小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~姫と狼(終)~

「天の理を歪ませたお前には、わらわの力は、及ばぬのかな」
「俺は……生きて」
「嘘」
 爪が、ぴくりと震えた。
「嘘じゃねぇ……」
 自分の声。こんな情けない声だったか。
「死んだのだよ、お前は。あの時に、確かに、死んだのだよ」
「傷は深かったけど、死んじゃ」
「いいや、死んだ。お前は確かに、あのとき、死んだ」
 あの時――
 自分の故郷に、行ったとき。
「嘘だ!」
「そう、お前が、嘘。お似合いじゃな、わらわと、お前は。死に狼と、あやかし姫。本当に、お似合いではないか」
 姫様が、手を、妖狼に伸ばした。
 頬に触れ、それから、腕を絡ませた。
 汗が、姫様に落ちる。
 顔が、触れそうになる。
 冷ややかな眼差し。金と、銀の、瞳。
 艶やかに笑み、冷たい表情を解くと、
「もう、子供ではない」 
 女はそう、言った。姫様の声で、そう、言った。
「いつまでも、子供扱いするな。わらわも、そうじゃ。目の見えぬ女と、蜘蛛のことを、羨ましがりおって。幼い鬼の、父と母を羨ましがりおって。鬼の姫と、人の身を捨てし者を、羨ましがりおって。別に、良いではないか。なぁ?」
 好いておれば、良いではないか。
 些細なことではないか。
「わらわは、お前が好きじゃ。どうやら、そうらしい。お前も、わらわが好きじゃ。それで、よい。それで、十分じゃろう」
「俺は……お前を……」
「皆、眠っておる」
 ――好いた女を抱くなら、今ぞ。
「誰が、てめぇなんかを……」
 妖狼の肌に、血管が幾つも幾つも浮き出ていた。
「強情な……素直になればよいのに」
 ふんと、鼻で嗤う。
 また、景色が廻った。放り投げられたのか。  
 息を吐く。
 顔をあげる。
 あの、女。
 女は、居間を見ていた。
 静かに、少女が、歩いてくる。
 姫様が、歩いてくる。やはりあれは、騙り者だったのか。
 妖狼は声をかけようとして、はたと立ち止まった。
 深紅の、細長い瞳。
 その瞳に、見据えられて。
「貴様……どうして! もう、のうなったのではないのか!」
 姫様が、姫様を見やる。
 二人は、一歩一歩近づいていく。
 鏡合わせのように、
 一つ、
 一つ。
 同じ、動きを。
「そうか、また……やはり、あれだけでは、足りぬかよ……太郎」
 妖狼は、女を、見やった。
「また、会おうぞ」
 妖しいほどに、色香を帯びていた。それは、恐ろしさすら、感じさせて。
 手の平を、互いに合わせた。
 光。
 どうして、月が。
 そう、太郎は思った。



「夢だったのかよ……」
「なにがですか?」
 平穏な、日々。
 いつもの、古寺。いつもの、姫様。
「……いや、なんでもない」
「隠し事、ですか」
「……串団子、食べました」
「やっぱり!」
 つんとすると、姫様が去っていく。 
 黒之助が、こちらを呆れたように見ていた。
 葉子が、姫様の傍に寄る。
 妖狼は、姫様の背が消えていくのを、じっと見やった。
 
 

 ――夢のわけが、ない。



 あれは……頭領の、瞳だった。



 あの時俺は……死んだのかよ……