あやかし姫番外編~やつあしとびわ(終)~
これでかと、黒之助は思った。
これでだなと、太郎は思った。
久し振りだった。
化け蜘蛛――黒之丞が、門の向こうに立っていた。
人の、女を連れて。
「よう、黒之助」
「黒之丞……元気そうだな」
「うん」
物珍しそうに遠巻きに眺める妖達。
頭領の姿も、あった。
姫様は――葉子と手を繋いで自分の部屋にいた。
蜘蛛が、嫌いだから。
蜘蛛は、駄目だから。
虫は大抵平気なのだけど、蜘蛛だけは駄目で。
だから、古寺には蜘蛛は一匹もいなかった。
「頼みたい事がある」
黒之丞が、言う。
「頼みたい事?」
「おい、お前」
太郎が、口を開いた。ぐっと睨み付けている。それを、黒之丞は平然と受け流した。
「お前、先に黒之助に、言う事があるだろ」
「……」
「お前が、怪我させたんだ。忘れたとは、言わせない。それに……」
「鞍馬山を出されたのは、拙者自身の問題だ」
黒之助が、口を挟んだ。
太郎が黙り込む。
黒之丞は、黒之助を見やり、ぽつりと、
「すまない」
と、言った。
気にするな。
答えは、短かった。
頭領は、二人を見やり、嬉しげに溜息を吐いた。
「頭領、黒之丞を、寺に入れてもいいですか?」
「別に儂はかまわんよ」
なぁと、傍らの不機嫌そうな妖狼に尋ねた。
あぁと、やっぱり不機嫌そうに妖狼が答えた。
「入ってもよいそうだ。それで、そちらの方は……」
琵琶を背負った女。
ずっと目を瞑っている。
黒之丞は、女を見やると、愛おしそうに、
「俺の餌だ」
そう、言った。
白蝉が、少し、頬を染めた。
居間。
頭領がいる。
黒之助がいる。
妖達がいる。
心配そうな妖狼と銀狐に挟まれて、微笑を浮かべた姫様がいる。
にこにこと、にこにこと――表情を変えない、姫様が。
そして……
黒之丞と、白蝉が、いた。
白蝉は、琵琶を傍らに置いていた。琵琶は、きちんとした袋に入れられていた。
色々なものがいると、白蝉は思った。
たくさんのものが、ここにいると。
見えなくても、見えるものがある。
不思議と、不安は感じなかった。
黒之丞は、姫様を見て、これがと、思った。
これが、妖に育てられし人の娘かと。
白蝉の方がいいなぁと、ぼんやりと考えた。
横の獣の女よりも、人の娘よりも、ずっといい。
「住むところ、か」
頭領が、言った。
「そうだ。出来れば二人で暮らせる場所がほしいのだ」
「ここは……無理じゃな」
姫様を見ながら、言った。
姫様は、何も答えない。ふるふると横に首を振るが、葉子と太郎は無理々々と声を揃えた。
「そうか」
落胆するでなく、怒るでなく、黒之丞は淡々と言った。
「黒之丞さん……」
白蝉が、不安げな声を漏らした。
「……お主、掃除好きか?」
「うん?」
「掃除」
少し考える仕草をし、それから、
「嫌いじゃない」
そう、答えた。
「じゃあ、決まりじゃな」
「はいはい、頑張った頑張った」
葉子が、優しく姫様の頭を撫でた。
「……私……あの……」
「好き嫌いは、誰にだってあるもんさね」
また、姫様の頭をふわりと撫でた。
「……この近くの小屋に、住む事になった。よろしく頼む」
黒之丞が、言った。
唸り声が、白蝉の耳に聞こえた。
獣のようで、獣でない。
命のあるような、ないような、そんな声だった。
「えっと……」
「羽矢風の命、誰か世話してくれる人がほしいと言うておったではないか。よかったな、念願かなって」
「それは、そうですけどね。いえ、でもですね」
土地神が、狛犬の頭の上で、どうしようかと悩んでいた。
羽矢風の命が宿る大木とその周り。人に忘れ去られたそれは、世話する者なく、いつも寂しく。
狛犬には、掃除は出来ない。肉球だと、掴めない。
羽矢風の命は小さすぎて、葉っぱを二枚、三枚と運んだらもうおしまい。
でも、だ。
土地神の目には、黒之丞という男の後ろに、恐ろしげな巨大な蜘蛛の姿が透けて見えるのだ。
「……この白蝉というもの、目が、見えない」
「目が……」
小さな土地神が、女を見やった。
女は、困ったように黒之丞を見やり、ええと、頷いた。
「大変だよね……辛い事いっぱいあったんだろうね」
「それは……色々、ありました」
そう、言った。
「ふえぇーん!」
「主!」
「主を泣かしたな!」
「いいよいいよ、私はいいよ! いくらでもいてくれていいよ! ふえーん!」
「ま、そういうわけだ」
頭領が目配せすると、もこっと妖達が現れる。
手に手に家財道具を持っていた。
「……すまないな。何から何まで」
「礼なら、黒之助に言えばよかろうよ」
そう言うと、頭領は姿を消した。
ここで暮らすのかと、黒之丞は思った。
琵琶の音が、止まる。
女は、琵琶と貴方があると言った。
死んだら……食べて下さいね。そう、言った。
妖は、こくりと、頷いた。
琵琶の音が、また、流れ始めた
これでだなと、太郎は思った。
久し振りだった。
化け蜘蛛――黒之丞が、門の向こうに立っていた。
人の、女を連れて。
「よう、黒之助」
「黒之丞……元気そうだな」
「うん」
物珍しそうに遠巻きに眺める妖達。
頭領の姿も、あった。
姫様は――葉子と手を繋いで自分の部屋にいた。
蜘蛛が、嫌いだから。
蜘蛛は、駄目だから。
虫は大抵平気なのだけど、蜘蛛だけは駄目で。
だから、古寺には蜘蛛は一匹もいなかった。
「頼みたい事がある」
黒之丞が、言う。
「頼みたい事?」
「おい、お前」
太郎が、口を開いた。ぐっと睨み付けている。それを、黒之丞は平然と受け流した。
「お前、先に黒之助に、言う事があるだろ」
「……」
「お前が、怪我させたんだ。忘れたとは、言わせない。それに……」
「鞍馬山を出されたのは、拙者自身の問題だ」
黒之助が、口を挟んだ。
太郎が黙り込む。
黒之丞は、黒之助を見やり、ぽつりと、
「すまない」
と、言った。
気にするな。
答えは、短かった。
頭領は、二人を見やり、嬉しげに溜息を吐いた。
「頭領、黒之丞を、寺に入れてもいいですか?」
「別に儂はかまわんよ」
なぁと、傍らの不機嫌そうな妖狼に尋ねた。
あぁと、やっぱり不機嫌そうに妖狼が答えた。
「入ってもよいそうだ。それで、そちらの方は……」
琵琶を背負った女。
ずっと目を瞑っている。
黒之丞は、女を見やると、愛おしそうに、
「俺の餌だ」
そう、言った。
白蝉が、少し、頬を染めた。
居間。
頭領がいる。
黒之助がいる。
妖達がいる。
心配そうな妖狼と銀狐に挟まれて、微笑を浮かべた姫様がいる。
にこにこと、にこにこと――表情を変えない、姫様が。
そして……
黒之丞と、白蝉が、いた。
白蝉は、琵琶を傍らに置いていた。琵琶は、きちんとした袋に入れられていた。
色々なものがいると、白蝉は思った。
たくさんのものが、ここにいると。
見えなくても、見えるものがある。
不思議と、不安は感じなかった。
黒之丞は、姫様を見て、これがと、思った。
これが、妖に育てられし人の娘かと。
白蝉の方がいいなぁと、ぼんやりと考えた。
横の獣の女よりも、人の娘よりも、ずっといい。
「住むところ、か」
頭領が、言った。
「そうだ。出来れば二人で暮らせる場所がほしいのだ」
「ここは……無理じゃな」
姫様を見ながら、言った。
姫様は、何も答えない。ふるふると横に首を振るが、葉子と太郎は無理々々と声を揃えた。
「そうか」
落胆するでなく、怒るでなく、黒之丞は淡々と言った。
「黒之丞さん……」
白蝉が、不安げな声を漏らした。
「……お主、掃除好きか?」
「うん?」
「掃除」
少し考える仕草をし、それから、
「嫌いじゃない」
そう、答えた。
「じゃあ、決まりじゃな」
「はいはい、頑張った頑張った」
葉子が、優しく姫様の頭を撫でた。
「……私……あの……」
「好き嫌いは、誰にだってあるもんさね」
また、姫様の頭をふわりと撫でた。
「……この近くの小屋に、住む事になった。よろしく頼む」
黒之丞が、言った。
唸り声が、白蝉の耳に聞こえた。
獣のようで、獣でない。
命のあるような、ないような、そんな声だった。
「えっと……」
「羽矢風の命、誰か世話してくれる人がほしいと言うておったではないか。よかったな、念願かなって」
「それは、そうですけどね。いえ、でもですね」
土地神が、狛犬の頭の上で、どうしようかと悩んでいた。
羽矢風の命が宿る大木とその周り。人に忘れ去られたそれは、世話する者なく、いつも寂しく。
狛犬には、掃除は出来ない。肉球だと、掴めない。
羽矢風の命は小さすぎて、葉っぱを二枚、三枚と運んだらもうおしまい。
でも、だ。
土地神の目には、黒之丞という男の後ろに、恐ろしげな巨大な蜘蛛の姿が透けて見えるのだ。
「……この白蝉というもの、目が、見えない」
「目が……」
小さな土地神が、女を見やった。
女は、困ったように黒之丞を見やり、ええと、頷いた。
「大変だよね……辛い事いっぱいあったんだろうね」
「それは……色々、ありました」
そう、言った。
「ふえぇーん!」
「主!」
「主を泣かしたな!」
「いいよいいよ、私はいいよ! いくらでもいてくれていいよ! ふえーん!」
「ま、そういうわけだ」
頭領が目配せすると、もこっと妖達が現れる。
手に手に家財道具を持っていた。
「……すまないな。何から何まで」
「礼なら、黒之助に言えばよかろうよ」
そう言うと、頭領は姿を消した。
ここで暮らすのかと、黒之丞は思った。
琵琶の音が、止まる。
女は、琵琶と貴方があると言った。
死んだら……食べて下さいね。そう、言った。
妖は、こくりと、頷いた。
琵琶の音が、また、流れ始めた