小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫番外編~やつあしとびわ(終)~

 これでかと、黒之助は思った。
 これでだなと、太郎は思った。
 久し振りだった。
 化け蜘蛛――黒之丞が、門の向こうに立っていた。
 人の、女を連れて。
「よう、黒之助」
「黒之丞……元気そうだな」
「うん」
 物珍しそうに遠巻きに眺める妖達。
 頭領の姿も、あった。
 姫様は――葉子と手を繋いで自分の部屋にいた。
 蜘蛛が、嫌いだから。
 蜘蛛は、駄目だから。
 虫は大抵平気なのだけど、蜘蛛だけは駄目で。
 だから、古寺には蜘蛛は一匹もいなかった。
「頼みたい事がある」
 黒之丞が、言う。
「頼みたい事?」
「おい、お前」
 太郎が、口を開いた。ぐっと睨み付けている。それを、黒之丞は平然と受け流した。
「お前、先に黒之助に、言う事があるだろ」
「……」
「お前が、怪我させたんだ。忘れたとは、言わせない。それに……」
鞍馬山を出されたのは、拙者自身の問題だ」
 黒之助が、口を挟んだ。
 太郎が黙り込む。
 黒之丞は、黒之助を見やり、ぽつりと、
「すまない」
 と、言った。
 気にするな。
 答えは、短かった。
 頭領は、二人を見やり、嬉しげに溜息を吐いた。
「頭領、黒之丞を、寺に入れてもいいですか?」
「別に儂はかまわんよ」
 なぁと、傍らの不機嫌そうな妖狼に尋ねた。
 あぁと、やっぱり不機嫌そうに妖狼が答えた。
「入ってもよいそうだ。それで、そちらの方は……」
 琵琶を背負った女。
 ずっと目を瞑っている。
 黒之丞は、女を見やると、愛おしそうに、
「俺の餌だ」
 そう、言った。
 白蝉が、少し、頬を染めた。


 居間。
 頭領がいる。
 黒之助がいる。
 妖達がいる。
 心配そうな妖狼と銀狐に挟まれて、微笑を浮かべた姫様がいる。
 にこにこと、にこにこと――表情を変えない、姫様が。
 そして……
 黒之丞と、白蝉が、いた。
 白蝉は、琵琶を傍らに置いていた。琵琶は、きちんとした袋に入れられていた。
 色々なものがいると、白蝉は思った。
 たくさんのものが、ここにいると。
 見えなくても、見えるものがある。
 不思議と、不安は感じなかった。
 黒之丞は、姫様を見て、これがと、思った。
 これが、妖に育てられし人の娘かと。
 白蝉の方がいいなぁと、ぼんやりと考えた。
 横の獣の女よりも、人の娘よりも、ずっといい。
「住むところ、か」
 頭領が、言った。
「そうだ。出来れば二人で暮らせる場所がほしいのだ」
「ここは……無理じゃな」
 姫様を見ながら、言った。
 姫様は、何も答えない。ふるふると横に首を振るが、葉子と太郎は無理々々と声を揃えた。
「そうか」
 落胆するでなく、怒るでなく、黒之丞は淡々と言った。 
「黒之丞さん……」
 白蝉が、不安げな声を漏らした。
「……お主、掃除好きか?」
「うん?」
「掃除」
 少し考える仕草をし、それから、
「嫌いじゃない」
 そう、答えた。
「じゃあ、決まりじゃな」



「はいはい、頑張った頑張った」
 葉子が、優しく姫様の頭を撫でた。
「……私……あの……」
「好き嫌いは、誰にだってあるもんさね」
 また、姫様の頭をふわりと撫でた。



「……この近くの小屋に、住む事になった。よろしく頼む」
 黒之丞が、言った。
 唸り声が、白蝉の耳に聞こえた。
 獣のようで、獣でない。
 命のあるような、ないような、そんな声だった。
「えっと……」
「羽矢風の命、誰か世話してくれる人がほしいと言うておったではないか。よかったな、念願かなって」
「それは、そうですけどね。いえ、でもですね」
 土地神が、狛犬の頭の上で、どうしようかと悩んでいた。
 羽矢風の命が宿る大木とその周り。人に忘れ去られたそれは、世話する者なく、いつも寂しく。
 狛犬には、掃除は出来ない。肉球だと、掴めない。
 羽矢風の命は小さすぎて、葉っぱを二枚、三枚と運んだらもうおしまい。
 でも、だ。
 土地神の目には、黒之丞という男の後ろに、恐ろしげな巨大な蜘蛛の姿が透けて見えるのだ。
「……この白蝉というもの、目が、見えない」
「目が……」
 小さな土地神が、女を見やった。
 女は、困ったように黒之丞を見やり、ええと、頷いた。
「大変だよね……辛い事いっぱいあったんだろうね」
「それは……色々、ありました」
 そう、言った。
「ふえぇーん!」
「主!」
「主を泣かしたな!」
「いいよいいよ、私はいいよ! いくらでもいてくれていいよ! ふえーん!」
「ま、そういうわけだ」
 頭領が目配せすると、もこっと妖達が現れる。
 手に手に家財道具を持っていた。
「……すまないな。何から何まで」
「礼なら、黒之助に言えばよかろうよ」
 そう言うと、頭領は姿を消した。
 ここで暮らすのかと、黒之丞は思った。



 琵琶の音が、止まる。
 
 女は、琵琶と貴方があると言った。
 
 死んだら……食べて下さいね。そう、言った。
 
 妖は、こくりと、頷いた。
 
 琵琶の音が、また、流れ始めた