あやかし姫~転幻(後)~
「やっぱり、変です。ここは、いつもの古寺じゃないです」
「そうかい? いや、気のせいだよ」
妖が二人を眺めている。その視線に気がつくと、姫様は小さな手を振った。
手を振ってから、気味悪そうに葉子の顔を見る。
じっくりと見て、「葉子さんですよね……」と自信なさげに呟いて。
葉子は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ここ!」
書室。
そそっと入る。にこにこしながら、入る。
ええー、っと、落胆した声。
書棚には、難しそうな本がいっぱいで。
「……私の、本は?」
悲しそうに、肩を落として姫様は言った。
「これ、姫様の」
そう言って、ああと。
昔、いや、あたい達なら、最近、か。
山々と絵物語が棚に積んであって。
それを、幼い姫様に読んであげるのが日課になっていて。
いつからか、子供達に読んであげる側に回って。
「『姫様』の本は、こっちさね」
姫様の手を引いて、書室を出る。
その、隣。
の、隣の部屋。
そこに、『姫様』の本は置いてあった。
「あー!!!」
姫様が遊んだ玩具、読んだ絵巻物。
今は、村の子供達に貸したり読んだり。
部屋を一つ丸ごと使っていた。
姫様の、思い出。あたい達の、思い出。
目を、輝かせていた。きらきらと、きらきらと。
このころも、今も、それは、変わっていない。
背を思いっきり伸ばし、棚から一つ引っ張り出すと、姫様は葉子に近づいた。
袖を持つと、
「読んで」
そう、せがんだ。
心配そうに、そう、せがんだ。
くるくると、変わる表情。
万華鏡のように、くるくると。
にんまりと笑うと、銀狐はお話を朗々と詠い始めた。
「よしよし」
背中。
温かみと、重さがある。
寝息が、首筋をくすぐる。
「寝た、のか?」
「本当に、子供の頃の姫さんなんですな」
太郎と、黒之助。
むにゃむにゃと、銀狐の背で微睡む幼子を見て、そう、言った。
廊下。狐火が、舞う。
二人は、子供部屋の外で待っていたのだ。
「うん……やんちゃな姫様」
少なくとも、今の姫様は葉子の尾に噛みついたりしない。
「姫様、つい最近までやんちゃだったもんな」
くくっと。
それから、憮然とした表情を浮かべた。
自分にとっては最近でも、姫様にとっては、最近じゃない。
「一日、大変でしょうな」
うーんっと考える。
多分、そうなるだろう。
それも、悪くないや。
「……はあ」
葉子は、溜息を吐いた。
そうだった。
甘く見てた。
やんちゃなやんちゃな姫様。
朝から元気に駆け回って。
障子にぷすぷす穴を開けて、庭で泥団子作りをして、ぺたぺたと廊下に泥を落として。
障子は直せるけど、泥は、拭かないとしょうがない。
「ねえねえ」
「んー?」
姫様に、呼ばれた。
子犬を、引き連れている。
太郎じゃない。
「それは」
式を、呼び出せるんだ。
「犬さん犬さん」
嬉しそうに指さす。その手には、「白刃」と書かれていた。
「うん」
子犬。
葉子に近づくと、しゃーっと、かけた。
湯気が立つ。
わ-いと逃げていく。
葉子が、むきーっと追いかけて。
「……ここまで、やんちゃだったっけ?」
「……そうだった気がする。今は、おしとやかになったけれど」
追いかけっこ。
捕まえた! っと、葉子が一人と一匹を両腕に抱える。
それから、二人と一匹で笑い合った。
「そういや、毎日こんな感じだったな」
「……やれやれ」
「太郎、クロちゃん、一緒に日向ぼっこしてあげて。あたいは、ちょっと綺麗にするから」
「わかった」
声が、重なる。顔を見合わし、ぷいっと、背けた。
「やっぱり、月日は流れてるんだよな」
「……ええ」
それから二人は、姫様の元へと向かっていった。
葉子は、せっせと雑巾がけする頭領を見て、ぷっ、と吹き出してしまった。
ぱちりと、目を開ける。
夢を見ていた。
子供になった夢。
現実味のある、不思議な夢。
「まさかね」
姫様が、ほっと呟いた。
いくらなんでも、そんなこと……
でも……良い夢だった。
ふふっと笑う。
葉子さんにお話してあげよう。
そう思って、きょろきょろと葉子を探して、姫様は見つけた。
枕元の、絵巻物を。
さーっと、血の気が引いていくのがわかった。
「あれ……」
ここにそんな物を置いた記憶は、なくて。
いや、あるには、あるけど……
それは、違う。
手にとって、紐をほどく。
少し変色したそれは、夢の中で、寝付けないと言った姫様が、銀狐に読んでもらっていたお話で。
「えっと……」
混乱、していた。
そう、たしか――
夜。
喉が渇いたと目を覚ました姫様。
水でも飲もうかと、部屋を出る。
銀狐は、布団を撒き散らし、壁とおねんね。
道々、妖に布団をきちっと被せ直す。
灯りを手にして古寺を歩くと、宴の喧噪が嘘のよう。
台所で水を飲んで、思い立って居間に向かって。
少し、片づけておこうかと。
空の徳利を、集めていく。
かちゃかちゃと、音がする。
その中に一つ、まだちゃぷちゃぷと音を立てる物があった。
「うん……」
空の徳利をまとめて置いて、中身のある徳利を一本つまんで。
お酒は飲まない。
子供だからと、止められていて。
ちょっと、興味が起こった。
きょろきょろとして、杯にそっと手を伸ばした。
「子供じゃ……ないもん」
そう、もう、子供じゃない。
いつまでも、子供じゃない。
悪いことを、してる。
でも、ちょっとぐらいなら……
「子供じゃないもん」
もう一度、言った。
杯に、注ぐ。
匂い。
酒の良し悪しは、まだ、わからない。
それから、姫様は口を付けた。
後は……
「よく、覚えてない……」
まさか、本当に?
いや、そんなはずないよ。
「葉子さん」
いなかった。
あれっと、不思議に思った。
部屋を出て、廊下を歩いて。
妖はいるけど、妖がいない。
縁側で立ち止まる。
子供が三人、丸くなっていた。
「……」
徳利が一つ。
杯が三つ。
三人とも、面影がある。
そんな、馬鹿な。
一度頬をつねってから、姫様は大きな声で、助けを呼んだ。
ということは、あれは夢じゃなくて。
えっと……
姫様は、うわーっと顔を真っ赤に染めあげた。
くうくうと、そんな姫様を知ってか知らずか、三匹の妖の幼子は、春の風に微睡んでいた。
「そうかい? いや、気のせいだよ」
妖が二人を眺めている。その視線に気がつくと、姫様は小さな手を振った。
手を振ってから、気味悪そうに葉子の顔を見る。
じっくりと見て、「葉子さんですよね……」と自信なさげに呟いて。
葉子は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ここ!」
書室。
そそっと入る。にこにこしながら、入る。
ええー、っと、落胆した声。
書棚には、難しそうな本がいっぱいで。
「……私の、本は?」
悲しそうに、肩を落として姫様は言った。
「これ、姫様の」
そう言って、ああと。
昔、いや、あたい達なら、最近、か。
山々と絵物語が棚に積んであって。
それを、幼い姫様に読んであげるのが日課になっていて。
いつからか、子供達に読んであげる側に回って。
「『姫様』の本は、こっちさね」
姫様の手を引いて、書室を出る。
その、隣。
の、隣の部屋。
そこに、『姫様』の本は置いてあった。
「あー!!!」
姫様が遊んだ玩具、読んだ絵巻物。
今は、村の子供達に貸したり読んだり。
部屋を一つ丸ごと使っていた。
姫様の、思い出。あたい達の、思い出。
目を、輝かせていた。きらきらと、きらきらと。
このころも、今も、それは、変わっていない。
背を思いっきり伸ばし、棚から一つ引っ張り出すと、姫様は葉子に近づいた。
袖を持つと、
「読んで」
そう、せがんだ。
心配そうに、そう、せがんだ。
くるくると、変わる表情。
万華鏡のように、くるくると。
にんまりと笑うと、銀狐はお話を朗々と詠い始めた。
「よしよし」
背中。
温かみと、重さがある。
寝息が、首筋をくすぐる。
「寝た、のか?」
「本当に、子供の頃の姫さんなんですな」
太郎と、黒之助。
むにゃむにゃと、銀狐の背で微睡む幼子を見て、そう、言った。
廊下。狐火が、舞う。
二人は、子供部屋の外で待っていたのだ。
「うん……やんちゃな姫様」
少なくとも、今の姫様は葉子の尾に噛みついたりしない。
「姫様、つい最近までやんちゃだったもんな」
くくっと。
それから、憮然とした表情を浮かべた。
自分にとっては最近でも、姫様にとっては、最近じゃない。
「一日、大変でしょうな」
うーんっと考える。
多分、そうなるだろう。
それも、悪くないや。
「……はあ」
葉子は、溜息を吐いた。
そうだった。
甘く見てた。
やんちゃなやんちゃな姫様。
朝から元気に駆け回って。
障子にぷすぷす穴を開けて、庭で泥団子作りをして、ぺたぺたと廊下に泥を落として。
障子は直せるけど、泥は、拭かないとしょうがない。
「ねえねえ」
「んー?」
姫様に、呼ばれた。
子犬を、引き連れている。
太郎じゃない。
「それは」
式を、呼び出せるんだ。
「犬さん犬さん」
嬉しそうに指さす。その手には、「白刃」と書かれていた。
「うん」
子犬。
葉子に近づくと、しゃーっと、かけた。
湯気が立つ。
わ-いと逃げていく。
葉子が、むきーっと追いかけて。
「……ここまで、やんちゃだったっけ?」
「……そうだった気がする。今は、おしとやかになったけれど」
追いかけっこ。
捕まえた! っと、葉子が一人と一匹を両腕に抱える。
それから、二人と一匹で笑い合った。
「そういや、毎日こんな感じだったな」
「……やれやれ」
「太郎、クロちゃん、一緒に日向ぼっこしてあげて。あたいは、ちょっと綺麗にするから」
「わかった」
声が、重なる。顔を見合わし、ぷいっと、背けた。
「やっぱり、月日は流れてるんだよな」
「……ええ」
それから二人は、姫様の元へと向かっていった。
葉子は、せっせと雑巾がけする頭領を見て、ぷっ、と吹き出してしまった。
ぱちりと、目を開ける。
夢を見ていた。
子供になった夢。
現実味のある、不思議な夢。
「まさかね」
姫様が、ほっと呟いた。
いくらなんでも、そんなこと……
でも……良い夢だった。
ふふっと笑う。
葉子さんにお話してあげよう。
そう思って、きょろきょろと葉子を探して、姫様は見つけた。
枕元の、絵巻物を。
さーっと、血の気が引いていくのがわかった。
「あれ……」
ここにそんな物を置いた記憶は、なくて。
いや、あるには、あるけど……
それは、違う。
手にとって、紐をほどく。
少し変色したそれは、夢の中で、寝付けないと言った姫様が、銀狐に読んでもらっていたお話で。
「えっと……」
混乱、していた。
そう、たしか――
夜。
喉が渇いたと目を覚ました姫様。
水でも飲もうかと、部屋を出る。
銀狐は、布団を撒き散らし、壁とおねんね。
道々、妖に布団をきちっと被せ直す。
灯りを手にして古寺を歩くと、宴の喧噪が嘘のよう。
台所で水を飲んで、思い立って居間に向かって。
少し、片づけておこうかと。
空の徳利を、集めていく。
かちゃかちゃと、音がする。
その中に一つ、まだちゃぷちゃぷと音を立てる物があった。
「うん……」
空の徳利をまとめて置いて、中身のある徳利を一本つまんで。
お酒は飲まない。
子供だからと、止められていて。
ちょっと、興味が起こった。
きょろきょろとして、杯にそっと手を伸ばした。
「子供じゃ……ないもん」
そう、もう、子供じゃない。
いつまでも、子供じゃない。
悪いことを、してる。
でも、ちょっとぐらいなら……
「子供じゃないもん」
もう一度、言った。
杯に、注ぐ。
匂い。
酒の良し悪しは、まだ、わからない。
それから、姫様は口を付けた。
後は……
「よく、覚えてない……」
まさか、本当に?
いや、そんなはずないよ。
「葉子さん」
いなかった。
あれっと、不思議に思った。
部屋を出て、廊下を歩いて。
妖はいるけど、妖がいない。
縁側で立ち止まる。
子供が三人、丸くなっていた。
「……」
徳利が一つ。
杯が三つ。
三人とも、面影がある。
そんな、馬鹿な。
一度頬をつねってから、姫様は大きな声で、助けを呼んだ。
ということは、あれは夢じゃなくて。
えっと……
姫様は、うわーっと顔を真っ赤に染めあげた。
くうくうと、そんな姫様を知ってか知らずか、三匹の妖の幼子は、春の風に微睡んでいた。