あやかし姫番外編~やつあしとびわ(2)~
遠くは、なさそうであった。
人里はまだ少し先にある。
道に戻る。月を背に、歩く。
妖か――
人か――
明かりは見えなかった。
はて?
首を傾げる。
音は、近づいてきていた。
もう、すぐそこのはずだ。
「……妖、か」
そう、思った。
廃れた、家。
そこから、音は聞こえてくる。
男は、少し妖気をだした。
妖ならば、それになにかしら反応を示すはず、と。
待つ。
音は、変わらなかった。
無視、か。自分を馬鹿にしているのか。
「おい」
声を出す。人であるならば、聞こえないだろう。
しかし、妖、ならば。
やはり、音色は、変わらなかった。
「……名のある妖は、この辺りにはいないはずだが」
面白い。
にやりと笑うと、男は四つん這いになった。
こりこりと、背から虫の脚が四本伸び出る。
静かに、男は小屋に近づいた。
見るものいたら、あっと声あげ、震えたろう。
人の皮を被った蜘蛛が、蒼い三日月に照らされながら、廃小屋にすっと近づいていくのだから。
男は、家の数多ある隙間の一つから、中をそっと覗き込んだ。
妖の、人よりはるかによい瞳が、真っ暗の部屋の中、女を一人、見出した。
若い女だった。
妖気は、見いだせなかった。
「妖では、ないのか」
残念そうに男が言うと、琵琶の音が止んだ。
男は、蜘蛛の脚を人の身に収めた。
きょろきょろと辺りを見回し、大事そうに琵琶を抱く女を見て、少し、興味が湧いた。
女と琵琶が、不釣り合いだと思ったのだ。
琵琶は、ひと目で見事な品だとわかった。
大陸伝来の品物だろう。
妖気とも神気ともいえるものが、その琵琶からはうっすらと感じられた。
女は、綺麗な格好をしてはいなかった。
食べ物もろくにとっていないのではと、思った。
そして――目が、閉じられたままであった。
「誰ですか」
女の声には、怯えがあった。
「お金は、もう」
「旅のものだ」
嘘は、言っていない。
「好い音色だった。それに釣られて、ふらふらとここまで来てしまった」
「旅の方……」
「邪魔をしてしまったようだな」
悪かった。
そう言うと、男はその場を立ち去ろうとした。
音が、聞こえた。
腹の虫。
「あの……なにか、食べ物を……くださりませんか」
懐から、干し肉の入った袋を取り出す。
名残惜しそうに大きな片目でそれを見ると、男は、はぁっと息を吐いた。
「干し肉なら、少しある」
「本当ですか!」
「うん」
「それをわけては……」
「……琵琶の音の、礼だ」
そう言うと、男は家の中に入っていった。
かりかりと、ぽかーんとしている男の前で、夢中になって女は干し肉を噛んでいる。
喉に詰まらせ、
「み、水……」
そう、呻いた。
男は、呆れ顔で、女の指さす方に行く。
水瓶を見やり、
「駄目だ。こんな水を飲めば、腹を壊すぞ」
そう、言った。
「井戸は、あるか?」
「裏に……」
「わかった。ついでに、なにか食べられるものを採ってこよう」
そう言うと、桶を片手にぎしぎしと鳴る床をおっかなゆっくり歩いていく。
外に出ると、さて、と、呟いた。
言われたとおり、井戸はあった。
水をくむと、男は、きちちちと、声を漏らした。
蜘蛛の影が、姿を現す。
きちちちと鳴くと、蜘蛛はその姿を消した。
人里はまだ少し先にある。
道に戻る。月を背に、歩く。
妖か――
人か――
明かりは見えなかった。
はて?
首を傾げる。
音は、近づいてきていた。
もう、すぐそこのはずだ。
「……妖、か」
そう、思った。
廃れた、家。
そこから、音は聞こえてくる。
男は、少し妖気をだした。
妖ならば、それになにかしら反応を示すはず、と。
待つ。
音は、変わらなかった。
無視、か。自分を馬鹿にしているのか。
「おい」
声を出す。人であるならば、聞こえないだろう。
しかし、妖、ならば。
やはり、音色は、変わらなかった。
「……名のある妖は、この辺りにはいないはずだが」
面白い。
にやりと笑うと、男は四つん這いになった。
こりこりと、背から虫の脚が四本伸び出る。
静かに、男は小屋に近づいた。
見るものいたら、あっと声あげ、震えたろう。
人の皮を被った蜘蛛が、蒼い三日月に照らされながら、廃小屋にすっと近づいていくのだから。
男は、家の数多ある隙間の一つから、中をそっと覗き込んだ。
妖の、人よりはるかによい瞳が、真っ暗の部屋の中、女を一人、見出した。
若い女だった。
妖気は、見いだせなかった。
「妖では、ないのか」
残念そうに男が言うと、琵琶の音が止んだ。
男は、蜘蛛の脚を人の身に収めた。
きょろきょろと辺りを見回し、大事そうに琵琶を抱く女を見て、少し、興味が湧いた。
女と琵琶が、不釣り合いだと思ったのだ。
琵琶は、ひと目で見事な品だとわかった。
大陸伝来の品物だろう。
妖気とも神気ともいえるものが、その琵琶からはうっすらと感じられた。
女は、綺麗な格好をしてはいなかった。
食べ物もろくにとっていないのではと、思った。
そして――目が、閉じられたままであった。
「誰ですか」
女の声には、怯えがあった。
「お金は、もう」
「旅のものだ」
嘘は、言っていない。
「好い音色だった。それに釣られて、ふらふらとここまで来てしまった」
「旅の方……」
「邪魔をしてしまったようだな」
悪かった。
そう言うと、男はその場を立ち去ろうとした。
音が、聞こえた。
腹の虫。
「あの……なにか、食べ物を……くださりませんか」
懐から、干し肉の入った袋を取り出す。
名残惜しそうに大きな片目でそれを見ると、男は、はぁっと息を吐いた。
「干し肉なら、少しある」
「本当ですか!」
「うん」
「それをわけては……」
「……琵琶の音の、礼だ」
そう言うと、男は家の中に入っていった。
かりかりと、ぽかーんとしている男の前で、夢中になって女は干し肉を噛んでいる。
喉に詰まらせ、
「み、水……」
そう、呻いた。
男は、呆れ顔で、女の指さす方に行く。
水瓶を見やり、
「駄目だ。こんな水を飲めば、腹を壊すぞ」
そう、言った。
「井戸は、あるか?」
「裏に……」
「わかった。ついでに、なにか食べられるものを採ってこよう」
そう言うと、桶を片手にぎしぎしと鳴る床をおっかなゆっくり歩いていく。
外に出ると、さて、と、呟いた。
言われたとおり、井戸はあった。
水をくむと、男は、きちちちと、声を漏らした。
蜘蛛の影が、姿を現す。
きちちちと鳴くと、蜘蛛はその姿を消した。