小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

錦、対、戦姫(4)

 人が集まっていた。
 視線が集まっていた。
 やはり目立つのだ。
 それは、あまり心地良いものではなかった。
張飛殿……」
「ん? 待ってろ、もうすぐ来るから」
「いえ、そういうわけではなくてですね……」
 劉備の義弟、張飛(チョウヒ)。
 劉備軍武将、陳到(チントウ)。
 劉備の従者、趙雲(チョウウン)。
 陳到は、女。趙雲は幼い男の子。
 三人で城を抜け出し、街の食堂にやって来ていた。
 張飛が誘ったのだ。趙雲がうんとすぐに頷き、陳到は仕方なく、であった。
 三人、外に置かれた縁台に座っている。
 蛇矛片手の巨体の男は、すぐに正体が知られたようで。
 見物の人々で、流れが悪くなっていた。
「うわー。みんな僕達のこと見てますよ」
 真ん中に腰掛けた趙雲が、足をぶらぶらさせながら呑気な声を出した。
「へ。まぁ、有名人だからな」
「凄いですね、陳到お姉さん」
「……スゴイスゴイ……」 
 気のない返事。死んだ魚の目をしていた。
 あんぐりと趙雲が口を開けた。
「……え、えっと……」
「私は、早く帰りたいのだが……」
 こういう場所は、嫌いだった。
 陽の当たる場所。
 自分が、住めぬ世界。
 着飾った年頃の娘が、目の前を通り過ぎていく。嫌でも、目に入る。
 ――憂鬱だった。
「やっと来たか」
 張飛が、言った。店の主から何かを受け取ると、銭を渡していた。
 ごゆっくりと声をかけて、いそいそと店の奥に消えていく。
 食堂は、繁盛していた。
「ほらよ」
 趙雲張飛から受け取った。
 陳到張飛から受け取った。
 骨付きの肉。笹で、持つ部分が作られていた。
 匂いが、よかった。
 焼き色。茶色く、てかっていた。
「これを……?」
「俺の奢りだ」
 そう言うと、張飛が豪快にかぶりついた。
 趙雲張飛の真似をする。
 口の周りに、油がついた。
陳到お姉さん、美味しいよ」
「うん……」
 口を覆う布を少し下げ、肉を入れた。
「どうだ?」
 はむはむと食べながら、趙雲陳到を見上げた。
「……美味しいな……」
 そう、陳到が言った。
「だろう! ここの肉は、絶品なんだ。元々肉屋をやってた俺が言うんだから、間違いねぇ」
 そういえばそうだったと陳到は思った。
「へー」
 趙雲が、服に油を零した。
 陳到が、怖い目で趙雲を睨んだ。ゴメンナサイと言うと、せっせと布巾で拭き始めた。
「でも、以外ですね」
「ああ?」
張飛さん、味にこだわらない人だと思ってました。いっぱいあればいいって」
「それと、酒があればいいってか?」
「あ、はい」
「……この野郎!」
 骨をばりばりと噛み砕きながら、張飛趙雲に掴みかかって。
 趙雲がほいっと軽やかに避ける。
 陳到はそれを、ゆっくりと食べながら嬉しげに見ていた。
「味に拘らないのは、小兄貴だな。龐統の料理でも普通に食ってやがる」
 ぎりぎりとこめかみを締め付ける。 
 趙雲が痛い痛いと言っていた。
「龐統殿の料理か。どのようなものなんだろう……」
「……兵器だな」
 げっそりとした表情を、張飛は浮かべた。
「あれは、小兄貴しか食べられん」
 ……。
 食べたのか。
「へ、へぇー」
「ふーん……」
「飯は、美味いに越した事はねぇよ。戦の時は、そんなこと言ってられなかったけどよ」
「料理か……」
 やったことないなと、陳到は思った。
 今度――やってみようか。
 骨を、殻入れに入れる。
 手が、少し汚れていた。
「どうだ、よかったろう」
「うん!」
「ええ……」
 こういうのも、いいかもしれない。
 今はそう、思っていた。
「また、付き合えや。一人で食うよりも、大勢の方が俺は好きだからよ」
「そうですね……」
 陳到は、うんと頷いた。



「お見事です」
 紀霊(キレイ)が、言った。
 女らしい衣を身に着けていたが、手に三尖刀を持っていた。
「こんなもの、だろうか」
 袁術(エンジュツ)が刀を鞘に収める。
 ひらひらと、二つに割れた木の葉が二枚三枚と落ちてきた。
「快癒して間もないとは、思えません」
 そう、微笑みながら言った。
 紀霊の右目の傷。少しずつ、薄くなっている。
 もう、必要がなくなったのだろう。そう、紀霊は考えていた。
袁術様、紀霊様」
 楽就(ガクシュウ)がやって来て、二人の名前を呼んだ。
 眩しそうに、目を細めながら。
袁紹様がお呼びです」
「……軍の、再編か」
「多分……」
 袁紹軍は、軍の再編の途上であった。
 今までは大きく分けて、袁紹直轄、顔良軍、文醜軍。
 この三つの軍が存在していた。
 それをさらに一つ増やすのだという。
 公孫瓉との戦で功のあった麹義(キクギ)が、その任に着くと言われていた。
 精鋭騎馬隊白馬義従
 散々袁紹を手こずらせた彼らを叩き潰したのが麹義であった。
「私も、誰かの下につくのかな」
袁紹様でも顔良殿でも文醜殿でもよいですが……麹義殿はご免です」
 紀霊が、言った。
 麹義は、袁術を嫌っていた。袁術についての陰口は、辿っていけば大抵麹義に行き着いた。
 紀霊の面前で暴言を吐いた事も、一度や二度ではなかった。
「どうなるだろう」
 そう、袁術が言った。

 会議の時、袁術はいつも隅の方にいた。
 文官でも、軍人でもない。
 当然だった。
 兄に逆らい、戦を挑もうともしたのだ。首があるだけでも、感謝しなければならなかった。
 紀霊と楽就と一緒に、静かに会議を見やり、意見を述べる事はなかった。
 袁紹は、柔和そうな男であった。
 育ちの良さが、表面に現れている。
「さてと」
 袁紹の一言に、空気が変わった。
 一同が静まりかえった。
 新たに設けられる軍の事についてだと、わかったのだ。
 何人か、袁術達を見やった。袁術はいつも通り、目を瞑ってそこにいた。
 麹義が、胸を張る。
 本命、麹義
 対抗として、元西園八校尉の淳于瓊。
 大方の意見は、やはり麹義であった。
麹義
 袁紹が、麹義の名を呼んだ。
 大広間が、拍手に包まれる。
 一度麹義は、袁術の方を見やり、にたりと笑みを浮かべた。
 紀霊が、激怒した。
 それを、袁術がたしなめた。
「許攸」
 広間が、ざわつき始める。
 許攸は、文官であった。戦は、不得手だった。
「どうしたの、許攸。早く早く」
 袁紹に急かされ、許攸も前に出た。
 袁紹は、にこにことしていた。
 紀霊は、嫌な予感がした。
「えっとね、お二人さん」
「「はい」」
 二人は、同時に声を出した。
「死ね」
 そう、袁紹は言い放った。
「は?」
「な、なんと?」
「死ね。そう、言ったんだ。聞こえなかった?」
 袁紹は表情も声色も変えずに、そう、言い放った。
 さらにざわめき始めた広間を、顔良文醜がその気で押さえ込んだ。
「わけを……いきなり、死ねと言われても!」
「そ、そうです! 一体何故!?」
麹義……君は、白馬義従を勝手に自分の物にしたそうだね」
「あ……」
「許攸、君も分かっているはずだ。不正な流用。帳簿が、勝手に変えられていた。君の昔からの癖だ。言ったよね、次は無いって」
「え、袁紹様……」
「連れて行け」
 許攸は、がたがたと震えていた。
 衛兵が、二人に近づいていく。
 麹義が、燃えるような瞳で袁紹を睨み付けていた。
 紀霊と袁術が走り出す。
 顔良文醜は、広場を押さえる事に集中しすぎていた。
 衛兵の首が飛び、麹義が雄叫びを上げる。
 剣が、煌めいた。
 袁紹に襲いかかるより早く、その胸を三尖刀が貫き、袁術の剣が首を薙ぎ払った。
「ふむ……」
 二人は、血で汚れていた。
 顔良文醜も、呆気にとられているようであった。
「助かったよ。さすがに、丸腰じゃあね」
 袁紹が、言った。
 袁術が少し、頭を下げた。
 許攸が引きずられていく。
 死骸が片付けられる。
 顔良文醜が、しきりに二人に頭を下げていた。
「軍を一つ、増やす」
 ぽつりと、袁紹が口にした。
白馬義従も、その軍に組み込むことになるね」
 そう言うと、袁紹は弟夫婦に近づいた。
「よろしく、袁術
 弟の肩を叩く。弟は、兄の顔を見つめ、はいと言った。
「大将は、袁術。副将は紀霊。これより、次の戦の準備に入る」
 袁紹の声は朗らかで、よく響いた。
「敵は――曹操
 袁紹は、そう、言った。