声を荒げた。
それを、紀霊は真正面から受け止めた。
圧力。
迫力。
昔と、同じだと思った。
顔良も文醜も、袁紹のためなら命だって捨てられる。
自分とは、違う。
「とにかく、伝えました。よろしくお願いします」
「命令、なのか?」
「……袁紹様は、絶対に、だと」
「わかった。そう兄上に伝えてくれ」
「はい」
顔良が退出していく。
扉が閉められる。紀霊が、椅子に力無く座った。
「そう、気を落とすな。何も悪い方に考えることはなかろう」
「……袁術様」
「少し、ひやっとしたぞ。相手は、顔良だ。あれはあらっぽいからな。ここで一戦交えるのかと思った」
「……その覚悟はあります。例え、文醜殿でも」
「お前は、兄上を信じられないのか?」
「……でも」
「なんだ?」
「顔良の様子が、明らかにおかしかった。あれは、何か隠し事をしています」
「そうだな」
「……落ち着いているのですね」
「楽観的、なのかな」
「私は、悲観的過ぎるのでしょうか……」
「どうで、あろう」
「……心配なのです。いつも、いつも。消えないのです。私は、弱い人間です。いつも、怯えている」
「そうか、紀霊でも、か」
袁術が、薄く笑った。
そんな笑みを見せないで、ください。
私は、恐がり、なのです。
「なるようにしか、ならぬ」
どこか、袁術は達観していた。
「……もっと、強ければ……」
「お前は、十分強い」
「袁術様……」
あー。
二人の世界に入っちゃったよと楽就は思った。
「やっほ、袁術!」
袁紹が玉座で手を振っていた。
絢爛とした大広間に居並ぶ袁紹配下。
武で仕える者も、文で仕える者も、皆集まっているようであった。
袁術は宮廷にあがるときに着ていた着物を。
紀霊は戦装束をしていた。それを見て、何人かが眉をひそめる。
それを無視して、紀霊は袁術に付き従った。
護衛の兵が、武器を手放すよう言う。
それを、無言で拒絶した。
広間が、騒がしくなる。
無礼だ。そんなことはわかっていた。それでも、やめるつもりはなかった。
袁術も止める気はなさそうであった。
袁紹が、手のひらでしっしと合図を送る。
「よい」
と。
大広間に入る。
顔良と文醜は、むっつりと黙り込んでいた。
田豊は、いつもと変わらないように見えた。
「紀霊」
袁紹が、言った。
「随分と物々しいね」
くすりと笑みを交えて。
もう、腹は据わった。それでも、鎧の中は、意に反している。
「はい。私は、袁術様の矛であり、盾でありますから」
「なるほど……って、そんなこと今更言わなくてもわかってるよ。僕と紀霊とも、つき合いは長いんだから。……全然、気付かなかったけど」
「袁術様にも、気付かせませんでした」
「お見事」
この声は、田豊殿。
「だよね。本当に、お見事。でも、どうして?」
「あ。はい?」
「兄上?」
「どうして、女の子だって言わなかったの? ずっと、不思議に思ってたんだ」
「……それは……その」
「知りたいな」
この目。私を、見透かすような……
私は、時折思うのだ。
袁紹様は、怖い人だと。
「……裏切りたくなかったのです」
広間は、しんと静まりかえっていた。
男装の武者の声が、朗々と響いた。
「私は、袁術様と男として出会いました。袁術様は、私のことを男として見ていた。そんな袁術様に、女だと打ち明けて……裏切って、傷つけて、捨てられるのが」
もう、離れたくなかった。
「……よく、わかんないや。袁術は、女の子だって知って、どう思った?」
「……好き、だと」
どうして、こんな衆目の場で、こんな恥ずかしくて……ちょっと嬉しいことをと紀霊は思った。
「……うん」
立ち上がる。
つかつかと近づいていく。
剣を、腰に。
ただ、一人で。
「袁術のこと、よろしくね。結婚、してくんないかな」
「……はい?」
「あ、式の用意はこっちでしたから」
いや、グッ! じゃなくて。
顔良殿も文醜殿も田豊殿も、グッ! じゃなくて。
「いや、胸の支えは……まーったく落ちてないんだけどさ。もう、いいや。甄洛」
「はいはーい、お父上♪」
えーっと、あのひらひらしてるのは……
花嫁衣装(うえでぃんぐどれす!?)
うわー、熱のせいでくらくらしてきた。
「あの、兄上……」
「大丈夫! ばっちしだから!」
「……なにが?」
「え、だって二人はそういう関係でしょ?」
……いや、ひゅーひゅーじゃないから、淳于瓊殿。
あとでしばくよ高覧殿。
ちょ、軍師さん達、何飾り付け始めてるんですか!
「……はぁ」
み、認めないでください!
いや、認めてほしいですけど……
「うーん、サイズはぴったりだと思いますわ、紀霊姉様。この私の目に、狂いはございません!」
「さすが人間メジャー!」
「いやですぅ、審配様! この上から」
……。
え、甄洛さん、なに、正確に。
え、皆聞いちゃった?
……なにこれ? どういう罰?
みんな手、止まってるし顔赤いし。
「……そうだったのか」
「……え、袁術様ー!(;-;)」
袁術様は、ふーんっと。
袁術様……平然としていますね。
「あれ、あれれ?」
甄洛様、不思議そうにひらひらさせてます。
本当に、甄洛様は素直で良い娘です。
……素直で……
「……甄洛、やりすぎ」
袁紹様が、言いました。
「ふ、ふぇぇ?」
もう、お嫁に行けません。
し、死にたい。
どうせ、私は!
ピー(以下略)
「……えっと、今なにか聞こえたっけ?」
「さ、さあ?」
「最近、耳が遠くてのぅ」
「だよね。聞こえたやつは、死刑」
「はーい」
スンスン……
クスン。
甄洛様にすら負けてますよーっだ!
まだ、甄洛様は十四歳なのに!
なのに……
「紀霊……」
「はい!?」
しまっ!
袁術様を睨み付けてしまいました。
でも、そんな睨みはどこ吹く風。
袁術様は真剣な表情で私を見てきます。
「……結婚、してくれるのか?」
「……」
「そんなこと、一度も言ったことなかった。当たり前のように、紀霊がそばにいたから。はっ、しまらないな。恨みます、兄上」
「私も、恨みます。一生、恨みます」
「……」
「……一生、袁術様の傍で、恨みます」
「あれー、恨むなら甄洛」
「袁術様、私の花嫁衣装、しっかりと見ておいて下さいね」
「……結婚、してくれるのか?」
同じ、言葉。
心地酔い、言葉。
「どこまでもお供する、そう、誓ったはずです」
そう言うと、紀霊は満面の笑みを浮かべた。