錦、対、戦姫(4)
人が集まっていた。
視線が集まっていた。
やはり目立つのだ。
それは、あまり心地良いものではなかった。
「張飛殿……」
「ん? 待ってろ、もうすぐ来るから」
「いえ、そういうわけではなくてですね……」
劉備の義弟、張飛(チョウヒ)。
劉備軍武将、陳到(チントウ)。
劉備の従者、趙雲(チョウウン)。
陳到は、女。趙雲は幼い男の子。
三人で城を抜け出し、街の食堂にやって来ていた。
張飛が誘ったのだ。趙雲がうんとすぐに頷き、陳到は仕方なく、であった。
三人、外に置かれた縁台に座っている。
蛇矛片手の巨体の男は、すぐに正体が知られたようで。
見物の人々で、流れが悪くなっていた。
「うわー。みんな僕達のこと見てますよ」
真ん中に腰掛けた趙雲が、足をぶらぶらさせながら呑気な声を出した。
「へ。まぁ、有名人だからな」
「凄いですね、陳到お姉さん」
「……スゴイスゴイ……」
気のない返事。死んだ魚の目をしていた。
あんぐりと趙雲が口を開けた。
「……え、えっと……」
「私は、早く帰りたいのだが……」
こういう場所は、嫌いだった。
陽の当たる場所。
自分が、住めぬ世界。
着飾った年頃の娘が、目の前を通り過ぎていく。嫌でも、目に入る。
――憂鬱だった。
「やっと来たか」
張飛が、言った。店の主から何かを受け取ると、銭を渡していた。
ごゆっくりと声をかけて、いそいそと店の奥に消えていく。
食堂は、繁盛していた。
「ほらよ」
趙雲が張飛から受け取った。
陳到も張飛から受け取った。
骨付きの肉。笹で、持つ部分が作られていた。
匂いが、よかった。
焼き色。茶色く、てかっていた。
「これを……?」
「俺の奢りだ」
そう言うと、張飛が豪快にかぶりついた。
趙雲も張飛の真似をする。
口の周りに、油がついた。
「陳到お姉さん、美味しいよ」
「うん……」
口を覆う布を少し下げ、肉を入れた。
「どうだ?」
はむはむと食べながら、趙雲が陳到を見上げた。
「……美味しいな……」
そう、陳到が言った。
「だろう! ここの肉は、絶品なんだ。元々肉屋をやってた俺が言うんだから、間違いねぇ」
そういえばそうだったと陳到は思った。
「へー」
趙雲が、服に油を零した。
陳到が、怖い目で趙雲を睨んだ。ゴメンナサイと言うと、せっせと布巾で拭き始めた。
「でも、以外ですね」
「ああ?」
「張飛さん、味にこだわらない人だと思ってました。いっぱいあればいいって」
「それと、酒があればいいってか?」
「あ、はい」
「……この野郎!」
骨をばりばりと噛み砕きながら、張飛が趙雲に掴みかかって。
趙雲がほいっと軽やかに避ける。
陳到はそれを、ゆっくりと食べながら嬉しげに見ていた。
「味に拘らないのは、小兄貴だな。龐統の料理でも普通に食ってやがる」
ぎりぎりとこめかみを締め付ける。
趙雲が痛い痛いと言っていた。
「龐統殿の料理か。どのようなものなんだろう……」
「……兵器だな」
げっそりとした表情を、張飛は浮かべた。
「あれは、小兄貴しか食べられん」
……。
食べたのか。
「へ、へぇー」
「ふーん……」
「飯は、美味いに越した事はねぇよ。戦の時は、そんなこと言ってられなかったけどよ」
「料理か……」
やったことないなと、陳到は思った。
今度――やってみようか。
骨を、殻入れに入れる。
手が、少し汚れていた。
「どうだ、よかったろう」
「うん!」
「ええ……」
こういうのも、いいかもしれない。
今はそう、思っていた。
「また、付き合えや。一人で食うよりも、大勢の方が俺は好きだからよ」
「そうですね……」
陳到は、うんと頷いた。
「お見事です」
紀霊(キレイ)が、言った。
女らしい衣を身に着けていたが、手に三尖刀を持っていた。
「こんなもの、だろうか」
袁術(エンジュツ)が刀を鞘に収める。
ひらひらと、二つに割れた木の葉が二枚三枚と落ちてきた。
「快癒して間もないとは、思えません」
そう、微笑みながら言った。
紀霊の右目の傷。少しずつ、薄くなっている。
もう、必要がなくなったのだろう。そう、紀霊は考えていた。
「袁術様、紀霊様」
楽就(ガクシュウ)がやって来て、二人の名前を呼んだ。
眩しそうに、目を細めながら。
「袁紹様がお呼びです」
「……軍の、再編か」
「多分……」
袁紹軍は、軍の再編の途上であった。
今までは大きく分けて、袁紹直轄、顔良軍、文醜軍。
この三つの軍が存在していた。
それをさらに一つ増やすのだという。
公孫瓉との戦で功のあった麹義(キクギ)が、その任に着くと言われていた。
精鋭騎馬隊白馬義従。
散々袁紹を手こずらせた彼らを叩き潰したのが麹義であった。
「私も、誰かの下につくのかな」
「袁紹様でも顔良殿でも文醜殿でもよいですが……麹義殿はご免です」
紀霊が、言った。
麹義は、袁術を嫌っていた。袁術についての陰口は、辿っていけば大抵麹義に行き着いた。
紀霊の面前で暴言を吐いた事も、一度や二度ではなかった。
「どうなるだろう」
そう、袁術が言った。
会議の時、袁術はいつも隅の方にいた。
文官でも、軍人でもない。
当然だった。
兄に逆らい、戦を挑もうともしたのだ。首があるだけでも、感謝しなければならなかった。
紀霊と楽就と一緒に、静かに会議を見やり、意見を述べる事はなかった。
袁紹は、柔和そうな男であった。
育ちの良さが、表面に現れている。
「さてと」
袁紹の一言に、空気が変わった。
一同が静まりかえった。
新たに設けられる軍の事についてだと、わかったのだ。
何人か、袁術達を見やった。袁術はいつも通り、目を瞑ってそこにいた。
麹義が、胸を張る。
本命、麹義。
対抗として、元西園八校尉の淳于瓊。
大方の意見は、やはり麹義であった。
「麹義」
袁紹が、麹義の名を呼んだ。
大広間が、拍手に包まれる。
一度麹義は、袁術の方を見やり、にたりと笑みを浮かべた。
紀霊が、激怒した。
それを、袁術がたしなめた。
「許攸」
広間が、ざわつき始める。
許攸は、文官であった。戦は、不得手だった。
「どうしたの、許攸。早く早く」
袁紹に急かされ、許攸も前に出た。
袁紹は、にこにことしていた。
紀霊は、嫌な予感がした。
「えっとね、お二人さん」
「「はい」」
二人は、同時に声を出した。
「死ね」
そう、袁紹は言い放った。
「は?」
「な、なんと?」
「死ね。そう、言ったんだ。聞こえなかった?」
袁紹は表情も声色も変えずに、そう、言い放った。
さらにざわめき始めた広間を、顔良と文醜がその気で押さえ込んだ。
「わけを……いきなり、死ねと言われても!」
「そ、そうです! 一体何故!?」
「麹義……君は、白馬義従を勝手に自分の物にしたそうだね」
「あ……」
「許攸、君も分かっているはずだ。不正な流用。帳簿が、勝手に変えられていた。君の昔からの癖だ。言ったよね、次は無いって」
「え、袁紹様……」
「連れて行け」
許攸は、がたがたと震えていた。
衛兵が、二人に近づいていく。
麹義が、燃えるような瞳で袁紹を睨み付けていた。
紀霊と袁術が走り出す。
顔良と文醜は、広場を押さえる事に集中しすぎていた。
衛兵の首が飛び、麹義が雄叫びを上げる。
剣が、煌めいた。
袁紹に襲いかかるより早く、その胸を三尖刀が貫き、袁術の剣が首を薙ぎ払った。
「ふむ……」
二人は、血で汚れていた。
顔良も文醜も、呆気にとられているようであった。
「助かったよ。さすがに、丸腰じゃあね」
袁紹が、言った。
袁術が少し、頭を下げた。
許攸が引きずられていく。
死骸が片付けられる。
顔良と文醜が、しきりに二人に頭を下げていた。
「軍を一つ、増やす」
ぽつりと、袁紹が口にした。
「白馬義従も、その軍に組み込むことになるね」
そう言うと、袁紹は弟夫婦に近づいた。
「よろしく、袁術」
弟の肩を叩く。弟は、兄の顔を見つめ、はいと言った。
「大将は、袁術。副将は紀霊。これより、次の戦の準備に入る」
袁紹の声は朗らかで、よく響いた。
「敵は――曹操」
袁紹は、そう、言った。
視線が集まっていた。
やはり目立つのだ。
それは、あまり心地良いものではなかった。
「張飛殿……」
「ん? 待ってろ、もうすぐ来るから」
「いえ、そういうわけではなくてですね……」
劉備の義弟、張飛(チョウヒ)。
劉備軍武将、陳到(チントウ)。
劉備の従者、趙雲(チョウウン)。
陳到は、女。趙雲は幼い男の子。
三人で城を抜け出し、街の食堂にやって来ていた。
張飛が誘ったのだ。趙雲がうんとすぐに頷き、陳到は仕方なく、であった。
三人、外に置かれた縁台に座っている。
蛇矛片手の巨体の男は、すぐに正体が知られたようで。
見物の人々で、流れが悪くなっていた。
「うわー。みんな僕達のこと見てますよ」
真ん中に腰掛けた趙雲が、足をぶらぶらさせながら呑気な声を出した。
「へ。まぁ、有名人だからな」
「凄いですね、陳到お姉さん」
「……スゴイスゴイ……」
気のない返事。死んだ魚の目をしていた。
あんぐりと趙雲が口を開けた。
「……え、えっと……」
「私は、早く帰りたいのだが……」
こういう場所は、嫌いだった。
陽の当たる場所。
自分が、住めぬ世界。
着飾った年頃の娘が、目の前を通り過ぎていく。嫌でも、目に入る。
――憂鬱だった。
「やっと来たか」
張飛が、言った。店の主から何かを受け取ると、銭を渡していた。
ごゆっくりと声をかけて、いそいそと店の奥に消えていく。
食堂は、繁盛していた。
「ほらよ」
趙雲が張飛から受け取った。
陳到も張飛から受け取った。
骨付きの肉。笹で、持つ部分が作られていた。
匂いが、よかった。
焼き色。茶色く、てかっていた。
「これを……?」
「俺の奢りだ」
そう言うと、張飛が豪快にかぶりついた。
趙雲も張飛の真似をする。
口の周りに、油がついた。
「陳到お姉さん、美味しいよ」
「うん……」
口を覆う布を少し下げ、肉を入れた。
「どうだ?」
はむはむと食べながら、趙雲が陳到を見上げた。
「……美味しいな……」
そう、陳到が言った。
「だろう! ここの肉は、絶品なんだ。元々肉屋をやってた俺が言うんだから、間違いねぇ」
そういえばそうだったと陳到は思った。
「へー」
趙雲が、服に油を零した。
陳到が、怖い目で趙雲を睨んだ。ゴメンナサイと言うと、せっせと布巾で拭き始めた。
「でも、以外ですね」
「ああ?」
「張飛さん、味にこだわらない人だと思ってました。いっぱいあればいいって」
「それと、酒があればいいってか?」
「あ、はい」
「……この野郎!」
骨をばりばりと噛み砕きながら、張飛が趙雲に掴みかかって。
趙雲がほいっと軽やかに避ける。
陳到はそれを、ゆっくりと食べながら嬉しげに見ていた。
「味に拘らないのは、小兄貴だな。龐統の料理でも普通に食ってやがる」
ぎりぎりとこめかみを締め付ける。
趙雲が痛い痛いと言っていた。
「龐統殿の料理か。どのようなものなんだろう……」
「……兵器だな」
げっそりとした表情を、張飛は浮かべた。
「あれは、小兄貴しか食べられん」
……。
食べたのか。
「へ、へぇー」
「ふーん……」
「飯は、美味いに越した事はねぇよ。戦の時は、そんなこと言ってられなかったけどよ」
「料理か……」
やったことないなと、陳到は思った。
今度――やってみようか。
骨を、殻入れに入れる。
手が、少し汚れていた。
「どうだ、よかったろう」
「うん!」
「ええ……」
こういうのも、いいかもしれない。
今はそう、思っていた。
「また、付き合えや。一人で食うよりも、大勢の方が俺は好きだからよ」
「そうですね……」
陳到は、うんと頷いた。
「お見事です」
紀霊(キレイ)が、言った。
女らしい衣を身に着けていたが、手に三尖刀を持っていた。
「こんなもの、だろうか」
袁術(エンジュツ)が刀を鞘に収める。
ひらひらと、二つに割れた木の葉が二枚三枚と落ちてきた。
「快癒して間もないとは、思えません」
そう、微笑みながら言った。
紀霊の右目の傷。少しずつ、薄くなっている。
もう、必要がなくなったのだろう。そう、紀霊は考えていた。
「袁術様、紀霊様」
楽就(ガクシュウ)がやって来て、二人の名前を呼んだ。
眩しそうに、目を細めながら。
「袁紹様がお呼びです」
「……軍の、再編か」
「多分……」
袁紹軍は、軍の再編の途上であった。
今までは大きく分けて、袁紹直轄、顔良軍、文醜軍。
この三つの軍が存在していた。
それをさらに一つ増やすのだという。
公孫瓉との戦で功のあった麹義(キクギ)が、その任に着くと言われていた。
精鋭騎馬隊白馬義従。
散々袁紹を手こずらせた彼らを叩き潰したのが麹義であった。
「私も、誰かの下につくのかな」
「袁紹様でも顔良殿でも文醜殿でもよいですが……麹義殿はご免です」
紀霊が、言った。
麹義は、袁術を嫌っていた。袁術についての陰口は、辿っていけば大抵麹義に行き着いた。
紀霊の面前で暴言を吐いた事も、一度や二度ではなかった。
「どうなるだろう」
そう、袁術が言った。
会議の時、袁術はいつも隅の方にいた。
文官でも、軍人でもない。
当然だった。
兄に逆らい、戦を挑もうともしたのだ。首があるだけでも、感謝しなければならなかった。
紀霊と楽就と一緒に、静かに会議を見やり、意見を述べる事はなかった。
袁紹は、柔和そうな男であった。
育ちの良さが、表面に現れている。
「さてと」
袁紹の一言に、空気が変わった。
一同が静まりかえった。
新たに設けられる軍の事についてだと、わかったのだ。
何人か、袁術達を見やった。袁術はいつも通り、目を瞑ってそこにいた。
麹義が、胸を張る。
本命、麹義。
対抗として、元西園八校尉の淳于瓊。
大方の意見は、やはり麹義であった。
「麹義」
袁紹が、麹義の名を呼んだ。
大広間が、拍手に包まれる。
一度麹義は、袁術の方を見やり、にたりと笑みを浮かべた。
紀霊が、激怒した。
それを、袁術がたしなめた。
「許攸」
広間が、ざわつき始める。
許攸は、文官であった。戦は、不得手だった。
「どうしたの、許攸。早く早く」
袁紹に急かされ、許攸も前に出た。
袁紹は、にこにことしていた。
紀霊は、嫌な予感がした。
「えっとね、お二人さん」
「「はい」」
二人は、同時に声を出した。
「死ね」
そう、袁紹は言い放った。
「は?」
「な、なんと?」
「死ね。そう、言ったんだ。聞こえなかった?」
袁紹は表情も声色も変えずに、そう、言い放った。
さらにざわめき始めた広間を、顔良と文醜がその気で押さえ込んだ。
「わけを……いきなり、死ねと言われても!」
「そ、そうです! 一体何故!?」
「麹義……君は、白馬義従を勝手に自分の物にしたそうだね」
「あ……」
「許攸、君も分かっているはずだ。不正な流用。帳簿が、勝手に変えられていた。君の昔からの癖だ。言ったよね、次は無いって」
「え、袁紹様……」
「連れて行け」
許攸は、がたがたと震えていた。
衛兵が、二人に近づいていく。
麹義が、燃えるような瞳で袁紹を睨み付けていた。
紀霊と袁術が走り出す。
顔良と文醜は、広場を押さえる事に集中しすぎていた。
衛兵の首が飛び、麹義が雄叫びを上げる。
剣が、煌めいた。
袁紹に襲いかかるより早く、その胸を三尖刀が貫き、袁術の剣が首を薙ぎ払った。
「ふむ……」
二人は、血で汚れていた。
顔良も文醜も、呆気にとられているようであった。
「助かったよ。さすがに、丸腰じゃあね」
袁紹が、言った。
袁術が少し、頭を下げた。
許攸が引きずられていく。
死骸が片付けられる。
顔良と文醜が、しきりに二人に頭を下げていた。
「軍を一つ、増やす」
ぽつりと、袁紹が口にした。
「白馬義従も、その軍に組み込むことになるね」
そう言うと、袁紹は弟夫婦に近づいた。
「よろしく、袁術」
弟の肩を叩く。弟は、兄の顔を見つめ、はいと言った。
「大将は、袁術。副将は紀霊。これより、次の戦の準備に入る」
袁紹の声は朗らかで、よく響いた。
「敵は――曹操」
袁紹は、そう、言った。