あやかし姫番外編~やつあしとびわ(1)~
三日月が嗤う夜の道。
草叢の影で蟲が鳴く。
男が一人、人なき道を、灯りも持たずに歩いていた。
長い手。
右目を覆う長い髪。
隠されていない左目は丸く大きく。
男が近づくと、虫達は、鳴くのをやめる。
まるで、じっと息を潜めるように。
ぼろぼろの衣を纏う男が通り過ぎるそばから、虫達がまた、泣き始める。
男の影――それは、人の形にあらず。
男の影は、蜘蛛の影。
男は――妖であった。
男は、草むらの中に立つ桜の木を見つけた。
大きくは、ない。
くっと、目を細めた。
がさごそと、草を掻きわけ、桜に向かう。
途中で、朽ちかけた倒木を見つけると、それを鋭く延びた爪に引っ掛けた。
男は、桜の元に行くと、倒木を放り投げ、どっかとそこに座った。
脚を組む。しんと、していた。
ただ、さやさやと、草花が擦れる音がするだけ。
男が道を外れたときから、また、虫達は息を潜めたのだ。
ちっと、舌打ちをした。
腰に括りつけてある雑多な物の中から、ひょうたんと古ぼけた杯を手に持った。
杯に酒を注ぎ、ひょうたんを置くと、男は、
「鳴け」
そう、言った。
虫達が、鳴き始める。歌声を、奏で始める。
くっと笑うと、杯に口をつけた。
男は、旅の途中であった。
行く当てのない旅だった。
ただ、気の向くままに流れていく。
それはそれで、面白い旅であった。
色々と、知ったこともある。
都に入ることが出来なかったのも、その一つだった。
結界が張られていたのだ。
よくもまぁこれだけ大きなものをと、感心し、そして呆れた。
都全体を覆うなどと、と。
男は、懐に手をやり、小さな袋を取り出した。
干し肉を摘むと、口に入れる。
かりかりと、咬む。
味が、口の中に染み出でる。
肉。
酒。
交互に、口の中に入れていく。
それが、止まった。
酒が尽きたのだ。空になったひょうたんを逆さまにすると、男はむすっとした表情になる。
まだ少し中身のある小袋を懐にしまうと、
「今宵は、ここで野宿か」
そう呟いた。すると、虫達の歌がぴたっとやんだ。
男は、苦笑をくくっと浮かべると、
「怯えるな。別にお前達を喰らう気はない」
そう、言った。
その声に安心したのだろう、虫達がまた、歌いはじめる。
目を瞑ると、男は、心地よさそうにそれに耳を傾けた。
青白い顔が、嬉しげであった。
ふっと、その顔が曇った。
男が立ち上がる。違う音を聞いたのだ。
琵琶の音。
それは、良い音色であった。虫達、よりも。
「静かに、しろ」
虫が、鳴き止む。
「面妖な」
そう、言って、ああと溜息を吐いた。
面妖なのは、自分ではないかと。
琵琶の音は、悲しげに響いている。
憂いを帯びたまま、鳴り続ける。
ふらふらと、火に集まる蛾のように、男はその音に誘われていった。
草叢の影で蟲が鳴く。
男が一人、人なき道を、灯りも持たずに歩いていた。
長い手。
右目を覆う長い髪。
隠されていない左目は丸く大きく。
男が近づくと、虫達は、鳴くのをやめる。
まるで、じっと息を潜めるように。
ぼろぼろの衣を纏う男が通り過ぎるそばから、虫達がまた、泣き始める。
男の影――それは、人の形にあらず。
男の影は、蜘蛛の影。
男は――妖であった。
男は、草むらの中に立つ桜の木を見つけた。
大きくは、ない。
くっと、目を細めた。
がさごそと、草を掻きわけ、桜に向かう。
途中で、朽ちかけた倒木を見つけると、それを鋭く延びた爪に引っ掛けた。
男は、桜の元に行くと、倒木を放り投げ、どっかとそこに座った。
脚を組む。しんと、していた。
ただ、さやさやと、草花が擦れる音がするだけ。
男が道を外れたときから、また、虫達は息を潜めたのだ。
ちっと、舌打ちをした。
腰に括りつけてある雑多な物の中から、ひょうたんと古ぼけた杯を手に持った。
杯に酒を注ぎ、ひょうたんを置くと、男は、
「鳴け」
そう、言った。
虫達が、鳴き始める。歌声を、奏で始める。
くっと笑うと、杯に口をつけた。
男は、旅の途中であった。
行く当てのない旅だった。
ただ、気の向くままに流れていく。
それはそれで、面白い旅であった。
色々と、知ったこともある。
都に入ることが出来なかったのも、その一つだった。
結界が張られていたのだ。
よくもまぁこれだけ大きなものをと、感心し、そして呆れた。
都全体を覆うなどと、と。
男は、懐に手をやり、小さな袋を取り出した。
干し肉を摘むと、口に入れる。
かりかりと、咬む。
味が、口の中に染み出でる。
肉。
酒。
交互に、口の中に入れていく。
それが、止まった。
酒が尽きたのだ。空になったひょうたんを逆さまにすると、男はむすっとした表情になる。
まだ少し中身のある小袋を懐にしまうと、
「今宵は、ここで野宿か」
そう呟いた。すると、虫達の歌がぴたっとやんだ。
男は、苦笑をくくっと浮かべると、
「怯えるな。別にお前達を喰らう気はない」
そう、言った。
その声に安心したのだろう、虫達がまた、歌いはじめる。
目を瞑ると、男は、心地よさそうにそれに耳を傾けた。
青白い顔が、嬉しげであった。
ふっと、その顔が曇った。
男が立ち上がる。違う音を聞いたのだ。
琵琶の音。
それは、良い音色であった。虫達、よりも。
「静かに、しろ」
虫が、鳴き止む。
「面妖な」
そう、言って、ああと溜息を吐いた。
面妖なのは、自分ではないかと。
琵琶の音は、悲しげに響いている。
憂いを帯びたまま、鳴り続ける。
ふらふらと、火に集まる蛾のように、男はその音に誘われていった。